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【 東南アジアの旅 】
18: 再びのバリ ④ バリ人VSジャワ人(後編)
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前回のバリ旅行では訪れる事の出来なかったブサキ寺院にどうしても行きたいという思いがあって、それを叶えるために、今度の旅行がありました。
バリとアンを引き合わせてくれたのは、お亡くなりになった中島らもさんの「水に似た感情」で、この小説の中に登場する山の天辺のお寺が、心の中でずっと引っかかっていたのです。
実際の所、それがブサキ寺院なのかどうかは判らないのですが、少なくともアンの頭の中では、そのお寺が今日これから行くブサキ寺院なのです。
このオプショナルツアーのガイドさんは、アン達を一番最初に空港からホテルに送り届けてくれた人物でした。
名前を「一人っ子」と言います。
一番最初の自己紹介の時に弾みで、自分は一人っ子なのでという言葉がぽろりと出た時点で、アン達は彼の事を「一人っ子」君と呼ぶ事にしていました。
国は違っても「一人っ子」というのは、何となく独自の雰囲気があるようです。
しっかりしているように見えて、甘えたで、気が回るように見えて、気が回らない。
それはたぶん、親から可愛がれれているぶん、兄弟という同世代の人間との切磋琢磨より、親という大人との兼ね合いの方をより濃厚に訓練付けられた人間の宿命なのだろうと思います。
ブサキへの道のりは、前回のバリ旅行で想像していたよりも、ずっと短かいものでした。
他の観光地とのセットで組めば結構ハードなスケジュールなのでしょうが、ブサキ一本なら朝からでかければ、ヌサ地区からでも、かなり余裕のある行程のようです。
先のエッセイに書いていますが、アタ製のバリ駕籠を製造販売しているアシタバ本店だとか、ウブドの芸術村に立ち寄っていける程なのです。
その道中、相方が一人っ子君に、ジャワのツアーガイドだった「なぜならば」君の名前を出して、彼が君の事を知っていたよと話しかけたら、一人っ子君は鼻で笑っていました。
「確かに知り合いだけど、その名前、ジャワ人なら5人に3人はそうだよ。」とまあそんな感じです。
「あれをご覧、バリで土方みたいな仕事をしてるのは、殆どがジャワ人なんだ。バリ人は、そんな仕事はしない。バリの多くの人々は、観光業か、これから行くウブドなんかにみられるような、ブラブラ人なのさ。」
一人っ子君は笑いながら、アン達のワゴンと平行して走るトラックの荷台に鈴なりになっている労務者風の人々を指してそう言いました。
物腰自体には、全然悪意が感じられないのに、何故か相手を「切って」しまう。
一人っ子君は、そういう人物なのかも知れません。
そしてこの日アンは、バリで初めて交通事故を目撃しました。
事故を起こして、道路にへたっり込んでいるのは、おじちゃんオートバイライダーでした。
なんだか、その姿さえ、痛々しさがなくてユーモラスなのはさすがバリです。
誤解を生じるかも知れませんが、この事故をみて、アンは少し嬉しかったです。
だって、あんな無茶な走り方を続けるオートバイが、事故を起こさないというのは、どこか変だと思っていたからです。
(この感覚は、バリに行かれた方なら共感して貰えると思えますが)
更に、そこから800メートルほど進んだ頃、今度はひき殺された野良犬の死骸を見つけました。
これも不謹慎ながらホッとしました。
だってこれもオートバイと同じで、島じゅうにいる野良犬が、人や車に対してなんの警戒心ももっていないので、いつか車にひかれて当然なのに、そんな場面にまったく出会ったことが全然なかったからです。
ちなみにバリでは、都心部から離れるとオートバイには、制限時速がかせられないし、乗員員数は4人までOKなのだそうです。
一人っ子君は、バリの交通事情について、嬉しそうにこう言いいます。
「こんなに見えても交通事故はないんだよ。」
・・だってアンは、その交通事故を、さっき見ちゃったもん。
「でも、あそこでおじいさんが、警官に捕まってるよ」と、目敏い相方は、一人っ子君へ反証するように言います。
「ああ、あれはね、ヘルメットの紐を締めていなかったんだよ。日本円で言うと1000円ぐらいの罰金だよ。」
「えーっ、日本円で1000円って、おじいさん、可哀想、、。」
確かに、あんな無茶な運転をする人々が、全員ヘルメットを付けて顎ひもをしっかり閉めているのも七不思議の一つでした。
バリっ子と混じって、道をブイブイオートバイで走っている不良外国人どもでさえそうなんですよ。
他がアレなのに、、、おそるべし、バリルール(笑)。
渋滞時に、群がり寄ってくる新聞売りの存在とか、とにかくバリの交通事情は、話のネタが満載なんですけど、次に進めないので、この辺でおいておきます。
ウブドの芸術村では、おちんちんのさきっちょが、蓮の茎と葉っぱになった不思議な絵と、墨で細密画を描いている柳楽優弥(昔の)君みたいな、少年を発見しまた。
特に、上半身裸で絵を描いている少年の姿は、眼福ものでしたよん。
芸術村を通過して、マイクロバスはどんどん高度を上げていきます。
途中、ライステラスが見渡せるレストランで、今ではすっかり食べ飽きたバリ料理と、一人っ子君お勧めのバナナフライを食べて、いよいよ、ワゴンはブサキ寺院へ。
「これからブサキ寺院に行くけど、あそこのおばさん達は結構うるさいからね。気を付けること。サルーンを買えとか言って来るけど、レンタルで済ませるから、買っちゃだめだよ。それに子どもの写真は撮らない、お金をせびられるからね。子どもが花を付けてやろうって言って来てもだめ、同じ理由。」
これにはちょっと吃驚しました。
ジャワの「なぜならば」君は、こんな注意は一切しなかったし、アン達に群がり寄ってくる物売り達には、一切見て見ぬ振りをしていたからです。
ワゴンが駐車場についた途端、子ども達がわらわらとやってきて、その時、二度目の驚きが待っていました。
アン達に注意をしてくれた一人っ子君が、その集まって来た子ども達を笑顔で迎え入れたのです。
勿論、サルーンはアン達の分をレンタルしてくれて、おばさんたちとのトラブルを排除してくれた上での事です。
どうも、この一人っ子君は、かなりの子ども好きらしいです。
相方はこの発見で随分、この一人っ子君を気に入ったようです。
確かに、ブサキ寺院のガイドにしたって、これが「なぜならば」君なら、その歴史から世界観まで熱く語ったに違いないのですが、一人っ子君は、要所しか喋らず、世間話の比重の方がずっと高かったんですよね。
見かけに、よらず、人間そのものが好きなのかも。
ちなみに一人っ子君の顔は、若き日の森田健作をおもっきり黒くして丸め、目鼻立ちを濃くしたような顔をしています。
ブサキ寺院は良かったですよ。
「良かった。」としか言いようがない。
言葉で説明したって、実物からは遠くなっていくだけだから、ここでは書きません。
たぶん良く撮れたブサキ寺院の写真を見ても、本物は、伝わらないだろうと思います。
普段、観光地に行っても、「風景」にはあまり感動しない相方が、ブサキの割れ門を上り詰めた高台から見えるバリの光景に、思わず拍手を送ったのには吃驚しました。
あまりにもローカルな比喩で申し訳ないんですけど、この高台の高さは、奈良の若草山に登って奈良の街を見下ろす程度の高低差しかないし、見えるものと言っても、寺の屋根と緑濃い森だけなのですが、それらから空に立ち上っていく自然のオーラが、明らかに日本のそれとは異質なんですね。
本当に、この感覚ばかりは、言葉では表現するのが難しい。
昔、高名な外国人の写真家が写した日本建築の写真集を見たことがあるのだけれど「こんな風に綺麗に見えるんだ」って、その違和感に驚いた事があります。
それによく似た感じなのです。
異質な文化は、異邦人の方がよく感じ取れるのかも知れません。
