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14:隣のデリバリーキャット(4)
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「ねえノエルくん」
「は、はいっ?」
身体が跳ねたし、返答する声も裏返った。うん、これはやっぱり、派遣する人選ミスならぬ、猫選ミスのような気が。
「しんどかったら下りていいよ?」
「い、いえ、大丈夫……です。すみません」
ノエルは恐縮したように言った。
部屋にあがるときも、ミヤビは遠慮なくあがったのに対し、ノエルは『猫の毛って気にしませんか? 律さんが毎日ブラッシングしてくれてるから、そこまで落ちないとは思うんですけど』と確認してきた。ここまで人間に気を遣う猫もいないんじゃないかな。
「あの……ぼくも触ってもいいですよ?」
「う、うーん、申し出はありがたいんだけど……」
苦笑する。私はあきらかに怖がっている猫を触れるほど無神経じゃない。
「また今度、君に信頼してもらえたときのお楽しみにするよ。野良猫だって、そう簡単に撫でさせてはくれない子がほとんどだから」
スキンシップを図るのは、信頼を深めてからが常識だ。誰だって、見知らぬ他人に触られたら不快感しか覚えない。それはきっと猫も人間も一緒だろう。
「……そうですか」
「いくら高坂くんに言われたからって、知らない人間のところに来るのは怖かったよね。来てくれてありがとう」
「い、いえ、そんな」
できるだけ柔らかく、優しく。それが誰かと仲良くなるためのコツだ。特にノエルのような、人見知りの子には。
微笑むと、ノエルは多少、緊張が解けたらしく、立ちっぱなしだった耳を少し下げた。
テレビの番組が終わる。もう2時になるらしい。
高坂くんもまだ起きてるのかな。
ちらりとリビングの壁を見る。この壁一枚を隔てた向こうに、彼がいる。
「寝なくていいの? くるみ」
「うーん、寝ようとはしたんだけどね。なんとなく眠れなくて」
「そう。律があたしたちを寄越したのは正解だったらしいわね。電気もつけずにぼーっとテレビ見てるなんて、寂しい人間の極致じゃないの。もしかして泣いてた?」
「な、泣いてはないよっ」
私は急いで否定した。
泣く寸前ではあったけど、と胸の中だけで付け加える。
「なら良いけど。でないと律がもっと早くあたしたちを寄越しとけば良かったって要らない後悔をしそうだもの。間に合ったみたいで何よりだわ」
ミヤビは尻尾を小さく動かした。
「律さんは優しい人ですからね」
「優しすぎて損よ、あの性格。隣人がホームシックで泣こうが喚こうが関係ないのにねぇ」
「喚かれたらうるさくて迷惑だと思いますけど」
「そっか。大家さんに相談しなきゃいけなくなるわね。ま、律を困らせる人間なんてあたしが許さないけど。どんな手を使ってでも追い出すわ」
「ミヤビさんは本気でやりそうなので怖いんですが……」
「やるわよ。殺ってやるわよ」
「いま『やる』の意味が恐ろしいものになってたような」
「気のせいよ」
「ねえ」
声を上げると、ソファの上下で話し合っていた二匹がこちらを向いた。ノエルは曲がっていた背筋を再び伸ばし、ミヤビはぴくりと片耳を動かして私を見上げる。ついでに爪を見せ付けるようにして上げていた前脚も下ろした。
「どうして高坂くんはあなたたちを寄越してくれたんだろう」
高坂くんと私は今日偶然知り合っただけの間柄。関係性を表すならば『顔見知り』程度で、『友達』ですらない。道案内をしてもらって、少し話しただけで友達になれるなら多分、皆人間関係で悩むことはないだろう。
彼が優しい人なのは知っている。混雑する渋谷駅の構内で、彼だけが足を止めて、私に声をかけてくれた。額にできたたんこぶの心配をして、迷子の私に付き合ってくれた。
でも、隣に住むことになったその子がホームシックで泣いているかもしれないからって、わざわざ飼い猫に様子を見に行かせたりするだろうか。
私ならそこまでしない。ほとんどの人間はそうだと思う。
それなのに、彼はそうした。
彼はまたしても、私が寂しさで涙を流す前に止めてくれた。
彼は自分のことを『優しくない』と言っていたけど、言葉と行動が大いに矛盾している。私の膝にいる猫と、足元で見上げている猫がその証拠。
