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第5章 ティムドガッド侵攻へ

40: ドナーの変身と剣録の秘密

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 螺子は自分に宛がわれた部屋の床に結跏趺坐して、身中の新しいリアルチャクラを捜し求める作業に没頭していた。
 スードとして特別な存在と言われる自分自身を確認するためだった。
 その側をティンカーボールが、いかにも興味深げに飛び回っていた。

 特に新しいリアルチャクラの発見はなかったが、代わりに時折、スリープで消去されている筈の記憶が断片的に蘇ってくる事があった。
 その事をティンカーボールに言うと『グレーテルが君に最初にあった時、マスクにかけたまじないが効き始めているね。』とティンカーは初め答えたが、それはあくまできっかけであって、記憶が戻ってくるのは螺子自身の力だと追加した。

 螺子は自分でその現象を、スリープという壁を越えた記憶という意味で、ジャンプオーバーフラッシュバック、Jofb(ジョフ)と名付けていた。
 ただしそれは、何回目のスリープ以前のものかが判然としないもので、時系列の整理がつかない記憶のために、辻褄の合わない悪夢にもにた様相を帯びていた。

 ジョフに辿り着こうとする半睡状態の螺子の意識に、現実の悲鳴が突如、響いた。
 鵬香の部屋からだった。
 ティンカーボールは姿を消していた。
 螺子はその悲鳴に、ただならぬ気配を感じて鵬香の部屋に飛び込んでいった。
 鵬香の部屋の中央に、黒いドレスの女が痙攣しながら倒れ込んでおり、その側に鵬香が腕を押さえながらつったっていた。
 普段の鵬香なら、この時、既に適切な処置をやり終えていた筈だ。

「ドナーが大変!」
 床に倒れている女は女装したドナーだった。
 注意してみるとドナーのドレスの腹部は血でドス黒く染まっており、白く細長い手には注射器が握られていた。

「何をしてるんだ!すぐ救急車を呼ぶんだ!」
「駄目よ。ドナーはこんな格好なのよ。それに警察に連絡されて取り調べがあったらどうするの。貴方は良くても私は偽IDさえないのよ。今は暮神のご利益だってあやしいわ。」

 鵬香の脱走を防ぐ為か、あるいはそれがエイブラハムの歪んだ愛情表現なのか、鵬香には、普通マスターからスレイブに与えられる、偽のIDが与えられていなかったのだ。
 螺子は、取りあえずドナーをベッドに運んだ。
 その時に、鵬香を真似たものか栗色の長髪の鬘が取れて、ドナーの化粧が施された顔がむき出しになった。
 濃いファンデーションの上からでも判るほどドナーは血色が悪い。

「此処に来たときから、大量の出血が有ったみたい。私の血を自分に注入したら治るんだと言って、、。」
「それで、君は彼の言う通りにしたのか?俺達の血を人間に混ぜるなんて!」
 螺子が鵬香をきつく詰問した時、ベッドから弱々しい声がかかった。

「チャイナ。鵬香を責めないでくれ。これは僕が無理にやった事なんだ。それに僕はもうすぐ元気になる。自分で判るんだ、、。それが、、。」
 ドナーの身体の痙攣はますます激しくなっていったが、言葉自体は彼の言うとおり、しっかりしているようだった。
 ドナーの痙攣は、1時間後に止まり、彼の言葉はますます明確なものになっていった。
 しかし、ドナーの外見は酷いものに変化していた。
 皮膚の表面が赤剥けになった様に爛れだし、なおかつ全身が肥大しているように見えた。
 眼鏡を取ったドナーの女装姿が結構様になっていたため、その美醜の落差はかえって激しいものに感じられた。

