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10. 修は早く帰りたい〜修視点〜

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「お前は守がいないと、付き合いが悪い!!」



 そう言って自分を詰る友人の声は聞こえていたが、知らん顔して帰ってきた。

 大正解。

 俺が友人と連むのは、守が目当てに決まってる。

 とにかく一秒でも長く守の近くにいたいだけだ。

 そばに守がいないのなら、一刻も早く守がいるところへ帰りたい。

 俺と守が特別な関係になったことは、誰にも話していないし、話したいとも思わない。

 二人だけの秘密で良い。

 誰とも分かち合いたくない。

 もしも話して守のかわいい姿を想像されでもしたら、俺は普通でいられないだろう。

 やっと触れられた。

 やっと俺だけに見せてくれる顔を手に入れた。

 まだ絶対に手放せない。

 独り占めしていたい。

 いつもは守からのメッセージで賑やかなロック画面が殺風景なことが気にかかる。

 こんなに気温が高い日だ。何があってもおかしくない。

 やっぱり待たせておいて、一緒に帰るべきだったと後悔する。

 バス停から自宅までは、はやる気持ちを抑えきれずに、ほぼ全速力で走った。

 何年振りだろう。肺が潰れそうなほど呼吸を乱したのは。

 自分の部屋の前にたどり着いた時、全身の血が引いていくように身体が冷えていった。

 目に飛び込んできたものは余りにも場にそぐわない。

 扉の前にポツンと一つだけ、剥き出しの茄子が転がっていた。

 落ち着け、落ち着け。

 自分に言い聞かせながら跪き、茄子を拾った。

 大きな傷もなく、つるりと張りのある新鮮な茄子だ。

 ただのうっかりな気もしてきた。

 守のこととなると自分は少し心配しすぎな自覚はあるが、どうにも止められない。

 ガスメーターに付けてある、ダイヤル式のロックがかかったセイフティボックスを開け、中の合鍵を出す。

 杞憂だろう。

 そう願いながらも、万が一に備えて息を殺し、音もなく扉の鍵を開けた。

 ドアノブを捻り、中を伺うために細く開けて耳をすませる。

 確かに人の気配を感じる。

 もう少し大きく開け、身体を滑り込ませれば、侵入に成功した。

 なぜか室内は真っ暗で、ムワッと湿度も温度も高かった。

 キッチンの奥から聞こえるのは、守のクスクス笑い。

 しかし、その合間にはチュプ、チュプとかすかに水音が混じった。



「んんん! …………めだって! ん、あ、やば。修に……」

「……ひひっ! …………大丈夫だって!」



 守は一人じゃない。

 そして相手の声に聞き覚えがあった。

 まさか、謙? 

 意味深な二人分の笑い声が絡み合う。

 知らないうちに手のひらは汗に濡れていた。



「あ! やめろってば!!」



 守のはしゃいだ声に、もう我慢できなかった。



「おい! 何やってる?!」



 キッチンの電気をつければ、床に寝転がる守と謙の姿が。



「馬鹿! 消せ!!



 なぜか守に怒鳴られて、慌てて電気のスイッチを切った。

 なぜ謙がいる? 

 しかも、守と仲が良すぎないか? 

 頭に焼きついた床に転がる二人の姿。

 上半身は裸で汗ばんでいた。

 向かい合って……何をしていた? 



「あっぶねー!!」

「なぁ?! 修のせいで台無しになるとこだった」

「気をつけろよ!」



 二人がうるさく色々言ってくるがちっとも頭に入ってこない。

 呆然としたまま立ち尽くす。

 暗闇で良かった。

 思い切り顔を顰め、頭を掻きむしることができる。

 守の性格につけ込んで、なし崩しに始まった関係だ。

 上手くいく訳がない。

 いつか終わるとわかっていた。

 それでもこんな結末になるとは。

 謙に、俺の腐れ縁に横から掻っ攫われる? 

 最低。

 でも納得している自分もいた。

 謙は情報通で、おしゃれで、話好きだ。

 俺ができないことばかり得意な男。

 守と気が合うに決まっている。

 せめて記憶に残りたいと、身体に教え込んだ快感だって、あっという間にかき消されるだろう。

 上手に夜遊びを楽しむバイの謙には敵わない。



「おい」

「おーい!」

「修!!」



 いつの間にかしゃがみこんで膝に顔を埋めていた俺の耳元で馬鹿でかい二人の声がする。

 顔を開ければ目の前に守と謙がいた。

 スマホでそれぞれ顔を照らしてるから、お化け屋敷みたいになってる。



「修、大丈夫かぁ?」



 守は俺のおでこに手を当てる。



「暑い? 暑いよな。外から帰ってきたばっかだもんな。あと5分待てる? オーブン使うとクーラーつけられんかったわ」



 カラカラと口内で氷を遊ばせる守の髪は汗で濡れていた。

 やっと守に触れられる、と手を伸ばしたところで、守の肩越しにアイスを差し出す謙に気がついた。



「おかえりア~イス!」

「謙、お前なんでいんの?」

「修くん、いけません。おかえりにはなんて言うの? ママ悲しいワ……」

「謙ママ! 俺もアイス!」

「マーモ、あなたはもう食べたでしょ。ぽんぽんイタタになるからメ!」

「ウインク! 変顔ウインク死ぬぅぅ!!



