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【 東南アジアの旅 】
03: ベトナム サイゴン・サイゴン ③オートバイ・オートバイ
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アンの泊まっているホテルの8階の窓から見えるモノ、、。
夜明けのサッカー。
赤錆びたトタン屋根。
近代ビル。
フランス風建築、、。
サイゴン河。貨物船。
すこし蠢動し始めたオートバイの群。
月曜日の6時前の早朝から始める街の広場でのサッカーゲームは、日中の暑さのせい?
(最高気温は日本の方が高いけれど、日本の若者たちは、朝の方が涼しいからって、死んでもそんな事はしないだろう。6時前だよ、6時前。)
タイの朝も早かったけど。タイは「だらしなく、だらしない。」、ベトナムは「だらしないくせに忙しい」感じがする。
今日のツアー同行者はタムちゃんの友達だという。
でも日本語はタムちゃんの方が圧倒的に上手い。
大学で正式に語学として日本語を学んだ者と、自分の人生の経緯で日本語を囓った者の差なのだろうか。
(日本じゃ、実践的英語とか言ってこの関係が逆転するみたいだけど、、。教え方が違うのか、学ぶ側のどん欲さが違うのか。)
合間に撮影の都合があるのでこのコース、表面上は「個人ガイド」なんだけれど、同伴者に聞くと、このツアーの価格からして、これは単に「時間の余裕と融通」が少し効く程度の出来合いコースになるんだろうと言っていた。
これでろくな機材も人材もなしに写真をとるなんて、ほんとつまみ食いの仕事だね。
背景が「ベトナム」なだけって感じ、、。
まあいいや、ぼやいててもきりないし。
メコンクルーズの出発点になるミトーに向かうバンの中では、昨日あまり判らなかったベトナムのオ-トバイ事情をもう少し詳しく観察する事が出来た。
まずヘルメット、これはほとんど誰も着用していない。
でも皆無かというと、そうでもない所が不思議な所だ。
それも老人だから着用するとか、そのような条件も一切ないのだ。
あんな運転をするのだから、かぶったって意味がないのだけれどね。
今度ベトナムに訪れる機会があれば、逆に、ヘルメット着用者へ「貴方は何故ヘルメットを被っているのですか?」と聞いてみたい所だ。
ヘルメットがこうなのだからオートバイに付いているバックミラーは殆ど申し合わせたように存在しない。
流行なのか、ギリギリまで車やオートバイに接近して併走する為のなのか、、それとも単に必要がないから取り払われているのか。
これも理由はよくわからない。
たぶん今あげた総ての理由がからまってそうなのだろうと思うけれど。
それとは逆に、時々、バックミラーを左右を逆に付けてメーターの真上にミラーが2枚並ぶように取り付けているオートバイが一五台に一台ぐらいの割合で見受けられるんだけど、あれだって、たぶん運転している自分の顔しか映らない気がするんだよね。
でもオートバイだけが凄いんじゃないよ。
その無法振りは、車だって負けていないんだから。
アン達が乗っているバン自体が凄い追い越しをかけるわけ、アンは外の景色を夢中で見てたからあまり気にならなかったけど、隣に座ってた同伴者は半分、アンのマネージャー気取りでいることもあって震え上がってたね。
対面右側交通なんだけど、この運転手、追い越しをかける時は、対向車線に大きく入り込んで自分の前の車を抜いていくのよ。
これがベトナム流で当たり前だと思っていたんだけど、そうじゃないみたい。
右側にかなり余裕があっても、必ず対向車線に入るし、向こうの車は激しくパッシングを送ってくるし、まるで決闘を挑んでいる感じなんだね。
びびった方が負けみたいな。
おおよそ七分に一度は、そんな追い越しを、オートバイが泳ぐ激流でやってくれるわけ。
アンはこの時既に、ベトナム交通事情に達観していたから全然OKだったけど。
そう、、何事によらず、人間、麻痺したもん勝ちって事だ。
そんな感じでバンが走り進むと、やがて光景が少しずつ変わっていった。
道路沿いに広がる民家に、ハンモックで昼寝をする人の姿や、寂れた町工場みたいなカフェを眺めながら、さすがにここまで来ると、ホーチミンの喧噪の磁場からは、少しは逃れられたのかなという感じだ。
