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第6章 第6特殊犯捜査・第6係の本気
54: ビザランティスの世界 (1)
しおりを挟む「カストリはね、ふだんは、『銀河』っていう高級クラブなのよ。会員制でね、筋金入りの変態ばかりじゃなくて、怪しい変態予備軍みたいなのが出入りしてるんだけど、サークルの特別イベントが闇で開催される日以外は、わりとまともな商売してるわ。でも特別イベント運営の見返り料がなければ、とっくの昔に潰れてるけどね。」
それはそうだろうと、ゑ梨花は思った。
連日、あんな倒錯ショーや犯罪すれすれのイベントを実施するわけにもいかないだろう。
「まあカストリでは、軽い方だけど、マゾデーとか、ピアス・タトウデーとかあってね、そのテーマに沿った見世物があるのよ。私は、最初、トランスセクシュアルデーじゃなくて、ピアス・タトウデーに連れて行ってもらったのよ。」
誰に?と、ゑ梨花が訊くと、その答えはゑ梨花が思い当たる人物ではなかった。
自分はこの世界の知識はある方だと思っていたゑ梨花の期待が、軽く裏切られた。
アントワネットさんによると、奇人変人のカテゴリーに入る人物だそうだ。
アントワネットさん自体が、「ペニスがなければ排泄物を食べればいいじゃない」という破壊的な人間だから、その人物は相当過激なのだろう。
「オマンコから揚羽蝶が羽根をひろげてたり、ふっくらしたお尻に大きな赤い牡丹が描かれてたりして、もう、度肝を抜かれたわよ」
背中に般若が彫られているとかではなくて、彫る場所や図柄は、セックスに密接につながっているものばかりだ、と言う。
「下腹部にね、チンチンの刺青されてる女もいたわよ。ちょうどおへその下のあたりが亀頭でさ、青筋の浮いた感じがよく出ててね、まいったわよ。ああいうのはぜったいに他人には見せられないし、温泉なんかにも行けないわよねえ……」とアントワネットさんは溜め息をつく。
自分がカストリのトランスセクシュアルデーに、あれだけ仰天させられたのだから、他のイベントでも信じられないものを見せられる、というのは、ゑ梨花にも想像が出来た。
「ピアスもハンパじゃないわよ。ニップルピアスなんてかわいいものよ。両方のラビアをリングで繋いで、数珠みたいに錘つけてね、もうビラビラが伸びきっちゃってさ、私、頭の醒めた部分では、何考えてんだろ、この人たち、って思ってるんだけど、頭の中の昂奮している部分ではね、すごいなあ、オマンコこんなにしちゃって、、、って感動してたりするのよねえ、、、どっちにしても、あそこに来る人たちって普通じゃないわよ。」
ゑ梨花は、わかります、という感じで頷く。
アントワネットさんは、サークル・カストリでの先輩に当たる人物だ。
先輩でもアントワネットさんは、「カストリには深入りするつもりはない」と言って一定の距離を取っている、賢明な判断だと、ゑ梨花は思っていた。
精神科医としてカストリは、フィールドワークの対象として素晴らしく興味の惹かれる場所だったが、危険すぎて深入り出来なかった。
その為に、カストリとの直接的な接触を減らし、ゑ梨花は先輩格であるアントワネットさんを通じて、カストリを外側から分析しているようにしていた。
「ピアスとタトウってセットになってるみたいね。刺青してオマンコにピアスして、私、こんな女なんですよ。みたいなアピールしてるのよね、ついていけないわよ。」
アントワネット先輩なら、当然、トランスセクシュアル・デーのはずなのに、どうして、ピアス・タトウ・デーなんかに? と、ゑ梨花は素朴な疑問を投げかけてみた。
アントワネットさんは、それまでの自分のまっとうな男の人生に訣別する証に彫り物をしようと考えたそうだ。
