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11、求められた役割
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指定された部屋では、すでに衣装に着替えたフィヨルドがくつろいでいた。
「よっ」
「おう」
「おはようございます」
予想に反してリラックスした様子で二人に手をあげる。
いつもの洗いざらしの髪にノーメイクだったが、オフホワイトのパンツにハイネック姿ですでに現実離れした雰囲気を醸し出していた。
「じゃ、やりますか」
店長の言葉に、清晴は持ってきていたメイクボックスを広げる。
「お前、せめて化粧水くらいつけろっていつも言ってんだろ」
「そうだっけか?」
店長とフィヨルドの気安い、いつものやり取りに、何の為の準備か忘れそうになる。
「今日は取材だけだから軽くしとく」
「サンキュー」
「キヨ、髪適当にやって」
「え、俺でいいんですか?」
「いいんじゃね?」
「へぇ、キヨのセットか。今日は海外メディアも来るよ。いきなり世界デビューしちゃうね」
ニヤニヤと意地悪く笑うふたりに顔を顰めながらも、清晴は太めのコテを出し準備する。
「巻いていいですか?」
「お、そう来るか」
「俺ストレート多いのに攻めるねぇ」
いつもフィヨルドは、ミステリアスさを強調し、冷たい印象に仕上げられることが多かったが、それは清晴のイメージとは違った。
もっと自由に跳ね回る、エネルギッシュなイメージだ。
温まったコテで髪を挟めば、スカイブルーの波が生まれる。
海だって神秘的だ。既存のイメージを壊さずに、清晴の思うフィヨルドに仕上げたかった。
「出来ました」
思い通りの仕上がりだって、本人が満足しなければ何にもならない。
大きな合わせ鏡を後ろで広げながら、じっくりと手鏡で確認するフィヨルドがどう反応するのか見つめた。
「うん。いいね」
たった一言だけ。
それでも、どれだけフィヨルドが気に入ったか清晴にはわかった。
機嫌の良い時だけ歌う柔らかなハミングがフィヨルドの口からもれ出したから。
フィヨルドが立ち上がると、髪が弾んでいっそう波のように光った。
色とりどりの羽を重ねたジャケットを羽織れば、そこにはマスメディアで見た神秘的なフィヨルドがいた。
「フィヨルドの完成。二人のおかげだ」
いぇーい、なんて声をあげて店長とハイタッチをするから、ミステリアスさは台無しになる。
清晴にも手を差し出すので応えれば、そのまま手を掴まれた。
真剣な顔だった。
「なぁ、キヨは他のフォークを見たらすぐわかるか?」
思いがけない質問に清晴は戸惑い、考えを巡らせた。
「いや、そういうのはないですね」
「そうだよね」
あまりにもフィヨルドが弱々しく微笑むので、調子が狂う。手を離したフィヨルドは、そのまま応接セットのソファにどさりと座り込む。
「あの、確かじゃないけど、そうかもって思うことはあります。なんて言えば良いんだ……えぇと、あぁ。左利きの人って何となく動きでわかることありません? 自動改札で不自然に左手伸ばしたり、あと雑巾絞る時に逆だったり。それみたいにわかることはあります。フォークって匂いを求めてキョロキョロする事があるんです。特に近くに、その、ケーキがいると」
「じゃあもしこの部屋に十人くらい入ってきたとして、わかる?」
「フィヨルド、さん、がいる状態なら。多分フォークは匂いを求めて落ち着かなくなると思う」
「匂いは移る?」
「服とか持ち物に移りますよ」
「じゃあスタッフにそれぞれ何か俺の物を持たせたら、俺がケーキってわかりにくくなる?」
「時間は稼げますね」
「そうしようか」
フィヨルドの狙いが分からずに首を傾げると、気がついたフィヨルドが脱力したように笑う。
弱りきった笑顔に清晴の胸が引き絞られた。
「国によってケーキとかフォークの検査しないだろ? 俺がそうだったみたいに。海外メディアの中に自覚がないフォークもいるんじゃないかと思ったら怖くてね。今までは何も知らずに人と会ってきたけど、いざ自分がケーキだと分かったら、やっぱりヤバいな。……チクショウ」
張り詰めたフィヨルドの雰囲気に落ち着かない気分になる。
フィヨルドはずっと自分がケーキだとは知らなかった。
清晴が打ち明けたあの日まで。
この不安の発端は自分だと気がつき、清晴は愕然とする。
──自分がこの人から日常を奪ったのだ。
そう思ったら、なぜフィヨルドは自分を罵らないのかと、戸惑った。
いっそ詰ってくれた方が気が楽だ。
いつもみたいに自分を踏みつけるように揶揄って欲しい。
そう清晴は思うのに、目の前のフィヨルドは落ち着きなく、手を口元にやってはハッとしたように急いで膝に戻す。
爪を噛む癖でもあるのだろうか?
