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第4章 女装潜入警官、再び
31: 再潜入 予選
しおりを挟む「指尻さーん!俺、車で送りますよ。」
戸橋巡査が署の廊下を走って来た。
戸橋が遅れたのは、会議室の中で丑虎巡査部長と何らかのやりとりをしていたからだろう。
戸橋巡査は、走っている姿も格好が良い。
手脚が長く、身体のバランスが良いのだ。
ゑ梨花は、『トバシは女の子の格好をさせたら、こっちが腹が立つほど可愛らしくなるんです。』とぼやいていた微笑花の言葉を思い出す。
まるで自分の話している相手の性別が、男である事を忘れているようだった。
「別に、送らなくていいわよ。6係の人達って皆忙しいんでしょ。それくらい判るわ、それに私がここに来るのに、車を使わないわけ判る?私のオフィスからだと、いつも渋滞してるあの道を迂回する経路がないの。ワザワザ遠回りするなら公共交通機関と歩きの組み合わせが一番早いわ。」
「そっかぁ、、でも俺、人に言えない抜け道色々知ってますよ。」
そう言いながら戸橋は、ゑ梨花の横に並びおえて、実に自然にゑ梨花と腕を組んでいる。
ゑ梨花が『えっ!』と思う暇もない早業だった。
背の高さは同じくらいだから、二人共、平均的な成人男性よりも気持ちやや小柄と言う事になる。
隣に並んだ戸橋からは、微かにシャネルのエゴイストプラチナムの匂いがした。
日頃の身体の手入れが行きどいているのは、ゑ梨花にはすぐに判った。
ただ戸橋が身体の手入れをするのは、いつ囮や潜入の任務が入ってもいいようにする為で、ゑ梨花のそれとは事情が違うのだが。
「、、駄目か、一応、俺、警官ですからね。でもだったら尚更好都合ですよ。俺、指尻さんにお願いがあるんです。じっくりその話を聞いて貰えますもんね。」
この速攻アプローチに、指尻ゑ梨花の胸が全くときめかなかった、と言えば、それは嘘になる。
戸橋の運転能力が非常に高い事が、隣に座っているゑ梨花には直ぐに判った。
無理な追い越しや車線変更を一度もしないのに、気がつけば車の群れを直ぐに抜け出し、車を前へ前へと進めている。
タイミングと先読みの力が群を抜いているのだ。
横顔を見ていると戸橋の視線が、大きく取られているのがよく判る。
そして綺麗な形をした耳蓋と、ピアスを通すための穴が見える。
「俺、一度、美馬から逃げてるじゃないですか。それがもう一度寄りを戻す感じになって、なんとなく疑われてるんですよ。こっちが警察だってのはバレてないと思うんですが、うーん、何んてんだろ、試されてる感じ?」
もう6係が再潜入を試みているのだと知って指尻は驚いた。
しかもその潜入先は、殺人代行業組織トップの疑いが濃い美馬という男なのだ。
「それか、美馬に遊ばれてるのか?、、精神的なSMプレイの一種みたいな感じなのかな?」
その潜入が戸橋の独断専行なのか、上部の判断なのか、指尻には判らなかった。
普通なら、戸橋が自分で判断して美馬の懐に再潜入する等という事はあり得ない筈だが、6係には素人目にも独自な雰囲気があった。
統率が取れていないというのではなく、まったく、その逆、言い方は良くないが、古いヤクザ映画に登場する何々一家という気風だ。
「そう、それっすよ。本気で俺に惚れてるんなら誠意を見せろ。一度俺から離れていったお前はそうする義務がある、みたいな。俺が与えた試練を突破して見せたら、もう一度可愛がってやらんでもない、みたいな。」
「下衆野郎ね。」
「それがそうでもないんですよ。美馬本人に会うと、そう接しられるのが当たり前のような気になって来る。」
「、、、うーん、、それで?トバシ君は何がしたいの?」
ゑ梨花は美馬という男の顔を思い浮かべてみたが、今までの情報と戸橋の話を重ねると、不思議な事にそこに現れたのは真澄雄悟だった。
もしかすると戸橋は無意識の内に、美馬に真澄雄悟を重ね合わせているのかも知れない。
「美馬が振ってきた無理ゲーを突破して、もう一度、美馬の懐に潜り込みたいんです。その為に色々、教えてくれたらって。多分、俺の今までの潜入術は、通用しないだろうって思うんです。」
「お尻を掘られない、うまい方法を教えてくれってワケじゃないのね。その話を聞いてると、逆に男達を誑し込む方法を教えろって感じだけど。」