ところが、あまりにも凄絶なタトウを目にして、おそれをなした……という返事だった。
「それで、ゑ梨花の時は、どんなのが舞台に出てきたの?」とアントワネットさんに訊かれて、脚の長いきれいなニューハーフが二人出てきて舞台で肛門性交して、フィストファックを見せて、それから、どこから見ても男丸出しなのに性転換して女の身体になっているマシコ嬢というのが、検診台みたいなのに縛りつけられて……、と説明すると、「あのコ、顔がでかいでしょう?」と、アントワネットさんが言ったので、ゑ梨花は思わずふきだしてしまった。
悪気はなかったが、余りにもマシコ嬢の第一印象をずばりと言い表していたからだ。
あのマシコ嬢は、トランスセクシュアル・デーには、いつも登場するのだという。
「チンチン切り取ってオマンコ造ってるんだけど、どこからどう見ても男だからねえ」 と、アントワネットさんは言う。
決して蔑んでいるのではなくて、親しい友人を語るような口ぶりだ。
「あのコ、自分の居場所を見つけたのよ。どうあがいても美人にはなれないとわかって、不細工なオカマ路線の極端に走ったのよね。審美的な見地からすると醜悪な畸形なんだけど、それはそれで、けっこうファンがつくのよねえ、不可解なことに……。」
あのときの雰囲気を思い出すと、笑わせてくれるコメディアンをあたたかく見守るような空気があった。
バカな奴、哀れな奴、ごつい男の躰なのに巨大な乳房つくって、股間には女性器までつくって、と嗤いものにしながらも、ぜんぜん緊迫した雰囲気ではなかった。
「あのマシコっていう人、どうして女の名前にしないんですか?」
「女っぽい名前だと、もっとグロテスクになるからじゃない?」 と言って、アントワネットさんは微笑んだ。
その微笑は、自分も同じだという自嘲を含んでいる。
彼女自身も美麗な女装者ではない。
「あの人、いくつぐらいなんですか?」
「そうだわねえ、たぶん、32か33ぐらいだと思うわ。30になったって聞いてからもう、二年以上経ってるから……。あ、そうそう、カストリの声だけの司会者が、あのコをねちねちといたぶってたでしょう?」
「ええ。なんか馴れ合ってるような感じがしたな」
「あのマシコってコの彼なんだよ。二つが三つ年下でね、一緒に住んで、あのコ、せっせと尽くしてるらしいわよ。車、買ってあげたりなんかして」
そうだったのか、それなら、あのステージでの不思議な親密感は理解できる。
「彼って、あそこのスタッフなんだけど、大したお給料じゃないでしょう。だから、あのマシコってコ、体売って稼いできたお金、貢いでるらしいわよ。傍で見ているといたたまれなくなってしまうんだけど、本人はうれしそうだからね」
ゑ梨花は想像してみる。
あのマシコ嬢は、自分より年下の男に夢中になってしまっている。
若くてハンサムで絶倫だ。
マシコ嬢は、自分がとても女には見えない性転換者であることを承知している。
客観的に考えて、こんな素敵な男に相手してもらえるなんて、あり得ない。
だから、マシコ嬢は捨てられないように、めいっぱい尽くす。
アントワネットさんが言うように、傍目から見ると哀しくて切ない。
けれども、本人はきっと幸福なのだろう。
真栄田陸が誘惑した被害者の中にはそんな人物もいた。
「ねえ、アントワネットさん、性転換って、どう思います?」
「急に、何言い出すのよ。あんた、それで充分じゃないの?ゑ梨花ちゃん、下も切っちゃいたいの?」
「そういうわけじゃないけど」
「私は絶対に性転換手術なんかしないわよ。チンチンの射精快感が無くなったら、何を楽しみに生きてゆくのよ」
「そうですよね」
