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立てこもったら、わかることもある
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イエスマンは、選ぶのが苦手だ。
ランチのA定食、B定食の二択だって決めらない。
自分で出ていくのか、引きずりだされるのか。どちらも同じ地獄に繋がっているとしても俺は選べないままだ。
「い、いぃぃぃ!」
半べそで声を上げていると、ドア越しにロルガが小さく息をつくのが聞こえた。
しかし、それだけだ。
きっとすぐにでも時間切れになって引きずりだされると思ったが、何も起きない。不思議に思いながら呼吸を整え、気持ちが落ち着いてきたところで、内側から小さくドアをノックした。
「ロルガ……?」
蚊の鳴くような声の見本みたいな音量だった。ロルガがドアの前にいなければきっと気がつかない。それなら、隙をついてベッドルームに逃げ込める。
「なんだ?」
期待は裏切られ、すぐそこからロルガの声が返ってきた。ドアに寄りかかっているらしく、予想外の近さに、俺はまた焦り始める。
「どっちにするか決まったか」
「……決まってない」
「じゃあ」
ロルガの低い声に、あ、引きずり出されると俺は直感した。怖い顔は見たくないので、ドアに背を向けて覚悟を決める。
「ナルセの心が決まるまで、このまま俺が話すか」
「へ?」
意外な言葉に俺の緊張はゆるみ、ずりずりとそのまま座り込む。力の抜けた体を支えるドア越しに、俺とロルガは背中合わせになった。
ナルセ、と俺を呼ぶ声はいつもより力がないのに、心の奥深くまで入り込んでくる気がした。
「お前はひとりに慣れているのか? 俺は違う。生まれた時から絶えず人に囲まれて過ごし、罰として熊になって初めてひとりになった。俺がすぐのたれ死んだら、親父も寝覚めが悪いんだろう。この家を与えられたが、ずっと人に世話をされてきたから、何もできない。ブランケットをかけようとしても、鋭い爪が引き裂いてしまうし、料理だってできない。体が熊だから、生のイモだって食べられたが、味覚は人のままだったから不味くて仕方なかった。ひとりだからなぁ……不満をこぼす相手もいない。時間だけがあって、胸が踊ることなどなにもない。冬が来てからは少しはマシになった。この体は寝てばかりだから。……そんなときにお前を拾った」
ロルガは淡々と話した。それでも痛いほど気持ちが伝わってくる。慣れない孤独を味わったのはどれほどの間だったのだろう。季節が変わったのだから最低でも三ヶ月、もしくはそれ以上の間ひとりだったはずだ。俺だってロルガが起きてくるまでの一か月は、ひとりだった。たった一か月。気ままに楽しんでいると思っていたが、ロルガと過ごすようになって、自分は寂しかったんだと気がついた。
「ナルセ、お前がいて良かった」
ストレートな言葉に胸を突かれた。息をするのも苦しいほどだったが、伝えなければ。
最近は避けていたが、俺だってロルガとの時間が大切だった。
「お、俺も——」
「——お前がいるとパンが食べられるからな」
「は?」
思わず耳を疑った。感極まってあふれそうになっていた涙が引っ込む。
なんでパンの話になるのかな?!
「ナルセが俺を嫌いなら、口を聞かなくても良い。とにかくパンだけ焼いてくれ。……俺はパンが食べたい。腹一杯食べたい」
自分勝手なロルガの言葉に、プツン、と俺の堪忍袋の緒が切れる音がした。
「俺だって! いっぱい食べたい!!」
大声で叫ぶ。それでも衝動が抑えられず、振り返り、拳で何度もドアを叩いた。
やっぱり空腹はよくない。少しのことで心が暴走してしまう。いつもは落ち込んだり、無気力になることがほとんどだったが、珍しく怒りが爆発していた。
ちっとも自分らしくない行動に手はしびれるし、心臓が暴れるようにうるさい。
「じゃあ、焼いてくれ」
ドアの向こうから聞こえるロルガの声はいつも通りで、ちっとも俺の言いたいことなんか伝わっていないのがわかる。
どうしてわかってくれない?
腹が立って、悔しくて、ずっと言えなかった言葉があふれだした。
「でも、でも、ロルガが俺の分まで食べちゃうじゃんか!! いっつも、そうだ。取り分けても俺の皿から食べるし……」
「嫌なのか?」
「嫌に決まってる!」
「じゃあ、取られないようにすればいいじゃないか」
え? 何言ってるの?
ちっとも悪びれる様子のないロルガに、俺の頭は急に冷静になった。
「……他人のものを盗るのはいけないことだよね?」
「なぜ? 香りの良い果実に手を伸ばすのは当たり前のことだろう? 手が届くのなら当然掴み取る。それが人であり、幸せになるために必要なことだ」
もっともらしい言葉に、なるほどね、と説得されそうになるが、ちょっと待て。そんなわけがない。この理論で生きてる人って、まさか。
「ロルガって、もしかして……泥棒なの?」
「はぁ?」
今度はロルガが耳を疑う番だった。
俺はもう一度、ロルガに尋ねた。
「ロルガは泥棒なの? 罰として熊にされたのは、他人から物を盗んだから??」
「…………」
ドアのむこうは沈黙したままだ。
反応がわからないことがもどかしい。なんと答えようかと考えているのか、俺との会話に飽きているのか。
深呼吸を一つして、ドアノブに手をかけた。ロルガが寄りかかっているせいで、ドアはほとんど開かない。外に出るには狭すぎるが、互いに視線を合わせることはできた。
「お、自分で出てくることにしたか」
無言でうなずく俺を映す緑の瞳はイタズラっぽく輝いた。ロルガに俺を怒っている様子はない。結構失礼なことを言った気がするので、ホッとした。
「久しぶりにナルセと話せて俺は気分が良い。お前の質問に答えてやろう。俺が何者なのか。俺がどんな罪を犯したのか」
ランチのA定食、B定食の二択だって決めらない。
自分で出ていくのか、引きずりだされるのか。どちらも同じ地獄に繋がっているとしても俺は選べないままだ。
「い、いぃぃぃ!」
半べそで声を上げていると、ドア越しにロルガが小さく息をつくのが聞こえた。
しかし、それだけだ。
きっとすぐにでも時間切れになって引きずりだされると思ったが、何も起きない。不思議に思いながら呼吸を整え、気持ちが落ち着いてきたところで、内側から小さくドアをノックした。
「ロルガ……?」
蚊の鳴くような声の見本みたいな音量だった。ロルガがドアの前にいなければきっと気がつかない。それなら、隙をついてベッドルームに逃げ込める。
「なんだ?」
期待は裏切られ、すぐそこからロルガの声が返ってきた。ドアに寄りかかっているらしく、予想外の近さに、俺はまた焦り始める。
「どっちにするか決まったか」
「……決まってない」
「じゃあ」
ロルガの低い声に、あ、引きずり出されると俺は直感した。怖い顔は見たくないので、ドアに背を向けて覚悟を決める。
「ナルセの心が決まるまで、このまま俺が話すか」
「へ?」
意外な言葉に俺の緊張はゆるみ、ずりずりとそのまま座り込む。力の抜けた体を支えるドア越しに、俺とロルガは背中合わせになった。
ナルセ、と俺を呼ぶ声はいつもより力がないのに、心の奥深くまで入り込んでくる気がした。
「お前はひとりに慣れているのか? 俺は違う。生まれた時から絶えず人に囲まれて過ごし、罰として熊になって初めてひとりになった。俺がすぐのたれ死んだら、親父も寝覚めが悪いんだろう。この家を与えられたが、ずっと人に世話をされてきたから、何もできない。ブランケットをかけようとしても、鋭い爪が引き裂いてしまうし、料理だってできない。体が熊だから、生のイモだって食べられたが、味覚は人のままだったから不味くて仕方なかった。ひとりだからなぁ……不満をこぼす相手もいない。時間だけがあって、胸が踊ることなどなにもない。冬が来てからは少しはマシになった。この体は寝てばかりだから。……そんなときにお前を拾った」
