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第3章 大虐殺の日

22: 痩せたドワーフ

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 スプリガンはトレーシー家のスードに傷つけられた、疼くような腕の痛みに耐えていた。
 これならあの剣で肉の何処かをそぎ取らせて、その隙に攻撃をしかける戦法をとるべきだったと後悔した。
 多少の肉なら短時間で再生できるからだ。
 だがあのスードの爪で裂かれた肉はなかなか再生の様子を見せなかったのだ。

 最初は簡単な仕事だと思っていた。 
 それに自分の旧敵であるキャスパーの顔を久しぶりに近くで眺められると思うと、スプリガンはこの任務に期待さえしていたのだ。
 特に軍部の内乱を支援すると言うのではなくて、事が上手く運べばそれに乗るし、失敗しても局面の変化が加速される事は確かなので、張治晴と相談の上で、少し遊んでみようかという話になっていたのだ。

 張治晴は誰にも己の腹の内を読ませない。
 そういう男だった。
 人間はヒューマンスードを差別するが、スードとの距離が縮まると、逆にスードへの依存が生まれる。
 人間同士では開示しないような個人的な感情さえ、スードには無防備に見せる。

 理由は簡単で、人間はスードを人間と思っていないからだ。
 早い話が、愛犬家が自分の飼っている犬に愛情を注ぐのと同じだ。
 それが高じると、犬はその人間の家族以上の存在になる。
 犬は絶対に人間を裏切らないからだ。

 しかし張治晴はスードにさえ依存しない。
 彼は絶対的に孤独なのだ。
 そしてスプリガンはそんな張治晴が自分のマスターであって良かったと感じている。
 おそらくそれは、二人がマスターとスレイブの関係以前に、似たもの同士だからだ。

 スプリガンのリングネームをこの人間世界で引き継ぐことを、定着させたのは張治晴だった。
 スプリガンの名は、闇ファイトの際に被っていたマスクのデザインからも来ているが、彼が自らもそう名乗ったのは、スプリガンという妖精が妖精界の宝を守る存在だったからだ。

 スプリガンは母星の地球で伝えられた妖精だ。
 古代の砦や人里離れた田舎の家に住み、そこで財宝を守っているとされている。
 宝の埋蔵地の管理者であり、非常に醜く狂暴だが、他の妖精の護衛役も勤めたりもする。
 普段は小柄な姿だが、体の大きさを自由に変えることができ、戦う時には巨大化して巨人となることができる。
 スプリガンもそれに似たリアルチャクラを持っているが、彼の主なチャクラはキャスパーと同様に『慧眼』だった。

 スプリガンが守りたかった妖精界の宝は、闇ファイトの初代チャンピオン・ミネルバが持っていた。
 スードの自立と誇りを唱えるミネルバは、スード達にとって輝く希望の星だった。
 もしミネルバが、あの時、ヒューマンスードの独立の旗を高く掲げれば、スード達はそれに従っただろうと思う。
 いや少なくともスプリガンは従った。

 そしてそのミネルバが、トレーシー家のキャスパーの前身だった。
 ミネルバが、人間からスレイブとして買い取られた時、スプリガンは酷くミネルバを憎んだ。
 ミネルバ程のチャンピオンなら、人間の買取など撥ね付けられる筈だったからだ。
 それが何故か、スレイブとなって人間界に去ってしまった。

 この時、スプリガンは妖精界の宝とは、人ではなく、思想や志そのものである事に気づいた。
 スレイブになる前のミネルバの辿った道筋を追いかけて行けば、自分にもその宝が見え、今度こそ自分がその宝を守るのだと誓い、自ら闇ファイトに身を投じた。
 だが結局、スプリガンは宝を守る醜い怪物であっても、彼自身が、光り輝く宝にはなれなかったのである。

 闇ファイトに勝利した時、スプリガンは路上で吠えた。
 観衆の熱気に包まれてスードの独立を歌った。
 『我々は地上の誰よりも強い。なのになぜこんなゴミためのような世界で這い蹲っている!?』
 これを聞いて観衆の熱が一気に冷えた。
 この時、スード達は既にミネルバの裏切りを知っていたからだ。
 ・・・スプリガンは、打ちひしがれた。
 結果、スプリガンは2代目のチャンピオンになれたにも関わらず、ミネルバと同じく人間に買い取られる事になったのである。

「しかし軍は見事にやられたものだな。」
「しかたがないかも知れませんね。彼らは、人間との戦闘経験が浅すぎます。外界で虫を追い散らかしているのとはわけが違う。今回は、味見だと仰った張様の考えが正しかったと言うことですね。それに一応、軍には恩が売れました。」

「お前のお陰だよ。あのバーティ会場で、私を軍から守りながら、軍の味方をするという離れ業は、普通のスードでは出来ん。」
「そうでもありませんよ。軍を壊滅させたのはトレーシー家のたった二人のスードですよ。」

「あのチャイナレディとキャスパーか?」
「いえキャスパーは、途中から戦線を離脱しています。チャィナレディと私がまだ顔を知らないスードです。」

「キャスパーが離脱?あの危機的な場面で、エイブラハム・トレーシーをほっておいてか?信じられんな。」
「私と同じですよ。私はあの会場を襲撃しながら、同時に張様に危険が及ばないように見守っていた。闇ファイトに優勝するレベルのスードなら、それくらいの事は出来ます。」

「ではキャスパーは、あの時、トレーシー以外の一体何を見ていたというんだ?」
「おそらくは、あの会場に仕掛けられた陰謀の全体像を戦いの中から読みとろうとしていたのでしょうね。」

「ふん、では私が今回の騒動に関わっている事もお見通しと言うことかな。」
「戦況を分析すれば、色々なものが見えます。私は張様に銃口を向けた軍の人間の行動を一度邪魔をしています。あの様子と、その後の私の戦い振りをキャスパーが何処かで観察していたらなら、容易にその結論に辿り着くでしょう。で、これから張様はどうされます?」

「どうもこうもせんさ。今まで通りだ。トレーシーも今回の事で反応するような馬鹿ではあるまい。」
「ですね。正しいご判断だと思います。」
 スプリガンはそう慎ましく主に答えた。



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