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98:いま助けに行く

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「こんなことになって、イグニスはどれほど心を痛めていることでしょう。自分を責めていることでしょう。それは私も同じです」
 そんなのアマーリエたちのせいじゃない。悪いのはミレーヌだ。
 そう言うのは簡単だったが、口先だけの慰めなどなんの意味もない。
 だから新菜は口を閉ざしたまま、振動に身を任せ、雨と馬車が走る音を聞いていた。

「――ですから、ミレーヌを始め、伯爵家の皆さまには存分に報いを受けてもらいましょう。幼い幻獣を唆したこと。私たちの大事な友人を傷つけ、拉致したこと。侯爵家を侮ったこと。全てを後悔させます」
 にっこりと。

「この件に関わった者はただ一人の例外も許さず、絶望の淵へ叩き落とします」
 アマーリエはその美しい顔に慈母のような微笑みを浮かべて自身の首に親指を向け、びっと横に引いた。

 言われなくてもわかる。これは首を掻っ切る仕草だ。
 王女らしからぬこの振る舞いは、一体誰に習ったのだろうか。
 その背後に猛吹雪の幻影を見て、新菜は震え上がった。

(アマーリエ様って、この世界で一番怒らせちゃいけない人なんじゃ……)
 侯爵家のメイドから、アマーリエは王女でなければ宮廷魔導師団の筆頭の座を狙えたほどの大魔法使いだと聞いたことがある。
 考えてみれば、夫であるイグニスも誰一人倒せなかったワイバーンを倒してみせた人だ。
 エレシュ伯爵家は終わったも同然なのではないだろうか。二人の怒りの業火に焼き尽くされる未来しか見えない。

「そのための準備は整っていますからね」
 アマーリエは背後を一瞥した。
 後続の馬車に乗るのはラオを始めとした、侯爵家の精鋭だ。

「ですが、ハクアを助けるのは他の誰でもない、あなたですよ、ニナ。私たちは総力を挙げて援助しますが、主役はあなたです」
 アマーリエは新菜の手を優しく握った。

「愛しい者を己の手で取り返しなさい。不断の努力の成果を見せるのはいまです」
 アマーリエは新菜の手の皮が何度も傷ついては修復を繰り返してきたことを知っている。
 戦闘以外でも、新菜がメイドとして役に立てるよう、色んな人間と交流し、その技を教わって来たことを知っている。
 何故ならば、彼女はイグニスと共に、ずっと見守ってくれていたから。

 新菜はアマーリエを尊敬していた。
 その美しく洗練された立ち振る舞いを、元王女という身分を鼻にかけない気さくな人柄を。
 刺繍や乗馬、礼儀作法を根気よく教えてくれた、厳しさの中にある優しさを。

「――はい」
 新菜はエメラルドの瞳をまっすぐに見返して、大きく頷いた。
 アマーリエが微笑んで頷き返し、手を離す。

(待っていてください、ハクア様。いま助けに行きます)
 もう胸に迷いはなく、怯えも恐れもない。
 たとえどんな敵が立ち塞がろうとも倒してみせる。
 だから。
(どうか、無事でいて……!)
 ブレスレットを握り締めて、心の底から祈った。
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