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【 旅と温泉グルメ しゃぶれどもしゃぶれども(近畿編) 】
20: 京都 福知山 大江山酒呑童子とWeb小説あれこれ
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お仕事が折角お休みでも、あいにくの雨、しかも風邪気味、それでも温泉に行ってしまうアンであった(笑)。
体力的・精神的に距離が稼げないので、近距離という事で今回は福知山温泉がターゲット。
中国自動車道や舞鶴若狭自動車道があるので、大阪からのアクセスは苦労知らず。
ほんとなら、もう少し足を伸ばさないと、福知山だけでは「観光」としては頼りない。
福知山には、大江山の酒呑童子伝説があるけど、実際の大江山アミューズメントは、「鬼」のイメージに反して健全で健康的、遊んであげるよと観光用にチューニングされた「鬼」が待ってるワケじゃない。
・・・でも、温泉一本に絞ったら、福知山onlyでも問題なし。
ここの温泉は日帰り専門なんだだけど、どうやらその前身が旅館だったらしく、建物の造りも純日本風の庭園があったり、なかなかいい感じだ。
玄関の手のかかった植木は、モミジで紅葉の時期には古風な建物とマッチして相当味わい深いものだろうと思う。
残念ながら今日は、「緑濃いモミジ」だったけれど。
この温泉、庭園などの景観が売りで、露天風呂から見える景色も、裏山の緩やかな斜面の草木に手を入れ、その美観を上手く利用している。
アンは裏山の斜面に一番近い檜風呂(檜は温泉浴槽の王様です)につかりながら、斜面から血だらけの死体が転がり落ちてくる所から始まる小説のストーリーなんかを考えていた。
勿論、そんなTVのミステリーの脚本じみたのは、書くつもりもなければ能力もない。
まあ、頭のお遊びみたいなものだ。
脚本用に、何時もつかみになるような事件の発端を考えたり、果ては登場する主人公や俳優の為に、そつのない人間ドラマを話に組み入れたりと、そういうのを職業にしている人は、本当に大変だろうなと思う。
その点、Web小説は自分の書きたい部分だけで、勝負が可能だから気楽なものだ。
Webでは、自分の書きたい物を書いて、読者は自分の読みたい物だけを、読む。
ただし、この需要と供給のバランスは難しく、需要0供給100なんて事も、ザラだろう(笑)。
Web流してたら、女装子さんが運営している有料小説サイトにでくわした。
彼女も自分のサイトが、有料コンテンツである事について、随分気にしているようで、その理由を面々と書き連ねていた。
無料なら何人かは誰かが書いた作品を読む可能性があるだろう、けれど全くの無名の人の作品を、サンプルもない状態で、お金を出してまで読む人がいるのだろうか?
0だとすると、時間と全てをそそぎ込んだ自分の作品の対価としてお金を求めても、それ自体が全く読まれないという事態も起こりうるわけだ。
第一、人に読まれない小説に、どういう存在理由があるのかと。
まず自分が書いた作品の最初の読者は、自分自身だから、それで読者が一人確保できる。
でもやっぱり、最低限あと一人は欲しい(笑)。
アンは、無料という形も含めて、Web小説は、今までとは違った文字表現を生み出す可能性があると考えている。
けれどWeb小説が、「おやすい代替え小説」であればいいと思っている訳ではない。
そういう意味で考えると、料金制っていうのも一つの条件にはなりうるのかな、、などと、身体が浮きそうになるほどの空気圧の高いジェットバスに入って考えてみるのであった(笑)。
温泉につかりながら、Web小説についてぼんやりと思いを巡らせていられるなんて、考えてみれば贅沢な話である。
そんなアンの様子を、露天風呂庭園の置物であるびりけん様が笑っている。
ここのびりけん様は、緑の苔でびっしり覆われた石像だ。
本物の子どもぐらいの大きさがある。
でもよく見ると、その姿形が「奇形」であることが判る。
古代神話では、奇形の中に一種の神聖を見て取っている部分があると思う。
「奇形」が、ただただ忌み嫌われ、排除すべき形態としか見なされなくなったのは、近代になってからではないかという気がする。
つまり人間が制御できない部分で起こる事象を、近代人は一片たりとも許容出来なくなって来ていたのだ。
そうやって、人は何かを捨て、何かを身に付けて来たわけだが、どうやらとうとうその取捨選択が、本当の所どうだったのかを問われ始めている時代になったようだ。
これは、小説も同じ。
石版文字から紙媒体への技術進歩によって「物語」の質が変わり、今、IT革命によって更に、「物語」が変容し始めている。
第一、便所の落書きの文字すら、FEPに掛ければ立派に流通するのだから。
(ちなみにアンは「便所の落書き」だって、止揚こそされていないが人間の原始的な情念発露だと思ってる。)
ふと見上げると浴室の壁に、こんなプレートが、、「浴場内で毛染め絶対禁止」えっ、フツー、家か美容院でやるでしょうが、、だってここ日帰り観光温泉だよー。
○×△、、って感じで、洗い場の椅子に腰を下ろしたら、これがまた妙に、お仕事用のものに近い形状をしていて、気分的にそわそわしてしまうのであった。
そしてそんな気分へ追い打ちをかけるように、隣の椅子の上には、流れ損ねた黒々とした陰毛が一本。
そうそう、天の岩戸を開けたのは、ストリップティーズだったとか(笑)。
帰りは少し元気を取り戻し、近畿一の広さを誇るコスモス畑に立ち寄った。
あいにくの雨模様だったけど、雨に薄く打たれけぶるコスモスもなかなか綺麗なものです。
秋の空 女心に 例えられ
雨降り止まぬ コスモス畑