「俺だって、他に方法があるなら、それを使ってます。けど美馬のガードは鉄壁なんですよ。下手に突くと、こちらがヤバイくらいだ。実際、他の課や係がそれをやって、美馬に逆ネジを食らわされている。普通ならあり得ない事だ。奴に、近づくには、これしかないんですよ。」
ハンドルを握っている戸橋の横顔が引き締まった。
信じられないくらい、男らしい。
本物の「男らしさ」に、女装が似合う美貌云々は、関係ないのだと指尻は改めて思った。
「美馬の戦国武将気取りが、奴の唯一の穴なんだ。それで俺は、一度成功してる。」
「衆道ね。話聞いてると、確かにゲイとかホモって感じじゃないね。」
「でも6係の昇格がかかってるからって、私はあまりお薦めできないな。だってトバシ君、無理してるから。」
「そんな事ないっすよ。」
「必要となったら、君は女に化ける為に胸まで入れかねない。」
「だって、指尻さんも。」
「私と君とは違うわ。あなたの中に、そういった要素がないとは言わないけど、それはあなたが思ってる程、大きくない。潜入したら、とことんやらないといけないだろうから、ダメージがあるわよ、きっと。それで、飲み込まれちゃう可能性がある。」
「でも、それを指尻さんが言うのは。」
「バカねえ、君の思ってるような、そんな古い価値観で言ってるわけじないの、精神医としての意見だと思って。君がいくら割り切ってるって主張しても、私にしたら、それは単なる主張に過ぎない。君の思考ベースは、ある部分を除いては、かなり健全。まあ健全というのは平均的って意味で、素晴らしいって褒め言葉じゃないけどね。」
「後ろの方の言いたいことは判りますが、『ある部分』は判りませんね。どういう意味です?」
「君が、なんでそこまでして6係の昇格やポイント稼ぎに拘るかって事。」
「美馬に入れ込む理由は、俺が引っ張って来たヤマだから、刑事としての拘りでってのは答えになってませんか?」
「、、、、、。気がついてないの?それとも言いたくないのかしら?」
暫く戸橋に沈黙があった。
この男の判断は常に早いのに、珍しい事だった。
「、、、真澄警部の為です。真澄警部に手柄を立てさせたい。」
本音が出たと思ったが、ゑ梨花はその事についてはそれ以上触れなかった。
「君が、犠牲を払ってでも?」
「俺のは、犠牲じゃないですって。囮捜査として当然の仕事だ。麻取の知り合いで、どうしても避けられなくって自分に麻薬を射った人間を知ってますが、俺はそれを何とか言うつもりはこれっぽっちもない。それと比べれば男に抱かれるなんて屁みたいなもんだ。例えば香山微笑花だって、俺と同じ立場になればそういう判断をすると思いますよ。だって俺達は警察官なんだから、危険やダメージは覚悟の上です。それを覚悟するから警察官をやってられるし、だから市民を守れる。」
「私は、こう見えても医者の端くれなの。医者は誰かに病気になって欲しくないし、なっていたら治したいと思う。相手が警察官でもね。」
「この話、平行線なんすか、、。」
「どうせ止めても君はやるんでしょう。そのままやったら、君の予想通り、君は撃沈すると思う。だったら生還率を高めるしかないわね。かなりアンモラルなアプローチになるけど。」
戸橋の口元が吊り上がる。
笑ったのかも知れない。
恐らく戸橋には、最終的に指尻が自分の願いを聞き入れてくれるだろうという読みがあった筈だ。
「後悔しないわね?なんて確認は君には無意味よね。それに君に限らず、やるって決めた人間は、実際、後で後悔したって、それをやるんだから。」
それでも、ゑ梨花は戸橋の為にある一つの逃げ道を確保してやるつもりでいた。
催眠術だ。
戸橋に女装で男を誑し込むテクニックを仕込むために、深層催眠を応用した事にする。
『君は、その場面では、私が深層催眠で擦り込んだ動きをする、君が男に反応して凄く変態的に淫乱になるのは、そのせい。そんな心理施術が出来る私に感謝しなさい。事が終わったら、それを全部解除しちゃうけどね。味を占めて、それをもう一度やってくれって言っても、絶対やってやらないから』という展開だ。
しかも実際の作業も、それに似た、すれすれのところをやるから、満更、嘘でもない。
それでも彼が、この任務を終わった後、何らかのダメージを負ったなら、私がなんとかしてやるしかないだろうと、指尻ゑ梨花は考えていた。
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