上 下
16 / 47

16:弟は好きですか

しおりを挟む
 昼食の後片付けを終えると、洗濯物が乾くまではしばらく手持ち無沙汰になる。

 ブードゥー様のお屋敷にいた頃はこういった暇な時間は皆で掃除をしていたのだが、この屋敷には掃除魔法がかかっている。

 気になる埃やちょっとした汚れを見つけたら近くの窓を開ければ良い。

 埃や汚れは吸い込まれるように窓の外へと飛んでいき、風に吹き散らされてそのままどこかへ消えていく。

 つくづく便利な魔法である。
 もし同じ効果を持つ魔法道具が安価で販売されたなら、世の主婦は泣いて喜ぶに違いない。

 屋敷の外、庭の手入れは伯爵家お抱えの庭師が行ってくれる。
 素人の手伝いはむしろ庭師の手間を増やすだけだ。

 たまに廊下や部屋の窓を開けることで掃除をしつつ、ぶらぶらと屋敷を歩き回っていた私は、庭から花でも摘んできて花瓶に活けようと思い立った。

 園芸用の鋏を片手に庭に行き、さてどの花を摘もうかなと花壇を見回して――そして気づく。

 ガラス張りの温室の隣に赤いスカーフを巻いた黒猫がいた。

 ユリウス様が眺めている方向にはラスファルの大通りが走っている。

 大通りのさらに向こう――ラスファルの街を囲う高い城壁の遥か先にはスタンレー卿が治める広大な領地がある。

 ノエル様や伯爵夫妻はその領地内のどこかにあるスタンレー卿の屋敷で他の有力貴族を交えて会食をしているはずだった。

 泣き出しそうな空の下、緩やかな風に吹かれながら、黒猫はじっと黙ったまま動かず、街の外を見ている。

 声をかけるべきか否か。
 誰しも一人になりたいときはある。

 迷った末に、私は手に持っていた鋏を花壇の横に置いてユリウス様に近づいた。

 足音に反応して、黒猫の耳がぴくりと動く。
 黒猫は身体を捻ってこちらを見た。

「……ユリウス様。良かったら私とお話しませんか」
 ユリウス様の負担にならないように、私は会話には少し遠い距離で足を止めた。

「どんな話を?」
 試すような口調でユリウス様が言う。

「ノエル様のお話はいかがでしょう」
 ユリウス様の耳がまたぴくっと動いた。

 個人の深い事情に踏み込みたいなら、こちらもまた話をするのが礼儀だ。

 私は覚悟を決めて、ユリウス様に自分の過去を打ち明けた。包み隠さず、全てを。

「……というわけで、私は双子の妹と仲たがいしたまま国を出ることになりました。私たち姉妹の関係の修復は不可能です」

 私が無意識に『他人の魔力を増幅する魔法』 を使い、イノーラを《国守りの魔女》にしていた事実を知ったら、イノーラは私に感謝するどころか逆上するだろう。

 お前にそんな力があっていいはずがないと取り乱し、胸倉を掴んで喚き、私を傍に縛り付けようとする。

 それこそ、どんな手段を使ってもだ。

 口元に乾いた笑みが浮かぶ。

 ――ああ、やっぱり。
 私を見下し、罵倒し、利用しようとする姿は容易に想像できるのに、イノーラが私を愛する姿など全く想像できない。

「私と妹が分かり合える日は永遠に来ないでしょう。でも、ユリウス様とノエル様は違うのではないでしょうか。差し出がましいこととは存じますが、私は別館はもちろん、本館でも聞き込みをしました。お二人は、昔はとても仲が良かったのですよね?」

