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第5章 暗黒を狩る黒い真珠

49: ブラックパールの復活

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 一口で第七統合署管轄エリアと言っても、その範囲は非常に広い。
 そして、それに対応する警察官の人数は圧倒的に少ない。
 大昔の映画のように人口密度の低い砂漠地帯の保安官なら、それでもすむのだろうが、漆黒の前に広がる欲望という砂漠の砂の一粒一粒は、一人一人の人間なのだ。
 それでも社会が犯罪によって破綻しないのは、皮肉な話だが民間警察のお陰だった。

 漆黒は今、第七統合署管轄エリアの東端の衆寒極市にいた。
 第二のドクランド事件に発展する可能性を秘めた未解決事案を再調査する為だ。
 一応、衆寒極市は第七統合署の管轄エリア内ではあるが、それは制度上の線引きに過ぎず、衆寒極市自体は行政も含めてほとんど独立した副首都で、本来ならこの市一つで独立した管轄区域を必要とする程大きな都市だった。
 漆黒は、主に自分のホームグラウンドを第七統合署管轄エリアの西側に置いていた。
 西と東では、国が違うと言っても通用するほどの差がある。
 したがって管轄内と言えど、衆寒極市での捜査は「自分の庭のように」という訳には行かなかった。

 だが今回の捜査では、かえってそれが幸いしていた。
 まず第一に顔が知られていないから、潜入捜査がやりやすいという事、そしてこの地域の売春シンジケートには、張果の影響力が余り及んでいないという状況も漆黒の気持ちを楽にしていた。
 事案の性質から考えて、売春シンジケートが何処かで絡んでくる可能性が大いにあった。
 自分の捜査が、張果の利害と衝突するような事があっても、漆黒は張果に手心を加えるつもりはなかったが、だからと言って、あえて張果の顔を潰す気にもなれなかったからだ。

 漆黒は衆寒極市の繁華街に近い場所にある安宿の一室で、夜の街に出かける準備をした。
 薄い無精髭を剃り、普段はしない肌の手当をし、うっすらとファウンデーションを顔に塗る。
 そしてオールバックの髪をおろして前髪をたらすと、その顔は酷く若返って見える。
 一見すると女性と見紛うような美形でもある。
 というよりもそれが、「秀麗なるクズ人間」と呼ばれた漆黒賢治を原体とする本来の漆黒の素顔だった。

 漆黒が見つめる鏡の中に、昔、ブラックパールと呼ばれた不良少年が現れ、そいつがニヤリと嗤った。
 クローン体には生殖器は普通にあるが、生殖自体の機能はない。
 言い方を変えれば、それは純粋な快楽器官とも言えた。
 故に彼らの性的な価値観は、人間のものとは違ってかなり自由なものだった。
 『お前が、お手本を見せてやらなきゃならない鷲男は、もういないんだ。昔みたいに、好きにやっていいんだぜ。』
 多くの女や男達が欲しがったブラックパールの赤い唇が、鏡の中でそう呟いた。


 クルージングストリートは、ありとあらゆる倒錯した性的嗜好が渦巻く街だったが、そんな中でも漆黒の姿は、多くの人間達の気をひいていた。
 例えば、SM嗜好でフェテッシュクロスな特殊世界に蠢く特異な人間達の中でも、漆黒は、彼らの注目をその一身に惹きつけいてた。

 漆黒が最初に訪れたプライベートクラブ847と書かれた黒い扉の向こうには、レザーやラバーのハードなファッションで身を固めたマッチョな男が多数いて、店内は激しいロックと熱気で溢れ、男たちはひと目も憚らず思い思いの快楽を貪っていた。
 漆黒を金髪の男が口説き、2人はセント・アントニオホテルでプレイを楽しむ事になったが、勿論、漆黒は情報目当てだから、宛が外れたと分かった途端に、男を叩きのめして関係を終わりにしていた。

 又、別の場所で知り合ったある男は、漆黒の首にナイフを当て「ここにいるのはだあれ?俺とお前…」と歌うように呟き、漆黒をうつぶせにして皮紐で彼の四肢を縛り、背中に何度もナイフを突き立てようとしたが、これも逆に男が縛り上げられて放置され、その男の夜のお楽しみが終わった。

