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10:王子様って何ですか!?
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色彩豊かな石畳が敷かれた大通りに立ち並ぶ、レンガ造りの建物たち。
パン屋、雑貨屋、果物屋、本屋、鍛冶屋。
建物の軒下には多種多様な看板が下げられており、大勢の人が集まっている。
着いたのがちょうどお昼時ということもあってか、ミストロークの目抜き通りは活気に溢れていた。
露店商人からサンドイッチを買い、リナリアは半分に分けたそれを鞄に入れた。
すかさず伸びてきた白い両前足がサンドイッチを掴む。
リナリアはそれを見て微笑み、人々に混じって広場の噴水の縁に座った。
春の風に吹かれながらサンドイッチを食べ終え、立ち上がって服を払い、パンくずを全て落とす。
そして再び鞄を持ち、トランクケースを引いた。
商人たちの呼び込みの声を聞きながら向かうのはこの街の北部。
魔道具の手助けを借りて、この地方では抜群の透明度を誇るミストローク湖。
その湖を見下ろせる小高い丘の上に、瀟洒な館が建っていた。
「……わあ……」
あまりにも立派な――チェルミット男爵邸の三倍はある――バークレイン公爵邸を前にして、リナリアは語彙力を失くした。
春の花々が咲き誇る、芸術品のように美しい庭。
庭の一角では噴水が噴き上がり、橋のかかった池まである。
果たして、ただの平民となった自分がこの大豪邸に近づいて良いのだろうか。
変な汗まで出てきた。
(私、昨日入浴してないわ。服だって薄汚れているし……こんな状態でエルザ様にお会いするのは失礼よね。日を改めましょう)
聳え立つ高い門の前ですっかり怖気づき、リナリアは踵を返した。
帰ろうとする気配を察したらしく、手に持った鞄からアルルがわずかに顔を出す。
やっと着いたのに、なんで帰るの? と訊きたいのだろう。
「ごめんね、アルル。この屋敷を訪れるのは明日、きちんと身を清めてからにしようと思うの。いえ、上等な服も買わないといけないから、一週間後くらいになるかしら――」
「――リナリア?」
閉ざされた門の前でこそこそ話していると、不意に名前を呼ばれた。
アルルが素早く鞄の中に引っ込み、リナリアの肩が震える。
顔を向ければ、門の向こうにお仕着せを着た背の高い侍女と目を見張るほどの美少女が立っていた。
目を引くゴージャスな赤い巻き髪。後頭部につけたリボンと同じ金の瞳。
自己主張の激しい豊満な身体を包むのは新緑の色のドレスだ。
彼女こそがフルーベル王国の四大公爵のうちの一つ、バークレイン家の娘。
『バークレインの赤薔薇』こと、エルザ・バークレイン。
年齢はリナリアの一つ上、十八歳だと聞いた。
「エルザ様!? お久しぶりです!!」
予期せぬ登場にリナリアは慌てて鞄を抱き、深く頭を下げた。
「門の前に不審者がいると聞いて来てみれば、まああ! リナリア! あなた本当にリナリアじゃないの!」
エルザが興奮気味に喋りながら近づいてくる。
黒髪茶目の侍女は速やかにエルザの前に出て、門の鍵を開けてくれた。
「何をでくのぼうのように突っ立っているのよ、お入りなさい。わたくしを訪ねて来たのでしょう? わたくしは恩人を追い返すような人でなしではなくってよ」
「ありがとうございます。お邪魔致しま――」
足を敷地内に入れた瞬間、だった。
――バチンっ!!