 兄弟の間に亀裂が生じたのは、ユリウス様が七歳を迎え、本格的に貴族としての教育を受け始めた頃だ。

 大好きな兄にいつもついて回っていたノエル様は、ユリウス様が帝王学を学ぶときも同じ部屋にいることを望んだ。

 四歳の子どもが理解するには難解すぎる内容だったため、すぐに退屈して逃げるだろうと家庭教師やエンドリーネ伯爵夫妻は踏んでいた。

 しかし、予想に反してノエル様はおとなしく椅子に座り、家庭教師の言葉に耳を傾けた。

 その日の夜、晩餐の席でノエル様はたった一度聞いただけの教師の言葉を一言一句違わず復唱してみせ、エンドリーネ伯爵夫妻や使用人たちの度肝を抜いた。

 ノエル様は非常に優秀な子どもだった。

 要領が良い上に頭も良く、人当たりも良いため誰からも愛される。
 四歳にして完璧な行儀作法を身に着け、専門書を読み、流暢な外国語を話す。

 ユリウス様が教師の問いに間違えれば横から正答し、ときには教師と一緒になって解説することもあった。

 たまったものではなかっただろうが、ユリウス様もノエル様に悪気がないことはわかっていた。

 だから笑ってノエル様を褒めた。

 調子に乗ったノエル様は勉学にのめり込み、真綿が水を吸うようにあらゆる知識を吸収し、周りの人間から神童として持て囃された。

 事あるごとに弟と比較され、ノエル様が兄だったら良かったのにという家庭教師や使用人たちの心無い言葉を受け流し、ユリウス様は耐えた。

 耐えて耐えて耐え続けて――三年が経ち、とうとうユリウス様に我慢の限界が訪れる。

 ユリウス様は授業中、無邪気に間違いを指摘してきたノエル様を突き飛ばし、涙ながらに罵倒した。

 呆気に取られているノエル様を残してユリウス様は屋敷を飛び出し、ラスファルの公園へと向かった。

 ユリウス様は猫が好きで、疲れたときはこっそり公園へ行き、そこに棲みついた野良猫たちに癒されていた。

 公園のベンチで野良猫を抱え、自己嫌悪で死にそうになっていたユリウス様は一人の魔女に声をかけられる。

 黒髪に印象的な銀色の瞳を持つその魔女の名前はドロシー・ユーグレース。

 彼女は当時国内に二人しかいなかった『大魔導師』だった。

 ドロシーはユリウス様の浮かない表情を見て、猫になることを持ちかけた。

 天才の弟と比較されることに疲れ切り、変身魔法が禁止魔法だと知らなかった十歳のユリウス様はその問いに頷いてしまい、猫になった。

 後は私の知る通り。

 一年後にユリウス様がリュオンの手により人間に戻っても、兄弟の関係はぎくしゃくしたまま。

 ユリウス様は弟に負い目を感じ、ノエル様は兄の前では一切笑わなくなった。

「ユリウス様はノエル様をどう思っておられるんですか? 本当はいまでも大好きで、仲直りしたいのではないんですか?」

「…………」
 ユリウス様は長いこと黙り込んだまま何も言わなかった。

 風が何往復もして、黒猫はやっと口を開いた。

「今朝のあいつの顔を見ただろう。猫になった俺を見下しきった、あの瞳が答えだ。俺があいつをどう思おうと無駄なんだ。嫌いという感情を通り越して、ノエルは俺を軽蔑してる」

「答えになっていません。私が聞いているのはユリウス様の気持ちです」

 無礼なのはわかっていた。
 侍女の分際で何を偉そうに、と自分でも思う。

 でも、私は冷え切った二人の関係をどうにかしたいのだ。

 ユリウス様の境遇を自分のそれに重ねているのもある。

 優秀すぎる弟に劣等感を覚えた兄――ああ、まるで私とイノーラを見ているようだ。

 私はいつだってイノーラと比較され、無能と謗られた。

 ブランシュ家は魔女の家系であることに誇りを持っていて、いくら勉強が出来ても魔法が使えない魔女はゴミ扱いだった。

 もし泣いていたときにドロシーが現れ、そんなに辛いのなら人間を辞めて猫になるかと聞かれたら。

 私はきっと、頷いていた。

「教えてください。ユリウス様はノエル様のことがお嫌いですか」

 肯定されたらどうしようと怯えつつ、私は尋ねた。

「……好きに決まってるだろう」

「良かったー!!」
 思わず私は素で叫んでいた。

 驚いたのか、ユリウス様がこちらを向く。

「それなら後は簡単ですね!! ノエル様のお気持ちを確認するだけですから!!」
 私は大喜びして両手を握った。

「簡単って……あいつに俺が好きかどうか聞いたところで、嫌いと即答されて終わるだけだろう。嫌いどころか『死ねばいい』と冷たく言い放ってもおかしくはないぞ」
「ノ、ノエル様はそんなことを言われたりしませんよ」