善と悪が等価で混在する世界の森が、バリでは未だに生きているという事なんでしょうか。
そしてきっと、中島らもさんも、この感覚を受け止めて「水に似た感情」をお書きになったんんだろうと思いました。
バリとアンを引き合わせてくれたのは、お亡くなりになった中島らもさんの「水に似た感情」で、この小説の中に登場する山の天辺のお寺が、心の中でずっと引っかかっていたのです。
実際の所、それがブサキ寺院なのかどうかは判らないのですが、少なくともアンの頭の中では、そのお寺が今日これから行くブサキ寺院なのです。
このオプショナルツアーのガイドさんは、アン達を一番最初に空港からホテルに送り届けてくれた人物でした。
名前を「一人っ子」と言います。
一番最初の自己紹介の時に弾みで、自分は一人っ子なのでという言葉がぽろりと出た時点で、アン達は彼の事を「一人っ子」君と呼ぶ事にしていました。
国は違っても「一人っ子」というのは、何となく独自の雰囲気があるようです。
しっかりしているように見えて、甘えたで、気が回るように見えて、気が回らない。
それはたぶん、親から可愛がれれているぶん、兄弟という同世代の人間との切磋琢磨より、親という大人との兼ね合いの方をより濃厚に訓練付けられた人間の宿命なのだろうと思います。
ブサキへの道のりは、前回のバリ旅行で想像していたよりも、ずっと短かいものでした。
他の観光地とのセットで組めば結構ハードなスケジュールなのでしょうが、ブサキ一本なら朝からでかければ、ヌサ地区からでも、かなり余裕のある行程のようです。
先のエッセイに書いていますが、アタ製のバリ駕籠を製造販売しているアシタバ本店だとか、ウブドの芸術村に立ち寄っていける程なのです。
その道中、相方が一人っ子君に、ジャワのツアーガイドだった「なぜならば」君の名前を出して、彼が君の事を知っていたよと話しかけたら、一人っ子君は鼻で笑っていました。
「確かに知り合いだけど、その名前、ジャワ人なら5人に3人はそうだよ。」とまあそんな感じです。
「あれをご覧、バリで土方みたいな仕事をしてるのは、殆どがジャワ人なんだ。バリ人は、そんな仕事はしない。バリの多くの人々は、観光業か、これから行くウブドなんかにみられるような、ブラブラ人なのさ。」
一人っ子君は笑いながら、アン達のワゴンと平行して走るトラックの荷台に鈴なりになっている労務者風の人々を指してそう言いました。
物腰自体には、全然悪意が感じられないのに、何故か相手を「切って」しまう。
一人っ子君は、そういう人物なのかも知れません。
そしてこの日アンは、バリで初めて交通事故を目撃しました。
事故を起こして、道路にへたっり込んでいるのは、おじちゃんオートバイライダーでした。
なんだか、その姿さえ、痛々しさがなくてユーモラスなのはさすがバリです。
誤解を生じるかも知れませんが、この事故をみて、アンは少し嬉しかったです。
だって、あんな無茶な走り方を続けるオートバイが、事故を起こさないというのは、どこか変だと思っていたからです。
(この感覚は、バリに行かれた方なら共感して貰えると思えますが)
更に、そこから800メートルほど進んだ頃、今度はひき殺された野良犬の死骸を見つけました。
これも不謹慎ながらホッとしました。
だってこれもオートバイと同じで、島じゅうにいる野良犬が、人や車に対してなんの警戒心ももっていないので、いつか車にひかれて当然なのに、そんな場面にまったく出会ったことが全然なかったからです。
ちなみにバリでは、都心部から離れるとオートバイには、制限時速がかせられないし、乗員員数は4人までOKなのだそうです。
一人っ子君は、バリの交通事情について、嬉しそうにこう言いいます。
「こんなに見えても交通事故はないんだよ。」
・・だってアンは、その交通事故を、さっき見ちゃったもん。
「でも、あそこでおじいさんが、警官に捕まってるよ」と、目敏い相方は、一人っ子君へ反証するように言います。
「ああ、あれはね、ヘルメットの紐を締めていなかったんだよ。日本円で言うと1000円ぐらいの罰金だよ。」