綺麗にアートを施された爪を守る為に心を犠牲にしているようで、見ていられなかった。
清晴はフィヨルドの隣に腰掛けると、拠り所を探して彷徨う手を掴まえた。緊張で冷え切った指先をすっぽり覆うように両手で包み込む。
何度も握ってるはずなのに、今はひどく頼りなく感じる。
フィヨルドが驚いてこちらを見たが、気の利いたことなど一言も言えない。目を逸らすこともできずそのまま手を握っていた。これが正解なのかは全く分からない。それでもフィヨルドは振り払わなかったので、間違いでもなかったのかもしれない。
「よっ」
「おう」
「おはようございます」
予想に反してリラックスした様子で二人に手をあげる。
いつもの洗いざらしの髪にノーメイクだったが、オフホワイトのパンツにハイネック姿ですでに現実離れした雰囲気を醸し出していた。
「じゃ、やりますか」
店長の言葉に、清晴は持ってきていたメイクボックスを広げる。
「お前、せめて化粧水くらいつけろっていつも言ってんだろ」
「そうだっけか?」
店長とフィヨルドの気安い、いつものやり取りに、何の為の準備か忘れそうになる。
「今日は取材だけだから軽くしとく」
「サンキュー」
「キヨ、髪適当にやって」
「え、俺でいいんですか?」
「いいんじゃね?」
「へぇ、キヨのセットか。今日は海外メディアも来るよ。いきなり世界デビューしちゃうね」
ニヤニヤと意地悪く笑うふたりに顔を顰めながらも、清晴は太めのコテを出し準備する。
「巻いていいですか?」
「お、そう来るか」
「俺ストレート多いのに攻めるねぇ」
いつもフィヨルドは、ミステリアスさを強調し、冷たい印象に仕上げられることが多かったが、それは清晴のイメージとは違った。
もっと自由に跳ね回る、エネルギッシュなイメージだ。
温まったコテで髪を挟めば、スカイブルーの波が生まれる。
海だって神秘的だ。既存のイメージを壊さずに、清晴の思うフィヨルドに仕上げたかった。
「出来ました」
思い通りの仕上がりだって、本人が満足しなければ何にもならない。
大きな合わせ鏡を後ろで広げながら、じっくりと手鏡で確認するフィヨルドがどう反応するのか見つめた。
「うん。いいね」
たった一言だけ。
それでも、どれだけフィヨルドが気に入ったか清晴にはわかった。
機嫌の良い時だけ歌う柔らかなハミングがフィヨルドの口からもれ出したから。
フィヨルドが立ち上がると、髪が弾んでいっそう波のように光った。
色とりどりの羽を重ねたジャケットを羽織れば、そこにはマスメディアで見た神秘的なフィヨルドがいた。
「フィヨルドの完成。二人のおかげだ」
いぇーい、なんて声をあげて店長とハイタッチをするから、ミステリアスさは台無しになる。
清晴にも手を差し出すので応えれば、そのまま手を掴まれた。
真剣な顔だった。
「なぁ、キヨは他のフォークを見たらすぐわかるか?」
思いがけない質問に清晴は戸惑い、考えを巡らせた。
「いや、そういうのはないですね」
「そうだよね」
あまりにもフィヨルドが弱々しく微笑むので、調子が狂う。手を離したフィヨルドは、そのまま応接セットのソファにどさりと座り込む。
「あの、確かじゃないけど、そうかもって思うことはあります。なんて言えば良いんだ……えぇと、あぁ。左利きの人って何となく動きでわかることありません? 自動改札で不自然に左手伸ばしたり、あと雑巾絞る時に逆だったり。それみたいにわかることはあります。フォークって匂いを求めてキョロキョロする事があるんです。特に近くに、その、ケーキがいると」
「じゃあもしこの部屋に十人くらい入ってきたとして、わかる?」
「フィヨルド、さん、がいる状態なら。多分フォークは匂いを求めて落ち着かなくなると思う」
「匂いは移る?」
「服とか持ち物に移りますよ」
「じゃあスタッフにそれぞれ何か俺の物を持たせたら、俺がケーキってわかりにくくなる?」
「時間は稼げますね」
「そうしようか」
フィヨルドの狙いが分からずに首を傾げると、気がついたフィヨルドが脱力したように笑う。
弱りきった笑顔に清晴の胸が引き絞られた。
「国によってケーキとかフォークの検査しないだろ? 俺がそうだったみたいに。海外メディアの中に自覚がないフォークもいるんじゃないかと思ったら怖くてね。今までは何も知らずに人と会ってきたけど、いざ自分がケーキだと分かったら、やっぱりヤバいな。……チクショウ」
張り詰めたフィヨルドの雰囲気に落ち着かない気分になる。
フィヨルドはずっと自分がケーキだとは知らなかった。
清晴が打ち明けたあの日まで。
この不安の発端は自分だと気がつき、清晴は愕然とする。
──自分がこの人から日常を奪ったのだ。
そう思ったら、なぜフィヨルドは自分を罵らないのかと、戸惑った。
いっそ詰ってくれた方が気が楽だ。
いつもみたいに自分を踏みつけるように揶揄って欲しい。
そう清晴は思うのに、目の前のフィヨルドは落ち着きなく、手を口元にやってはハッとしたように急いで膝に戻す。
爪を噛む癖でもあるのだろうか?
綺麗にアートを施された爪を守る為に心を犠牲にしているようで、見ていられなかった。
清晴はフィヨルドの隣に腰掛けると、拠り所を探して彷徨う手を掴まえた。緊張で冷え切った指先をすっぽり覆うように両手で包み込む。
何度も握ってるはずなのに、今はひどく頼りなく感じる。
フィヨルドが驚いてこちらを見たが、気の利いたことなど一言も言えない。目を逸らすこともできずそのまま手を握っていた。これが正解なのかは全く分からない。それでもフィヨルドは振り払わなかったので、間違いでもなかったのかもしれない。
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