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85:暗転(7)
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女が貴族となれば、必然、後ろの男五人は部下ではなく護衛だろう。
左端に立つ男は指の間にナイフを挟んでいる。
そのナイフは地面に転がるハクアの血で汚れたものと同じだった。
「ミレーヌ様、こんなのあんまりです! 酷いことしないって約束したじゃないですか!」
フィーネが涙目で立ち上がり、糾弾するように叫んだ。
ミレーヌ。護衛二人が話していたエレシュ伯爵夫人の名。
(……ああ……アマーリエが主催していた茶会の招待客の一人か)
いまのいままで忘れていたが、茶会の当日、ハクアは侯爵邸の正門前で止まった馬車から彼女が手を引かれて下りる姿を目撃した。だから見覚えがあるのだ。
「心外ね。酷いことなんてしてないじゃない。私はただ毒を塗ったナイフで動けなくしただけよ」
「十分酷いですよ!!」
フィーネの大声はがんがん痛む頭に響き、ハクアはこめかみを押さえた。
刺し貫かれた背中の傷口は熱く、嫌な汗が噴き出て止まらない。
手のひらに爪を立て、意識を失わないよう努力している間も、会話は進んでいく。
「いまの見てなかったんですか、ナイフ抜いたとき、ハクア様すごく痛そうでしたよ、身体が痙攣してましたよ!?」
「うるさいわねえ。毒って言っても命に関わるものじゃないし、痛いから何だって言うのよ。あんたも共犯者でしょう? そいつをここまで誘《おび》きだしたのは他ならぬあんただっていうのに、いまさら善人ぶって偉そうに説教する権利があると思ってるの?」
俯いた視界の端で、フィーネの足がびくっと震えた。
「そ、それは……だって……っ」
「何を情に流されようとしてんのよ。オルハーレン侯爵と過ごすうちにあんたまで竜は友達、なんてお花畑の思考に染まっちゃったの? あのねえ、人間が竜を使役することはあっても、友達になるなんてあり得ないから。生殺与奪の権利は私たち人間にあるのよ。私がその目をほしいと思ったら、こいつはそれを光栄に思いながら喜んで差し出すべきなのよ」
「……は」
扇子の先端を向けられ、思わず失笑が漏れた。
なるほどミレーヌは欲深い人間らしい、酷く身勝手な思考の持ち主だ。
自分こそが世界の中心で、竜は種として格下、服従してしかるべき奴隷とでも思っているのか。
悪女もここまで付き抜けられるといっそ清々しい。
「あら、何を笑うの? 納得してくれたのかしら? だったらおとなしく私についてきてくれる?」
「待ってください!」
ハクアが返答するより先に、フィーネが叫んだ。
耳と尻尾を小刻みに震わせ、おどおどと怯えながら、許しを請うように胸の前で両手を組む。
「お、お願いですミレーヌ様。ハクア様も、トウカも、侯爵家の人たちはみんな、フィーネにとっても優しくしてくれたんです。だから、どうか考え直してください、です。ハクア様の目は、本当に綺麗ですけど、ハクア様がいなくなったら、きっとみんな悲しみます……」
「知ったことじゃないわよそんなの。私が欲しいのは《月光宝珠》だけであって、性格が優しかろうがどうしようもないクズだろうが興味ないわ。目を抉ればどうせ死ぬし」
「目を……え? さ、さっきも差し出すとか言ってましたけど……嘘でしょう? そんなのフィーネ、聞いてませんよ? ミレーヌ様はハクア様を飼いたいんでしょう? ずっと傍で見ていたいって……」
フィーネは混乱したように瞳を揺らした。
左端に立つ男は指の間にナイフを挟んでいる。
そのナイフは地面に転がるハクアの血で汚れたものと同じだった。
「ミレーヌ様、こんなのあんまりです! 酷いことしないって約束したじゃないですか!」
フィーネが涙目で立ち上がり、糾弾するように叫んだ。
ミレーヌ。護衛二人が話していたエレシュ伯爵夫人の名。
(……ああ……アマーリエが主催していた茶会の招待客の一人か)
いまのいままで忘れていたが、茶会の当日、ハクアは侯爵邸の正門前で止まった馬車から彼女が手を引かれて下りる姿を目撃した。だから見覚えがあるのだ。
「心外ね。酷いことなんてしてないじゃない。私はただ毒を塗ったナイフで動けなくしただけよ」
「十分酷いですよ!!」
フィーネの大声はがんがん痛む頭に響き、ハクアはこめかみを押さえた。
刺し貫かれた背中の傷口は熱く、嫌な汗が噴き出て止まらない。
手のひらに爪を立て、意識を失わないよう努力している間も、会話は進んでいく。
「いまの見てなかったんですか、ナイフ抜いたとき、ハクア様すごく痛そうでしたよ、身体が痙攣してましたよ!?」
「うるさいわねえ。毒って言っても命に関わるものじゃないし、痛いから何だって言うのよ。あんたも共犯者でしょう? そいつをここまで誘《おび》きだしたのは他ならぬあんただっていうのに、いまさら善人ぶって偉そうに説教する権利があると思ってるの?」
俯いた視界の端で、フィーネの足がびくっと震えた。
「そ、それは……だって……っ」
「何を情に流されようとしてんのよ。オルハーレン侯爵と過ごすうちにあんたまで竜は友達、なんてお花畑の思考に染まっちゃったの? あのねえ、人間が竜を使役することはあっても、友達になるなんてあり得ないから。生殺与奪の権利は私たち人間にあるのよ。私がその目をほしいと思ったら、こいつはそれを光栄に思いながら喜んで差し出すべきなのよ」
「……は」
扇子の先端を向けられ、思わず失笑が漏れた。
なるほどミレーヌは欲深い人間らしい、酷く身勝手な思考の持ち主だ。
自分こそが世界の中心で、竜は種として格下、服従してしかるべき奴隷とでも思っているのか。
悪女もここまで付き抜けられるといっそ清々しい。
「あら、何を笑うの? 納得してくれたのかしら? だったらおとなしく私についてきてくれる?」
「待ってください!」
ハクアが返答するより先に、フィーネが叫んだ。
耳と尻尾を小刻みに震わせ、おどおどと怯えながら、許しを請うように胸の前で両手を組む。
「お、お願いですミレーヌ様。ハクア様も、トウカも、侯爵家の人たちはみんな、フィーネにとっても優しくしてくれたんです。だから、どうか考え直してください、です。ハクア様の目は、本当に綺麗ですけど、ハクア様がいなくなったら、きっとみんな悲しみます……」
「知ったことじゃないわよそんなの。私が欲しいのは《月光宝珠》だけであって、性格が優しかろうがどうしようもないクズだろうが興味ないわ。目を抉ればどうせ死ぬし」
「目を……え? さ、さっきも差し出すとか言ってましたけど……嘘でしょう? そんなのフィーネ、聞いてませんよ? ミレーヌ様はハクア様を飼いたいんでしょう? ずっと傍で見ていたいって……」
フィーネは混乱したように瞳を揺らした。
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