そうして間もない内に、アン達はミトーの渡し場についた。
渡し場の駐車場にいるピーナツ売りの女の子(インド系の顔立ち!!)は、アンニュイを漂わせてへたり込んでいるだけで、特に商品を押し売りに来る訳でもなく、周りの人々も「あんたらは、あんたら」という普通の人間の距離を保っているようだった。
やっぱりホーチミンは、ベトナムの中でも別格なのかなと思い始めるアンなのであった。
ここでアン達を出迎えてくれたのは栗田貫一と関根勤を混ぜたような仮称・栗関君。
栗関君はメコンクルーズのプロみたいで、日本語は気持ち悪いほど達者な上、ホストぽぃサービス精神が旺盛な人だった。
日本でこんな対応をやられると、何か魂胆があるようにしか見えないんだけど、アンの感受性はもうこの頃には変にベトナム用にチューニングされているから、全然平気なのだ。
岸壁から船に降りる時は、船の操舵手兼雑用係の少年が手をもってくれるんだけど、これがとっても純で可愛い。
おそらく同じベトナムでも、ちょっと都会を離れるととても純粋な人たちが大勢いるのだろう。
そんなベトナムにずっと触れあい続けたくても、残念ながらアンは、近代的なホテル暮らしでないとその日、一日だって暮らせないのだ。
(アンはそれを卑下している訳じゃない。それは飽食の日本人が少し倹約する分だけで、何人もの後進国の人々の生活が賄えるという理屈といっしょで、謂われのない罪悪感は、結局は間違った正義しか生まないと思っているから、、。)
メコン河の色はカフェオレ色だと書いてあった本もあるけれど、アンの見立てじゃそれに少し赤を足した感じのように思う。
多くの東南アジア諸国に見られるように、ここにも水上生活者たちがいて、自分たちの生活を営んでいる。
当然それは決して豊かなものではない。
そしてアンと彼らは代われない。
結局、どちら側に生まれたかってだけの話だ。
それが絶対的な真実だと思う。
渡し船が付いた場所は、なんだか日本にもありそうな総合観光農園みたいな所だった。
アン達は施設とロケーションをお借りして、少し「つまみ食いの」仕事をした。
衣装もメイクもほとんど凝らない簡単なものだ。
一体こんなものがどこに流れていくのだろう、、。
おそらくメコン河と同じで、清濁併せ持つ巨大な情報の河に押し流されていくのだろう。
メコン河の毛細血管のような支流を、小舟で漕ぎ出す観光用のクルーズについての感想はあまり書くことが見あたらない。
コッポラの「地獄の黙示録」の色んなシーンを思い出すぐらいだ。
変な言い方だけど、クルーズ自体は、景色が違うだけで日本の「天竜下り」とやっている事は大差ないのである。
まあ特筆する事があるとするなら、アン達の乗ったボートの漕ぎ手が、中学生ぐらいの女の子で、この子が偉く張り切って同僚のボートを細い身体でドンドコ抜いていった事ぐらいだろうか。
そうする彼女の動機は判らない。今はベトナムも夏休みだそうだから、彼女はたまたまお手伝いをしていて、それが面白くてたまらないのか、あるいは漕ぐこと自体が遊び感覚なのかも知れない。ホントの仕事だとしても「生活かかってるんだから」っていう悲壮なカンジだけはなくて、それはホットしたんだけど。
それにしてもベトナムに来て不思議に思うことは、前向きにしっかり働いているなと感じる相手は決まって若い女性だと感じる事である。
勿論、男性が働いていない訳ではない。
この日の夜に出向いたレストラン・マンダリンのメインを勤める若いボーイさんなんか、三カ国語の会話なんて楽にこなしているし、先の栗関君だってそうなのだ。
でも彼ら男性に共通して言える事は、日本で感じる「一家の大黒柱」みたいな野太いオーラを感じないという事なんだよね。
これも語弊があるけれど、話を感覚的なものに還元しちゃうと、一時、日本にあったOLのイメージとヤンエグのイメージの男女を逆転させたような感覚が、どうしてもベトナムの男女には付きまとうわけ。
話ついでにマンダリンの事を少々。
ここのお料理はとっても美味しい。
特に蒸し生春巻き。
ベトナムと言えば生春巻きなんだけど、ここの蒸し生春巻きは絶品!!
(「蒸し」たって、蒸してあるのはライスペーパーだけだよ。)
ゴハンが総て美味しいベトナムの中でさえ、そうなのだから涙ものである。
「誰がガイドブックに載ってるレストランなんかにいくかい!!」と言われそうだけど、アン思うに、ベトナムのショッピングやグルメについての記載内容は、あまたのガイドブックのデータでほぼ間違いがない。
(要するにショップ間のグレード格差が歴然としてて、日本みたいに穴場などが存在しようがないって事なんだろうけど)
貧乏旅行を趣味にしてるんなら別だけど、マンダリンはお勧めだよ。
話は、ここでお買い物編。
むしゃくしゃしたらお買い物、悲しいときもお買い物(笑)。
特に今回の旅行では、ベトナムの毒気と半端仕事に挟まれて、かなり気持ちが固くなっていたから、お買い物にはかなり「興奮」したよ。
でもバチャン焼きとか、中国陶器はパスね。
中国陶器はともかく、みんなバチャン焼きなんて、あんなものを有りがたがるなんてどうかしてるよ。
12時過ぎて魔法が解けたらただのがらくた。
日本の陶器って世界有数だって事、みんなもっと自覚すべきだよ。
そんなバチャン焼きは別として、織物、裁縫、ミシン、刺繍、、手仕事、かって日本も特別でない多くの人々が有していた技術がまだベトナムにはあるんだよなー。
それらの品物は、その技術度に比較してデザインがお世辞にも洗練されているとは言い難いんだけれど、その拙さがとても「可愛く」見えるのが、ベトナムデザインの不思議なところなんだな。
定番の水牛の角で出来た小物とか、刺繍ものとかを買い集めた上に、クリエーションっていうオーダーメイド専門店で秋用にシルクのハーフコートやらパンツも頼んじゃった。
どのお店に行っても切り回しているのは若い女の子たち。
それも大体パターンがあって、「しっかりもののお姉さんに可愛いけど頼りない妹」コースって感じかな。
「妹」に値段の交渉をすると、必ず「お姉さん」にお伺いを立てにいくから、二度手間なんだけど、お姉さんの方は店の司令塔みたいに常に動き回っているから、こっちはなかなか彼女をキープ出来ないわけ。
でもこの可愛い妹っていうのがくせ者でね。
彼女たちにしたら異邦人であるアンも、お姉さんって感じで、手を握って来るのでついつい気持ちがほだされてしまって、シビアな買い物が出来なくなるのよね。
(あれは演技じゃないな。ベトナムでの肉親同士の繋がり方は、日本とは比べられないぐらい仲が良いみたい。)
実は、ベトナム出発の最終日に仕上がる筈のこの店でのオーダー品を巡って、かなりカリカリする出来事が起こったんだけどその話は又、今度。
これは一般的な話に還元できるものかどうか判断が付かないんだけど、ベトナムの女性ってその時は一生懸命なんだけど、仕事に対する長いスパンというか、あーやったらこーなって、だから今はこうしてみたいな戦略性がないみたい。
それが「約束を忘れる」という形に表れる見たいだね、、。
夜明けのサッカー。
赤錆びたトタン屋根。
近代ビル。
フランス風建築、、。
サイゴン河。貨物船。
すこし蠢動し始めたオートバイの群。
月曜日の6時前の早朝から始める街の広場でのサッカーゲームは、日中の暑さのせい?
(最高気温は日本の方が高いけれど、日本の若者たちは、朝の方が涼しいからって、死んでもそんな事はしないだろう。6時前だよ、6時前。)
タイの朝も早かったけど。タイは「だらしなく、だらしない。」、ベトナムは「だらしないくせに忙しい」感じがする。
今日のツアー同行者はタムちゃんの友達だという。
でも日本語はタムちゃんの方が圧倒的に上手い。
大学で正式に語学として日本語を学んだ者と、自分の人生の経緯で日本語を囓った者の差なのだろうか。
(日本じゃ、実践的英語とか言ってこの関係が逆転するみたいだけど、、。教え方が違うのか、学ぶ側のどん欲さが違うのか。)
合間に撮影の都合があるのでこのコース、表面上は「個人ガイド」なんだけれど、同伴者に聞くと、このツアーの価格からして、これは単に「時間の余裕と融通」が少し効く程度の出来合いコースになるんだろうと言っていた。
これでろくな機材も人材もなしに写真をとるなんて、ほんとつまみ食いの仕事だね。
背景が「ベトナム」なだけって感じ、、。
まあいいや、ぼやいててもきりないし。
メコンクルーズの出発点になるミトーに向かうバンの中では、昨日あまり判らなかったベトナムのオ-トバイ事情をもう少し詳しく観察する事が出来た。
まずヘルメット、これはほとんど誰も着用していない。
でも皆無かというと、そうでもない所が不思議な所だ。
それも老人だから着用するとか、そのような条件も一切ないのだ。
