ゴックン、その口で食べるの? /Osaka発ドラァグドライブ、掛け違いの旅

Ann Noraaile

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【 煩悩四国旅 順打ち・逆打ち・乱れ打ち 】

02: 四国は香川 四国うどん巡礼の旅 丸亀「なかむら(讃岐うどん)」

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 以前の『琴平「灸まんうどん」』で、村上春樹氏を仲介にした、アンと讃岐うどんとの馴れ初めをご紹介したのですが、今回はその続きです。
 讃岐うどんにはまっていたこの頃は、四国に渡っても、その主な目的は「うどんを食べる」事に大きなウェイトがあったのですが、さすがに「うどんだけ」で旅するのは勿体なくて、旅程はうどん屋さん巡りと、近隣の観光スポットとセットにしていました。
 今回は丸亀市。
 丸亀市といえば、丸亀城に丸亀うちわですね、そしてニューレオマワールド。

 みんな回りましたよ、「うどん」を食べるなんて、一瞬ですからね(笑)。
 そうそう、アンが訪れた時には、ニューレオマワールドの「ニュー」の文字はまだありませんでした。
 こういう巨大施設の変遷って、横から見てると、企業経営の栄枯盛衰を感じさせて、なんだかもの悲しいものがありますね。
 まあそこで遊んでる分には、関係ないんですけど、、、。

 □ 村上春樹氏の「辺境・近境」から

 『 うどん屋なんて全国どこに行ってもだいたい同じだろうと思われる読者もいらっしゃるかもしれない。しかしはっきり言って、その見方は間違っている。香川県のうどん屋のあり方は他の地方のうどん屋のあり方とは根本的に異なっている。ひとことで言えばかなりディープなのである。ちょうどアメリカの深南部に行って、小さな街でなまずのフライを食べているようなそんな趣さえある。』

 核心を突いてる指摘ですね。
 例えば大阪人は、他府県の人を前に「大阪の家庭ではたこ焼き器があるのは当たり前やねんで、へたしたら2・3つあるんちゃう」とかついつい言ってしまいます。
 お前、それホンマに調べたんか?って話なんだけど、心情的にはアル話で、味自慢云々より、それが自分たちの生活に、どれくらいヒタヒタと食い込んでいるかって事なんですよね。
 しかし「アメリカの深南部に行って、小さな街でなまずのフライを食べているようなそんな趣」ってゆーのはいかにも村上春樹氏らしい表現だと思います。

 □ 続いて村上春樹氏の「辺境・近境」から

『  丼を持って外に出て外に出て(店の中は狭いので)、石の上に腰掛けてずるずるとうどんを食べる。時刻は朝の九時過ぎである。天気もいいし、うどんも美味しい。朝っぱから石の上に腰掛けてうどんをすすっていたりすると、だんだん「世の中なんかもうどうなってもかまうもんか」という気持ちになってくるから不思議である。僕は思うのだけれど、うどんという食べ物の中には、何かしら人間の知的欲望を摩耗させる要素が含まれているに違いない。
 養鶏場から突然うどん屋に商売変えするという発想も大胆だと思うのだが、あるいはこういうのも香川県ではそれほど不自然なことではないのかもしれない。しかし、そういわれてよくよく見てみると、うどん屋になっている建物はなんとなく鶏小屋のようなかたちをしている。』

 ここに登場するうどん屋さんは、飯野山の麓の「なかむら」さんの事だと思うんですが、アンが訪れたときは既に「注文の仕方」「食べ方」「支払いの仕方」、はては薬味用のネギは近くに生えてるネギを自分でとってはさみで切るとかまで、十分な事前情報を仕入れていたので、実食時にそれ程のカルチャーショックはありませんでした。

 光景的にはまさに村上春樹氏の描写そのもので、店内?なんてまさに農村の作業小屋を転用したもので、そこに「なかむら」のうどんを探し求めてきたお客さん達が、いかにも嬉しそうに嬉々とした顔で、うどんセルフ行為にいそしんでました。
 そんな事より、むしろショックを受けたのは、普通ののどかな、いかにも四国らしい農村と言ってよいローケーションの中に、「なかむら」専用の臨時駐車場が増設されていて、その看板を見た時でしたね。
 増設臨時駐車場?・・・巨大イベント会場なの?そうなの?そこまでこんな場所に人が押し寄せてくるの?って事ですね。

 それは「なかむら」さんが、どうというより、ブームに弱い日本人、そして間違いなく、その内の一人である自分自身の事を思い知らされて軽いショックを受けたものです。
(※ 最近、ネットで調べたら「なかむら」さん、ますます近代化してる見たいですよ。讃岐うどんブームの黎明期に行ってて良かった~。)

 「なかむら」のうどんの味は、麺も汁(ってか醤油)も、全てオーサカのものとは違っていました。
 イリコ出汁なんかは、大阪でもないわけじゃなかったけど、どちらかとゆーとイリコは「貧乏人の出汁」って位置づけで、「店やモン」には鰹・昆布出汁でしたから、こんな風に、がつんとした濃いイリコ出汁の味を正面切って出されるのは、ちょっと衝撃的でした。
 というか「なかむら」のうどんを食べた時には、「大阪で売ってる自称・讃岐うどんって何なん?」という衝撃度だったんですが、これは今更ここで書く必要がないほど、既に皆さんご存じだろうと思います。

 でも、そんな本場中の本場の讃岐うどんでも、大阪に来ればオオサカナイズされるんですよね。
 その辺は、大阪と四国のメンタリティの違いなのかな。
 今では、大阪の北や梅田・南でも本場並みの「讃岐うどん」が食べられるけど、みんな拘り過ぎちゃって、本場を通り過ぎちゃうんですよね。
 「なかむら」で今、大阪でやってるような事やったら、「なかむら」じゃなくなっちゃうと思いますよ(笑)。

 アンの中の「讃岐うどんブーム」は、四国有名店制覇に伴ってやがて収束して行くこととなり、現在では、ほとんど、うどん食に対する拘りは、ありません。
 やっぱり、大阪の人間の食の心は、藤田まことさんの「うどん好きマインド」に繋がってて、「うどんは好きだけど、格好つけて蘊蓄を傾ける程でもなく、ただ出汁が旨くて、白いつるつるしたうどんを、ズルズルとそんなに噛まずに啜り込み、食後の適度な水っぽい満足感にたゆる」のが、デフォルトなのかなぁと(笑)。
 で、たまにガツンとした「讃岐うどん」があって、それもOKみたいな。

 というか「讃岐うどん」は、既にローカルな存在ではなくなって、「うどん」世界の一ジャンルになってしまったと言うことでしょうかね。




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