上 下
2 / 52

02:婚約破棄から始まった

しおりを挟む
「どうか……どうかお聞きください、デルニス様」
 ルーシェは一縷の望みを賭けて自分の胸に手を当てた。

(スターチス嬢は至って元気な上に無傷だわ。彼女の言う通り、わたしに突き飛ばされて階段から落ちたなら、かすり傷一つ負っていないのはおかしいでしょう?)

 そんなことはみんなわかっているはずなのに、それを指摘する者は誰もいない。
 皆が打ち合わせたかのように――いや、愉快そうな表情を見る限り、本当に打ち合わせ済みなのかも――ルーシェに濡れ衣を着せようとしている。

 この学校に通う生徒たちは誰も彼もがルーシェの敵だ。
 心が折れそうになるが、ルーシェは内心で歯を食いしばって己を鼓舞した。

(なんといってもわたしは彼の婚約者なのだから、心から訴えればわかっていただけるはず――)

「誓ってわたしは何もしていません。わたしはただ、踊り場で倒れているスターチス嬢を見つけて介抱しようと――」

「黙れ!! パトリシアを散々傷つけた貴様の声など聞きたくもない、いまこのときをもって私は貴様との婚約を破棄する!!」

「………!!」
 微かに抱いていた希望は粉々に砕け散った。

「父上の承認は得ている!! ここ最近、貴様の素行が目に余るため、休暇日に私は城に戻って父上に訴えたのだ!! 父上は私の訴えに耳を傾け、クライン公爵と公爵夫人を呼びつけて正式に婚約破棄の手続きを行ってくださった!! 後は私の意思次第だったのだが、もう我慢ならぬ!! 貴様のような悪辣非道な女との結婚など冗談ではない!! 私はパトリシア・スターチスを新たな婚約者とし、彼女に《国守りの魔女》の称号を与える!!」

 腕を振ってのデルニスの宣言に生徒たちがどよめき、パトリシアが目を丸くした。

(デルニス様は国王陛下から《国守りの魔女》の称号を譲る権限まで与えられたというの?)
 ルーシェもまた信じられない思いでデルニスを見つめた。

「デルニス様、それは本当ですか? 私が名誉ある《国守りの魔女》に?」
 喜びに弾んだ声でパトリシアが問う。

「ああ。君は忌々しいこの女に次ぐ魔力の持ち主だからな。《国守りの魔女》の務めも果たすことができるだろう」
「はい、私、きっと立派にお役目を果たしてみせます!」
「素晴らしい心意気だ。この国の未来を頼むぞ」
 にこやかに言って、デルニスはパトリシアの頭を撫でた。

「デルニス王子殿下、パトリシア様、ご婚約おめでとうございます!」
「新たな《国守りの魔女》様、どうか我々をお守りください!」
 拍手と歓声が起こる。

「私、皆様のために頑張ります!!」
 パトリシアは立ち上がり、キラキラした笑顔を振りまきながら頭を下げた。

「まあ、なんて素直で可愛らしい笑顔なのかしら」
「本当に。どこかの《人形姫》とは大違いね――」
 より大きな拍手が起こり、その狭間で嘲笑の声がする。

 デルニスはパトリシアの腰を抱いて寄り添い、二人は幸せそうな笑顔を浮かべた。

 まるで一人世界に取り残されたような気分だ。

(わたしの努力は何だったのかしら……)

 ガラガラと音を立てて足元が崩れていく。
 全身が腐り落ちていくかのような激しい疲労感と脱力感。

《国守りの魔女》として選ばれてから五年間、ルーシェは毎日欠かさずエルダーク王国の平和と国民の安寧を願ってきた。

 眠っているときも、病にかかって高熱に魘されたときも、国の守護結界だけは気力と根性で維持し続けた。

 しかし、もう頑張る必要はないらしい。
 ふっと肩から力を抜き、ルーシェは国全土を覆っていた守護結界を解除した。

 これでエルダークは魔獣に対して無防備になったわけだが、後は国軍とパトリシアの仕事だ。もう自分には関係ない。

(泣いては駄目、冷静に、冷静に――)

 爪が皮膚に食い込むほど強く拳を握り、湧き上がりそうになった感情を抑え込む。
 ルーシェが激しい感情を抱けば

(平民であるわたしを引き取り、育ててくださったお父さまとお母さまの顔に泥を塗ってはいけない。どんな時でも淑女としての振る舞いを忘れず、優雅に、上品に。これが最後だというなら、なおさらきちんとご挨拶をしなければ)

 ルーシェは立ち上がって微笑み、制服のスカートを摘まんで頭を下げた。

「婚約破棄と《国守りの魔女》の解任、承りました、デルニス様。五年もの間、幸せな夢を見せていただき、ありがとうございました」

「私にとっては悪夢だった。卑しい平民風情が。貴様の顔を見ていると気分が悪くなる」

「……デルニス様。仮にも王子が平民を侮辱してはいけません。平民は国を支える基盤、蔑ろにするなどあってはならないことです。それに、いまのわたしはクライン公爵家の養女で――」
 さすがに黙っていられず、嗜めようとしたが。

「ああそうだ、言い忘れていたがクライン公爵から言付けを預かっている。『婚約破棄されたお前に価値はない。養子縁組は解消した。二度と家に近づくな』とのことだ」
 もっともルーシェを傷つけるタイミングを狙っていたのだろう、デルニスは衝撃的な事実を口にした。

「――――」
 あまりのショックで視界が暗くなった。
 クライン公爵は王家と繋がりを持つために《国守りの魔女》となった平民を養女に迎え、政治の道具として利用しただけ。

