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第三章 時空バイパス

39: 森の大熊

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「やっとモニターに映ったかと思えば、今度は二人して木登りか?」
 流の口振りはいつものように乱暴だったが、安堵の色が隠せなかった。
 しばらくモニターから彼等の姿が途絶えていたからだ。
 真言が岩崎との会話を他に聞かれたくなかったため、意識的に映像をカットしたのだが、流たちのナイトメンバーにはそれが判らない。

 ハートランドは、真言との事前の打ち合わせで、どんな場面でモニターをカットするか、その時の合図まで含めて決めてあったから全く動揺はなかった。
「なかなかあの二人、良いコンビじゃない?それにしても最新の電脳空間の中で木登りとはね。」
 ハートランドはのんびりした口調で言った。
 小さなあくびも混じっている。
 流も彼女もほとんど徹夜でモニターを眺めている事になる。

「木登りの発想は、おっさんのものだろうな。いつか、おっさんに聞き出した事があるんだ。あんな苦虫を噛みつぶした顔して、奴の趣味は釣りとキャンプ生活だそうだ。まあ、あの職業だ。休暇が取れればもう、人間が蠢いている街の雑踏からは離れたくなるだろうよ。」
 モニターの中で、真言は二次元刀をナイフの様に扱い、樹木に穴を開けては、下から登ってくる岩崎が手渡す楔状に削り込んだ枯れ枝を、差し込む作業を続けている。
 彼らはそれらの楔を足場にして木登りを続けているのだ。

 時々、真言が心配げに岩崎の疲労の度合いを観察するが、モニターから見ている範囲でも岩崎はなんとかなりそうだった。
 その岩崎の姿は、真言から借り受けたベルトポーチにm山のような量の楔を差し込んでおり、滑稽味があった。
「『おじいさんは山に芝刈りに』ね。真言君は大丈夫として、岩崎さん、最後まで持つかしら。」
 流が、ハートランドの心配に合いの手を入れようとした時、ナイトの一員が、彼の側に駆け寄ってきて耳打ちをした。

 岩崎が行ってしまった後、この仮設支部では流が最高責任者に当たる。
 ナイトの男が、流にぺこぺこしているのを横目で見ていたハートランドはクスリと笑った。
 いつもの流ならそんなハートランドを目敏く見つけて、がなり立てる所だったが、流は後ろも振り替えずその場を去った。
 それくらいの急用なのだと、ハートランドは腹も立てなかった。
 ハートランドは、いたぶる相手が去ってしまった為か、寂しげに余り代わり映えもしないモニターに再び視線を戻した。

 岩崎が目算で割り出した楔の本数をほぼ使い終わった頃、二人は大針葉樹の頂上付近にたどり着いていた。
「凄いもんだ。こんな光景を拝めるとは、これだけでここに来た甲斐があるかも知れん。」
 岩崎にそう言わせたのは、目的地を探す為に見晴らしを求めて登ってきたという彼の思いとは裏腹に、彼らが踏破して来た方向の光景だった。
 彼らが向かおうとする進行方向は、大針葉樹の高さが見晴らすにはまだ不十分なせいか、果てしなく続く森林の緑の屋根と小高い山脈しか見えなかった。
 だがその逆の方向には、驚愕すべき光景が広がっていたのだ。

「世界の終わりがあるとするなら、まさにあれですね。」
 この時ばかりは普段冷静な保海真言も驚嘆の声を上げた。
「若い頃に、大瀑布をヘリからのぞき込んだ事があったが、比べモノにならんな。それにしても、何が向こうの世界に落ち込んでおるのか、、、。」
 それは地平線の上空に巨大な半円を描いていた。
 いや実際には、間に鏡を置いたように、地上の方に穴が開いていてそれが空に反転して映っているようにも見える。
 どちらにしても、もし彼らがいる針葉樹にもっと高度があるなら、それは完全な円形の姿を現していた事だろう。
 その円流から全ての『存在』が中心の暗黒に向かってなだれ落ちているのだ。
 空の蒼も落ちて行った。
 地面も、木々も、空気も、この世に在るもの全てが恐ろしく巨大で真っ黒な穴の中に落ち込んでいった。

 音は無かった。
 もしあるとすれば、世界中を揺り動かすほどの質量の落下音が在る筈だった。
 もっと不思議なことは、この世界のあらゆるモノがその立ち上がった巨大すぎる穴の中に落ち込んで行っているのに、何一つとして『減って』いかないということだった。

「我々はあそこから這い出てきたのか?」
 岩崎は誰に問うともなく呟いた。
 あの穴を遡行するためにブキャナンがどのような事をしたのか、今の岩崎にはおおよその理解があったが、あえてそれをここでは口に出したくはなかった。

「僕らには近すぎて色々な事が判らなかったんでしょう。長い夜が続くと思ってはいましたが、、。」
 その後、彼らは小一時間ほど、(存在の大瀑布)を魂を吸い取られた様に眺め続けていた。
 見つめ続けると抜け殻になってしまうような、奇妙な不安感に襲われるのだが、かといってそこから目を離すことが出来ないのだ。
 先に我に返ったのは、岩崎の方だった。
 気温が急激に下がり始めていた。
 彼らの右手の地平線に(太陽)が傾き掛けている。

「真言君。そろそろ降りようじゃないか。今夜はこの下でぐっすり眠ろう。明日からは又、歩け歩けだ。河にむかってな!」
「河ですって?」
「見つけられなかったのか?無理もないな。あれを見てしまった後ではな。ほらあっちだ。森の隙間から、ちらちらとにび色に輝くモノが見えるだろう。こんな地形なんだ、必ず大きな河があると思っていたが、あったな、、河の在るところには必ず何かがある。河は文明をはぐくむからな。よしんば、何も無くても、今日の要領で筏を組めば、我々の移動速度は飛躍的に早くなるぞ。」
 真言は岩崎の指す方向を見つめた。
 そこには確かに鈍く閃く光の断片があった。


 彼らが目指した河に到着するまでに要したのは丸二日とその日の早い午前までだった。
 その間、岩崎は二次元刀が彼らのサバイバルゲームにどれほど貢献したか身に染みて理解し、同時に真言の父親が彼にそれを送った慧眼に拍手を送った。
 そして又、真言は、真言の方で、武術や暴力以外に人間に与えられた生き延びる術は知恵であることを、改めて岩崎から学ぶこととなった。

    ・・・・・・・・・

「腹が減りませんか?」
 真言は二次元刀で筏にする積もりで切り倒した丸太の上に、岩崎と共に座っている。
 丸太は六本、切り倒すのには二次元刀のお陰でなんの労力もいらない。
 しかし、それらを川岸に運び込むのは二人の力が必要だった。
 急激な空腹はそのせいもあった。

「ああ。餓死しそうなくらいにな。どうしてだろうな。十分に栄養は向こうの世界で足りているはずだが。空腹感だけは益々募ってくる。」
 岩崎は自分の尻の下の丸太をなぜながら言った。
 横木も、もう揃っている。
 問題はこれらの材料を組み合わすロープだった。
 例の楔を使って、何カ所かは固定できるだろうがそれだけでは心許ない。
 それに己の内から執拗に訴え代えてくる空腹感。

「この分だと、僕たちの肉体の方もあまり点滴からの栄養を受け付けていないのかも知れない。つまり、こちらでの生理感覚の方が現実の肉体を主導してるんでしょう。どうです、狩りをしませんか?問題のロープも、その獲物から作れるかも知れない。」
 岩崎は自分が腰を降ろしている流辺を見回した。
 確かにここが地球なら、芳醇な生命に満ちあふれている土地だろうと思った。
 目の前には穏やかな川面が広がっており背後には緑濃い森がある。
 しかし動くモノの姿は、やはりここ二日間目にしたことがない。
 今では岩崎を襲った跳梁飛蝗さえ懐かしく感じるほどだった。

「良い考えだが、動物がいない。」
「いない訳じゃないんですよ。あの飛蝗みたいにジェノサイドを免れた奴がいる。実は三時間ほど前から僕たちの後をつけ回して様子を伺っている奴がいるんです。」
 真言は川面から目を離さずに言った。
 後ろを振り返るなという事だろうと了解して岩崎はそのまま動かずに返事をした。

「そいつは食えそうなのか?いくら腹が減っていても、あんな鬼や、化け物飛蝗は願い下げだ。」
「しげしげと眺めた訳じゃないですから何とも言えませんがね。熊に似ていると思う。」
「大きいのか?」
 (気配)を通常の人間の数倍以上に感じ取れる真言の能力に岩崎は毛先ほどの疑念を抱いていなかった。

「ええ奴が立ち上がったら我々の三倍ほどになるはずだ。」
「何故、襲ってこない?」
「奴だってこちらが怖いんでしょう。知能がある証拠だ。気配も隠そうとしてる。どうです。罠にかけませんか?」
「罠。そんな洒落た道具はないぞ。」
 保海真言がニヤリと笑って岩崎の身体を見た。

「どちらかが囮になって、奴さんの前に出て行くんですよ。森の際ぐらいまで用足しを装って行けば十分でしょう。奴さんも腹ぺこの筈だ。安全だと判ったら直ぐに襲ってくると思いますよ。こちらには二次元刀という飛び道具がある。」
「その日本刀が伸縮自在だっていう事は判る。だがここから森の縁までは二十メートル近くあるぞ。」
 岩崎はもう自分が囮になるのを覚悟して言った。

「こいつが伸びるのに時間は掛からない。下手すると弾よりも早いかも知れないし、切れ味は散々見てきたでしょう。問題は囮の方の動きだ。奴さんが現れたら出来るだけ引き寄せて地面に伏せる。そのタイミングですね。下手をすると、二次元刀は、囮まで真っ二つにしかねない。」
「君は、ここは抽象と現実の狭間だと言った。我々は半分、抽象的な存在の筈だ。君のいう熊みたいなものは、確実な現実かも知れない。君が持ってきたその日本刀で本当に切れるのか?」
 岩崎は二次元刀を敢えて日本刀と呼んだ。

「今まで、鉄みたいな木に穴を開け、丸太を6本切り出しました。それに奴は、ずっと僕たちの後を付けてきて、こいつの威力を十分理解できているようだ。奴が恐れているのは、僕たちじゃなくてこの二次元刀かも知れない。それなら、切れる筈だ。」
「大熊がたとえ、我々の歯の立たない現実だとしても、聖痕現象が起こる可能性が残っているという訳なのか?だが相手は畜生なんだぞ。そんな高度な肉体変化を現すかどうか。」

「僕たちには何一つとして武器がない。あるのはこの二次元刀だけです。それに今の所、この二次元刀は、現実であれ仮想空間であれ異世界であれ、それらの束縛から独立してあるようです。これがこの場面で役に立たないのなら、もう戻るしかない。でも、次に再侵入した時は、ビッグマザーが対抗措置をとるでしょう。二回目の接続では、ここまでこれるかどうか、、・。」

 彼らは番地をたどって出現した地点からは、遥かに奥地まで足を踏み込んできている。
 それはただ単に真言達が奥に進んだと、いう事だけではなかった。
 特殊な仮想現実空間と異世界の狭間に彼らはいるのだ。
 進む為には、進む意志と共に、その度毎の番地を造り出すエネルギーつまり、彼らを押し出すエネルギーも必要なのだ。
 そしてそれを可能にしたのはどうやら、ブキャナンのカルキンビルでの鬼畜の行いによって得たエネルギーのようだった。

 二度目の来訪を願うことは出来ない。
 しかし彼らを包み込むこの世界の気配が、彼等の移動に従ってどんどん現実味を帯びてくるのは岩崎にも感じ取れていた。
 もうすぐ、向こう側に渡りきれるのかも知れなかった。

「よし判った。やってみよう。私はこの年だ。目も弱くなりかけている。当然、その日本刀を扱うのは無理だろう。わたしが囮になろう。私とて、何一つ、冒険を犯さずにこの旅が続けられるとは考えてはいないよ。」
 岩崎警部は腰に手を当てながらゆっくりと立ち上がった。

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