41 / 58
41:彼と彼女の関係性
しおりを挟む
昨日から降り続いていた雨は午前中に上がった。
午後三時を告げる鐘が王都ソルシエナに鳴り響く。
その頃には重く立ち込めていた雲は風に流され、窓の外にはすっきりとした青空が広がっていた。
「――あら。てっきり私とお喋りしに来てくれたと思ったのに。リナリアがお喋りしたい相手はクロエなの?」
王宮の三階にある華美な一室。
桃色のドレスに身を包み、天鵞絨張りのソファに座ったデイジーは、紅を引いた唇をほんの少しだけ尖らせた。
昨日、彼女は歌うリナリアの姿を見に来てくれた。リナリアが何者かに襲撃された話を聞きつけ、妃教育の休憩時間にわざわざ足を運び、その目で無事を確認しに来てくれたのだ。
そして今日は突然訪れたリナリアを心から歓迎してくれた。
改めてリナリアの無事を祝って抱きしめ、お付きの侍女に命じて王室御用達の菓子と紅茶まで出してもてなしてくれたというのに、目的は自分ではなかった。彼女が気分を害するのも当然だろう。
「申し訳ございません」
リナリアは軽く頭を下げた。耳に下げた丸い耳飾りが動きに合わせて小さく揺れる。
「デイジー様とのティータイムはまた後日、必ず」
「ふふ。冗談よ」
デイジーは花柄のティーカップを右手に持ったまま、鈴を転がすような声で笑った。
国中から集められた歌姫の頂点に立っただけあり、彼女の声は美しい。
「でも、クロエに一体どんなご用事なのかしら?」
菫色の瞳が探るようにリナリアを見つめる。
「聞きたいことがあるのです。彼女は昨日、宮廷魔導師メノンの遺品を城の外苑に埋めていました」
「……あの子ったら、そんなことを……いくら友人とはいえ、彼は犯罪者になってしまったのに……」
デイジーは目を伏せて俯いた。飲む気が失せたらしく、持っていたティーカップをソーサーに置く。高級なティーカップは涼やかな音を奏でた。
「『彼』とは、まるで知り合いのような言い方ですね」
「ええ、その通りよ。フォニス家は慈善活動の一環として、王都のベゴニア孤児院に寄付をしていたの。べゴニア孤児院はちょうど貴族街と平民街の境に建っていてね。王都にあるフォニス家の邸宅と近かったこともあり、私はよくお父さまと一緒に孤児院を慰問したわ」
「そうなんですか?」
初めて知る事実に驚いていると、デイジーは頷いた。
「クロエは孤児院の近くに住んでいたの。クロエとメノンは幼馴染というわけね。でも、悲しいことに、十年前の星祭りの夜、クロエの家は火事になってしまった」
(ああ。クロエの顔の火傷の痕はそのときの……)
痛々しい傷跡を思い出して、胸が痛んだ。
「偶然火事を目撃した私はとっさに魔法を使い、出来る限り分厚い水の壁を身体に纏って燃え盛る家に飛び込んだの。残念ながらクロエのご両親や弟妹やおばあさまは手遅れだったけれど、ただ一人、クロエだけは救出できた。半死半生だったクロエが回復した後は、お父さまにお願いして私付きの侍女にしてもらった。一週間ほど前、妃教育を受けるために王宮に上がったときも、私はクロエを侍女として連れてきたの。そこで、クロエとメノンは十年ぶりの再会を果たすことなったわ。私も十年ぶりにメノンと会えて嬉しかったのよ。本当に嬉しかったのに……」
デイジーは重苦しいため息をついた。
憂い顔の主人を、心配そうに侍女たちが見ている。
「デイジー様デイジー様と、幼かったメノンは子犬のように私を慕ってくれたわ。あの可愛らしかった少年が、まさかあなたの命を狙うなんて……一体、彼は何故凶行に走ってしまったのかしら。騎士に聞いたのだけれど、現場にはロアンヌ様を讃えるような遺書が残っていたのでしょう? 私のあずかり知らぬところで、メノンはロアンヌ様に何か弱みでも握られていたのかしら。相談してくれれば、一緒に解決策を考えることもできたのに……いえ。何を言ってもいまさらね。彼はもうこの世にはいないし、私の友達の命を狙うという大罪を犯してしまったのだから。それは決して許されることではないわ……」
デイジーはいったん口を閉じてから、顔を上げた。その顔は苦悩に満ちている。
「……リナリアはクロエも共犯だと思っているの?」
「わかりません。けれど、そうでなければ良いとは思っています」
「……ええ。クロエはね、顔の傷跡と纏う空気のせいで誤解されやすいけれど、本当に真面目で、良く働く良い子なのよ。これまで誠心誠意私に仕えてくれたあの子が恐ろしい陰謀に関わっているかもしれないなんて……そんなわけないわ。私はクロエを信じている」
デイジーはきっぱり言って、決然と立ち上がった。
「少し待っていてちょうだい。クロエを呼んでくるわ」
「デイジー様、私どもが呼んで参ります」