「、、昨日家に僕宛の手紙が届いたんだ。差出人はツーケィ団の一人らしい。そこには僕の兄が殺された事件の真相が書かれてあった。手紙は2通だされていて、もう一通はトキマネットワークに送られているらしい。」
 螺子が初めて聞くドナーの大人びた口調だった。
 外界の丘で喋った時の口調とも少しちがった。
 ここにはアンジェラはいない。
 彼は仲間がいない時には、こんな風に喋れるのかも知れなかった。

「それが貴方のその行為と関係があるのですか?腹は自分で突き刺したんでしょう?」
「人間に絶望した。僕はスードになりたい。」

 ドナーが語った事実とは、おおよそこんなものであった。

 ドナーの兄ドウズ・ウィクションは防衛大の2年の休暇時に、同級生の暮神剣録と誘いあって辺境までヒッカーに出ている。
 ドナーと同じように、二つ上の兄のドウズも父親とそりが合わず、科学院を途中で辞め、改めて竜の卵の防衛専科入学をし直していたから、暮神と同学年、そういう形になっている。

 剣録とドウズ、二人とも若さゆえの無謀をやるギリギリの年齢だった。
 だがそれ自体は防衛大生に限らず大学生ならよくやる事で珍しくはない。
 旅の途中、剣録はドウズと分かれ、それぞれ単独行動をとって2週間後、辺境の町コルトハで落ち合う事になっていた。

 ドウズは長年の夢であるレブィアタンの西の外壁代わりになっているトラヤン山脈の麓をヒッカーしたあと、コルトハで剣録を待った。
 コルトハがレブィアタンの出島の様になっているのは、このトラヤン山脈のお陰だった。
 このコルトハでの滞在3日目、ドウズはツーケィ団に拿捕されている。

 「ドウズが隠れスードだ。」という内容の匿名の者からの密告があったのだ。
 当然ドウズは、無実を主張した。
 コルトハのツーケィ団は比較的穏健派であったので、ドウズのID照合を行ったそうである。
 しかし照合は合致せず、代わりにドウズのマスターと名乗る人物が現れたのである。
 このマスターの身元を調べる為のID照合は一致した。
 しかもID照合の結果、このマスターはかなりの実力を持つ人物である事が判った。

 そしてこのマスターが、己の元から逃亡したスレイブの処罰をツーケィに依頼したので、彼らはドウズを撲殺した。
 彼らは実力あるマスターを触法で告訴するより、スード殺しの快楽と、マスターから与えられる金を選んだのだ。
 5カ月後ツーケィ団が、彼らが撲殺したスードが人間であった事を知った時には、その通報者も、マスターもまったく架空の人物であることが判明した。

「その通報者とマスターが剣録様だと、、?」
「マスターの方は判らない、年格好が違うからね。でも君のしている様な精巧なマスクが作れるんだ。変装だったかも知れないし、剣録が誰かを使ったのかも知れない。通報者の方は間違いない。ツーケィ団の一人が念の為に写真の盗みどりをしている。手紙には、その写真が同封してあった。ヒッカーらしく、髭もじゃだが確かに剣録だった。」
「でも、どうして、今ごろになって?それに剣録様が貴方のお兄さんを陥れる理由が判らないわ。」
 鵬香が聞いた。

「ツーケィは、今度の戦争の名分がティムドガッドのスードの解放である事が我慢ならないんだよ。誰もが、そんなものは侵略戦争の為の飾りに過ぎない事を知っているのにね。それでも彼らは、この国のスード擁護の姿勢が嫌なんだ。それでヒューマンスード解放運動の中核である僕と、マスコミのトキマに手紙を寄越してきた。僕たちの運動の方の影響力は、あまり当てにしていないが、剣録のゴシップは今度の戦争の方向性を少しは変えるだろうと彼らは思っているのさ。、、、、剣禄が僕の兄貴をはめた理由は僕にも判らない。、、剣録と兄貴は僕が嫉妬するぐらい仲が良かったからね。」