「どもったじゃないか。あいつなら言いかねないと思ったんだろう。改めて俺に現実を思い知らせてどうするんだ。お前には人を虐めて喜ぶ加虐趣味でもあるのか」
 黒猫は紫の瞳を細めた。

「ありませんよそんなの! とにかく私に任せてください! きっとお二人の仲を修復してみせます!」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄をされ、父に追放まで言われた私は、むしろ喜んで出て行きます! ~家を出る時に一緒に来てくれた執事の溺愛が始まりました~

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
男爵家の次女として生まれたシエルは、姉と妹に比べて平凡だからという理由で、父親や姉妹からバカにされ、虐げられる生活を送っていた。 そんな生活に嫌気がさしたシエルは、とある計画を考えつく。それは、婚約者に社交界で婚約を破棄してもらい、その責任を取って家を出て、自由を手に入れるというものだった。 シエルの専属の執事であるラルフや、幼い頃から実の兄のように親しくしてくれていた婚約者の協力の元、シエルは無事に婚約を破棄され、父親に見捨てられて家を出ることになった。 ラルフも一緒に来てくれることとなり、これで念願の自由を手に入れたシエル。しかし、シエルにはどこにも行くあてはなかった。 それをラルフに伝えると、隣の国にあるラルフの故郷に行こうと提案される。 それを承諾したシエルは、これからの自由で幸せな日々を手に入れられると胸を躍らせていたが、その幸せは家族によって邪魔をされてしまう。 なんと、家族はシエルとラルフを広大な湖に捨て、自らの手を汚さずに二人を亡き者にしようとしていた―― ☆誤字脱字が多いですが、見つけ次第直しますのでご了承ください☆ ☆全文字はだいたい14万文字になっています☆ ☆完結まで予約済みなので、エタることはありません!☆

婚約者を義妹に奪われましたが貧しい方々への奉仕活動を怠らなかったおかげで、世界一大きな国の王子様と結婚できました

青空あかな
恋愛
アトリス王国の有名貴族ガーデニー家長女の私、ロミリアは亡きお母様の教えを守り、回復魔法で貧しい人を治療する日々を送っている。 しかしある日突然、この国の王子で婚約者のルドウェン様に婚約破棄された。 「ロミリア、君との婚約を破棄することにした。本当に申し訳ないと思っている」 そう言う(元)婚約者が新しく選んだ相手は、私の<義妹>ダーリー。さらには失意のどん底にいた私に、実家からの追放という仕打ちが襲い掛かる。 実家に別れを告げ、国境目指してトボトボ歩いていた私は、崖から足を踏み外してしまう。 落ちそうな私を助けてくれたのは、以前ケガを治した旅人で、彼はなんと世界一の超大国ハイデルベルク王国の王子だった。そのままの勢いで求婚され、私は彼と結婚することに。 一方、私がいなくなったガーデニー家やルドウェン様の評判はガタ落ちになる。そして、召使いがいなくなったガーデニー家に怪しい影が……。 ※『小説家になろう』様と『カクヨム』様でも掲載しております

