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06:春の神社で(1)

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 四月上旬。うららかな春の昼下がり。
 高校の入学式を五日後に控えた美緒は、とある神社にいた。

 手水舎の柄杓を右手で取り、水を汲んで左手にかける。
 水は想像以上に冷たく、左手にかけた瞬間「ひえ」と奇声が漏れた。

 それほど大きな声ではなかったのに、聞こえたのか、あるいはただの偶然なのか、境内にいた金髪の少年がこちらを見てきた。

 貫くような、不躾なほどにまっすぐな視線を受けて、美緒は胃が縮まる思いがした。

(聞かれたかも。恥ずかしい。いえ、だって、冷たかったんです。氷水みたいで)

 内心で言い訳しながら、表面上はさも何事もなかったようなふりを貫き、柄杓を左手に持ち替え、右手を洗って再び持ち替える。

(えーと、次は、口をすすぐんだっけ)
 祖母から教わった作法を思い出しながら、左手を軽く折り曲げて受け皿にし、柄杓で水をかけ、その水で口をすすぐ。

 左手に水をかけ、柄杓の柄を伝うように水を流し、柄杓を元通りに戻す。

 その頃には少年はいなくなっていた。

 境内にたむろしている中年女性たちも、会話に夢中でこちらを見ていない。
 なんとなくほっとしながら、美緒は石畳の参道を歩き、拝殿の前に立った。

 軽くお辞儀をし、財布から五円玉を取り出して賽銭箱に入れ、鈴緒を掴んで鳴らす。
 二礼二拍一礼した後、そのまま頭を下げて言った。

「二丁目に引っ越してきました、芳谷美緒です。よろしくお願いします。念願の光瑛《こうえい》高校には入学できたし、いまのところ神さまに縋りつきたいほどの切実なお願いはないんですが、一つだけ。どうか銀太くんがわたしのことを忘れていませんように。今年こそ会えますように」

 唱えてから、立派な拝殿を見上げ――美緒は肩を落とした。

(……お願いしたって意味がないんだろうな。これまで何回もお願いしてきたのにだめだったもの。おまけにわたしは村から遠く離れた場所に引っ越したし。もし銀太くんの気が向いて会いに来てくれたとしても、わたしがここにいるなんてわかんないよねぇ……)

 拝殿に会釈してから踵を返す。
 社務所の近くに植えてある桜の木が花びらを散らす様を見て、美緒は目を細め、立ち止まった。

 ――いつかきっと、会いに行くよ。美緒に会いに。

 蘇るのは、桜の木の前で交わした幼い約束。
 銀太から何の音沙汰もないまま季節は巡り、美緒は高校生になる。

 高校進学に伴っての引っ越しを終え、近所の地理を覚えるべく散歩していたときに、たまたま見つけたのがこの神社だ。

 引っ越したらその土地の神さまに挨拶なさい、とは、祖母の弁。

 ――近所の人々に引っ越しの挨拶をするように、神さまにも挨拶をしておくの。もしかしたら、いいことがあるかもしれないでしょう? 少なくとも罰は当たらないんだから、きちんと挨拶しておくに越したことはないわ。

 この神社は規模としてはそれほど大きくないが、境内は美しく保たれていた。
 目立つような雑草もなく、心なしか空気も清らかに感じる。
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