「えーっ、日本円で1000円って、おじいさん、可哀想、、。」
確かに、あんな無茶な運転をする人々が、全員ヘルメットを付けて顎ひもをしっかり閉めているのも七不思議の一つでした。
バリっ子と混じって、道をブイブイオートバイで走っている不良外国人どもでさえそうなんですよ。
他がアレなのに、、、おそるべし、バリルール(笑)。
渋滞時に、群がり寄ってくる新聞売りの存在とか、とにかくバリの交通事情は、話のネタが満載なんですけど、次に進めないので、この辺でおいておきます。
ウブドの芸術村では、おちんちんのさきっちょが、蓮の茎と葉っぱになった不思議な絵と、墨で細密画を描いている柳楽優弥(昔の)君みたいな、少年を発見しまた。
特に、上半身裸で絵を描いている少年の姿は、眼福ものでしたよん。
芸術村を通過して、マイクロバスはどんどん高度を上げていきます。
途中、ライステラスが見渡せるレストランで、今ではすっかり食べ飽きたバリ料理と、一人っ子君お勧めのバナナフライを食べて、いよいよ、ワゴンはブサキ寺院へ。
「これからブサキ寺院に行くけど、あそこのおばさん達は結構うるさいからね。気を付けること。サルーンを買えとか言って来るけど、レンタルで済ませるから、買っちゃだめだよ。それに子どもの写真は撮らない、お金をせびられるからね。子どもが花を付けてやろうって言って来てもだめ、同じ理由。」
これにはちょっと吃驚しました。
ジャワの「なぜならば」君は、こんな注意は一切しなかったし、アン達に群がり寄ってくる物売り達には、一切見て見ぬ振りをしていたからです。
ワゴンが駐車場についた途端、子ども達がわらわらとやってきて、その時、二度目の驚きが待っていました。
アン達に注意をしてくれた一人っ子君が、その集まって来た子ども達を笑顔で迎え入れたのです。
勿論、サルーンはアン達の分をレンタルしてくれて、おばさんたちとのトラブルを排除してくれた上での事です。
どうも、この一人っ子君は、かなりの子ども好きらしいです。
相方はこの発見で随分、この一人っ子君を気に入ったようです。
確かに、ブサキ寺院のガイドにしたって、これが「なぜならば」君なら、その歴史から世界観まで熱く語ったに違いないのですが、一人っ子君は、要所しか喋らず、世間話の比重の方がずっと高かったんですよね。
見かけに、よらず、人間そのものが好きなのかも。
ちなみに一人っ子君の顔は、若き日の森田健作をおもっきり黒くして丸め、目鼻立ちを濃くしたような顔をしています。
ブサキ寺院は良かったですよ。
「良かった。」としか言いようがない。
言葉で説明したって、実物からは遠くなっていくだけだから、ここでは書きません。
たぶん良く撮れたブサキ寺院の写真を見ても、本物は、伝わらないだろうと思います。
普段、観光地に行っても、「風景」にはあまり感動しない相方が、ブサキの割れ門を上り詰めた高台から見えるバリの光景に、思わず拍手を送ったのには吃驚しました。
あまりにもローカルな比喩で申し訳ないんですけど、この高台の高さは、奈良の若草山に登って奈良の街を見下ろす程度の高低差しかないし、見えるものと言っても、寺の屋根と緑濃い森だけなのですが、それらから空に立ち上っていく自然のオーラが、明らかに日本のそれとは異質なんですね。
本当に、この感覚ばかりは、言葉では表現するのが難しい。
昔、高名な外国人の写真家が写した日本建築の写真集を見たことがあるのだけれど「こんな風に綺麗に見えるんだ」って、その違和感に驚いた事があります。
それによく似た感じなのです。
異質な文化は、異邦人の方がよく感じ取れるのかも知れません。
善と悪が等価で混在する世界の森が、バリでは未だに生きているという事なんでしょうか。
そしてきっと、中島らもさんも、この感覚を受け止めて「水に似た感情」をお書きになったんんだろうと思いました。
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