 愛されてなどいないのはわかっていたつもりだったが、やはり現実を突きつけられるのは辛かった。

「ふん、いい気味だ。悪女の末路には相応しい」
「デルニス様、そんなに笑っては可哀想ですわ」
 被虐に満ちた笑みを浮かべたデルニスの袖をパトリシアが引っ張った。

「パトリシアは優しいな。やはり君こそ私の運命の人だ」
「まあ、そんな」
 頬に口づけされたパトリシアははにかみながらこちらを見て――デルニスには気づかれぬよう、はっきりと嘲笑した。勝ち誇ったような笑み。

 堪らずルーシェは顔を背け、逃げ出すように踊り場を後にした。

(これからどうしよう――)
 生徒たちの声や拍手の音をどこか遠い世界の出来事のように感じながら、途方に暮れる。

 養女としても婚約者としても《国守りの魔女》としても不要だと断じられてしまった。

 ルーシェが学校を卒業するまであと一年。クライン公爵は最後まで面倒を見てくれるだろうか。

(……そんなわけないわね。家に帰るどころか近づくなとまで言われたのだもの。既に退学届は出されていると考えるべきよ)

 打たれた頬が痛む。
 長い銀髪を揺らし、幽鬼のように、ルーシェはふらふらと階段を下りて行った。

(《国守りの魔女》には国から多額の報奨金が支払われているけれど……全額お父さまたちの懐に入っているのでしょうね。わたしがいま持っているお金はお小遣い程度の額しかないわ。何をするにもお金が必要なのに、この先どうやって生きていけばいいのかしら――)

 ふと、頭に浮かんだのは懐かしい孤児院。

 五年前、クライン公爵に手を引かれて孤児院を出てから、ルーシェは一度も帰っていない。

 クライン公爵に「お前はこれから公爵家の養女として生きていくのだから、過去のことは全て忘れろ」と命じられ、過去との繋がりは全て絶たれてしまった。

(……ジオは元気にしているかしら?)

 何故だろう、ルーシェは彼に会いたくて仕方なかった。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

子ども扱いしないでください! 幼女化しちゃった完璧淑女は、騎士団長に甘やかされる

佐崎咲
恋愛
旧題:完璧すぎる君は一人でも生きていけると婚約破棄されたけど、騎士団長が即日プロポーズに来た上に甘やかしてきます 「君は完璧だ。一人でも生きていける。でも、彼女には私が必要なんだ」 なんだか聞いたことのある台詞だけれど、まさか現実で、しかも貴族社会に生きる人間からそれを聞くことになるとは思ってもいなかった。 彼の言う通り、私ロゼ=リンゼンハイムは『完璧な淑女』などと称されているけれど、それは努力のたまものであって、本質ではない。 私は幼い時に我儘な姉に追い出され、開き直って自然溢れる領地でそれはもうのびのびと、野を駆け山を駆け回っていたのだから。 それが、今度は跡継ぎ教育に嫌気がさした姉が自称病弱設定を作り出し、代わりに私がこの家を継ぐことになったから、王都に移って血反吐を吐くような努力を重ねたのだ。 そして今度は腐れ縁ともいうべき幼馴染みの友人に婚約者を横取りされたわけだけれど、それはまあ別にどうぞ差し上げますよというところなのだが。 ただ。 婚約破棄を告げられたばかりの私をその日訪ねた人が、もう一人いた。 切れ長の紺色の瞳に、長い金髪を一つに束ね、男女問わず目をひく美しい彼は、『微笑みの貴公子』と呼ばれる第二騎士団長のユアン=クラディス様。 彼はいつもとは違う、改まった口調で言った。 「どうか、私と結婚してください」 「お返事は急ぎません。先程リンゼンハイム伯爵には手紙を出させていただきました。許可が得られましたらまた改めさせていただきますが、まずはロゼ嬢に私の気持ちを知っておいていただきたかったのです」 私の戸惑いたるや、婚約破棄を告げられた時の比ではなかった。 彼のことはよく知っている。 彼もまた、私のことをよく知っている。 でも彼は『それ』が私だとは知らない。 まったくの別人に見えているはずなのだから。 なのに、何故私にプロポーズを? しかもやたらと甘やかそうとしてくるんですけど。 どういうこと? ============ 番外編は思いついたら追加していく予定です。 <レジーナ公式サイト番外編> 「番外編 相変わらずな日常」 レジーナ公式サイトにてアンケートに答えていただくと、書き下ろしweb番外編をお読みいただけます。 いつも攻め込まれてばかりのロゼが居眠り中のユアンを見つけ、この機会に……という話です。   ※転載・複写はお断りいたします。

【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです

gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

我慢するだけの日々はもう終わりにします

風見ゆうみ
恋愛
「レンウィル公爵も素敵だけれど、あなたの婚約者も素敵ね」伯爵の爵位を持つ父の後妻の連れ子であるロザンヌは、私、アリカ・ルージーの婚約者シーロンをうっとりとした目で見つめて言った――。 学園でのパーティーに出席した際、シーロンからパーティー会場の入口で「今日はロザンヌと出席するから、君は1人で中に入ってほしい」と言われた挙げ句、ロザンヌからは「あなたにはお似合いの相手を用意しておいた」と言われ、複数人の男子生徒にどこかへ連れ去られそうになってしまう。 そんな私を助けてくれたのは、ロザンヌが想いを寄せている相手、若き公爵ギルバート・レンウィルだった。 ※本編完結しましたが、番外編を更新中です。 ※史実とは関係なく、設定もゆるい、ご都合主義です。 ※独特の世界観です。 ※中世〜近世ヨーロッパ風で貴族制度はありますが、法律、武器、食べ物など、その他諸々は現代風です。話を進めるにあたり、都合の良い世界観となっています。 ※誤字脱字など見直して気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません。

処理中です...