「でもね、完璧性転換って、魅力的ではあるんだよね」と言って、アントワネットさんは煙草に火を点けた。
指は白くもなく、ほっそりとしてもいない。
女の指ではないが、マニキュアの長い爪や模造ジュエリーをあしらった指輪で女を装っている。
紫煙を吐くときに、真っ赤なルージュの間から不自然なまでに皓い歯が輝いている。
思いきり漂白しているのだろうか、それとも、入れ歯なのだろうか、とゑ梨花はアントワネットさんの口元を眺めながら考えていた。
「男のくせに女のオマンコを造ってしまう、ってとこに、ぞくぞくする何かがあるんだよね」
「あ、その感じ、わかります」
「ここにチンチンがあったんですけど、切り取ってしまって、女のオマンコ、造りました、こんないやらしい形してます、ハメ心地がいいかどうか、いちど試してみてください、みたいな口上で男を誘ったりすると昂奮するだろうな」
「…………」
ゑ梨花は、まだと言うか、その部分はそんな風に考えたことはない。
「お尻にハメられるのと、手術で造ったオマンコにハメられるのとでは、ぜんぜんちがうと思うのね。言っとくけど、私は性同一性障害じゃないからね。自分がまぎれもなく男だ、って判ってるから。ゑ梨花も同じでしょ?それで、性転換して女のオマンコ造ったりすると……そう、何て言うかなあ、、、自分がセックスのオモチャに成り下がるみたいな感じになるでしょう。れっきとした男が、女の身体になって変態スケベ男たちのオモチャに成り下がってしまう……そういうところにゾクゾクするのかなあ」
「オモチャ」というのは、ゑ梨花にもよくわかる。
まさにマシコ嬢が、そうだった。
マシコ嬢の人気の原因は、オモチャを弄んで楽しむ、というあたりにあったにちがいない。
「それにさ、自分の意志で性転換手術受けたとしても、チンチン、切り取ってしまった恥ずかしさ、ってあるじゃないの。そういう恥ずかしさが、ぞくぞく感の源だと思うのよね」
そういう言われ方をすると、ゑ梨花にも心当たりがある。
かなり昔の事だか、付き合っていた女性とファミレスでダベっていた時のことだ。
その時、ゑ梨花は背中をすっかり露出したホルターネックのキャミを着て、乳房を誇張してセクシーに装っていた。
何故か、話のはずみで、「みなさぁーん、この人、男なんですよぉ、つい最近まで白衣着てお医者さんやってた男なんですよ、今じゃ、おっぱいつくって、こんなにセクシーになってますけどね」 と、その女が大きな声で言う真似をしたとき、ゑ梨花はぞくぞくとなった。
アントワネットさんが言っているのは、あのぞくぞくする羞恥心のことだろう……。
「……それに、私はホモってわけでもないのよ。」
「えっ?アントワネットさんって、ずっと前にホモに目覚めたんじゃないんですか?」
「ちがうわよ」
「アントワネットさん、男が好きじゃないんですか?」
「そうじゃなくって、ねじくれた快楽に目覚めた、ってとこかしら」
「ふうん……」
「ゑ梨花ちゃんは、ホモに開眼してるの?」
「……」
もちろんですともと、いつもなら相手を凹ますために展開する長口上の説明も出来なかった。
なにせ、相手はこの道の大先輩だったからだ。
「ゑ梨花ちゃん、もともとホモの素質があったの?」
「さあ……? どうなんでしょう……」
ここは惚けておくのが正解だろうとゑ梨花は思った。
第一、アントワネットさんがそれを本気で聞きたがっている訳ではない。
「私はね、男が好きになったわけじゃなくて、女とセックスするスタンダードから逸脱したかったのよ。今でも、女のオマンコにチンチンをハメたら気持ちいいのはわかってるけど、それだと、ちっとも刺激的じゃないでしょう? もっと毒素の強いセックスを望んでいたのよ」
でも、なぜ、この人は女装なんだろう……?
