4 / 79
第1章 彼らの世界
04: 父の思惑
しおりを挟む「このスードの若者は何処までやるかな?おう、やはりボクシングスタイルから始めるか。」
娘に語りかけたつもりだが、独り言に近い。
エイブラハムの声がつまらなそうに響いた。
どうせこの娘は父親の言葉など聞きはしない。とエイブラハムは思った。
だがスカジィは、被投薬者の通常意識を奪ったりはしない。
快感をよぶ感覚や情動を拡大し維続するだけである。
従って、エイブラハムの言葉のニュアンスをアンジェラは頭の片隅でよく理解していた。
自分の父親は、このチャンピオンが、役不足の相手にスード達が言うリアルチャクラを使わないだろうと考えて、それを不服に思っているのだ、と。
リアルチャクラの完全発動は、人間の外見の変形を伴う。
アンジェラは、ヒューマンスード達のグロテスクな変身など見たくなかったし、チャイナレディの美しい姿を何時までも観戦していたいと思っていた。
今、チャンピオンとチャイナレディは、お互いボクシングスタイルを取りながら、ジャブの応酬で相手の力量を推し量っているところだった。
相手のマスクを剥すには、どうしても接近戦に持ち込まねばならないが、その時は自分のリアルチャクラを爆発させるなりして、相手を圧勝しなければならない。
今彼らは、その決着の時に向かうセレモニーを行っているのだ。
チャイナレディの黄褐色の肌の表面に珠のような汗が浮かび始め、チャンピオンの拳の軽い打撃が当たる度に、その振動の為に汗が弾けて飛び散る。
アンジェラはそれを拡張された感覚でスローモーション映像を見るように恍惚感に浸りながら見つめていた。
「もうすぐチャンプの不安定因子が発火する。今夜、彼を買い取るのが正解だろうな。6回チャンピオンを続けているんだ。いくら人気がなくても、競りに掛かかればとかく面倒だ。」
エイブラハムが言う、面倒というのは金の事ではない、表向き人間社会ではスードを買い付けることが、出来ない事になっている。
買い取れるのが、前提のチャンプには、興業主を仲買にして綺麗な取引が行われる筈だが、それ意外の場合や、買取のタイミングを逃すと、そのスードに、突然親戚と名乗る者が現れたりして、横から法外な金や、誰それを一緒にレヴァイアタンへ連れて行け等という、面倒な条件をふっかけられたりする。
スードである彼らが、人間に強気にでれるのは、買い取り行為が人間社会では違法行為である事を知っているからだ。
スード達も、なんとか這い上がろうと必死なのだ。
エイブラハムがチャンピオンのリアルチャクラ発動を断定的に予言したのには、理由がある。
チャンピオンには、挑戦者に対して相手の力量をはかるため5分以内の観察タイムが許されている。
しかし観察タイムを5分を過ぎても、積極的な攻撃にでなければ、戦闘意欲なしと見なされて、自動的にチャンピオンの資格を剥奪されてしまうのだ。
闇ファイトのチャンピオンとは、しぶとく戦いに勝ち残った者のことだけを言うのではない。
いかに「見世物」を、長く演じ続けられるかも含まれていたのだ。
その5分が迫りつつある。だが意外な事に、女性の顔のマスクを付けた挑戦者が善戦を続けているのだ。
アンジェラはスカジィの為に、試合が長く続いているように感じられているが、実質は5分を経過しつつあった。
アンジェラも焦り始めていた。
もし、父親のエイブラハムがチャンピオンを今夜買い取るなら、それは当然、アンジェラへの誕生祝いという形を取る筈だった。
一人前の豪族の子弟は、いずれ自分専用のスードを持つ、それが彼ら豪族達の暗黙のルールだったからだ。
トレーシー家の跡取りは、アンジェラ一人しかいない。
ここでスードを手に入れて、今度の豪族たちのパーティでそれをお披露目する。
つまり、それをもって正式に彼女は、豪族界にデビューするということだった。
それが、スード居住地区に訪れる前の、父親の勝手な押しつけの約束だった。
どの道、ヒューマンスード等押しつけられても、アンジェラはそれを相手にするつもりはなかったが、同じ押しつけられるなら、チャイナレディの方がまだましだと彼女は思い始めていた。
ただし、敗者になったチャイナレディを希望するためには、それ相応の理由を上げなければならない。
それが自分の性の嗜好に由縁するなど、この父には口が裂けても言えないと、アンジェラは考えていた。
「よし。組み合った。始めは力勝負だ。」
リング上では、お互いの指をガギッと組み合わせながら、腰を引いて力比べを始めた二人の男達がいる。
チャイナレディの背中に、思いがけない程大きな筋肉の束が隆起した。
彼の筋肉の隆起は、彼女がいる世界では決して見られない種類の優雅さを持っていた。
そしてその背中の上にあるチャイナレディのマスクに埋め込まれたうなじが恐ろしく官能的に見えた。
その瞬間、アンジェラは、何としてでも今夜、このヒューマンスードを手にいれようと決心した。
おそらくこのスードを逃しては、自分の好みに合うスードなど二度と出てこないだろうと思ったのだ。
仮設リングを取り囲む観客達の濁ったどよめきが、螺子の背中を打った。
嘲笑と羨望、見てはならぬ秘密を覗こうとする好奇心、リングに上がりスードの誇りを捨て去ろうとする者への蔑み。
ファイターのリアルチャクラが爆発する時には何時も、スードの観客達の心には、これらの気持ちが働く。
