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苦い気持ちを抱え、ギョッとする
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ロルガが帰ってくるまでに足のしびれは治り、腰布を巻くことができた。
帰ってくるなりロルガは「腹が減った」と言い、それを聞いた俺の腹も鳴る。
「パンを作れ」
またかよ、と言いたくなるが別に文句があるわけじゃない。熊時代に食べられなかった分を取り戻すようにロルガはパンを食べたがる。もう人間の手になったし、筋肉もあるロルガの方が絶対に俺より上手く生地をこねられそうだが、相変わらず俺に作れと言う。
「ロルガのその言い方、偉そう」
別に癇に障ったわけではないが、突っかかるようなことを言ったのは、さっき全裸で踊っているところを見られた気恥ずかしさのせいだと思う。
「だからなんだ」
当の本人はいつも通り、どこ吹く風だ。むしろこっちの方が俺の心に引っかかった。いつだってロルガは変わらない。俺ばかりが調子を狂わされる。苦い気持ちがじわりと広がっていくのを噛み殺すようにつぶやいた。
「別に」
ここでロルガが鋭く言い返してきたらケンカになったのかもしれない。しかし、実際にはロルガは俺の返事なんか待たずにさっさと食糧庫へ行ってしまった。
話を聞いてもらえないことなんて、少し前まで当たり前のことだった。強気な姉とわがままな妹を思い出す。頭がぼんやりとしてきて、ロルガへの理不尽な苛立ちにもかすみがかかる。元の世界のことを思い出すだけなら眠ってしまうことはないので、考えをそらすにはちょうど良かった。
我が家の女王様と姫君、姉と妹はどちらもおしゃべりだから俺はいつも聞き役で、両親もそういうものだと思っていた。学校へ行っても、社会へ出ても、その役は変わらなかったが、不満を感じたことはない。だって自分は平凡で、中身のないイエスマン。そういうものだから。
俺の話を面白がって聞いてくれたのは、ロルガが初めてだった。しかし、それも俺が異世界から来たからであって、俺自身に興味がある訳じゃない。
もしも、ここにやってきたのが他の人間だったなら、ロルガはもっと楽しい時間を過ごしていたかもしれない。
その可能性に気がついたら、罪悪感にため息が出た。
「おい、どうした?」
ロルガの声に意識がクリアになる。
気がつけば、俺は粉を撒き散らしながらパンの生地をこねている真っ最中で、こちらの様子をうかがうロルガに覗き込まれていた。
「……なんでもない」
「そうか? なんか変だぞ?」
「だからっ、なんでもないっ」
思ったより刺々しい声が出て、自分でびっくりする。誤魔化すように生地をカウンターに叩きつけた。
「……焼いてくる」
キッチンカウンターにロルガを残し、暖炉の前へ移動する。
発酵のいらない薄焼きのパンで良かった。
無心で焼いていたが、終わってみればいつにも増して大量のパンが積み上がっていた。
ナンやピタパンによく似た薄焼きのパンは焼きたてはさっくりと香ばしく、冷めればもちもちと弾力がある。蜂蜜をたっぷりかけて食べるのが最近の二人のお気に入りだった。一口食べれば硬くなった心が少しほぐれる。
「おいしい」
「蜂蜜はまだまだある。いっぱいかけられるぞ。親父は嫌がらせのつもりだったんだろうが目論見がはずれたな」
大きな袋に入った小麦粉を使い終わり、棚を整理しようとしたら、影に隠れた蜂蜜の瓶を見つけた。貴重品だと少しずつ使っていたが、その後もあちこちから出てくるので最近は遠慮しなくなった。
「蜂蜜は熊の好物でしょ。それがどうして嫌がらせなの?」