「、、確かに剣録様は時代の寵児ですものね。聖剣を二本保持し、竜に会い、若くして、解放軍の副指令官に抜てきされた若きヒーロー。しかもその父は警察庁総監。その彼が、友人を陥れる薄汚いただの裏切り者だったら、、。」
 鵬香の声は暫く熱を帯びたが、それはすぐに萎んだ。

「無理ね、、。今や彼は、この国を二分する勢力の片一方の象徴なのよ。この問題が表面化するわけがない。」
 暫く黙ってドナーの様子を見ていた螺子が思いついたように言った。

「アンジェラ様を通して、エイブラハム氏に相談しよう。」
「無理よ。アンジェラは剣録の味方になるかも知れないし、エイブラハムだって本気で戦争反対の立場を取ってる訳じゃないのよ。彼はただ、。」

「違うよ、そっちじゃない。俺が言ってるのはドナーさんの事だよ。このままじゃほっとけないだろう。」
「駄目。エイブラハムは絶対に動いてくれないわ。あの人は、私が誰と寝ようと怒らないけど、私が血をドナーにあげたなんて事が判ったら私もドナーもどうなるか判らないわ。エイブラハムにとって女のスードは、モノに過ぎないのよ。私の血もエイブラハムのモノなのよ。モノを取れば泥棒だわ。」

 ドナーが赤く倍以上に腫れ上がった顔を歪めて泣きじゃくった。
 先ほどまでの落ちつきぶりが嘘のようだ。
 スードの血は、身体以外に人間の精神にも影響を及ぼすのかも知れない。

「いいんだ。僕の事は、ほおって置いてくれ。僕は人間なんかの手助けはいらない。僕はこのままスードになる。スードになれなければ、このまま死んでもいいんだ。」
「じゃ。俺が貴方のご両親に、この状況だけを連絡するようにします。事情はいずればれるでしょうが、自分のご子息の事だ。無茶はされないでしょう。それくらいの事ならアンジェラ様は手伝って下さる。」

「駄目だ!僕がどうしてこんな人間になったのか判っているのか?僕の家族は全員、科学院に関係してる。何かといえば出来の良い兄貴ばかりを引き合いにだして、彼らは僕を一度も愛して呉れなかった。その兄貴だって、両親に嫌気がさして、最後には軍に入った。それに僕が運動に入ってからは勘当同然の扱いなんだよ。僕は外れくじのような人間だ。そして彼らは科学院一家のくせに、科学院を現体制に高く売りつけようとしてる、ただの卑しい人間たちだ。」
 
 螺子と鵬香はお互いの顔を見合った。
 あれも駄目これも駄目、これではまるで駄々っ子と変わりない。
 しかし、鵬香の身体のラインは微妙に変化しはじめている。
 男の身体になって、ドナーを慰めようとしているのだ。
 螺子にはその心理がよく理解できた。
 螺子も意識では、この脆弱な心根を持つ青年に手を焼き始めていたが、心の奥深くにインプットされたものが、この青年を助けろと、強く彼に命ずるのだ。

「しかたがない。ヴィルツ博士に僕が直接頼んで見よう。博士なら何とかしてくれるだろう。」
 ヴィルツと言う名前を聞いた途端、先ほどまで死んでもいいと言っていた男が慌てふためいて言った。

「ヴィルツは駄目だ!絶対に駄目だ!鵬香、前にも教えただろう!隠蔽されたスード大量虐殺の事を!本当の事を言う!奴こそ、スード大量虐殺の絵を裏で描いた張本人なんだぞ!これは科学院の機密書庫で見つけた門外不出の秘密だ。僕がそれを知ってるのがヴィルツに知れたら、それこそ僕は奴に人間モルモットにされちまう!奴はとんでもない悪党なんだぞ!」
 鵬香の顔が青ざめた。
 恐怖ではない。
 完全な怒りの為だった。

「ヴィルツ!彼がそうだったのね。やっと見つけた、、。」
 絶句したまま、鵬香は螺子の手をしっかりと握りしめていた。



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