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14:再びの黒猫

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「じゃあ行ってくる」

 凍った冬の湖面を思わせる水色の瞳を私に向けて、ノエル様は玄関先でそう告げた。

 今日の天気は曇り。
 ノエル様の頭上の空には灰色の雲が広がっている。

 洗濯物を干しても大丈夫かな。
 侍女としてはそんな心配が真っ先に浮かぶ。

 魔法で洗濯物の洗浄や乾燥作業をこなしてくれるリュオンがいれば天候の心配をする必要はないのだが、彼は王都に用事があると言って旅立った。

 出発当初は三日で帰ってくると言っていたのに、予定が伸びたとかでもう六日も帰ってきていない。

 リュオンはラスファルを守る結界を解除していったため、ラスファルの兵士たちは気を張っている。

 幸いなことに、この六日間、街は至って平和だった。

 願わくばこのままずっと平和でいて欲しいものだ。

 リュオンは旅立ちの前夜、私に「おれがいない間は絶対に一人で出歩くな、どうしてもというなら腕の立つノエルに守ってもらえ」と念押しした。

 なんでも、私は『他人の魔力を増幅する魔法』という、なんとも珍しい魔法を魔法陣もなしに常時発動しているらしい。

 そのせいで魔法が使えないのだろうとリュオンは推測していた。

 私の魔法は世界で唯一無二で、他人に知られたら大層危険らしいけれど、でも、誰かに狙われたことなんて一度もないんだけどなあ。

 心配されるのは素直に嬉しい。
 でも、ちょっと彼は過保護なような気もする。

 彼は今頃、王都で何をしているのだろうか?
 元気ならそれでいいのだけれど……。

「行ってらっしゃいませ」
 頭を下げたそのとき、ふと背後に人の気配を感じた。

 振り返れば、開け放った扉の先、玄関ホールにユリウス様が立っていた。

 少し癖のある黒髪には寝癖がついていて、服は寝間着のまま。
 ノエル様とは対照的に、色々と隙だらけである。

「……あの。なんというか。……悪いなノエル。よろしく頼む」
 気を利かせて移動するかどうか迷っていると、ユリウス様が言った。

 嫡男としての仕事を代行させている負い目があるらしく、ユリウス様は台詞の最後に小さく頭を下げた。

「悪いと思って謝るくらいなら、早く猫になる癖を治せば?」

 ノエル様は冷酷とも取れる声音でそう返した。

 じ、実の兄にも手厳しい……そんな簡単に治せるものなら治してますよノエル様!?

 私は青ざめて震え、ちらりと横目でユリウス様の様子を窺い、
「あっ!」
 と、つい声をあげてしまった。

 今回は私が接触したせいではなく、ノエル様の辛辣な一言がユリウス様の繊細な心に大ダメージを与えてしまったらしく、ユリウス様は猫になっていた。

 寝間着の上で黒猫がうずくまり、前足の間に顔を埋めている。
 俗に言う『ごめん寝』の状態だ。

「大変!」
 私はユリウス様の元に駆け付けて屈んだ。

 リュオンはいないのに、どうしよう!?

 首を捻ってノエル様を見る。
 ノエル様はこれ以上なく冷ややかな眼差しを兄に注いでいた。

 そして、無言で背中を向けて歩き去る。

 猫になった兄を放置して行っちゃったー!!?

 いや、ノエル様には大事な用事がある。
 ここは私がなんとかせねば!

「失礼します、ユリウス様!」

 私は思い切ってユリウス様を寝間着にくるんで抱き上げ、ネクターさんがいるはずの厨房に向かって駆け出した。

 ユリウス様が「みぎゃあ!?」と悲鳴をあげて暴れようとしたため、がっちり両手で掴む。

 厨房からは水の音がする。
 どうやらネクターさんは皿洗い中らしい。

 私はユリウス様を連れて突撃しようとしたけれど、ネクターさんが常日頃から清潔を心がけている厨房に猫を入れてはダメかと思い直し、扉の前で止まった。

「ネクターさん! ユリウス様が猫になってしまいました! どうしましょう!?」

「おやまあ」
 急ぐ様子もなく、のんびりとした態度でネクターさんが厨房から出てきた。

「猫になってしまいましたか。不自由だとは思いますが、スカーフをつければ会話はできますし、リュオンを急ぎ呼び戻すほどの緊急事態ではありませんよ」

 リュオンは《伝言珠》という言葉を飛ばす魔法道具を持っている。
 この家には彼が置いて行った《伝言珠》があるから、その気になれば遠く離れた彼との会話は可能だった。

「幸い、リュオンは今日の夜には帰る予定です。それまでユリウス様には猫のままでいてもらいましょう。リュオンは遊んでいるわけではなく、用事があるから王都に行っているんです。邪魔をしてはいけません」

「……リュオンが帰ってくるまで待てますか、ユリウス様?」

 腕の中の黒猫を見下ろす。
 寝間着にくるまれた黒猫は私の手の中で石像のように固まっている。

「とりあえずユリウス様を下ろしてあげてください、セラ。焦らなくても大丈夫ですから」

「はい」
 屈んで黒猫を解放すると、疲れた、といわんばかりに黒猫は俯いて耳を伏せた。

「スカーフを取ってきますね」

 私はお仕着せの裾を翻し、猫の姿のままでも喋れるよう魔法を込めたリュオン特製の《魔法のスカーフ》を取りに行った。
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