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第7章 生者と死者を巡る受難と解放の物語
62: 血塗れ勃起天使、人体を切り刻む
しおりを挟む乱田こと蘭府は、門戸が次に撮るつもりだと言った短編映像作品のシナリオを読んでいた。
作品名が「血塗れ勃起天使、人体を切り刻む」。
『金の掛かる趣味だが、どうせ撮るなら良いものにしたい、公開時にはもうちょっと洒落たタイトルにしようと思っていて、良いアイデアがあれば教えてくれ、』と門戸から頼まれていた。
名も与えられぬ下級天使がいた。
仮にこの存在を、Aとしておこう。
天使は、そもそも「善」のエレメントの集合体である。
従って下級・上級などという天使間の個体差などがあるはずもないのだが、総てはエレメントの「配列の妙」である。
その配列によって、天使長になるものも居れば、最強の天使となりながら墜ちるモノも存在する。
この配列の妙は、「悪」のエレメントで構成された存在にも起こりうるので、結局は全ての話は、訳の判らぬ「善とは何か、悪とは何か」という古典的な命題に行き着くのだが、それはさておき、今日はこの天使「A」について語りたい。
我が天使、Aには奇癖がある。
こっそりと人体を作り上げることである。
天使には「快楽」の概念はない。
Aが腑分けされた人体のバーツをこねくりまわして、それを再構成するのは、楽しいからではなく、ましてや神の作った「世界」に反逆する為ではもちろんない。
そう、「善のエレメントの配列」が引き起こした、「ただの癖」なのである。
だからこそAは、この罪深い行為を止められない。
ただAにも、事が発覚すれば、逸脱した己の行為が、咎め立ての対象になることは充分理解出来ていたので、Aの「癖」は、秘密裏に実行される。
四方を石壁で囲われた倉庫の天井は高い。
採光の為の窓は一つしかなく、しかも小さなものだから天井には闇が漂っている。
窓から落ちてくるその光も、床の中央に設置されている正方形の人体プールを辛うじて照らしているだけだ。
Aはこの倉庫が、人間達に奇跡を起こさせるために用意された、神々の緊急用設備とだけ知っている。
多くの天使達も、この場所の事をあまり意識していないだろう。
なぜならこの施設で、可能になる奇跡には、人間達からの需要があまりないからだ。
それは「復活」である。
Aは自分の肩にある大きな白い羽根を広げ、倉庫の中空にふわりと浮揚しながら、人体プールを覗き込んでいる。
ざっと見たところ、百人分ぐらいの内蔵や筋肉・脂肪が、正に血の海の中に漂っている。
勿論、腐敗しているものは一つもない、総てのパーツは「生きて」いる。
善のエレメントの内の一つ、「創造」が稼働し始める。
Aのエレメントの稼働は、倉庫の機能と連動しているから、倉庫はAの創作を可能にすべく準備を始める。
その準備の内の一つが、石壁にずらりと吊り下げられた人骨の姿を、何体か選び出し、闇の中から露わにさせる事だった。
勿論、奇跡が生み出される空間にあって、肉の関節接合のない人骨は、小指の先の骨から頭蓋骨まで目に見えぬ力によって結合されており、その身体がバラバラになることはない。
Aはプールの真上の空中でゆっくりと、自分の身体を一回転させて、倉庫が提示した人骨の中の一つを指さした。
Aが選んだ人骨は、人間の標準だと、やや小柄な方に属するだろう。
Aに選ばれた人骨は、何者かに押し出されるように、壁から空中にせせりだしてから、やがて人体プール脇の地面に着地した。
Aはそれを見届けると、自分の身体を人体プールの水面ギリギリまで引き下ろし、両腕をプールの血と肉のどぶどろに突っ込んだ。
Aの纏っているケープの裾や袂が、血の海に使って真っ赤になっていく。
そこには汚れを防止する為の「力」が発動しない。
その行為は「罪」だからだ。
神のする事には総てに意味がある。
Aは、表面を揺らされた為に、強烈な生臭い匂いを立ち上らせる人体プールに顔をしかめながら、先ほど目星をつけて置いた一対の肺を、血のどぶどろの中から抜き出し、それを抱えて人骨の元へ移動した。
Aは自力で突っ立っている人骨の胸部へ、その肺を、肋骨の下にある大きな隙間からそっと押し込んでいく。
雷鳴の匂いを嗅ぐと言われている天使の嗅覚に、人の肉の生臭さを嗅がせた「力」が、同様に人骨に働き、ただ胸骨の中に突っ込まれたに過ぎない肺が、呼吸を始める。
Aはそれから、同じ手順で腹部の内臓を人骨に取り付けていく。
次に全身の筋肉。
この時点で、決して「汚れる事がない」といわれる天使Aの全身の皮膚は血と体液で真っ赤にぬめっていた。
最終段階の人皮を被せる前、Aは脂肪層を筋肉の上に塗り込みながら、あるインスピレーションに囚われ初めていた。
Aはそのインスピレーションに従い、既に張り付け終わった男の胸筋を取り替え、その部分に脂肪をたっぷり塗り込んで、豊かな乳房を与える事にした。
そして、ほぼ九割方完成している人体の下腹部を眺めながら、海鼠のような陰茎をもぎり取ろうと、手を伸ばしかけて、何を思ったか、それを止めた。