(※ 文章中のWeb小説に関しての考察は、かなり前のもので、今はもう少しひねた考え方をしています。その点については書いていくと切りがありませんので。ここはこれにて。)
体力的・精神的に距離が稼げないので、近距離という事で今回は福知山温泉がターゲット。
中国自動車道や舞鶴若狭自動車道があるので、大阪からのアクセスは苦労知らず。
ほんとなら、もう少し足を伸ばさないと、福知山だけでは「観光」としては頼りない。
福知山には、大江山の酒呑童子伝説があるけど、実際の大江山アミューズメントは、「鬼」のイメージに反して健全で健康的、遊んであげるよと観光用にチューニングされた「鬼」が待ってるワケじゃない。
・・・でも、温泉一本に絞ったら、福知山onlyでも問題なし。
ここの温泉は日帰り専門なんだだけど、どうやらその前身が旅館だったらしく、建物の造りも純日本風の庭園があったり、なかなかいい感じだ。
玄関の手のかかった植木は、モミジで紅葉の時期には古風な建物とマッチして相当味わい深いものだろうと思う。
残念ながら今日は、「緑濃いモミジ」だったけれど。
この温泉、庭園などの景観が売りで、露天風呂から見える景色も、裏山の緩やかな斜面の草木に手を入れ、その美観を上手く利用している。
アンは裏山の斜面に一番近い檜風呂(檜は温泉浴槽の王様です)につかりながら、斜面から血だらけの死体が転がり落ちてくる所から始まる小説のストーリーなんかを考えていた。
勿論、そんなTVのミステリーの脚本じみたのは、書くつもりもなければ能力もない。
まあ、頭のお遊びみたいなものだ。
脚本用に、何時もつかみになるような事件の発端を考えたり、果ては登場する主人公や俳優の為に、そつのない人間ドラマを話に組み入れたりと、そういうのを職業にしている人は、本当に大変だろうなと思う。
その点、Web小説は自分の書きたい部分だけで、勝負が可能だから気楽なものだ。
Webでは、自分の書きたい物を書いて、読者は自分の読みたい物だけを、読む。
ただし、この需要と供給のバランスは難しく、需要0供給100なんて事も、ザラだろう(笑)。
Web流してたら、女装子さんが運営している有料小説サイトにでくわした。
彼女も自分のサイトが、有料コンテンツである事について、随分気にしているようで、その理由を面々と書き連ねていた。
無料なら何人かは誰かが書いた作品を読む可能性があるだろう、けれど全くの無名の人の作品を、サンプルもない状態で、お金を出してまで読む人がいるのだろうか?
0だとすると、時間と全てをそそぎ込んだ自分の作品の対価としてお金を求めても、それ自体が全く読まれないという事態も起こりうるわけだ。
第一、人に読まれない小説に、どういう存在理由があるのかと。
まず自分が書いた作品の最初の読者は、自分自身だから、それで読者が一人確保できる。
でもやっぱり、最低限あと一人は欲しい(笑)。
アンは、無料という形も含めて、Web小説は、今までとは違った文字表現を生み出す可能性があると考えている。
けれどWeb小説が、「おやすい代替え小説」であればいいと思っている訳ではない。
そういう意味で考えると、料金制っていうのも一つの条件にはなりうるのかな、、などと、身体が浮きそうになるほどの空気圧の高いジェットバスに入って考えてみるのであった(笑)。
温泉につかりながら、Web小説についてぼんやりと思いを巡らせていられるなんて、考えてみれば贅沢な話である。
そんなアンの様子を、露天風呂庭園の置物であるびりけん様が笑っている。
ここのびりけん様は、緑の苔でびっしり覆われた石像だ。
本物の子どもぐらいの大きさがある。
でもよく見ると、その姿形が「奇形」であることが判る。
古代神話では、奇形の中に一種の神聖を見て取っている部分があると思う。
「奇形」が、ただただ忌み嫌われ、排除すべき形態としか見なされなくなったのは、近代になってからではないかという気がする。
つまり人間が制御できない部分で起こる事象を、近代人は一片たりとも許容出来なくなって来ていたのだ。
そうやって、人は何かを捨て、何かを身に付けて来たわけだが、どうやらとうとうその取捨選択が、本当の所どうだったのかを問われ始めている時代になったようだ。
これは、小説も同じ。
石版文字から紙媒体への技術進歩によって「物語」の質が変わり、今、IT革命によって更に、「物語」が変容し始めている。
第一、便所の落書きの文字すら、FEPに掛ければ立派に流通するのだから。
(ちなみにアンは「便所の落書き」だって、止揚こそされていないが人間の原始的な情念発露だと思ってる。)
ふと見上げると浴室の壁に、こんなプレートが、、「浴場内で毛染め絶対禁止」えっ、フツー、家か美容院でやるでしょうが、、だってここ日帰り観光温泉だよー。
○×△、、って感じで、洗い場の椅子に腰を下ろしたら、これがまた妙に、お仕事用のものに近い形状をしていて、気分的にそわそわしてしまうのであった。
そしてそんな気分へ追い打ちをかけるように、隣の椅子の上には、流れ損ねた黒々とした陰毛が一本。
そうそう、天の岩戸を開けたのは、ストリップティーズだったとか(笑)。
帰りは少し元気を取り戻し、近畿一の広さを誇るコスモス畑に立ち寄った。
あいにくの雨模様だったけど、雨に薄く打たれけぶるコスモスもなかなか綺麗なものです。
秋の空 女心に 例えられ
雨降り止まぬ コスモス畑
(※ 文章中のWeb小説に関しての考察は、かなり前のもので、今はもう少しひねた考え方をしています。その点については書いていくと切りがありませんので。ここはこれにて。)
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