という音がして、鞄が見えない何かに弾かれた。
両腕に強い衝撃を受け、思わず鞄を取り落としてしまう。
(あっ――そうか。ここは魔導で栄えた、国内でも指折りの魔導士一族が暮らすバークレインの屋敷)
王城と同様に、魔物を弾く結界が張ってあることくらい予想してしかるべきだった。
「アルル!!」
リナリアは血相を変えて地面に膝をつき、鞄に両手を突っ込んでアルルを引っ張り出した。
人前であることなどどうでもいい。アルルの安否確認が最優先だった。
「大丈夫!?」
アルルはぐったりしつつも、弱々しく右前足を振った。
それなりにダメージは受けてしまったようだが、命に別状はないらしい。心底ほっとした。
「ごめん、ごめんね、気づかなくて――」
「あなた、魔物を連れ歩いているんですの!?」
信じられないという顔でエルザと侍女が歩み寄ってきた。
エルザはさほど警戒している様子はないが、侍女の魔力は膨れ上がり、既に臨戦態勢。
エルザが「やれ」と命令すれば、いつでも魔法を放てる状態だ。
(……場合によっては私ごとアルルを撃つ気だわ)
こちらに向けられた侍女の冷たい眼差しで悟る。
リナリアはぎゅっとアルルを抱きしめ、立ち上がった。
「エルザ様。どうかお聞きください。アルルは普通の魔物ではないのです。とても友好的で、人語を理解する賢い子で、絶対に人を襲ったりしません。私がいまこうして無事でいることが何よりの証拠です。信じてください」
必死に言ったが、エルザの耳にはリナリアの言葉が届いていないようだった。
エルザは怪訝そうに目を眇め、アルルの耳飾りを見ている。赤い宝石がついた耳飾りを。
「まさか……いやでも、これは……ユマ。戦闘態勢解除。待機を命じます」
「かしこまりました」
侍女――ユマは頭を下げ、腹の上で手を重ねた。
強烈な殺気が嘘だったかのように消える。
「……雪のように白い毛、蒼い瞳……王家に伝わる『炎の花』……あるいはレプリカ? 本物? 偽物……王子……」
エルザはリナリアの正面へ回り込み、屈んでアルルを見つめてブツブツ呟いた。
アルルはリナリアの腕の中でじっとしている。
さっき受けたダメージのせいではなく、自分の意思でおとなしくしているようだった。
(どうなさったのかしら……)
エルザの様子に戸惑っていると、急にエルザがこちらを向いた。
「この魔物と会ったのはいつ?」
「一年前です。ザートの町の東部に広がる《魔の森》で出会いました」
「……。王宮から『彼』がいなくなったのは一年と少し前。リナリアと出会ったのが一年前。時期は一致する……」
エルザは覚悟を決めたような顔をして、アルルをひたと見つめた。
「率直にお聞きします。あなたはイスカ王子ですか?」
(名無し?)
お世辞にも良い名前とは言い難い。名付けた親のセンスを疑う。
(何より王子って、どういうこと? アルルは魔物の王子様だったの? だとしても、何故エルザ様は敬語を使われるの? 魔物の王と密かに交流があったりするの?)