あんな運転をするのだから、かぶったって意味がないのだけれどね。
今度ベトナムに訪れる機会があれば、逆に、ヘルメット着用者へ「貴方は何故ヘルメットを被っているのですか?」と聞いてみたい所だ。
ヘルメットがこうなのだからオートバイに付いているバックミラーは殆ど申し合わせたように存在しない。
流行なのか、ギリギリまで車やオートバイに接近して併走する為のなのか、、それとも単に必要がないから取り払われているのか。
これも理由はよくわからない。
たぶん今あげた総ての理由がからまってそうなのだろうと思うけれど。
それとは逆に、時々、バックミラーを左右を逆に付けてメーターの真上にミラーが2枚並ぶように取り付けているオートバイが一五台に一台ぐらいの割合で見受けられるんだけど、あれだって、たぶん運転している自分の顔しか映らない気がするんだよね。
でもオートバイだけが凄いんじゃないよ。
その無法振りは、車だって負けていないんだから。
アン達が乗っているバン自体が凄い追い越しをかけるわけ、アンは外の景色を夢中で見てたからあまり気にならなかったけど、隣に座ってた同伴者は半分、アンのマネージャー気取りでいることもあって震え上がってたね。
対面右側交通なんだけど、この運転手、追い越しをかける時は、対向車線に大きく入り込んで自分の前の車を抜いていくのよ。
これがベトナム流で当たり前だと思っていたんだけど、そうじゃないみたい。
右側にかなり余裕があっても、必ず対向車線に入るし、向こうの車は激しくパッシングを送ってくるし、まるで決闘を挑んでいる感じなんだね。
びびった方が負けみたいな。
おおよそ七分に一度は、そんな追い越しを、オートバイが泳ぐ激流でやってくれるわけ。
アンはこの時既に、ベトナム交通事情に達観していたから全然OKだったけど。
そう、、何事によらず、人間、麻痺したもん勝ちって事だ。
そんな感じでバンが走り進むと、やがて光景が少しずつ変わっていった。
道路沿いに広がる民家に、ハンモックで昼寝をする人の姿や、寂れた町工場みたいなカフェを眺めながら、さすがにここまで来ると、ホーチミンの喧噪の磁場からは、少しは逃れられたのかなという感じだ。
そうして間もない内に、アン達はミトーの渡し場についた。
渡し場の駐車場にいるピーナツ売りの女の子(インド系の顔立ち!!)は、アンニュイを漂わせてへたり込んでいるだけで、特に商品を押し売りに来る訳でもなく、周りの人々も「あんたらは、あんたら」という普通の人間の距離を保っているようだった。
やっぱりホーチミンは、ベトナムの中でも別格なのかなと思い始めるアンなのであった。
ここでアン達を出迎えてくれたのは栗田貫一と関根勤を混ぜたような仮称・栗関君。
栗関君はメコンクルーズのプロみたいで、日本語は気持ち悪いほど達者な上、ホストぽぃサービス精神が旺盛な人だった。
日本でこんな対応をやられると、何か魂胆があるようにしか見えないんだけど、アンの感受性はもうこの頃には変にベトナム用にチューニングされているから、全然平気なのだ。
岸壁から船に降りる時は、船の操舵手兼雑用係の少年が手をもってくれるんだけど、これがとっても純で可愛い。
おそらく同じベトナムでも、ちょっと都会を離れるととても純粋な人たちが大勢いるのだろう。
そんなベトナムにずっと触れあい続けたくても、残念ながらアンは、近代的なホテル暮らしでないとその日、一日だって暮らせないのだ。
(アンはそれを卑下している訳じゃない。それは飽食の日本人が少し倹約する分だけで、何人もの後進国の人々の生活が賄えるという理屈といっしょで、謂われのない罪悪感は、結局は間違った正義しか生まないと思っているから、、。)
メコン河の色はカフェオレ色だと書いてあった本もあるけれど、アンの見立てじゃそれに少し赤を足した感じのように思う。
多くの東南アジア諸国に見られるように、ここにも水上生活者たちがいて、自分たちの生活を営んでいる。
当然それは決して豊かなものではない。
そしてアンと彼らは代われない。
結局、どちら側に生まれたかってだけの話だ。
それが絶対的な真実だと思う。
渡し船が付いた場所は、なんだか日本にもありそうな総合観光農園みたいな所だった。
アン達は施設とロケーションをお借りして、少し「つまみ食いの」仕事をした。
衣装もメイクもほとんど凝らない簡単なものだ。
一体こんなものがどこに流れていくのだろう、、。
おそらくメコン河と同じで、清濁併せ持つ巨大な情報の河に押し流されていくのだろう。
メコン河の毛細血管のような支流を、小舟で漕ぎ出す観光用のクルーズについての感想はあまり書くことが見あたらない。