侍女たちが慌てたように進み出た。
「いいえ。私が行きます。これからクロエとリナリアがどんな話をするのかわからないけれど、その内容次第では、クロエはそのまま兵士に連行されてしまうかもしれないのでしょう? これが最後になるのかもしれないのだから、少しクロエと話をさせてちょうだい」
侍女たちにかぶりを振って、デイジーは部屋を出て行った。
(デイジー様のためにもクロエは無関係であって欲しいけれど……)
廊下の向こうへと消えたデイジーの背中を見つめて、リナリアはため息をついた。
午後三時を告げる鐘が王都ソルシエナに鳴り響く。
その頃には重く立ち込めていた雲は風に流され、窓の外にはすっきりとした青空が広がっていた。
「――あら。てっきり私とお喋りしに来てくれたと思ったのに。リナリアがお喋りしたい相手はクロエなの?」
王宮の三階にある華美な一室。
桃色のドレスに身を包み、天鵞絨張りのソファに座ったデイジーは、紅を引いた唇をほんの少しだけ尖らせた。
昨日、彼女は歌うリナリアの姿を見に来てくれた。リナリアが何者かに襲撃された話を聞きつけ、妃教育の休憩時間にわざわざ足を運び、その目で無事を確認しに来てくれたのだ。
そして今日は突然訪れたリナリアを心から歓迎してくれた。
改めてリナリアの無事を祝って抱きしめ、お付きの侍女に命じて王室御用達の菓子と紅茶まで出してもてなしてくれたというのに、目的は自分ではなかった。彼女が気分を害するのも当然だろう。
「申し訳ございません」
リナリアは軽く頭を下げた。耳に下げた丸い耳飾りが動きに合わせて小さく揺れる。
「デイジー様とのティータイムはまた後日、必ず」
「ふふ。冗談よ」
デイジーは花柄のティーカップを右手に持ったまま、鈴を転がすような声で笑った。
国中から集められた歌姫の頂点に立っただけあり、彼女の声は美しい。
「でも、クロエに一体どんなご用事なのかしら?」
菫色の瞳が探るようにリナリアを見つめる。
「聞きたいことがあるのです。彼女は昨日、宮廷魔導師メノンの遺品を城の外苑に埋めていました」
「……あの子ったら、そんなことを……いくら友人とはいえ、彼は犯罪者になってしまったのに……」
デイジーは目を伏せて俯いた。飲む気が失せたらしく、持っていたティーカップをソーサーに置く。高級なティーカップは涼やかな音を奏でた。
「『彼』とは、まるで知り合いのような言い方ですね」
「ええ、その通りよ。フォニス家は慈善活動の一環として、王都のベゴニア孤児院に寄付をしていたの。べゴニア孤児院はちょうど貴族街と平民街の境に建っていてね。王都にあるフォニス家の邸宅と近かったこともあり、私はよくお父さまと一緒に孤児院を慰問したわ」
「そうなんですか?」
初めて知る事実に驚いていると、デイジーは頷いた。
「クロエは孤児院の近くに住んでいたの。クロエとメノンは幼馴染というわけね。でも、悲しいことに、十年前の星祭りの夜、クロエの家は火事になってしまった」
(ああ。クロエの顔の火傷の痕はそのときの……)
痛々しい傷跡を思い出して、胸が痛んだ。
「偶然火事を目撃した私はとっさに魔法を使い、出来る限り分厚い水の壁を身体に纏って燃え盛る家に飛び込んだの。残念ながらクロエのご両親や弟妹やおばあさまは手遅れだったけれど、ただ一人、クロエだけは救出できた。半死半生だったクロエが回復した後は、お父さまにお願いして私付きの侍女にしてもらった。一週間ほど前、妃教育を受けるために王宮に上がったときも、私はクロエを侍女として連れてきたの。そこで、クロエとメノンは十年ぶりの再会を果たすことなったわ。私も十年ぶりにメノンと会えて嬉しかったのよ。本当に嬉しかったのに……」
デイジーは重苦しいため息をついた。
憂い顔の主人を、心配そうに侍女たちが見ている。
「デイジー様デイジー様と、幼かったメノンは子犬のように私を慕ってくれたわ。あの可愛らしかった少年が、まさかあなたの命を狙うなんて……一体、彼は何故凶行に走ってしまったのかしら。騎士に聞いたのだけれど、現場にはロアンヌ様を讃えるような遺書が残っていたのでしょう? 私のあずかり知らぬところで、メノンはロアンヌ様に何か弱みでも握られていたのかしら。相談してくれれば、一緒に解決策を考えることもできたのに……いえ。何を言ってもいまさらね。彼はもうこの世にはいないし、私の友達の命を狙うという大罪を犯してしまったのだから。それは決して許されることではないわ……」
デイジーはいったん口を閉じてから、顔を上げた。その顔は苦悩に満ちている。
「……リナリアはクロエも共犯だと思っているの?」
「わかりません。けれど、そうでなければ良いとは思っています」