ロルガは淡々と話した。それでも痛いほど気持ちが伝わってくる。慣れない孤独を味わったのはどれほどの間だったのだろう。季節が変わったのだから最低でも三ヶ月、もしくはそれ以上の間ひとりだったはずだ。俺だってロルガが起きてくるまでの一か月は、ひとりだった。たった一か月。気ままに楽しんでいると思っていたが、ロルガと過ごすようになって、自分は寂しかったんだと気がついた。
「ナルセ、お前がいて良かった」
ストレートな言葉に胸を突かれた。息をするのも苦しいほどだったが、伝えなければ。
最近は避けていたが、俺だってロルガとの時間が大切だった。
「お、俺も——」
「——お前がいるとパンが食べられるからな」
「は?」
思わず耳を疑った。感極まってあふれそうになっていた涙が引っ込む。
なんでパンの話になるのかな?!
「ナルセが俺を嫌いなら、口を聞かなくても良い。とにかくパンだけ焼いてくれ。……俺はパンが食べたい。腹一杯食べたい」
自分勝手なロルガの言葉に、プツン、と俺の堪忍袋の緒が切れる音がした。
「俺だって! いっぱい食べたい!!」
大声で叫ぶ。それでも衝動が抑えられず、振り返り、拳で何度もドアを叩いた。
やっぱり空腹はよくない。少しのことで心が暴走してしまう。いつもは落ち込んだり、無気力になることがほとんどだったが、珍しく怒りが爆発していた。
ちっとも自分らしくない行動に手はしびれるし、心臓が暴れるようにうるさい。
「じゃあ、焼いてくれ」
ドアの向こうから聞こえるロルガの声はいつも通りで、ちっとも俺の言いたいことなんか伝わっていないのがわかる。
どうしてわかってくれない?
腹が立って、悔しくて、ずっと言えなかった言葉があふれだした。
「でも、でも、ロルガが俺の分まで食べちゃうじゃんか!! いっつも、そうだ。取り分けても俺の皿から食べるし……」
「嫌なのか?」
「嫌に決まってる!」
「じゃあ、取られないようにすればいいじゃないか」
え? 何言ってるの?
ちっとも悪びれる様子のないロルガに、俺の頭は急に冷静になった。
「……他人のものを盗るのはいけないことだよね?」
「なぜ? 香りの良い果実に手を伸ばすのは当たり前のことだろう? 手が届くのなら当然掴み取る。それが人であり、幸せになるために必要なことだ」
もっともらしい言葉に、なるほどね、と説得されそうになるが、ちょっと待て。そんなわけがない。この理論で生きてる人って、まさか。
「ロルガって、もしかして……泥棒なの?」
「はぁ?」
今度はロルガが耳を疑う番だった。
俺はもう一度、ロルガに尋ねた。
「ロルガは泥棒なの? 罰として熊にされたのは、他人から物を盗んだから??」
「…………」
ドアのむこうは沈黙したままだ。
反応がわからないことがもどかしい。なんと答えようかと考えているのか、俺との会話に飽きているのか。
深呼吸を一つして、ドアノブに手をかけた。ロルガが寄りかかっているせいで、ドアはほとんど開かない。外に出るには狭すぎるが、互いに視線を合わせることはできた。
「お、自分で出てくることにしたか」
無言でうなずく俺を映す緑の瞳はイタズラっぽく輝いた。ロルガに俺を怒っている様子はない。結構失礼なことを言った気がするので、ホッとした。
「久しぶりにナルセと話せて俺は気分が良い。お前の質問に答えてやろう。俺が何者なのか。俺がどんな罪を犯したのか」
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