「誰も俺が人間に戻れるなんて思っていない。熊の手じゃ蜂蜜の瓶は開けられないから、指を咥えて悔しがれと思ったんだろ。どんなに目をそらしても無駄なように、あちこちに隠してある。瓶を割って食べて破片が刺さって死ぬ可能性を狙ったのかもしれないが」
「そんな……誰かに開けてもらえば熊のままでも食べられる」
「その誰かをどうやって見つけるか、が難題だ。……だからナルセには感謝している」
俺じゃなくても良かったと思うよ、と言いそうな口に急いでパンを詰め込んだ。
後片付けを終えても、ロルガはいつものようにソファに座らず、忙しそうに食糧庫を出入りする。
俺はひとり気まずいままだったのでホッとしながらも落ち着かない気持ちだった。満腹になったせいで知らないうちに眠っていた。
目を覚ましキッチンカウンターを見ると、ロルガが包丁を持っていた。
「え、料理できたんだ……」
「切ってるだけだ」
「それもできないのかと思ってた」
「刃物の扱いは得意だ。主に戦うためだが」
ロルガは持っていた包丁を逆手に持ち替えて振って見せる。ふざけているつもりかもしれないが、俺はその素早さにギョッとした。
「何かあれば守ってやるから安心しろ」
「何かって何だよ? ……怖いんだけど」
ロルガは笑うだけで、俺の質問には答えてくれない。代わりに持っていた塊の肉を見せてきた。
「ナルセ、パンに乗せるハムは焼いた方が好きか?」
「どっちでも」
「ちゃんと考えろ」
「…………薄いのはそのままが、好きかも」
「わかった」
それからロルガはハムを薄く切った。残っていた薄焼きのパンを一口サイズに切り、折りたたんだハムを乗せていく。その他にも、ドライフルーツとチーズを細かく切って、蜂蜜で混ぜたり、水を入れた大きなピッチャーに松の葉っぱみたいなものを沈めたりする。俺はそれを黙って見ていた。
キッチンカウンターが食べ物でいっぱいになると、ようやくロルガは手を止めた。食糧庫に入っていき、しばらくしたら帰ってきた。
「さて、お待ちかね、イフュムスを始めよう」
「いふむゅす……?」
え、サウナを待ってたんだけど。
俺には発音もできない何かが、始まるらしい。
帰ってくるなりロルガは「腹が減った」と言い、それを聞いた俺の腹も鳴る。
「パンを作れ」
またかよ、と言いたくなるが別に文句があるわけじゃない。熊時代に食べられなかった分を取り戻すようにロルガはパンを食べたがる。もう人間の手になったし、筋肉もあるロルガの方が絶対に俺より上手く生地をこねられそうだが、相変わらず俺に作れと言う。
「ロルガのその言い方、偉そう」
別に癇に障ったわけではないが、突っかかるようなことを言ったのは、さっき全裸で踊っているところを見られた気恥ずかしさのせいだと思う。
「だからなんだ」
当の本人はいつも通り、どこ吹く風だ。むしろこっちの方が俺の心に引っかかった。いつだってロルガは変わらない。俺ばかりが調子を狂わされる。苦い気持ちがじわりと広がっていくのを噛み殺すようにつぶやいた。
「別に」
ここでロルガが鋭く言い返してきたらケンカになったのかもしれない。しかし、実際にはロルガは俺の返事なんか待たずにさっさと食糧庫へ行ってしまった。
話を聞いてもらえないことなんて、少し前まで当たり前のことだった。強気な姉とわがままな妹を思い出す。頭がぼんやりとしてきて、ロルガへの理不尽な苛立ちにもかすみがかかる。元の世界のことを思い出すだけなら眠ってしまうことはないので、考えをそらすにはちょうど良かった。
我が家の女王様と姫君、姉と妹はどちらもおしゃべりだから俺はいつも聞き役で、両親もそういうものだと思っていた。学校へ行っても、社会へ出ても、その役は変わらなかったが、不満を感じたことはない。だって自分は平凡で、中身のないイエスマン。そういうものだから。
俺の話を面白がって聞いてくれたのは、ロルガが初めてだった。しかし、それも俺が異世界から来たからであって、俺自身に興味がある訳じゃない。
もしも、ここにやってきたのが他の人間だったなら、ロルガはもっと楽しい時間を過ごしていたかもしれない。
その可能性に気がついたら、罪悪感にため息が出た。
「おい、どうした?」
ロルガの声に意識がクリアになる。
気がつけば、俺は粉を撒き散らしながらパンの生地をこねている真っ最中で、こちらの様子をうかがうロルガに覗き込まれていた。
「……なんでもない」
「そうか? なんか変だぞ?」
「だからっ、なんでもないっ」
思ったより刺々しい声が出て、自分でびっくりする。誤魔化すように生地をカウンターに叩きつけた。
「……焼いてくる」
キッチンカウンターにロルガを残し、暖炉の前へ移動する。
発酵のいらない薄焼きのパンで良かった。
無心で焼いていたが、終わってみればいつにも増して大量のパンが積み上がっていた。
ナンやピタパンによく似た薄焼きのパンは焼きたてはさっくりと香ばしく、冷めればもちもちと弾力がある。蜂蜜をたっぷりかけて食べるのが最近の二人のお気に入りだった。一口食べれば硬くなった心が少しほぐれる。
「おいしい」
「蜂蜜はまだまだある。いっぱいかけられるぞ。親父は嫌がらせのつもりだったんだろうが目論見がはずれたな」
大きな袋に入った小麦粉を使い終わり、棚を整理しようとしたら、影に隠れた蜂蜜の瓶を見つけた。貴重品だと少しずつ使っていたが、その後もあちこちから出てくるので最近は遠慮しなくなった。
「蜂蜜は熊の好物でしょ。それがどうして嫌がらせなの?」
「誰も俺が人間に戻れるなんて思っていない。熊の手じゃ蜂蜜の瓶は開けられないから、指を咥えて悔しがれと思ったんだろ。どんなに目をそらしても無駄なように、あちこちに隠してある。瓶を割って食べて破片が刺さって死ぬ可能性を狙ったのかもしれないが」
「そんな……誰かに開けてもらえば熊のままでも食べられる」
「その誰かをどうやって見つけるか、が難題だ。……だからナルセには感謝している」
俺じゃなくても良かったと思うよ、と言いそうな口に急いでパンを詰め込んだ。
後片付けを終えても、ロルガはいつものようにソファに座らず、忙しそうに食糧庫を出入りする。
俺はひとり気まずいままだったのでホッとしながらも落ち着かない気持ちだった。満腹になったせいで知らないうちに眠っていた。
目を覚ましキッチンカウンターを見ると、ロルガが包丁を持っていた。
「え、料理できたんだ……」
「切ってるだけだ」
「それもできないのかと思ってた」
「刃物の扱いは得意だ。主に戦うためだが」
ロルガは持っていた包丁を逆手に持ち替えて振って見せる。ふざけているつもりかもしれないが、俺はその素早さにギョッとした。
「何かあれば守ってやるから安心しろ」
「何かって何だよ? ……怖いんだけど」
ロルガは笑うだけで、俺の質問には答えてくれない。代わりに持っていた塊の肉を見せてきた。
「ナルセ、パンに乗せるハムは焼いた方が好きか?」
「どっちでも」
「ちゃんと考えろ」
「…………薄いのはそのままが、好きかも」
「わかった」
それからロルガはハムを薄く切った。残っていた薄焼きのパンを一口サイズに切り、折りたたんだハムを乗せていく。その他にも、ドライフルーツとチーズを細かく切って、蜂蜜で混ぜたり、水を入れた大きなピッチャーに松の葉っぱみたいなものを沈めたりする。俺はそれを黙って見ていた。
キッチンカウンターが食べ物でいっぱいになると、ようやくロルガは手を止めた。食糧庫に入っていき、しばらくしたら帰ってきた。
「さて、お待ちかね、イフュムスを始めよう」
「いふむゅす……?」
え、サウナを待ってたんだけど。
俺には発音もできない何かが、始まるらしい。
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