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8、俺と乾いたパンと反省会
しおりを挟む ーー子どもが一番怒るのが子ども扱いすることだからね!
道具屋の女将に口酸っぱく言われたことを今更思い出す。
「うまいもん食って元気出すのは、大人だってやるじゃねぇか」
本当は自分も甘いジャムのパンケーキを食べて気持ちを奮い立たせるつもりだったが、ジューにやってしまったので昨日の薄パンの残りをかじる。
毎日食べているはずなのに、焼きたてのパンケーキを見た後では、やけに硬く感じる。
水をかけて焼き直せば良いのだが、自分だけのためにやる気は起きない。
空っぽになったジャムの瓶に指を突っ込んで、残ったジャムを行儀悪く舐めた。
「砂糖菓子は喜んで齧るくせに」
本当はわかっている。
キセイは自分のことを勝手に決められそうになったから怒った。
それが一番してはいけない子ども扱いだった。
ジューより身体は小さいが、聡い子だ。
一緒に学校に通いたいのをダメだと言った時だって、すぐに理解した。
結局、俺がキセイのためだ、と言って勝手にやることは自分のためなんだろう。
自分の未熟さでキセイを傷つけるのが怖くて、手放したいだけだ。
本当は手放せないくせに。
だからロクな説明もせずに一方的に言い放って、こんなことになる。
キセイが嫌だと言ったことに自分はホッとしているんじゃないか?
ーーそこに偽りはないと天に誓えるか?
幼かった自分の嘘を白状させる時に師が言った言葉を思い出せば、己の心が抉れた。
俺の師は国で一番の魔術師だった。
キセイは俺を同じ様に思っているらしいが、とんだ勘違いだ。
ただ、俺が師の一番近くで、いちばん長く時間を過ごしただけのこと。それは師を囲む弟子たちはみんな貴族の子息で、俺だけが貧乏庶民の子だったからだ。弟子兼世話係。炊事・洗濯・掃除ができたからで、特別才能があった訳じゃない。それは師もわかっていた。
「お前は言われたことを言われた通りに出来る。たくさん書物を読みなさい。油をケチるんじゃないぞ」
そう言って、夜は机上のランプの火をいちばん大きくしてくれた。
いつまでも隣に座って、俺の質問に答えてくれた。
だから俺はキセイを育てることが恐ろしい。
キセイは魔術の才能があった。
俺のように理屈がわからなくても、感覚で力を操れるタイプらしい。
“祝福された子”なんて言われることもあるが、俺にはもうわからない世界だ。
魔術はわかっているようで、わからない。
理論がある様で、ない。
風ひとつ起こすのだって、やり方は人それぞれだ。
俺は温度変化からアプローチするが、湿度や、光の場合もあるらしい。
それらは師の持つ書物に記録があったから、俺は片っ端から試して、成功した。
しかし、キセイは教えることなく、幼い頃から簡単に風を操ってみせた。
いつまでも止まらない風車。
一回ずつ反対周りに動くモビール。
夕方までに必ず乾く洗濯物。
おそらく、俺の教え方ではキセイの才能を全て引き出すことは不可能だ。
だって俺は習っていないことはできない。
子育てに苦戦したのがその証明だ。
いつまで手元に置いておくつもりだ?
いつまで飼い殺しにするつもりだ?