彼に遣わされたこの二匹がいなかったら、私は寂しさに負けていた。東京に来たことを後悔してしまっていた。
「は、はいっ?」
身体が跳ねたし、返答する声も裏返った。うん、これはやっぱり、派遣する人選ミスならぬ、猫選ミスのような気が。
「しんどかったら下りていいよ?」
「い、いえ、大丈夫……です。すみません」
ノエルは恐縮したように言った。
部屋にあがるときも、ミヤビは遠慮なくあがったのに対し、ノエルは『猫の毛って気にしませんか? 律さんが毎日ブラッシングしてくれてるから、そこまで落ちないとは思うんですけど』と確認してきた。ここまで人間に気を遣う猫もいないんじゃないかな。
「あの……ぼくも触ってもいいですよ?」
「う、うーん、申し出はありがたいんだけど……」
苦笑する。私はあきらかに怖がっている猫を触れるほど無神経じゃない。
「また今度、君に信頼してもらえたときのお楽しみにするよ。野良猫だって、そう簡単に撫でさせてはくれない子がほとんどだから」
スキンシップを図るのは、信頼を深めてからが常識だ。誰だって、見知らぬ他人に触られたら不快感しか覚えない。それはきっと猫も人間も一緒だろう。
「……そうですか」
「いくら高坂くんに言われたからって、知らない人間のところに来るのは怖かったよね。来てくれてありがとう」
「い、いえ、そんな」
できるだけ柔らかく、優しく。それが誰かと仲良くなるためのコツだ。特にノエルのような、人見知りの子には。
微笑むと、ノエルは多少、緊張が解けたらしく、立ちっぱなしだった耳を少し下げた。
テレビの番組が終わる。もう2時になるらしい。
高坂くんもまだ起きてるのかな。
ちらりとリビングの壁を見る。この壁一枚を隔てた向こうに、彼がいる。
「寝なくていいの? くるみ」
「うーん、寝ようとはしたんだけどね。なんとなく眠れなくて」
「そう。律があたしたちを寄越したのは正解だったらしいわね。電気もつけずにぼーっとテレビ見てるなんて、寂しい人間の極致じゃないの。もしかして泣いてた?」
「な、泣いてはないよっ」
私は急いで否定した。
泣く寸前ではあったけど、と胸の中だけで付け加える。
「なら良いけど。でないと律がもっと早くあたしたちを寄越しとけば良かったって要らない後悔をしそうだもの。間に合ったみたいで何よりだわ」
ミヤビは尻尾を小さく動かした。
「律さんは優しい人ですからね」
「優しすぎて損よ、あの性格。隣人がホームシックで泣こうが喚こうが関係ないのにねぇ」
「喚かれたらうるさくて迷惑だと思いますけど」
「そっか。大家さんに相談しなきゃいけなくなるわね。ま、律を困らせる人間なんてあたしが許さないけど。どんな手を使ってでも追い出すわ」
「ミヤビさんは本気でやりそうなので怖いんですが……」
「やるわよ。殺ってやるわよ」
「いま『やる』の意味が恐ろしいものになってたような」
「気のせいよ」
「ねえ」
声を上げると、ソファの上下で話し合っていた二匹がこちらを向いた。ノエルは曲がっていた背筋を再び伸ばし、ミヤビはぴくりと片耳を動かして私を見上げる。ついでに爪を見せ付けるようにして上げていた前脚も下ろした。
「どうして高坂くんはあなたたちを寄越してくれたんだろう」
高坂くんと私は今日偶然知り合っただけの間柄。関係性を表すならば『顔見知り』程度で、『友達』ですらない。道案内をしてもらって、少し話しただけで友達になれるなら多分、皆人間関係で悩むことはないだろう。
彼が優しい人なのは知っている。混雑する渋谷駅の構内で、彼だけが足を止めて、私に声をかけてくれた。額にできたたんこぶの心配をして、迷子の私に付き合ってくれた。
でも、隣に住むことになったその子がホームシックで泣いているかもしれないからって、わざわざ飼い猫に様子を見に行かせたりするだろうか。
私ならそこまでしない。ほとんどの人間はそうだと思う。
それなのに、彼はそうした。
彼はまたしても、私が寂しさで涙を流す前に止めてくれた。
彼は自分のことを『優しくない』と言っていたけど、言葉と行動が大いに矛盾している。私の膝にいる猫と、足元で見上げている猫がその証拠。
彼に遣わされたこの二匹がいなかったら、私は寂しさに負けていた。東京に来たことを後悔してしまっていた。
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