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第一章 腐れ剣客、異世界に推参
腐れ剣客してやれた後、反撃に向かわん
しおりを挟む大鬼が逃げた――。
恥も外聞もなく背中を向け、声がした方へと遁走していく。
しかしそれがただの逃走でないことは大鬼が振り向く際の顔で分かった。
「待て……」
そこにあったのは――思わぬ幸運への下衆な喜び。
「待たんか……」
遠くなる背中を追おうにも、体が言うことを効かぬ。
これまであまりにも戦いづくだったそのつけが、この思いがけない展開によって張り詰めた精神の糸を無情にも断ち。
鴎外の体から、戦うための力を奪い去っていく。
「逃げろ、レベッカ……こっちに来てはならん……」
徐々に足が崩れ、地面にへたり込む。
剣を地面に突き立て支えようとするが柄を握る手も限界に達し、指が離れそのままうつ伏せとなってしまう。
起き上がるれない。
積み重ねてきた疲労が意識を奪おうとする。
それでも必死に腕を伸ばし、鴎外の危機に駆けつけようとする少女へ向けて警告を発する。
だがそれが彼女に届くことはない。
どこか遠くから悲鳴が聞こえ。
そしてそこで、鴎外の意識は途絶えた……――
―― ” …… …… …… ” ――
―― ” …… ナニ を シテイル の ? ” ――
―― ” カノジョ を タスケナ キャ ” ――
―― ” サア メ を サマス の ” ――
―― ” アナタ なら デキル わ ” ――
―― ” だって アナタ は ○タシ の ○○○ ” ――
―― ” だから サア ” ――
―― ” 戦うのよ オウガイ ” ――
――がい……オウガイ君、起きろオウガイ君!」
虚ろな意識にどこからか、声が聞こえる。
その声はどこか聞き覚えがあるもの。
誰だったか……ああそうだ、これはフィーゴのものだと鴎垓は声の主に当たりをつけた。
「目を覚ますんだオウガイ君! 目を開けてくれ……っ!!」
意識はちゃんと起きている。
だがどうにも、体が言うことを聞いてくれない。
鴎垓は腑抜けた体に渇を入れようとするが、そのための気力すら使い果たしてしまったようで中々思考が纏まらない。
「大変なことが起こったんだ、レットを探していたら突然道を挟むようにしてゴブリンが現れて、それを倒したらレベッカ君が、レットを任せて君のところへ戻ると、そうしたら大型のゴブリンが彼女を……!
他の者も被害を受けた、ディジーやミーリック、フランネル君の従者たちも。その上君まで……頼む目を開けろ、死ぬんじゃない……オウガイ!!」
浴びせかけられる言葉は多く。
途切れ途切れではあるもの、それだけで十分鴎垓に伝わった。
ならここで寝ている場合ではない――剣士としての意地を薪にして、気力の炎を灯らせる。
「……そう、わめくな。あたまにひびく」
それによってどうにか、声を震わせつつもフィーゴに返事をする鴎垓。少しずつ鮮明になる体の感覚、それによるとどうやら仰向けにされて呼び掛けられていたようだった。
フィーゴは必死の呼び掛けにようやく反応してくれた鴎垓の肩を掴み、傷に響かぬよう注意しながら揺り動かす。
「っ、意識が戻ったのか……!?
