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05:《人形姫》の素顔

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 ――ガーン、ガーン……

 謎の音で目を覚ました。
 硬いものを叩くような、岩同士がぶつかるような、形容しがたい音。

 目を開くと、ルーシェは天幕の中にいた。

 ジオと共にエルダークの王都を出発して三日が経つ。

 昨日、陽が落ちる前にジオはロドリーとエルダークの国境近くに広がる森の一角に天幕を張った。

 軍人だった彼は野営に慣れていて、竈の準備も山菜採りも何でもそつなくこなした。

 昨夜はそれぞれ毛布にくるまり、おやすみと言って眠ってはずなのだが、横たわるルーシェの隣に彼の姿はない。

 彼が使っていたはずの毛布が一枚あるだけだ。

(どこに行ったの?)

 まさか置いて行かれたのかと不安になり、ルーシェは自分の身体から毛布を剥ぎ取って上体を起こした。

 寝起きそのままの姿で天幕から外へ出る。

 朝の森の中では鳥たちが騒々しく鳴いていた。
 木立の隙間から覗く空は晴れ。
 風が吹くたびに周囲の枝葉がさわさわと音を立て、ルーシェの不安を煽る。

 ――ガーン、ガーン……

 音がする方向を目指して歩くと、森を流れる小川の中にズボンを膝までまくり上げたジオがいた。

 膝近くまで川に浸かった彼は天幕を張るときにも使ったハンマーを振り上げ、大きな岩を叩いている。

 その拍子に出た音こそが、さっきから聞こえていた謎の音の正体だった。

 川の傍にはジオが作ったらしい竈があり、薪がパチパチと音を立てて爆ぜ、白い煙が空へと伸びていた。

(ああ、良かった。置いて行かれたわけじゃなかったのね)

「ジオ、何してるの?」
 問いかけながら気づく。彼の周りには魚が数匹腹を見せて浮かんでいた。

「ああ、おはようルーシェ……すげー寝癖だな」
「!?」
 ルーシェは赤面して頭を押さえた。

 手で頭を撫でつけたものの、どこに寝癖がついているのかは鏡を見ないとわからない。そして、水面という名の立派な鏡はすぐそこにあった。

「魚を獲ってたんだよ。あんまり獲れてないけど、ま、これくらいでいいか」
 ジオは水面に浮かぶ魚をまとめて捕まえ、裸足のまま川から上がった。
 ナイフで器用に鱗を落とし、臓物を取り除き、予め用意していた枝に刺す。

「わたしも手伝うわ」
 少々グロテスクな光景に気後れしながらも、ルーシェは申し出た。

 頭の寝癖を気にするより彼の役に立ちたい。
 旅に出てからというもの、ルーシェは彼の世話になりっぱなしで気が引けるのだ。

「いいよ。『お嬢様』はこういう作業は苦手だろ。孤児院じゃお前も普通にやってたけど、一度ぬるま湯生活を送っちまったら戻れねーよなー。仕方ない仕方ない」

 腰が引けているのを見抜かれたらしく、ジオは二匹目の魚の臓物を取り除きながら笑った。

 カチンときて言う。

「いまでもできるわよ! もう見慣れたし大丈夫! ナイフを貸して!」

「とんでもございません、お嬢様。白魚のように美しいお嬢様の手が汚れてしまいます。このような雑事は全てわたくしめにお任せくださいませ」

「だからもうお嬢様じゃないっつーの!! わかってて言ってるでしょ!?」

 わざとらしく頭を下げ、卑屈な態度を取るジオに、とうとう怒鳴る。

 魔法学校にいた生徒たちが見たら驚愕するに違いない。
 しかし、これこそが《人形姫》と呼ばれたルーシェの素顔だった。

「あははははっ。よーやく化けの皮が剥がれたな。場合によっちゃ、信じらんねー罵詈雑言を言うときもあったもんなー、お前。めちゃくちゃ泣き虫で怒鳴りまくってたお前が《人形姫》とか何の冗談……つーか《人形》はともかく《姫》って何だよ、どこから来た? マジで誰のこと? 意味わかんねー」
 ジオは大笑いした後、心底不思議そうに首を傾げた。

「うるさいなあっ!! 罵詈雑言を言ったのはジオがしつこくからかったからだし、ジオ以外の人にこんな言葉遣いしたことないしっ!! 魔法学校ではちゃんと立派に公爵令嬢やってたもん!! 周りの人たちから《姫》って呼ばれてもおかしくないくらいの完璧な淑女っぷりだったもん!!」
 顔を真っ赤にして喚く。

 真実、ルーシェが感情を全開にした相手はジオだけだ。
 ついでに言うならルーシェの言葉遣いが汚くなったのもジオのせいだ。

 ジオはルーシェの人格形成にどれほど大きな影響を与えたのかあまり自覚していないようだが。

「うんうん、よくもまあ、キレーにみんなを騙せたもんだわ。いやー素晴らしい演技力! 過去五年に渡る最優秀演技賞の受賞者はお前で決まりだな!」
「もおおおっ!! いいからナイフをわたしに寄越しなさ――」

「――触るな。危ない」

 急に真面目なトーンになって、ジオはナイフを持つ手を引っ込めた。

「な、何よ……」
 金色の瞳に射抜かれたルーシェは気圧され、伸ばした手を下ろさざるを得なかった。

 このやり取りには覚えがある。
 孤児院でもそうだった。

 先生に言われるまま感情を殺すように努め、放っておけば人形のようにおとなしかったルーシェをジオはあの手この手の手段を用いてからかった。

 ルーシェの反応を楽しんでいるようにしか見えないのに、いざというときは彼はがらりと態度を変え、まるで別人のようになった。

「天気を変えるおかしな化け物」と言ってルーシェに石を投げた子どもには本気で怒ったし、ルーシェが怪我をしそうになったときは身を挺して庇ってくれた。

 一体どれが彼の本当の姿なのかわからず、ルーシェは翻弄されてばかりいた。

「手伝いたいって気持ちはありがたく受け取っておくからさ。ルーシェは身支度を整えて来い。その寝癖どーにかしろ」
 ついさっきまでの真面目さはどこへやら、飄々とした態度でジオが言う。

「……わかった」
 不承不承、ルーシェは頷いた。
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