ゑ梨花には、アントワネットさんの動機のところがよくわからない。
どうして、そこまで判ってて女装なんですか? と、ゑ梨花はおそるおそる訊いてみた。
「いい質問ね」
アントワネットさんは、考えをまとめるように、遠くを見つめながらよ紫煙をくゆらせる。
「ゑ梨花ちゃんはお化粧するとき、何を考えてる?」
「自分の顔がきれいになってゆくのがうれしい……かな」
「ナルシズム?」
「……そういう面もあると思います」
「私はちがうのよ。お化粧して女の顔になってゆくでしょう、そうすると、本来の自分からどんどん離れてゆくのよ。男のくせに、こんな厚化粧して、と思うと、恥ずかしさやら情けなさやらで身体が熱くなってくるのよねえ。私は、お化粧するのはセックスと深くつながっているからね。ゑ梨花ちゃん、ルージュひくときって、どんな気分?」
「わっ、セクシー!みたいな感じかな……」
一応、そう軽く答えておく。
語ろうと思えば幾らでも語れるが、今は、この先輩に勉強をさせて貰っているのだ。
「普通はそうよね。でも私は、真っ赤に塗った口唇見て、フェラチオするために口紅塗ってるんだ、って思ってしまうのよ。男なのにさ、男のチンチン咥えて舐めるのよ、女みたいにお化粧してね、、、もう、それだけで、わたし、自分のチンチンがおっ立ててしまうのよ」
「…………」
この気持ちはよく判ったが、相手の考えの中身をもっと引き出す為に、ゑ梨花は、ゑ梨花という人物がこの道で走り出したばかりだという印象でいる事にした。
騙している訳でもなかった。
アントワネットさんの感じ方は、ゑ梨花に似ている部分も多かったが、異なる部分も多分にあったからだ。
「整形でこんな大きな乳房を造ったのも同じような理由。男のくせにこんなおっぱい揺らせて恥ずかしくないの?みたいな感じなのよ。こんな巨乳なんて、うっとうしいけど、わたしのセックスには不可欠だし、、」
「……屈辱なのよ。恥ずかしさなんか通り越してしまった屈辱なんだよね。べつにホモでもないのに、お尻掘られるわけでしょう。決して、アナルセックス自体が快感じゃないのよ。この大きなおっぱいを揉まれてお尻掘られてる自分の惨めさとか情けなさとかが、すっごい快感なんだよねえ……。ゑ梨花ちゃん、わかる?」
「…………」
ゑ梨花は、はい、とはっきりと返事できない。
しかし、アントワネットさんの中にある砂漠の蜃気楼のように遠くにゆらゆらと浮かんでいるものの正体が見えてきたような気がした。
「私ね、いろいろと想像してしまうのよ。もっとひどい屈辱を味わうのって、どんなシチュエーションだろう?ってね」
アントワネットさんは、同世代の女性たち、夫がいて子供がいて、水商売や風俗商売とは無関係のごく普通の主婦たちに弄ばれる光景を想像すると言う。
整形巨乳の裸体を晒し、オカマおやじと蔑まれ、ディルドウで肛門性器を嬲り抜かれ、挙げ句の果てにペニスバンドを装着したおばさんたちに輪姦されてしまう……。
あるいは、小生意気な若い娘たちにいたぶられる図。
気色の悪い変態オカマと罵られながら、虐め抜かれて、まだ少しは残っている男のプライドをずたずたにされてしまう……。
アントワネットさんの妄想話は続き、ゑ梨花はそれにじっと耳を傾けていた。
つまり、羞恥と屈辱が歪んだ快楽の起爆装置となり、その快楽はおそろしいまでに蠱惑的で、中毒症状になると、さらに深く烈しい刺激を求めてとめどもなく暴走してしまう。
自分にも、潜在的にその傾向があるかもしれない、とアントワネットさんの話を聞きながらゑ梨花は胸の裡のドキドキ感に惑っていた。
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