リナリアの頭上の疑問符は増殖するばかりだ。
アルルは数秒、返答に悩むように動かなかったが。
やがて小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……確定ね。なんてこと」
片手で頭を抱えているエルザを見てから、次いで侍女を見る。
リナリアの視線を受けて、ユマは首を振った。彼女も何もわからないらしい。
「あの、エルザ様。教えてください。アルルが――イスカ? が、王子様とはどういうことですか?」
とうとう焦れて尋ねる。
「いいこと? 落ち着いて聞きなさい、リナリア。そうね、まずは深呼吸して」
「? はい」
言われた通りに深呼吸する。大きく息を吸って、吐く。
「では発表します」
一つ頷き、エルザは片手全体を使ってアルルを示した。
「あなたがアルルと呼んだこの魔物は――いえ、このお方は。セレン王子の隠された双子の弟君、イスカ王子です」
「……………………おうじ?」
リナリアはゆっくりと首を動かしてアルルを見た。
アルルはなんだか気まずそうな顔で――リナリアにはそう見えた――頷いた。
「…………はあっっ!!?」
自分でもかつて聞いたことがないほどに素っ頓狂な声が出た。
パン屋、雑貨屋、果物屋、本屋、鍛冶屋。
建物の軒下には多種多様な看板が下げられており、大勢の人が集まっている。
着いたのがちょうどお昼時ということもあってか、ミストロークの目抜き通りは活気に溢れていた。
露店商人からサンドイッチを買い、リナリアは半分に分けたそれを鞄に入れた。
すかさず伸びてきた白い両前足がサンドイッチを掴む。
リナリアはそれを見て微笑み、人々に混じって広場の噴水の縁に座った。
春の風に吹かれながらサンドイッチを食べ終え、立ち上がって服を払い、パンくずを全て落とす。
そして再び鞄を持ち、トランクケースを引いた。
商人たちの呼び込みの声を聞きながら向かうのはこの街の北部。
魔道具の手助けを借りて、この地方では抜群の透明度を誇るミストローク湖。
その湖を見下ろせる小高い丘の上に、瀟洒な館が建っていた。
「……わあ……」
あまりにも立派な――チェルミット男爵邸の三倍はある――バークレイン公爵邸を前にして、リナリアは語彙力を失くした。
春の花々が咲き誇る、芸術品のように美しい庭。
庭の一角では噴水が噴き上がり、橋のかかった池まである。
果たして、ただの平民となった自分がこの大豪邸に近づいて良いのだろうか。
変な汗まで出てきた。
(私、昨日入浴してないわ。服だって薄汚れているし……こんな状態でエルザ様にお会いするのは失礼よね。日を改めましょう)
聳え立つ高い門の前ですっかり怖気づき、リナリアは踵を返した。
帰ろうとする気配を察したらしく、手に持った鞄からアルルがわずかに顔を出す。
やっと着いたのに、なんで帰るの? と訊きたいのだろう。
「ごめんね、アルル。この屋敷を訪れるのは明日、きちんと身を清めてからにしようと思うの。いえ、上等な服も買わないといけないから、一週間後くらいになるかしら――」
「――リナリア?」
閉ざされた門の前でこそこそ話していると、不意に名前を呼ばれた。
アルルが素早く鞄の中に引っ込み、リナリアの肩が震える。
顔を向ければ、門の向こうにお仕着せを着た背の高い侍女と目を見張るほどの美少女が立っていた。
目を引くゴージャスな赤い巻き髪。後頭部につけたリボンと同じ金の瞳。
自己主張の激しい豊満な身体を包むのは新緑の色のドレスだ。
彼女こそがフルーベル王国の四大公爵のうちの一つ、バークレイン家の娘。
『バークレインの赤薔薇』こと、エルザ・バークレイン。
年齢はリナリアの一つ上、十八歳だと聞いた。
「エルザ様!? お久しぶりです!!」
予期せぬ登場にリナリアは慌てて鞄を抱き、深く頭を下げた。
「門の前に不審者がいると聞いて来てみれば、まああ! リナリア! あなた本当にリナリアじゃないの!」
エルザが興奮気味に喋りながら近づいてくる。
黒髪茶目の侍女は速やかにエルザの前に出て、門の鍵を開けてくれた。
「何をでくのぼうのように突っ立っているのよ、お入りなさい。わたくしを訪ねて来たのでしょう? わたくしは恩人を追い返すような人でなしではなくってよ」
「ありがとうございます。お邪魔致しま――」
足を敷地内に入れた瞬間、だった。
――バチンっ!!
という音がして、鞄が見えない何かに弾かれた。
両腕に強い衝撃を受け、思わず鞄を取り落としてしまう。
(あっ――そうか。ここは魔導で栄えた、国内でも指折りの魔導士一族が暮らすバークレインの屋敷)
王城と同様に、魔物を弾く結界が張ってあることくらい予想してしかるべきだった。
「アルル!!」
リナリアは血相を変えて地面に膝をつき、鞄に両手を突っ込んでアルルを引っ張り出した。
人前であることなどどうでもいい。アルルの安否確認が最優先だった。
「大丈夫!?」
アルルはぐったりしつつも、弱々しく右前足を振った。
それなりにダメージは受けてしまったようだが、命に別状はないらしい。心底ほっとした。
「ごめん、ごめんね、気づかなくて――」
「あなた、魔物を連れ歩いているんですの!?」
信じられないという顔でエルザと侍女が歩み寄ってきた。
エルザはさほど警戒している様子はないが、侍女の魔力は膨れ上がり、既に臨戦態勢。
エルザが「やれ」と命令すれば、いつでも魔法を放てる状態だ。
(……場合によっては私ごとアルルを撃つ気だわ)
こちらに向けられた侍女の冷たい眼差しで悟る。
リナリアはぎゅっとアルルを抱きしめ、立ち上がった。
「エルザ様。どうかお聞きください。アルルは普通の魔物ではないのです。とても友好的で、人語を理解する賢い子で、絶対に人を襲ったりしません。私がいまこうして無事でいることが何よりの証拠です。信じてください」
必死に言ったが、エルザの耳にはリナリアの言葉が届いていないようだった。
エルザは怪訝そうに目を眇め、アルルの耳飾りを見ている。赤い宝石がついた耳飾りを。
「まさか……いやでも、これは……ユマ。戦闘態勢解除。待機を命じます」
「かしこまりました」
侍女――ユマは頭を下げ、腹の上で手を重ねた。
強烈な殺気が嘘だったかのように消える。
「……雪のように白い毛、蒼い瞳……王家に伝わる『炎の花』……あるいはレプリカ? 本物? 偽物……王子……」
エルザはリナリアの正面へ回り込み、屈んでアルルを見つめてブツブツ呟いた。
アルルはリナリアの腕の中でじっとしている。
さっき受けたダメージのせいではなく、自分の意思でおとなしくしているようだった。
(どうなさったのかしら……)
エルザの様子に戸惑っていると、急にエルザがこちらを向いた。
「この魔物と会ったのはいつ?」
「一年前です。ザートの町の東部に広がる《魔の森》で出会いました」
「……。王宮から『彼』がいなくなったのは一年と少し前。リナリアと出会ったのが一年前。時期は一致する……」
エルザは覚悟を決めたような顔をして、アルルをひたと見つめた。
「率直にお聞きします。あなたはイスカ王子ですか?」
(名無し?)
お世辞にも良い名前とは言い難い。名付けた親のセンスを疑う。
(何より王子って、どういうこと? アルルは魔物の王子様だったの? だとしても、何故エルザ様は敬語を使われるの? 魔物の王と密かに交流があったりするの?)
リナリアの頭上の疑問符は増殖するばかりだ。
アルルは数秒、返答に悩むように動かなかったが。
やがて小さく、しかしはっきりと頷いた。
「……確定ね。なんてこと」
片手で頭を抱えているエルザを見てから、次いで侍女を見る。
リナリアの視線を受けて、ユマは首を振った。彼女も何もわからないらしい。
「あの、エルザ様。教えてください。アルルが――イスカ? が、王子様とはどういうことですか?」
とうとう焦れて尋ねる。
「いいこと? 落ち着いて聞きなさい、リナリア。そうね、まずは深呼吸して」
「? はい」
言われた通りに深呼吸する。大きく息を吸って、吐く。
「では発表します」
一つ頷き、エルザは片手全体を使ってアルルを示した。
「あなたがアルルと呼んだこの魔物は――いえ、このお方は。セレン王子の隠された双子の弟君、イスカ王子です」
「……………………おうじ?」
リナリアはゆっくりと首を動かしてアルルを見た。
アルルはなんだか気まずそうな顔で――リナリアにはそう見えた――頷いた。
「…………はあっっ!!?」
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