よかった、自分のことが分かるか!」
「……よう、フィーゴどの。
できればめざめは女の顔をみたかったところじゃな。
最悪の、寝起きじゃ」
「冗談が言えるなら大丈夫だな。
怪我もそこまで深くはないようだし、本当によかった。
顔が血塗れだったから死んでしまったのかと思ったぞ」
心配していた事態にならず安心感から軽口を叩くフィーゴ。
肩から手を放し揺さぶるのをやめる。
目を開けた鴎垓は松明の明かりに照らされ、ぽっかりと暗闇の中にいる自分たちの姿が見えていた。
鴎垓は少し眠ったお陰か回復しつつある力をかき集め、フィーゴの支えを得ながらどうにか体を起こし近くの壁に背中を預ける。
そのままの体勢で隣に座ったフィーゴへ礼を言う。
「すまん、てまをかける」
「いや、いい。今の君がそんなことを気にするな」
鴎垓の弱々しい姿。
そして先程走り去っていった大型のゴブリン。
先程のことも含め、通路全体に刻み込まれた傷からここであのゴブリンとのただならぬ戦いがあったのだと容易く想像させる。
何があったのか聞きたいところだが、フィーゴにはそのことを置いてもまず話さねばならぬことがあった。
「出血が酷いようだ、顔が酷いことになっている」
「頭がちいと切れとるだけよ、そう大した傷じゃない」
「見せてくれ……なるほど傷は浅い、一先ずは大丈夫だな。
こういうのも何だが、兎に角君が目覚めてくれてよかった。
しかし、起きたばかりで済まないが……今我々の状況は切迫している」
フィーゴはおそらく聞こえていなかっただろうからと先程鴎垓に向かって呼び掛けていたことをもう一度語ろうとしたが、
「分かっとるよ、聞こえとった。
どうやらあの大鬼、散々やらかしたらしいな」
と何があったか理解していると言い、逆に鴎垓も知らねばならぬことを聞く。
「……レベッカは、どうなった?」
「……奴に、拐われた」
その鴎垓の問いに。
怒りを抑えた表情で、そう答えを返すフィーゴ。
そこには自分の不甲斐なさを恥じ、こんな事態を招いてしまった力不足を悔いる戦士の激情があった。
鴎垓の無事を確認出来たからか冷静になった彼は自分達を襲った存在について分かっていることをこの何も知らない部外者に説明していく。
「あの体格の大きさ、まず間違いなく守護者に違いないだろう。だがあんな風に領域の外へ出てくるなんて行動は今まで見たことも聞いたこともない。
守護者の役割とは【墜界】の核を守ることなのだから、そこから出てくるなんてのはその役割に反している。
それに人を拐うなんてこともだ。
奴らには人間を殺す以外の思考はないはずなのに」
「……拐った、か。ならばどこかに連れていっとるわけだ。
確か核のある場所はここの最奥にあるというとったな、奴が守護者なら、そこに戻っておるかもしれんのう」
「おそらく、その可能性が高いだろう。
そしてレベッカ君も……」
「そうか……」
フィーゴの説明はそれで終わった。
それからのことを彼は言おうとはしない。
言うわけにはいかない立場だということを分かっているからこそ。
鴎垓はゆっくりとだが、立ち上がった。
その様子にフィーゴは驚愕を隠せない。
「お、おい……その状態でまだ動くつもりか!?
君の体は見た目以上に傷ついている、これ以上無茶をしようものなら本当に死んでしまうぞ……!!」
フィーゴの発言は鴎垓のことを本当に心配してのものだ。
傷だらけの体は本人が思っている以上に深刻な状況にあり、本当ならこうして立ち上がるのさえ相当の痛みが襲うほど。
そんな状態でまだ動こうなどと、自殺行為と違いはない。
それでもどこかを目指し歩こうとする鴎垓を押さえ、大人しくさせようとするフィーゴはそのボロボロの体からは考えられないほどの力によって抵抗され、どこにこんな力が残っていたのかと瞠目する。
それでも余力のあるフィーゴには敵わず押し止められた鴎垓は、進路を阻む彼に向けてスッと顔をあげ、
「――それがどうした?」
「――」
その言葉にフィーゴに息が止まるような感覚を覚えた。
自分を見つめる目はあまりにも真っ直ぐで、どうしてか胸が痛み出す。その痛みは体の自由を奪い、鴎垓を押し止めようとする力が抜けていく。
途端に止まってしまった目の前の男を押し退け、再び歩き始める鴎垓。その歩みは危なげで、壁に手を付いていなければ前に進めないほど遅々としたものだった。
だが、決してその歩みは止まらない。
「確かに、これ以上は死ぬかもしれん。
だがそれはレベッカとて同じこと、あの大鬼が何時までもあいつを生かしておく保証はどこにもない。
このままでは死ぬかも知れぬ二人。儂か、レベッカか……どちらを優先するのか。
しかしそれを選ぶ権利は儂にある。
それならばこの命、レベッカを救うことに使おう」
「――あいつはいつも誰かを救おうとして、本当は誰かに救ってもらいたいのにぐっと一人で我慢しておる。