コッポラの「地獄の黙示録」の色んなシーンを思い出すぐらいだ。
変な言い方だけど、クルーズ自体は、景色が違うだけで日本の「天竜下り」とやっている事は大差ないのである。
まあ特筆する事があるとするなら、アン達の乗ったボートの漕ぎ手が、中学生ぐらいの女の子で、この子が偉く張り切って同僚のボートを細い身体でドンドコ抜いていった事ぐらいだろうか。
そうする彼女の動機は判らない。今はベトナムも夏休みだそうだから、彼女はたまたまお手伝いをしていて、それが面白くてたまらないのか、あるいは漕ぐこと自体が遊び感覚なのかも知れない。ホントの仕事だとしても「生活かかってるんだから」っていう悲壮なカンジだけはなくて、それはホットしたんだけど。
それにしてもベトナムに来て不思議に思うことは、前向きにしっかり働いているなと感じる相手は決まって若い女性だと感じる事である。
勿論、男性が働いていない訳ではない。
この日の夜に出向いたレストラン・マンダリンのメインを勤める若いボーイさんなんか、三カ国語の会話なんて楽にこなしているし、先の栗関君だってそうなのだ。
でも彼ら男性に共通して言える事は、日本で感じる「一家の大黒柱」みたいな野太いオーラを感じないという事なんだよね。
これも語弊があるけれど、話を感覚的なものに還元しちゃうと、一時、日本にあったOLのイメージとヤンエグのイメージの男女を逆転させたような感覚が、どうしてもベトナムの男女には付きまとうわけ。
話ついでにマンダリンの事を少々。
ここのお料理はとっても美味しい。
特に蒸し生春巻き。
ベトナムと言えば生春巻きなんだけど、ここの蒸し生春巻きは絶品!!
(「蒸し」たって、蒸してあるのはライスペーパーだけだよ。)
ゴハンが総て美味しいベトナムの中でさえ、そうなのだから涙ものである。
「誰がガイドブックに載ってるレストランなんかにいくかい!!」と言われそうだけど、アン思うに、ベトナムのショッピングやグルメについての記載内容は、あまたのガイドブックのデータでほぼ間違いがない。
(要するにショップ間のグレード格差が歴然としてて、日本みたいに穴場などが存在しようがないって事なんだろうけど)
貧乏旅行を趣味にしてるんなら別だけど、マンダリンはお勧めだよ。
話は、ここでお買い物編。
むしゃくしゃしたらお買い物、悲しいときもお買い物(笑)。
特に今回の旅行では、ベトナムの毒気と半端仕事に挟まれて、かなり気持ちが固くなっていたから、お買い物にはかなり「興奮」したよ。
でもバチャン焼きとか、中国陶器はパスね。
中国陶器はともかく、みんなバチャン焼きなんて、あんなものを有りがたがるなんてどうかしてるよ。
12時過ぎて魔法が解けたらただのがらくた。
日本の陶器って世界有数だって事、みんなもっと自覚すべきだよ。
そんなバチャン焼きは別として、織物、裁縫、ミシン、刺繍、、手仕事、かって日本も特別でない多くの人々が有していた技術がまだベトナムにはあるんだよなー。
それらの品物は、その技術度に比較してデザインがお世辞にも洗練されているとは言い難いんだけれど、その拙さがとても「可愛く」見えるのが、ベトナムデザインの不思議なところなんだな。
定番の水牛の角で出来た小物とか、刺繍ものとかを買い集めた上に、クリエーションっていうオーダーメイド専門店で秋用にシルクのハーフコートやらパンツも頼んじゃった。
どのお店に行っても切り回しているのは若い女の子たち。
それも大体パターンがあって、「しっかりもののお姉さんに可愛いけど頼りない妹」コースって感じかな。
「妹」に値段の交渉をすると、必ず「お姉さん」にお伺いを立てにいくから、二度手間なんだけど、お姉さんの方は店の司令塔みたいに常に動き回っているから、こっちはなかなか彼女をキープ出来ないわけ。
でもこの可愛い妹っていうのがくせ者でね。
彼女たちにしたら異邦人であるアンも、お姉さんって感じで、手を握って来るのでついつい気持ちがほだされてしまって、シビアな買い物が出来なくなるのよね。
(あれは演技じゃないな。ベトナムでの肉親同士の繋がり方は、日本とは比べられないぐらい仲が良いみたい。)
実は、ベトナム出発の最終日に仕上がる筈のこの店でのオーダー品を巡って、かなりカリカリする出来事が起こったんだけどその話は又、今度。
これは一般的な話に還元できるものかどうか判断が付かないんだけど、ベトナムの女性ってその時は一生懸命なんだけど、仕事に対する長いスパンというか、あーやったらこーなって、だから今はこうしてみたいな戦略性がないみたい。
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