一流の魔術師を目指すなら、俺の元にいない方が良い。
魔術師以外の人生を歩むなら、街で暮らした方が良い。
どちらにせよ、別れは来る。
「ちゃんと送り出せるのか?」
俺は師弟の正しい別れ方を知らない。
師との最後の瞬間は、ある日突然やってきた。
一通りの魔術が使える様になり、やっと師と肩を並べて仕事ができる様になった矢先のことだった。
「ごめんね」
とても優しい声で師は言った。
顔を上げた時にはもう忽然と姿を消していたから、一体どんな顔をして別れの言葉を言ったのかはわからない。
今もどこにいるのかわからない。
師は優しすぎた。
その強すぎる力を悪用しようとする人間の悪意や、同じ魔術師からのやっかみ、そういった毒が師を追い詰めたのだろう。
俺は知っていたのに、何もできなかった。凡人すぎたのだ。
近くにいたのが俺じゃなかったら、師はまだ笑って仕事をしていたのかもしれない。
同じ轍は踏まない。
キセイを追い詰めることにならないように、俺は引き際を見極めなければいけない。
道具屋の女将に口酸っぱく言われたことを今更思い出す。
「うまいもん食って元気出すのは、大人だってやるじゃねぇか」
本当は自分も甘いジャムのパンケーキを食べて気持ちを奮い立たせるつもりだったが、ジューにやってしまったので昨日の薄パンの残りをかじる。
毎日食べているはずなのに、焼きたてのパンケーキを見た後では、やけに硬く感じる。
水をかけて焼き直せば良いのだが、自分だけのためにやる気は起きない。
空っぽになったジャムの瓶に指を突っ込んで、残ったジャムを行儀悪く舐めた。
「砂糖菓子は喜んで齧るくせに」
本当はわかっている。
キセイは自分のことを勝手に決められそうになったから怒った。
それが一番してはいけない子ども扱いだった。
ジューより身体は小さいが、聡い子だ。
一緒に学校に通いたいのをダメだと言った時だって、すぐに理解した。
結局、俺がキセイのためだ、と言って勝手にやることは自分のためなんだろう。
自分の未熟さでキセイを傷つけるのが怖くて、手放したいだけだ。
本当は手放せないくせに。
だからロクな説明もせずに一方的に言い放って、こんなことになる。
キセイが嫌だと言ったことに自分はホッとしているんじゃないか?
ーーそこに偽りはないと天に誓えるか?
幼かった自分の嘘を白状させる時に師が言った言葉を思い出せば、己の心が抉れた。
俺の師は国で一番の魔術師だった。
キセイは俺を同じ様に思っているらしいが、とんだ勘違いだ。
ただ、俺が師の一番近くで、いちばん長く時間を過ごしただけのこと。それは師を囲む弟子たちはみんな貴族の子息で、俺だけが貧乏庶民の子だったからだ。弟子兼世話係。炊事・洗濯・掃除ができたからで、特別才能があった訳じゃない。それは師もわかっていた。
「お前は言われたことを言われた通りに出来る。たくさん書物を読みなさい。油をケチるんじゃないぞ」
そう言って、夜は机上のランプの火をいちばん大きくしてくれた。
いつまでも隣に座って、俺の質問に答えてくれた。
だから俺はキセイを育てることが恐ろしい。
キセイは魔術の才能があった。
俺のように理屈がわからなくても、感覚で力を操れるタイプらしい。
“祝福された子”なんて言われることもあるが、俺にはもうわからない世界だ。
魔術はわかっているようで、わからない。
理論がある様で、ない。
風ひとつ起こすのだって、やり方は人それぞれだ。
俺は温度変化からアプローチするが、湿度や、光の場合もあるらしい。
それらは師の持つ書物に記録があったから、俺は片っ端から試して、成功した。
しかし、キセイは教えることなく、幼い頃から簡単に風を操ってみせた。
いつまでも止まらない風車。
一回ずつ反対周りに動くモビール。
夕方までに必ず乾く洗濯物。
おそらく、俺の教え方ではキセイの才能を全て引き出すことは不可能だ。
だって俺は習っていないことはできない。
子育てに苦戦したのがその証明だ。
いつまで手元に置いておくつもりだ?
いつまで飼い殺しにするつもりだ?
一流の魔術師を目指すなら、俺の元にいない方が良い。
魔術師以外の人生を歩むなら、街で暮らした方が良い。
どちらにせよ、別れは来る。
「ちゃんと送り出せるのか?」
俺は師弟の正しい別れ方を知らない。
師との最後の瞬間は、ある日突然やってきた。
一通りの魔術が使える様になり、やっと師と肩を並べて仕事ができる様になった矢先のことだった。
「ごめんね」
とても優しい声で師は言った。
顔を上げた時にはもう忽然と姿を消していたから、一体どんな顔をして別れの言葉を言ったのかはわからない。
今もどこにいるのかわからない。
師は優しすぎた。
その強すぎる力を悪用しようとする人間の悪意や、同じ魔術師からのやっかみ、そういった毒が師を追い詰めたのだろう。
俺は知っていたのに、何もできなかった。凡人すぎたのだ。
近くにいたのが俺じゃなかったら、師はまだ笑って仕事をしていたのかもしれない。
同じ轍は踏まない。
キセイを追い詰めることにならないように、俺は引き際を見極めなければいけない。
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