自分の勝手な行動に見返りを求めてはならんとな。
だからあいつは一人孤独を抱えて生きて、それでいいんだと思っとる。
だがよう、そいつはあまりにも寂しいではないか。
たった一人、そんな風に生きるのは。
だから儂はあいつに会って伝えねばならんのだ。
お前に決して一人ではないと、見返りなんぞ望んでないと、ただお前がおってくれればそれでいいと。
たった一言……”助けてくれ”と言えばいいんだと。
それだけで儂はどんな時だろうとお前の力になってやれるんだということを、教えてやらんといけんのだ」
――……。
「……君は」
その言葉に、フィーゴは胸を撃ち抜かれるような感覚を味わった。
これは生きざまだ――生きていく上で決して曲げることのできないもののために、文字通り命を懸けるとこの男は言っているのだ。
使命感や義務感ではない。
そうしなければ自分が自分でなくなってしまう。
だから行くのだと、この瀕死の男は言っている。
「――その言葉、どこまで本気と捉えても?」
こんな男を止めるために何を言えばいい。
フィーゴがそう考えていると突如、暗闇から声が掛けられる。
聞こえてくる足音と近づく光源。
その声の方向に顔を向ければ空中に炎を携えこちらへ歩いてくる――フランネルの姿があった。
暗い通路を照らしながら近づく彼女の視線は周りの惨状には全く向けられず、鴎垓ただ一人に集中している。
「フランネル殿か、側付きの連中は無事か」
「負傷者多数で地上に帰還するよう指示してましてよ、ここにはあなたがたを回収に参りましたが……馬鹿馬鹿しい話が聞こえてきたものですから。
それで、さっさとお答えして下さるかしら?
レベッカさんを救うために、あなたはどこまで出来ますの」
これまでの友好な口ぶりが鳴りを潜め、どこか固い印象を感じさせる彼女は問う。
――お前は何ができるのかと。
「命を賭けると言っても信じては貰えまい。
ならレベッカを救えなんだ時はお主の下につくと約束しよう。
煮るなり焼くなり、好きにすればええ」
――だがその質問は野暮といものだ。
これを成せぬならば、これより先にも何も成せることはないだろう。一人の少女を救うことすらできぬ男に、鬼を斬ることなど出来るはずがあるものか。
「だから手を貸せ、フランネル。
今儂ではあいつの相手は手に余る、だからレベッカを救うにはお主の力が必要じゃ。
それに、まさかやられっぱなしでおるわけではないだろう?」
「……」
質問への回答を得たフランネル。
自分のことを何だと思っているのかという提案と、あまりにも見え透いた挑発に。
しかしどこか、この男らしい納得している自分がいる。
何よりこの男の目だ。
これは諦めたような目ではない。
こんな目が出来てこういう答えが返せるのなら、十分だ。
言っていることにも一理ある。
大切な従業員を傷付け友を拐ったあの化物の蛮行、到底許せるものではない。
「はぁ……別にそこまで仰らなくてよろしくてよ。
元々手を借りようとしていたのはこちらもですもの、だからいいですわ、あなたに協力してあげます。
ただこれはあくまで私の矜持のためでしてよ!
決してあなたのためではないので勘違いなさらないで!」
「おう、助かる」
「ふんっ、精々足手まといにならなようにして下さいまし!」
「――あー済まないんだが、二人だけで話を進めるのはそろそろやめてもらっていいかね」
二人がそうして話を締めようとしたところで横から声があがった。
それは今の今まで沈黙を保ち、話し出す順番を待っていた男。
あまりに静かだったもので若干忘れられていたフィーゴに二人の視線が彼に集まる。
まるで居たのか、みたいな視線に居心地の悪くなるフィーゴは咳払いを一つ。
「ごほんっ!
あーなんだ、君たちがレベッカ君を救助にいくというのは分かった。それならば自分もそれに同行しても構わないだろうか」
「おっと、どういう風の吹き回しじゃ?
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教え子に情けない姿を見せるわけにはいかないからな。
彼女を助けたいのは何も君たちだけではないのだから」
と宣言する。
その顔は先程よりよっぽど頼もしい、戦士の顔をしていた。
壁役はいるだろうという言葉に思わず笑みが浮かぶ鴎垓。
それを言われてしまえば断るわけにもいかない。これから戦いに向かうなら絶対に必要な戦力だ。
そして鴎垓壁から手を放し、二本の足で地面に立つ。
「そんじゃあこの三人で行くか――レベッカのところへ」
そして彼らは歩き出した。
孤独に慣れてしまった少女に大切なことを伝えるために。
それがどんな困難の先にあろうとも。
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