【完結】私のことを愛さないと仰ったはずなのに 〜家族に虐げれ、妹のワガママで婚約破棄をされた令嬢は、新しい婚約者に溺愛される〜

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
とある子爵家の長女であるエルミーユは、家長の父と使用人の母から生まれたことと、常人離れした記憶力を持っているせいで、幼い頃から家族に嫌われ、酷い暴言を言われたり、酷い扱いをされる生活を送っていた。 エルミーユには、十歳の時に決められた婚約者がおり、十八歳になったら家を出て嫁ぐことが決められていた。 地獄のような家を出るために、なにをされても気丈に振舞う生活を送り続け、無事に十八歳を迎える。 しかし、まだ婚約者がおらず、エルミーユだけ結婚するのが面白くないと思った、ワガママな異母妹の策略で騙されてしまった婚約者に、婚約破棄を突き付けられてしまう。 突然結婚の話が無くなり、落胆するエルミーユは、とあるパーティーで伯爵家の若き家長、ブラハルトと出会う。 社交界では彼の恐ろしい噂が流れており、彼は孤立してしまっていたが、少し話をしたエルミーユは、彼が噂のような恐ろしい人ではないと気づき、一緒にいてとても居心地が良いと感じる。 そんなブラハルトと、互いの結婚事情について話した後、互いに利益があるから、婚約しようと持ち出される。 喜んで婚約を受けるエルミーユに、ブラハルトは思わぬことを口にした。それは、エルミーユのことは愛さないというものだった。 それでも全然構わないと思い、ブラハルトとの生活が始まったが、愛さないという話だったのに、なぜか溺愛されてしまい……? ⭐︎全56話、最終話まで予約投稿済みです。小説家になろう様にも投稿しております。2/16女性HOTランキング1位ありがとうございます!⭐︎

悪役令嬢は処刑されないように家出しました。

克全
恋愛
「アルファポリス」と「小説家になろう」にも投稿しています。 サンディランズ公爵家令嬢ルシアは毎夜悪夢にうなされた。婚約者のダニエル王太子に裏切られて処刑される夢。実の兄ディビッドが聖女マルティナを愛するあまり、歓心を買うために自分を処刑する夢。兄の友人である次期左将軍マルティンや次期右将軍ディエゴまでが、聖女マルティナを巡って私を陥れて処刑する。どれほど努力し、どれほど正直に生き、どれほど関係を断とうとしても処刑されるのだ。

【完結】 私を忌み嫌って義妹を贔屓したいのなら、家を出て行くのでお好きにしてください

ゆうき@初書籍化作品発売中
恋愛
苦しむ民を救う使命を持つ、国のお抱えの聖女でありながら、悪魔の子と呼ばれて忌み嫌われている者が持つ、赤い目を持っているせいで、民に恐れられ、陰口を叩かれ、家族には忌み嫌われて劣悪な環境に置かれている少女、サーシャはある日、義妹が屋敷にやってきたことをきっかけに、聖女の座と婚約者を義妹に奪われてしまった。 義父は義妹を贔屓し、なにを言っても聞き入れてもらえない。これでは聖女としての使命も、幼い頃にとある男の子と交わした誓いも果たせない……そう思ったサーシャは、誰にも言わずに外の世界に飛び出した。 外の世界に出てから間もなく、サーシャも知っている、とある家からの捜索願が出されていたことを知ったサーシャは、急いでその家に向かうと、その家のご子息様に迎えられた。 彼とは何度か社交界で顔を合わせていたが、なぜかサーシャにだけは冷たかった。なのに、出会うなりサーシャのことを抱きしめて、衝撃の一言を口にする。 「おお、サーシャ! 我が愛しの人よ!」 ――これは一人の少女が、溺愛されながらも、聖女の使命と大切な人との誓いを果たすために奮闘しながら、愛を育む物語。 ⭐︎小説家になろう様にも投稿されています⭐︎

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?

ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。 一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?

虐げられてる私のざまあ記録、ご覧になりますか?

リオール
恋愛
両親に虐げられ 姉に虐げられ 妹に虐げられ そして婚約者にも虐げられ 公爵家が次女、ミレナは何をされてもいつも微笑んでいた。 虐げられてるのに、ひたすら耐えて笑みを絶やさない。 それをいいことに、彼女に近しい者は彼女を虐げ続けていた。 けれど彼らは知らない、誰も知らない。 彼女の笑顔の裏に隠された、彼女が抱える闇を── そして今日も、彼女はひっそりと。 ざまあするのです。 そんな彼女の虐げざまあ記録……お読みになりますか? ===== シリアスダークかと思わせて、そうではありません。虐げシーンはダークですが、ざまあシーンは……まあハチャメチャです。軽いのから重いのまで、スッキリ(?)ざまあ。 細かいことはあまり気にせずお読み下さい。 多分ハッピーエンド。 多分主人公だけはハッピーエンド。 あとは……

処理中です...