 笑い上戸の二人は仲良くヒーヒー泣くほど笑ってる。

 俺は一人ぼんやりとチューブアイスを齧る他はない。

 そうこうしているうちに、ピーピーピーと熱源のオーブンが終了を知らせる。



「料理長! クーラーつけて良いっすか!!」

「ヨシ!!」



 パチリと音がして明かりがつけば、上半身裸で首からタオルを垂らした守がオーブンから何かを取り出していた。

 俺の視線を感じたのか鉄板を置くと近づいてくる。



「なんだよ、修。変じゃね?」



 ゴシゴシ頭を撫でてくるが、鍋掴み越しだからちっとも守を感じない。

 二人きりなら、今すぐタオルに隠れた乳首を摘みたい。

 気持ち良いことが好きな守はあっという間に蕩けるだろう。

 キスもハグもお預けなのに、謙と楽しそうに笑う姿を見続けている。



「あれ、お前何持ってんの?」

「茄子、外に落ちてた」

「はぁ?!」



 守も知らなかったらしく、びっくりするので、嬉しくなる。



「謙! 茄子落ちてたって! なんで?!」



 いつもだったら、その「なんで」は俺に聞いたはずなのに、どうして謙なのか。



「俺が置いてきた!」

「なんで?!」

「ほら、俺悪いの95%だってマーモが言うから、5%分置いてきた」

「意味不明~!!」

「どうすんの、これ~」

「いや、それ俺のセリフ」

「で! す! よ! ね~!!」



 俺の知らない話題で盛り上がる二人は楽しそう。

 ずっと昔からの友達みたいに息はぴったりで、俺が入り込む隙はない。



「なんだよ、修。ため息なんてついて。先にシャワー浴びるか?」



 俺の気持ちなんかちっとも知らない守はいつも通りだ。



「いや、いい」

「腹減ってんのか! いいぞ。いっぱいあるからな!」



 ニカっと笑う守を見て、たまらない気持ちになる。

 これ以上謙と二人きりにはできない。



「もう食べようぜ!」

「うぇーい!!

「酒出す」



 テーブルの上には熱々の肉と野菜がてんこ盛り。

 冷蔵庫から酒を出すついでに薬味や調味料も用意する。

 柚子胡椒、かんずり、ハラペーニョの酢漬け、刻み大葉に生姜、ホットソース、醤油麹。

 どれが合うかなんてわからないから、調味料の入ったケースごと出せば、守がスプーンを用意してくれた。



「ウケる! マーモ! スプーン入んない! 入んない!」



 柚子胡椒の細い瓶にはティースプーンでも大きすぎたらしい。

 謙のツボに入ったらしく、笑いはいつまでも止まらない。

 待て、待て、と言いながらカトラリーの引き出しをゴソゴソやる守の後ろに立って、真上の戸棚を開く。



「守、これ」



 しまい込んでいた、ほっそりとしたスプーンを差し出せばば、守が見上げた。

 キスしたい。



「サンキュー!!」



 特大の笑顔を残し、守は行ってしまう。

 俺だけが欲しがっているのか。

 結局、俺じゃだめなんだ。



「うま!」

「鶏肉だって言ってんだろー!」

「わかってるってばー!!」



 俺が口を開かなくても守が笑う食卓は、自分の家なのに居場所がない気持ちになる。

 オーブンで焼いた鶏もも肉はジューシーで、脂を吸った野菜はびっくりするくらい味が濃くて美味しい。たった一皿なのに、どの調味料でも合うから、食べ飽きることはない。

 料理が好きな守が、うちに来たがるようにオーブンを買ったのは当たりだった。

 まだ食べたことのない守の料理が食べられたのが嬉しくてたまらない。

 思い切って大型の高機能オーブンにしたので、きっと鶏肉を丸ごと焼くことだってできるだろう。クリスマスに強請ったら丸鷄のローストチキンを焼いてくれるだろうか、と期待しながらカタログを捲ったことを思い出す。

 守が初めて作ってくれたオーブン料理、独り占めしたかった。

 口に出せない言葉を押し込むように、せっせと料理を口に運ぶ。

 美味しい。だけど寂しい。



「おさむ、ぎゅーぎゅーすきかぁ? いっぱいくえ。まだある。あまったらあしたぱすたにしよ」



 クーラーが使えずにたっぷり汗をかいたせいか、いつもよりハイペースで守は酒をあけていた。

 まだ一本目の缶酎ハイを空けたところだったが、すでに喋りは酔っ払いのそれになっている。

 ノンアルコールカクテルの缶を渡し、謙にはアルコール度数の高い酎ハイの缶を差し出す。



「へぇ?」



 意味ありげにこちらを見た謙が何を思ったのかは、わからない。

 俺をおいて盛り上がる二人の世界へあっという間に戻っていった。
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