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16:再びヨガクレへ(1)
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夜に紛れる黒のトートバッグを左肩に下げ、朝陽が立ち止まったのは、彼と出会った神社だった。
参拝するには遅い時間だからだろう、境内に人の姿はない。
「ここから先は神域だ。現世《うつしよ》と幽世《かくりよ》の狭間にあるヨガクレにも通じているが、ヨガクレに行くためには現実を忘れなきゃならない」
境内に続く鳥居の前で振り返り、朝陽はそう言った。
鳥居の左右に設置された灯籠の明かりが端正な顔立ちを淡く照らしている。
「七年前にどうやってヨガクレに行ったか覚えてるか?」
「ううん。おばあちゃんと離れて、境内の屋台を見て回っていたら、いつの間にかヨガクレの通りに立ってたの。銀太くんは浮かれたせいでヨガクレに来たんだって言ってたけど……いまは屋台に浮かれるような年でもないし、そもそも屋台なんてないし……現実を忘れるって、どうしたらいいんだろう」
「草木の匂い、目に映る神社の風景、地面の感触。それら全てを忘れて、ただ無心になってくれ」
簡単そうに言ってくれるが、これこそ、言うは易く行うは難し、だ。
とりあえず目を閉じてみたものの、ただ視界が遮断されただけで、現実を忘れる境地までには到底至れそうにない。
だって、頬を撫でる夜風も、スニーカーで踏む地面の感触も、美緒ははっきりと感じているのだ。
(考えない考えない……そう考えてる時点でもう考えてるよね……ああ、どうしたらいいの? あんまりぐずぐすしてると見捨てられるかも……)
この考えすらも雑念だ。
焦りが伝わったのか、くす、と小さな忍び笑いの声が聞こえた。
「まあ急に無心になれと言われても難しいよな。手助けをしようか。美緒は雪を見たことがあるだろう?」
「うん」
祖母が住んでいた村では冬に雪が降る。
豪雪地帯ほど積もりはしないが、辺り一面、雪に覆われることは珍しくない。
「じゃあおれが言う通りにイメージしてくれ。いまは冬だ。吐く息が白く染まり、手がかじかむほど寒い真冬の日」
「はい」
いまは冬。そう思い込む。
春の夜風は身を切るほどの寒風で、踏みしめているのは地面ではなく敷き詰められた雪。そう強くイメージする。
「君は一人、広い雪原に立っている。辺りは真っ白で、何もない。君は空を見上げている。肩の力を抜いて、ただぼうっと、雪が降る様子を眺めている」
純白の雪原に立つ自分を想像し、美緒は高く顎を持ち上げた。
白い息を吐きながら、美緒は空を見上げている。
耳が痛くなるほどの静寂の中、しんしんと降る雪をただ見ている。
独りぼっちで。何もない雪原の真ん中で。
風邪を引かないように分厚いコートを着込んで、耳当てをして、手袋を嵌めて。
参拝するには遅い時間だからだろう、境内に人の姿はない。
「ここから先は神域だ。現世《うつしよ》と幽世《かくりよ》の狭間にあるヨガクレにも通じているが、ヨガクレに行くためには現実を忘れなきゃならない」
境内に続く鳥居の前で振り返り、朝陽はそう言った。
鳥居の左右に設置された灯籠の明かりが端正な顔立ちを淡く照らしている。
「七年前にどうやってヨガクレに行ったか覚えてるか?」
「ううん。おばあちゃんと離れて、境内の屋台を見て回っていたら、いつの間にかヨガクレの通りに立ってたの。銀太くんは浮かれたせいでヨガクレに来たんだって言ってたけど……いまは屋台に浮かれるような年でもないし、そもそも屋台なんてないし……現実を忘れるって、どうしたらいいんだろう」
「草木の匂い、目に映る神社の風景、地面の感触。それら全てを忘れて、ただ無心になってくれ」
簡単そうに言ってくれるが、これこそ、言うは易く行うは難し、だ。
とりあえず目を閉じてみたものの、ただ視界が遮断されただけで、現実を忘れる境地までには到底至れそうにない。
だって、頬を撫でる夜風も、スニーカーで踏む地面の感触も、美緒ははっきりと感じているのだ。
(考えない考えない……そう考えてる時点でもう考えてるよね……ああ、どうしたらいいの? あんまりぐずぐすしてると見捨てられるかも……)
この考えすらも雑念だ。
焦りが伝わったのか、くす、と小さな忍び笑いの声が聞こえた。
「まあ急に無心になれと言われても難しいよな。手助けをしようか。美緒は雪を見たことがあるだろう?」
「うん」
祖母が住んでいた村では冬に雪が降る。
豪雪地帯ほど積もりはしないが、辺り一面、雪に覆われることは珍しくない。
「じゃあおれが言う通りにイメージしてくれ。いまは冬だ。吐く息が白く染まり、手がかじかむほど寒い真冬の日」
「はい」
いまは冬。そう思い込む。
春の夜風は身を切るほどの寒風で、踏みしめているのは地面ではなく敷き詰められた雪。そう強くイメージする。
「君は一人、広い雪原に立っている。辺りは真っ白で、何もない。君は空を見上げている。肩の力を抜いて、ただぼうっと、雪が降る様子を眺めている」
純白の雪原に立つ自分を想像し、美緒は高く顎を持ち上げた。
白い息を吐きながら、美緒は空を見上げている。
耳が痛くなるほどの静寂の中、しんしんと降る雪をただ見ている。
独りぼっちで。何もない雪原の真ん中で。
風邪を引かないように分厚いコートを着込んで、耳当てをして、手袋を嵌めて。
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