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第一章 遺産 

06: 仮想世界における捜査の開始

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 バタラン共和国。
 この国の名前は、ここ数世紀の間、何度も塗り替えられている。
 他国からの干渉と統治不安の中、バタランは激烈な流血を何度も繰り返した。
 そしてその度ごとに、偉大な指導者と、劣悪な独裁者と、優秀な思想家を交互に生み出してきた。
 このバタランが初めての安定を見いだした時、人々は自国の流血の歴史が世界に誇りうる一人の人物を内包したことに気づいた。
 それがバラタンの政治リーダーであり思想家でもあるアッシュ・コーナンウェイ・ガタナだった。

 しかしアッシュ・コーナンウェイ・ガタナは本年度の六月末、つまり約一週間前、講演先の宿泊地のソファーの中で、喉と気管に自分の内蔵を詰め込んで窒息死するという、異常な死に様を迎えた。
 アッシュ・コーナンウェイ・ガタナの死亡時の現状写真が、会議用の丸いテーブルの上に投げ出されてあった。
 その写真を見た後のソラリス第二監視官・イマヌェル見崎の顔は少し青ざめていた。
 大きな衝撃を受けたようだ。
 おそらくそれは、彼の信じ込んでいたアッシュ・コーナンウェイ・ガタナの死に様とは、まったくかけ離れていたのだろう。
 会議用テーブルに付いていたのは、昨日のメンバーからは、かなり人数が減っていた。
 この日の主な目的が、岩崎刑事の「接続」に、あったからだ。
 ただ新たに、一人の女性が加わっていた。

「ガタナ氏の本国では、まだこの真実は伝えられていない。一般的には、彼は我々の国で重篤な病気にかかり手厚い看護を受けていることになっている。むろん向こうの政府は事実を知っている。彼らもこの事実を、国内にどう公表すれば良いか迷っているのですよ。」
 岩崎が現状写真を大判の茶封筒にしまい込みながら淡々と状況を説明する。
「彼の死が又、バタランに内乱を引き起こす可能性があるのですか?」
「いいや。バタランが再び乱れる事はない。我が国と完全に提携したのだから。しかしバタランは希望の星を失うことになるだろうね。」
 岩崎は、この国とバタランとの関係を『提携』という言葉で表現した。

「岩崎警部、なぜこの事を初めに教えてくれなかったんです?」
 イマヌェルの緑の瞳を包む瞼が痙攣した。
 岩崎がソラリスに与えた調査協力という名の無理難題、つまりプレイ履歴付きの全顧客リストを提出せよと言う内容だったが、それをこなす為のハードワークに彼も参加していた。
 その疲れが出て来ているのだ。
 ただしソラリス側は、まともな回答資料を、岩崎には提示していなかった。
 つまり、アッシュ・コーナンウェイ・ガタナ関連のデータについては勿論の事、他のデータ全てにも個人の核となるプライバシーを覆うためのフィルターがかかっていたのだ。

「ほう、この事を教えて教えていれば、あなた方の対応の何かが変わったのですかな?あなた方は、ソラリスに繋がる人物をすべて完全に把握しているのでは無かったのですか?それとも地球の運命を左右するとも言われている第一レベルに誰が繋がっているのかを、知らなかったとでも仰るのですかね?」
 岩崎の挑発とも取れる言葉に答える替わりに、イマヌェルは自分の側にいた第一レベル調整官トウラ・カーマインを睨み付けて言った。

「カーマイン。君は今でも何かを隠しているだろう?君は確かに第一レベルの責任者ではあるが、事は非常に重大だぞ。ガタナ氏の亡くなられ方の意味が、君には判っているはずだ。」
 イマヌェルは、この場に刑事がいる事も忘れる程の怒りに見舞われた。
 ・・・トウラ・カーマインは、自分の知らない事も知っていたはずだ。
 ・・・知っていて岩崎に対して、非協力的な態度をとり続けてきたのだ。
 カーマインの警察への怒りは、自分が感じていた警察への怒りとは、まったく別の理由から来ていた筈だ。

 岩崎は、二人のその様子から、イマヌェルという男とカーマインとの人間関係を嗅ぎ取った。
 イマヌェルは自制心が非常に強い人物らしく、更に世俗の馴れ合いを好まない質のようだった。
 それに昨日と違って、アッシュ・コーナンウェイ・ガタナの事故現場写真を見たせいか、この神経質そうな男は、今、岩崎に協力的に見えた。

「ソラリスに参加する者のプライバシーは完全に保障される。それは先の会議で判っただろう。あんたに提出された諸々のデータは特例中の特例だ。我々は感謝されても良いくらいだよ。どういう背景があるのか知らんが、今回の事件は、本来、一介の市警本部の刑事部長が取り扱える問題じゃないんだよ。」 
 カーマインは無表情に言った。

「その話は昨日で終わっている筈ですよ。どうしても納得いかないなら、貴方の力の及ぶ範囲で何処なりとも問い合わせをすればよい。私は、私の管轄で起こった殺人事件を調べているに過ぎない。そして、その上に超法規的な捜査活動を保証するジャッジメントシステムが被さってきた。これは事実だ。、、それに今日は私一人ではない。実はバタランの調査官数名が、昨日我々が会議をしている時間帯に派遣されていた。私の隣にいるのは、その内のおひと方だ。紹介しておこう。ミス、イスミン・コーナンウェイ・ガタナさん。言わなくても判るだろう?アッシュ氏の娘さんだ。」
 岩崎の隣に座っていたチョコレート色の肌をした女性が初めて口を開いた。

「調査に私情を挟むつもりはありませんから、ご心配なく。残りの者は今、この国の首脳達と今後の事について話し合っています。調査官といってもそういうレベルの人間達なのです。折角、経済面での提携が結べたのに、このような事が起こって残念な事です。彼らも事態の進捗を確認する為に、やがてここへやって来るでしょう。言っておきますが、私たちは、この国の政府機構を信用していません。唯一、信用できるものが有るとすれば、ミスター岩崎のような戦士だけですわ。」
 それを聞いてカーマインがあれこれと言いかけたが、イマヌェルが制した。
「これ以上の話し合いは時間の無駄だ。警部、早速、取りかかりましょう。隣の部屋で、具体的な接続方法を説明します。」


 それからの数分は、岩崎警部のために器材の説明に使われた。
 岩崎は良く順応し、覚えが良かった。

「貴方は良い生徒のように思える。レクチャーはこれでお仕舞いだ。本番はここでは行えない。私個人のダイバールームを提供する。これに付いて文句はありませんな?」
 イマヌェルは部屋にいるソラリスの職員と、イスミンとマーシュに念を押すように聞いた。
 接続はここではない別の場所でやると言う、これは岩崎も予想外だったようだ。
 しかし、この方針は、カーマインには不服だったようだ。
 イマヌェルの強い視線は、最後にカーマインへ注がれていた。

 第一調整官と第二調整官、名前だけを聞くと、カーマインの方がイマヌェルより立場が上のように聞こえるが、そうではないようだった。
 実際の接続内容を見ても、第一レベルは飛行機で言うとファーストクラス、第二レベルはビジネスクラスに該当し、サービス待遇は第一レベルの方が上だが、目的地には同じ時間と飛行距離で到着する。

「接続は、見崎、君に任せるというのが、上部の決定だ。逆らえはしまい。ただしその御仁が、プラグなしで旨く接続できるかどうか、第一調整官としては保障しかねるがね。失敗すれば後遺症もある事を頭に入れ直してもらわないとな。今の勢いじゃ、ソラリスが、又、その事でなんのかんのと文句を付けられそうだ。」
 カーマインが言わずもがなな事を不服そうに答える。
「君は黙って調整を手伝ってくれればいい。あの世界への案内人は私だ。」
 イマヌェルが再びカーマインを制した。
 岩崎警部はマーシュとイスミンに目で、これで行くと、合図を送っているようだった。




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