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最終章 竜来る

79: 夜明け、竜来る

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 その深夜、封鎖地区の全てのスード達は、西の外れにある、巨大な鏡のモノリスの前に集まっていた。
 彼らは、今や伝説となった初代闇ファイトの偉大なる英雄であり予言者たるミネルバが、密かに伝えた言葉に従ったのだ。
 限られた空間に生きるスード達に、圧迫感を与えないために考案されたお手軽な解決策であるモノリスの鏡面が、沈黙を守り続ける群衆を写し込んでいた。
 スード達の内、何人かはこのモノリスの向こう側に人間達の世界が広がっている事を知っている。

 それでも彼らが普段、このモノリスに近寄ろうとしないのには理由があった。
 厚さ一キロに及ぶこの鏡面のモノリスの内部には、スード達が無意識の内に入り込んでは、次の人生を繰り返すスリープ用の空間があったからだ。
 しかもスリープ体験ゼロの「始まりの人」は、このモノリスからやって来るのだ。
 このモノリスこそが、誕生と輪廻の始まる場所だった。
 従って彼らは、この壁を『再生の壁』と呼んで、無意識の内に聖域化していたのである。

 だが、今スード達は予言者ミネルバの言葉を信じ、この『再生の壁』の前に集まっている。
 ミネルバによれば、彼らを解放する者が、『再生の壁』の頂上に光臨する筈なのだ。
 その解放者は翼を持ち、生殖のシンボルたる女性のマスクを付けているという。

    ・・・・・・・・・

 薄暗い鏡面の壁の頂上に、人間界を照らす人工の朝日の光が漏れ、水平線となって横に広がり始める。
 その光景は、いつも一瞬の内に終わる。
 いつもであれば、この人間界の朝日のおこぼれは、その瞬間で終わり封鎖地区には再び長い夕暮れ時が引き続いて行く。
 だが今日、その水平の光は、いっこうに退こうとしなかった。

 誰かが叫んだ。
 声を上げたものは、光の水平線の一点を指さしている。
 皆が認めた。
 光の水平線の中に黒い点が生まれたのを。
 全てのスードが諸手を光の水平線にさしのべた。

 それが合図であったかのように、すべてのスード達に、ある受信のリアルチャクラが開いた。
 いつもは聞こえない『再生の壁』の向こうの側にある人間世界の生活の音や、封鎖地区内の稼働している工場の音に混じって、一つの言葉が彼らに鳴り響いていった。
 それは、母星の超古代の言葉で構成されていたのだが、スード達に取ってその事自体は重要な事ではなかった。
 その言葉は、螺子のリアルチャクラによって飛ばされ、全てのスード達の心に直接響きわたったからだ。
 そして、その言葉はすべてのスードの解放を約束したのだ。
 星を越えたその古代言語・噤を、訳せばこうなる。
 「血と汗と涙に、栄光あれ。」

 キャスパーと同じように、螺子もモノリスの頂上に座っていた。
 完全変態した身体は、スード達が見守る中で、元の人間体に戻していた。
 それが必要だと思ったからだ。
 そして『協力者たれ』の呪いを解かれたスードたちは、今もモノリスを見上げながら、次の指示を待っていた。
 その螺子の側にいた獏が言った。

「このまま仲間達をレヴィアタンに向かわせよう。キャスパーが仕掛けておいたプランが動き出して、仲間達をレブィアタンに迎え入れるだろう。それにヨーゼフ・ヴィルツがしでかした悪行が、今は逆に有利に働いている。虫になった豪族たちは、もう君なしでは人間には戻れないから、我々に肩入れしするしかないんだ。、、それでも多少の混乱はあるだろうが、それは仕方がない。」

 多少の混乱か、、、螺子はふとドナーの事を思い出した。
 ドナーは自分の事を、「外れくじのような人間」だと言った事がある。
 そして螺子は、レブァイアタンに来てからは、ずっと「特別なスードだ」と言われてきた。
 つまり自分は「当たりくじ」だという事だ。
 しかし色々な事が判明した今でも、螺子には、その差にどんな意味があるのか判らなかった。
 正直、重荷に感じた事もあった。
 結局、外れくじも、当たりくじも、くじである事には違いはないのだろう。
 要は、くじにどういう意味を持たせるかだけの問題だ。

「そうしよう。その事を今からみんなに伝える。」
 螺子が立ち上がった。
 その手には、歯噛みの剣が握られていた。
 蜂起の際には、その剣を空に突き上げるつもりでいた。

「いや待て螺子!あれは何だ?」
 『再生の壁』の頂上から、それは見えた。
 裁きの丘のある方向の空から、それは来た。
 最初は赤黒い点に過ぎなかったが、それはみるみる一匹の巨大な赤黒い竜の姿を表した。

「カパーナから潜り込んできたんだ。、、、でも、なぜ今なんだ?」
 螺子は呆然としている。

「誰か竜の背中に乗ってるぞ!、、、あいつ!コモンナンドの魔女だ!」
 獏がそう叫び声を上げる間に、赤黒い竜はその腹を見せて螺子達の上空で反転した。
 螺子の歯噛みの剣の柄が激しく震えている。
 螺子は急いで柄を握りしめた。

「駄目だ、わからん!こいつ、あの竜なのか?クソ!」
 反転した竜は一斉蜂起したスード達の方向に向かっていた。
 竜の背中に乗った魔女が一瞬、螺子たちを振り返ったように見えた。

「螺子!アイツは碧い水を飲む竜だ!君が出会ったあの竜とは違うぞ!今すぐ、あの竜を殺せ!」
 螺子達に訪れた最大級の危機を察知したのか、突如、ティンカーボールが姿を現し、叫ぶ様に言った。
 竜の口から一条の炎が真っ直ぐ、地上のスード達に吹き出されていた。

「させるか!」
 螺子が吠えた。
 螺子は再び完全変態を始めた。

    ・・・・・・・・・

 サーガ断崖の巫女が語るレヴァイアタン国興亡の長い物語は、ようやくその序章を閉じた。
 10人の聖者達は、これから現在に繋がる『人と竜とスードの歴史』を聞くこととなる。

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