代わりにAは、臀部に取り付けた筋肉の位置を少し弄り、そこに脂肪を厚めに塗ることで満足したようだった。
Aは自分に沸き起こってきたインスピレーションが消え去ってしまうのを恐れるかのように、急いで人体プールに戻った。
最初、使おうと予定していた人皮ではない、全く違うタイプのものを探し出す為、Aは血と体液と肉のどぶどろにその頭を突っ込んだ。
Aは探し当てた人皮をズルズルとプールから引き出すと、今や全身赤むけの裸体として突っ立ているAの創作物の側に戻った。
初めは人の抜け殻のようだった一枚の人皮は、Aの手の中でAが作業しやすいようにバラバラになっていく。
Aは一番最初に、顔を含む頭部の皮膚を、創造物の頭の天辺から被せてやった。
普通であるならば、ここで善の一つである「審美」のエレメントが強く働くのだが、Aの場合はそれが、微弱にしか働かない。
つまり、Aは己の「創作エレメント」に従って、本来の骨格や肉付けの上に取り付けられる筈の人の皮膚以外のものを使ったわけだが、その「選択」、いや「逸脱」が引き起こす美醜問題に苛まれことはなかった。
最後までAのこの逸脱行為は続けられたのだ。
Aが苦労したのは、美醜の落差を詰める為の作業ではなく、人間の男のボディに女の皮を張り付けた為に、男根用の皮膚を他の肉で調達しなければならないという事くらいのものだった。
Aは自分の手で作り上げた創作物を確認すると一人頷いた。
別段、満足したわけではないのだ。
先に書いたように、天使には快楽の概念はない。
満足も快楽の一種である。
彼らにあるのは、ただ善のエレメントだけだ。
Aが頷いたのは、彼が取るべき次の行動の為の区切りの動作に過ぎなかった。
自らの創造物には、魂を吹き込んで、人間の世界に送り込まねばならない。
そしてその創造物は、造り上げた途端に、創造者の所有権は失われる。
それが、我欲というものが存在しない、天使達の決まり事だった。
しかし人間の世界の定員数は、神が決めるモノであって、天使がいじれる領域のものではない。
そう、奇跡は神が天使達に依託して、行われるものなのだ。
Aは、これまでも自らの逸脱行為で生まれた人口過剰を帳消しにするために、人間界から一人の人間を浚い、その空白を自分の創造物と入れ替えて来た。
人間の記憶は、そっくりAの創造物の頭脳に移し替える事が出来たし、ある程度の範囲なら、周囲の人間達の記憶も濁らせる事が出来たから、この入れ替えで難しい問題が起こったことはない。
浚ってきた人間の魂は、人口制限のない「天国」に連れていく。
これには、なんの問題もなかった。
天国に魂を連れて行った後の残った肉体は、人間界に細切れにして捨てる。
勿論、天使が人間を細切れにして捨てた死体を、人間が発見することなど出来ない。
例えば、ある朝、数え切れない数の人間達が口にするファストフードの中に、極微量に混入した人肉を誰が検出出来るというのか。
ミチルは、ある朝、自分が全裸のまま血だらけになってベッドで寝ていた事に気付く。
昨夜は泥酔して、おまけに誰かと大喧嘩をした挙げ句、何も判らぬまま、帰宅して眠り込んだ、、たぶん。
そう言えば、身体の節々が痛んだ。
ミチルは恐る恐る、ベッドから自分の身体を引き剥がし、足先をフローリングの床に降ろした。
爪先のペデキュアが、所々、血がこびり付いた白い肌の中で異様に赤く見える。
ペデキュア?ああアタシは、女の子なんだ、、、。
ミチルは暫く奇妙な感慨に耽っていた。
でもオチンチンが付いてるけど、、、確かに俯いたミチルの視線が揺れた先には、ペニスが股間で縮こまっていた。
ミチルはシーツをはぎ取ると、それを自分の身体に巻き付けてバスルームに向かった。
恥ずかしかったわけではない。
少し寒かったし、どのみち血で汚れたシーツを洗わなくてはならないからだ。
バスルームに入ったミチルは、改めて鏡に映った自分の顔を眺めた。
眉は細く剃ってあって、ほとんどないと言ってもいいぐらいだ。
目の形は大きくて睫が長い。
鼻は生意気そうに先端が少し上をむきかけている。
唇はやや横長、、一応、綺麗な山のような形をしているから見かけは悪くない。
けれど顎の線が結構がっしりしていて、華奢な女の子らしさを削いでいる。
女の子?アタシって女の子なの、、確かに、胸にはやけに形の良い人工的な乳房が付いていた。
でも最初に見たオチンチンは、未だに消えずに股間にぶら下がっている、、。
・・・えっミチルって、一体だれなの?
ふぅ、いかにも門戸らしいセックスファンタジーだ。
特に、善悪の価値判断がまったく混乱している所が面白い。
そして、ここに登場するミチルは、戸橋辺りで具現化されるのだろうなと、蘭府は思った。
そして今後、一番重要になって来るのは、このシナリオに「象徴」として登場する天使Aの正体だろうと、蘭府は考えていた。
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