「……ええ。クロエはね、顔の傷跡と纏う空気のせいで誤解されやすいけれど、本当に真面目で、良く働く良い子なのよ。これまで誠心誠意私に仕えてくれたあの子が恐ろしい陰謀に関わっているかもしれないなんて……そんなわけないわ。私はクロエを信じている」
デイジーはきっぱり言って、決然と立ち上がった。
「少し待っていてちょうだい。クロエを呼んでくるわ」
「デイジー様、私どもが呼んで参ります」
侍女たちが慌てたように進み出た。
「いいえ。私が行きます。これからクロエとリナリアがどんな話をするのかわからないけれど、その内容次第では、クロエはそのまま兵士に連行されてしまうかもしれないのでしょう? これが最後になるのかもしれないのだから、少しクロエと話をさせてちょうだい」
侍女たちにかぶりを振って、デイジーは部屋を出て行った。
(デイジー様のためにもクロエは無関係であって欲しいけれど……)
廊下の向こうへと消えたデイジーの背中を見つめて、リナリアはため息をついた。
46
お気に入りに追加
302
あなたにおすすめの小説
そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。
自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのはあなたですよね?
長岡更紗
恋愛
庶民聖女の私をいじめてくる、貴族聖女のニコレット。
王子の婚約者を決める舞踏会に出ると、
「卑しい庶民聖女ね。王子妃になりたいがためにそのドレスも盗んできたそうじゃないの」
あることないこと言われて、我慢の限界!
絶対にあなたなんかに王子様は渡さない!
これは一生懸命生きる人が報われ、悪さをする人は報いを受ける、勧善懲悪のシンデレラストーリー!
*旧タイトルは『灰かぶり聖女は冷徹王子のお気に入り 〜自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのは公爵令嬢、あなたですよ〜』です。
*小説家になろうでも掲載しています。
逆行令嬢は聖女を辞退します
仲室日月奈
恋愛
――ああ、神様。もしも生まれ変わるなら、人並みの幸せを。
死ぬ間際に転生後の望みを心の中でつぶやき、倒れた後。目を開けると、三年前の自室にいました。しかも、今日は神殿から一行がやってきて「聖女としてお出迎え」する日ですって?
聖女なんてお断りです!
将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです
きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」
5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。
その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?
聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)
蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。
聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。
愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。
いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。
ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。
それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。
心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。
偽物と断罪された令嬢が精霊に溺愛されていたら
影茸
恋愛
公爵令嬢マレシアは偽聖女として、一方的に断罪された。
あらゆる罪を着せられ、一切の弁明も許されずに。
けれど、断罪したもの達は知らない。
彼女は偽物であれ、無力ではなく。
──彼女こそ真の聖女と、多くのものが認めていたことを。
(書きたいネタが出てきてしまったゆえの、衝動的短編です)
(少しだけタイトル変えました)
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる