日曜日の紅茶と不思議な猫。

星名柚花

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05:渋谷駅にて(4)

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「都会には善人も悪人も、色んな人がいるんだ。これからたくさんの人と出会う中で、一生ものの人に巡り合えたらいいね。頑張れ」
 最後の言葉を言うときだけ、彼は私を振り返った。口元が小さく上がっている。
 頑張れ。
 何気ない一言は、強く私の胸を打った。

 初めて一人で田舎から上京して、期待よりも不安でいっぱいで。
 広い構内で迷子になって、声をかけた人には邪険にされて、挙句に日傘で転ばされて。
 泣きそうだった私に、彼は気づいて声をかけてくれた。

 それがどんなに、どんなに嬉しかったか。
 さらにこうして、励ましの言葉までくれた――。
 今度は違う意味で泣きそうだったけど、私は笑った。彼の笑顔に応えるために。
「頑張ります」
「よろしい」
 彼はおどけたように頷いた。
 あんまりその仕草が大げさなので、私はつい噴き出してしまった。

 ……敵わないなぁ。
 胸のうちで呟き、ひとしきり笑った後、私は尋ねた。

「あの、お名前を聞いても良いですか? 私は日下部くるみっていうんですが」
「内緒」
 彼の返答はそっけなかった。
 急に私から興味が失せたように、ふいっと前を向いてしまう。
 諦めきれず、私は食い下がった。

「で、ではせめて名字だけでも」
「言わない」
「……そうですか」
 しょんぼりと項垂れる。
 悪用なんてしないのにな……警戒されているのかな。
 怪しい人間じゃないですよ! ただの女子高生ですよ! と、声を大にして訴えたい。
 でも、言いたくないという相手に、無理は言えない。
 どうしたものか悩んでいる間に、エスカレーターが頂上に着いた。
 彼はエスカレーターを降りて、右手に曲がった。
 名前を教えてもらえず、落ち込んでいる私をどう見たのか、彼は振り返った。

「だって、言わないほうが多分、長く覚えててもらえるだろ」
「?」
 言っている意味がわからず、私は首を傾げた。
「ここで名前を言ったら納得して、それで終わりだ。でも、言わなかったら『結局あいつはなんだったんだ』って、名前も言わない変な奴として記憶に留めてもらえると思うんだよね」
「あー……」
 なるほど、確かに一理ある。あっさり名前を明かされるより、秘密にされるほうが気になるもんね。

 私の微妙な相槌を同意と解釈したらしく、彼は悪戯っぽく笑った。
「だから言わない。縁がなければこれっきり、もう二度と会うこともないだろうしさ。そんな奴の名前なんてどうでもいいだろ。きっと今日のことだってすぐに忘れる。記憶なんてそんなものだよ」
「じゃあ、もし縁があったら?」
 理屈はわかるけど感情が納得できず、私は尋ねた。

「そのときはもちろん、ちゃんと名前を教えるよ」
 彼は微笑んで、長い人差し指で前方を指差した。
「あっ」
 私は思わず声を上げてしまった。
 そこにあったのは、8番出口の案内。
 これこそ、私が三十分さまよっても見つけられなかった、『ハチ公前広場』……!!
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