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86:まるで夢のような(1)

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 やがて『REVERSE』が終わると、観客の手拍子が止んだ。

 瑠夏と大和が下手へと退場し、舞台の上でスポットライトに照らされるのは沙良と秀司の二人だけになる。

 黒子役の女子が早足で歩いてきて、沙良と秀司に扇子を手渡して去った。

 沙良と秀司はそれぞれ右手と左手に扇子を持ち、舞台の中央に立った。

(これが私の一週間の集大成ね)
 夢の時間はもうすぐ終わりだ。

 だからこそ、精一杯、想いを込めて踊ろう――。

『夜想蓮華』 が流れ始めると同時、沙良と秀司はぱっと扇子を開いて舞い始めた。
 扇子を持って踊りながら、思い出すのは辛く苦しかった練習の日々ではなく、懐かしい秀司との思い出。

(ねえ、秀司。覚えてる? 入学式の日のこと。私と目が合ったのに、あなた、無視したわよね。物凄く悲しかったのよ。悲しかったし、悔しかった)

 沙良はいまでも鮮明に覚えている。
 三駒高校の入学式の日、沙良は真新しい制服を着て青空の下を歩いていた。

 校門から昇降口まで続く道には桜が多く植えられていて、薄紅の花弁が青空に舞う様は幻想的ですらあり、新入生代表挨拶を控えて緊張していた沙良の心を和ませた。

 桜があまりにも綺麗だから、沙良は新入生たちの流れに沿って昇降口へ向かっていた足を止め、最も大きく見事な桜の元へ向かった。

 校舎前のちょっとした広場のような場所で立ち止まり、無心で桜を見上げていた沙良は、桜並木の中で同じように立ち止まっている彼を見つけた。

 彼を一目見たその瞬間、電撃を浴びたような衝撃が全身を貫いた。

 人目を引かずにはいられない、中性的で端正な顔立ち。
 陽光を浴びて輝く艶やかな黒髪。

 ネクタイを締めたブレザーの制服は他の生徒たちが着ているものと全く同じなのに、まるで彼のために作られた特別衣装のように見えた。

 晴れ渡った青空も、舞い散る桜さえも、全てが彼のために用意された舞台演出装置のように思え、沙良はただ一人の観客と化し、美しすぎる主役を呆然と見つめた。

 沙良の視線に気づいたらしく、彼がこちらを見た。
 風に舞い散る桜を間に挟んで、確かに目が合った。

 どきりと心臓が鳴り、顔の温度が上がった。

 しかし、彼はお愛想の笑みすら浮かべず、すぐに目を逸らして歩き出した。
 あんな目で見られては、声をかけようという気すら起きなかった。

 彼が沙良に向けた目は、温かくも冷たくもない、心底『どうでも良いモノ』を見る目だった。

(入学式で立派に新入生代表挨拶をすれば、少しはあなたに印象付けられるだろうかと思ったわ。でも、秀司は退屈そうな顔をするばかりで壇上《こっち》を一瞥もしなかったし、授業中に指名された私が完璧な回答を返して先生に褒められたときも無反応だったわよね。とことん私に興味がなかった。だから、一学期の中間テストではトップ入学だったあなたの上をいって意識させてやろうと思ったのよ)
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