蜥蜴マスク男の握力と手首のスナップが高まってくる。
今までセーブされていた力を開放するといった類の、高まり具合ではない。
無段階に、人間の常識的な握力を遥かに超えて、その力は無制限に伸びて行くのだ。
螺子の目前に迫ったチャンピオンの蜥蜴マスクには、開口部が、鼻孔と口に薄いスリットしかなく、その為、マスク内部に隠された表情は何一つとして読み取れない。
しかしその薄いスリットの奥からチッという、苛立たしげな舌打ちの音が聞こえた。
予想に反して螺子が、チャンピオンの力の開放に屈しそうになかったからだ。
普通の相手なら、この時点でマットに膝を付いている。
マスクを螺子から引き剥す為には、組み込んだ両手のいずれかを離さなくてはならない。
そしてその後の戦いを有利に展開するためには、リアルチャクラによるスピード加速が必要だった。
このチャンピオンには、変態をせずに自分の動きを加速するスピードのリアルチャクラはなかった。
程度には個人差があるものの、スードが自分の深い階層のリアルチャクラを発火させるためには、人間の外見を捨てさらなければならない。
つまり彼らヒューマンスードは、超人化の度合いを高めようとすると変態が起こるのだ。
何故、そうなるのか?
人間とヒューマンスードの差別化の為だと言う説が優勢だが本当の理由は誰にも判らない。
兎に角、チャンピオンは、観客に己の変態をさらさなければならない羽目に陥っていた。
今までの相手には、その手前で勝ち続けてきたのにだ。
しかもチャンピョンが次ぎにやろうとするそれは、勝利を確定するために一気呵成にやる、攻めの変態ではないのだ。
見るモノが見れば、チャンピオンが窮して、変態に追い込まれた事は判る筈だった。
スード達には、仲間に変態を見せる事を恥とする本質がある。
人間なら決して変身はしないからだ。
そして彼らスードは、自分達の事を、誇りを持って「元は人間」だったと信じ込んでいたのだ。
0
お気に入りに追加
90
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
大器晩成エンチャンター~Sランク冒険者パーティから追放されてしまったが、追放後の成長度合いが凄くて世界最強になる
遠野紫
ファンタジー
「な、なんでだよ……今まで一緒に頑張って来たろ……?」
「頑張って来たのは俺たちだよ……お前はお荷物だ。サザン、お前にはパーティから抜けてもらう」
S級冒険者パーティのエンチャンターであるサザンは或る時、パーティリーダーから追放を言い渡されてしまう。
村の仲良し四人で結成したパーティだったが、サザンだけはなぜか実力が伸びなかったのだ。他のメンバーに追いつくために日々努力を重ねたサザンだったが結局報われることは無く追放されてしまった。
しかしサザンはレアスキル『大器晩成』を持っていたため、ある時突然その強さが解放されたのだった。
とてつもない成長率を手にしたサザンの最強エンチャンターへの道が今始まる。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
英雄召喚〜帝国貴族の異世界統一戦記〜
駄作ハル
ファンタジー
異世界の大貴族レオ=ウィルフリードとして転生した平凡サラリーマン。
しかし、待っていたのは平和な日常などではなかった。急速な領土拡大を目論む帝国の貴族としての日々は、戦いの連続であった───
そんなレオに与えられたスキル『英雄召喚』。それは現世で英雄と呼ばれる人々を呼び出す能力。『鬼の副長』土方歳三、『臥龍』所轄孔明、『空の魔王』ハンス=ウルリッヒ・ルーデル、『革命の申し子』ナポレオン・ボナパルト、『万能人』レオナルド・ダ・ヴィンチ。
前世からの知識と英雄たちの逸話にまつわる能力を使い、大切な人を守るべく争いにまみれた異世界に平和をもたらす為の戦いが幕を開ける!
完結まで毎日投稿!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
俺だけレベルアップできる件~ゴミスキル【上昇】のせいで実家を追放されたが、レベルアップできる俺は世界最強に。今更土下座したところでもう遅い〜
平山和人
ファンタジー
賢者の一族に産まれたカイトは幼いころから神童と呼ばれ、周囲の期待を一心に集めていたが、15歳の成人の儀で【上昇】というスキルを授けられた。
『物質を少しだけ浮かせる』だけのゴミスキルだと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
途方にくれるカイトは偶然、【上昇】の真の力に気づく。それは産まれた時から決まり、不変であるレベルを上げることができるスキルであったのだ。
この世界で唯一、レベルアップできるようになったカイトは、モンスターを倒し、ステータスを上げていく。
その結果、カイトは世界中に名を轟かす世界最強の冒険者となった。
一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトを追放したことを後悔するのであった。
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさん
ファンタジー
パーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる