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第6章 風と雲の色に聞け

50: 遠征軍の誤算

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 スード部隊が、ティムドガッドの外周、つまり『彼らが多くの死傷者を出して確保した場所、鉄蘇鉄の森の内側』に設置したビーコンは、自ら分裂増殖しながら、ティムドガッドの中心部まで進んだ。
 その報告を受けた暮神は、彼が持ち込んだ誘導ミサイル数発をビーコンに従って打ち込んだ。
 次に旗艦である超大型ランドクルザーを潰す積もりで、その運行用エネルギーの全てをつぎ込んだレーザーで鉄蘇鉄の森の五分の一を切り払った。
 勝利が目前なら帰還の為の戦力を放棄してでも、それをもぎ取るという暮神の決断だった。
 高出力のレザビームーが鉄蘇鉄を薙ぎ払ったその時、多くのレヴィアタンの兵士達は、森自体から大勢の人間の悲鳴が聞こえたと言う。

 この軍が帰投するためのエネルギーを、ティムドガッドへの侵入用に転用したのは、周囲の目には、暮神の背水の陣とも映ったが、彼自身は帰投するための物資をティムドガッドで調達する計画でおり、焦りの感情などは一切なかった。
 それを裏付けるかのように、軍がいざティムドガッドに侵攻すると予想されたティムドガッドからの抵抗は殆どなかった。
 誘導ミサイルの破壊力が彼らの戦闘意志を粉々に打ち砕いていたのだ。

 辛うじて抵抗と呼べるとするなら、王国の城を守るティムドガッド王の親衛隊によって、何十名かのレヴァイアタン兵士が、弓矢などの旧式武器で傷つけられたぐらいの事であろう。
 ティムドガッドの政体は、その文化文明レベルを巻き込んで、完全に中世以前に逆進化しており、防衛力もはなはだ乏しかった。
 この攻防で負傷した兵士達も、トレーシー社が参軍させた救急部隊に依ってそのほとんどが駐留中に回復している。

 ティムドガッドが、鉄蘇鉄の防壁を破られてから、簡単に落ちたのは、誘導ミサイルの威力以上に、抵抗するための『組織だった近代軍』といった形態がティムドガッドにはなかった事にもあった。
 暮神の知識によると、ティムドガッドは、母星の歴史の中でも、かなり古い時代にしか見られない王政形態を取っていたのだ。

 ティムドガッドの主産業は農耕であり、その生産資源は殆ど名前も判らぬ奇妙な生物・植物に頼っている。
 例えば荷役の牛馬に当たる生き物は、上半身が人間で下半身が馬、ケンタウロスと言えば聞こえは良いが、間近に見るにはかなりグロテスクな動物である。
 母星で起こったΩシャッフルの遺産は、ティムドガッドにおいて王政形態の下、『血と肉』の魔術と化していたのかも知れない。


 暮神は一週間で、ティムドガッドの城を奪取し、そこに駐留軍の本部を置いた。
 ティムドガッドの完全制圧の障害となったのは、王権との交渉を通じてのち、ティムドガッドの国民に新しい支配者を認めさせる事の難しさだった。

 ティムドガッドの国民は、自分の国の政治形態すら意識していなかったのである。
 つまりは、誰が自分達の支配者であるのか、彼らは日常生活の中で直接それを意識した事がほとんどなかったのだ。

 実質的に、そんな彼らをメンタル面で支配していたのは、ティムドガッド中心部のブリタゴの魔女や、それに代表される魔術、そう言った類の超自然に対する信仰だった。
 しかしそれでも、解放軍の兵士が武器を持って街を略奪するようになってからは、ようやくこの政治に無頓着な国民達も、彼らの世界に新しい強力な指導者が生まれた事に気付きはじめたようだった。

 ほぼ1ヶ月を経て、国内平定の手応えを得た暮神の次の課題は、戦いの最大の大儀名分である「スードの解放」だった。
 しかしここで暮神は、間の抜けた、しかも最大の窮地に追い込まれていた。
 この国には、解放すべき当のスードが、「存在していない」という事実だった。
 暮神は更に全兵士達を使って、ティムドガッド中を捜索させたがやはり結果は同じだった。

 暮神は駐留二カ月後、トレーシー社の救急部隊の顧問としてティムドガッドに入っていたヴィルツ博士を、渋々ながら宮廷に召還していた。
 ティムドガッドの人間が、ブリタゴと呼んでいる施設の責任者であるコモンナンド魔女と、同じ『スード関係の研究者』同志として話をさせるためである。

 ブリタゴと呼ばれる施設、、それに当てはまる適当な言葉がないために、暮神は密かに胸の中でブリタゴの事を、魔法技術管理局と呼んでいた。
 それは暮神がブリタゴの検分に訪れた時、その施設にあった医療設備とおぼしきものが、鍋や釜、精製度の悪いガラスを使ったフラスコや試験管の類のものだったからだ。
 しかもある鍋などは「生きている」ように見えたのである。
 そこはまさに魔法の世界だった。

 暮神は数週間前から部下の何人かの兵士に、コモンナンド魔女を尋問させていたのだが、はかばかしい結果は得られていなかった。
 「コモンナンド魔女の狂眼に見つめられると、人間は醜怪な動物に変えられる。」
 尋問に当たる兵士達は、そんなティムドガッド国民の噂話に恐れをなしていたからである。
 しかし、ティムドガッドにあってスードに関わる科学力を持つ施設はブリタゴにしかなかったし、そのブリタゴの中でもっとも知識をもつ者は、コモンナンド魔女しかいなかったのだ。

 コモンナンド魔女から、スードに関する何らかの情報を得る事は絶対条件だった。
 暮神自身が、直接強引な尋問をしても良かったが、彼らに従軍して暮神の一部始終を記録しているトキマの報道陣の手前、尋問形式を他のもの装ったとしても余り理不尽な事は出来ようもなかった。
 暮神は決して、自分が「汚れた英雄」になる積もりはなかったのだ。
 不祥事が起こったときは司令官である十川に全ての責任を取らせるつもりでいた。
 その為に、本部への急襲に備えるという名目で十川には本体兵力の半分以上を警護任務に振り替えてまで、十川を近くのファッツ寺院に退去させ、最前線での細かな情報が彼に上がるのを遮断したくらいだった。
 
 しかしティムドガッドのスード解放を中心になって謳ってきたのは十川でなく暮神だった。
 こればかりは誰の目にも明らかで、それに関する汚れ役を十川に回すのは不可能だった。
 そんなあれやこれやで暮神は、彼自身が毛嫌いしているヴィルツを利用せざるを得なかったのである。




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