 次の夜は、たまたま迷い込んだショーパブでは、ステージの上で濃厚なレズビアンショーを繰り広げていた蛇のような顔のバイオアップ処置者の女に声を掛けられた。
 「ステージへ上がって一緒に楽しまない?」
 相方の身体に絡んだままのアクロバティックな体位から漆黒を見つめる頭髪のない顔は奇妙にエロチックだったが、それを受ける漆黒も充分に官能的な存在だった。
 ステージの周囲の人間達は、これから始まる、二人の蛇女と一人の美青年の倒錯したセックスを想像して生唾を飲んだ、、。

 そんな風に、漆黒は黒のレザー服に身を包み、毎夜、性倒錯者たちが集うバーやクラブに入り浸って、犯人の痕跡やSCキットの販売ルートを探っていた。
 もし鷲男が側にいたら、漆黒は決してそんな捜査方法はとらなかっただろう。

 クルージングストリートで、漆黒の存在は瞬く間に有名になった。
 『あのトロフィーボーイに手を出すな、火傷するぜ。』
 漆黒自身にも、その噂は耳に入ったが、その事については何の感傷もなかった。
 その言葉は数年前、ウエストワンダーワールドで漆黒が嫌と言うほど聞かされ続けて来たフレーズだったからだ。
 『ブラックパールの輝きに騙されるな。あのガキは、悪魔だぜ。』
 だがその噂話を聞いた時、微かにだが・・・ジェシカ・ラビィの悲哀を思い出したのは確かだった。

 そして間もなく、SCキットの密売人の名が判った。
 ゼペット・アルベルティ、彼らの中ではゼペット爺さんと呼ばれている。
 そう、皮肉な話だが、その名はピノキオの童話に登場するゼペット爺さんに準えられていた。

    ・・・・・・・・・

「SCキットだよ。顧客の名簿があるんだろう?。」
「つけあがるなよ。何様のつもりだ。デカなんて犬の糞以下だ。」
 漆黒は、悲鳴混じりに吠えている痩せたゼペット爺さんの腕を捻りあげる。
 このまま続ければ、脱臼ぐらいはするだろうが知ったことではない。

「訴えてやるぞ!」
 ゼペット爺さんの目尻には苦痛の為の涙が滲んでいる。
 闇の性転換キット、つまり癒着性人工皮膚とホルモン増加プラント、及び転化促進剤と人体モデルテンプレートを「変態」に売りつけるような人間に、情けなどかけてやる必要はまったくない。

「ほほう、誰にだ?俺は犬の糞以下の警察官だが、今回は、あんたが頭に思い浮かべているお偉いさん方の命令で動いてるんだよ。誰も耳を傾けやしないさ。それとも、どこかの警備保障にでも言いつけるのか。やれるものならやってみろ。ああ!」
 これしかなかった。
 今や、警察は誰にも当てにされず、当然執行されるべき権力さえ満足に行使できない程落ちぶれてしまったが、法の名のもとでは、「理不尽な悪行」は、好きなだけ振る舞える。
 多くの悪徳警官達は、今日もそれを使って甘い汁を吸い、己の胸の空白を埋め続けているのだ。

 だが漆黒は違う。
 漆黒には悪党どもに対する弱みは、ID関係を除いては一切ない。
「強面」。
 クリーンな刑事が持てる唯一の切り札が漆黒にはある。
 漆黒はこの瞬間の為に、「金」の誘惑を捨てて来たのだ。

「お前、名前は?貴様の首、吹っ飛ばしてやる。」
「ざけんな!さっき名乗っただろうが!デタラメだと思ってやがったのか。俺の名前は漆黒だ。漆黒猟児、よく覚えておけ!」
 思わずゼペットの腕を逆に捻り上げる手に力が入った。
 このままこの腕をへし折り、もぎり取ってやろうかと迷った。
 本気を出した漆黒の腕力なら素手でそれが出来る。
 だが問題はそれをやってしまった後だ。

 「スジを通す」為なら刑事という仕事に未練はない、と言えば気持ちの整理はつくのだろうが、野良クローンの漆黒がそれなりの顔をして格好を付けられるのは、この職業だからだ。
 つまらない激情を解消する為に職は失いたくない。

 だが、そうは言っても、こういう小悪党は妙に漆黒の神経に障るのだ。
 SCだけではなく、密入国者の子どもまで「変態」どもへセットで売り飛ばす人間に、でかい顔をされる筋合いは断じてないのだ。
 鷲男を失ってからの漆黒は、以前なら我慢できた衝動に、直ぐに飲み込まれそうになっていた。


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