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第3章 永き命、短き命

35: WUW

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 その夜、漆黒は鷲男を伴って、ウエストアンダーワールドの外苑にある、彼の旧知のバー・カミュに向かった。
 漆黒はアンダーワールドの深部に向かうほど、知り合いの数は増え、又、彼らとの因縁も深くなる。
 しかし漆黒が野良クローン人間を捨てた今、かえってそれが彼の里帰りの障壁になっていた。
 簡単に言えば、漆黒はWUWの住人達を「裏切った」という事になっている。
 裏切ったつもりのない漆黒には、だから何がどうと言うこともないのだが、知人に会う度に、自分がなぜ刑事になったかを説明してまわるつもりにもなれず、漆黒は結局、アンダーワールドの友人達の中で、一番関係がこじれていないカミュ兄妹が経営するこのバーに心の慰安を求める事になっていたのである。

「ストローあるかな?」
「ストローくらいあるよ」
 キアラが馬鹿にするなという顔で漆黒を睨む。
 彼女には、自分がこの店を手伝いだしてから、バー・カミュは安酒しか置いていない店ではなくなった、という自負がある。
 兄に知恵を付けて、法の裏をかいくぐり、無理をしてでも純正品の酒を置けばいいといったのもキアラだった。

「いや、ストローっても、途中で蛇腹みたいのが付いてて曲がるやつだよ。」
 漆黒はそんなキアラに恐縮したように言った。
 つい最近まで自分は、このキアラに血の繋がらない二人目の兄貴として慕われていた筈なのにと思ったが、考えて見ればこの店を訪れるのは一年ぶりだったのだ。
 通常の年齢変化を見せる野良クローンであるキアラは、少女から成人女性へと急激に変化しつつあった。

「あるある、曲がったのが。キアラ、あそこの棚を見てみな。しかし、どうしてそんなのがいる?」
 兄のアベルが笑いながら言った。
 双子の兄妹の原体を持つ、双子のクローン人間は珍しい存在だった。
 双子は、原体が一人いれば、性別も含めて思うように作れるからだ。
 この二人は、人間達の余程の強い思い入れがあって、作り出されたに違いない。
 しかしそんなクローンが、正規の登録もして貰えず「野良」になるのだ。
 世の中には、色々な事情があるという事だった。

「こいつのグラスに、そのストローを入れてやってくれ。」
 アベルが慣れた手つきでウィスキーを二つのグラスに注ぎ終える。
 キアラが棚から取り出したストローをグラスに入れ鷲男の前に置き、アベルが素のグラスを漆黒の前に押し出した。

「いや、ストローなしでも飲めることは飲めるんだがな、、。こいつが、グラスに嘴を突っ込む所を、人に見せたくないんだ。」
「そんな事を気にする俺達だと思ってたのか?第一、ここはWUWだぜ。」
「違うよ。お前達の事じゃない。俺の事だ。俺はこいつに、俺の知り合いの前で、そういう無様な真似をさせたくないんだ。」

 彼らの会話を、どう思って聞いているのか、鷲男は器用にストローを使ってグラスのウィスキーを一口分、飲んだ。
 嘴の横にストローを軽く銜え、中の舌を上手く使って吸うのだろう。
 タバコを斜めに銜えるあの感じだ。
 それがなんの滑稽みもなく、映画のワンシーンのように渋く決まるから不思議だった。
 キアラがほれぼれとその様子を見ている。

「彼、喋るの?」
「ああ、必要な時にはな。最初はアレだったが、今は吃驚する程、饒舌に流ちょうに喋れる。でも基本は無口だ。俺はそれも気に入っている。」
「ふーん、そうなんだぁ。」
 キアラの目がキラキラと輝き始めている。
 昔も今もキアラの憧れと言えば、漆黒の筈だったが、時代は変化するものだった。

「警察の同僚さんかい?」
「うーん、まあ相棒見習いってとこかな。」
「ここにつれて来るって事は、そうとう信頼を置いているんだな。」
「そういう事になるな。見ての通り人間じゃない。警察は鷲の頭を乗っけるようなバイオアップ処置者は雇わないしな。」

「人間じゃないって、私達みたいな、クローンなの?」
「おい!」
 アベルの顔が青ざめる。
 その言い方では、自分たちがクローン人間であることが知れるのはともかく、なにより漆黒がクローン人間であるように聞こえる。
 それが事実なのだが、情報というものは、誰もいないと思えるような場所からでも漏れることをアベルは知っている。
 漆黒を気遣っているのだ。

「そっちは心配すんなって、俺はこいつを信頼してる。その根拠は、、うーん、何もない。」
 漆黒は、鷲男をここに誘った時点で、自分がクローン人間であることを鷲男に伝えるつもりでいた。
 何故か、鷲男はその事実を知っても、その事を胸にしまっておくだろうという気がしたからだ。
 又、例えその事が鷲男の口から外へ漏れても、鷲男のやる事であれば、それはそれで良いのではないかという覚悟もあった。
 生死の分かれ目の時には、自分の背中を預け合う中なのだ。
 スピリットだのクローンだのと言っていられなかった。

「こいつは精霊なんだよ」と漆黒は、興味津々のキアラに言ってやった。
「精霊?」
「そうさ、精霊、スピリット。酒でも同じだな、蒸留酒なんだよ。心を蒸留してあるんだ。」
 この説明に、漆黒を心配していたアベルは、『もう諦めた、どうでも良い』というようにニヤリと笑った。

 カミュ兄妹は小学生程度の幼い頃に、これも少年だった漆黒に命を助けられている。
 漆黒は、荒くれた大人3人を相手に大立ち回りをやってのけ兄妹を救い出したのだ。
 今は超人に近い身体能力を持つ漆黒だが、さすがに少年の身体では大人3人相手では死にものぐるいだったに違いない。
 なぜ助けてくれたの?とアベルが訊ねた時、漆黒はただ単純に「友達だから」と答えた。
 その「友達だから」の言葉が、ずっとアベルの記憶に残っていて、今、「心を蒸留」という言葉に結び付いたのだ。

「だったら、その精霊さんの名前を紹介してくれないかな?いくらなんでも俺が、お前みたいに、その精霊さんに、こいつとか言えないだろう。」
「、、、それもそうだな。、、フレースヴェルグだ。なっ。」
 そう言って漆黒は隣の鷲男を見た。
 鷲男はそれを了解したのか、グラスを置いて、明確に深く頷いた。

「フレースヴェルグ?なんだいそりゃ?」
「こいらの生みの親というか育ての親が、イグドラシルって世界樹が登場する北欧神話が大好きなんだけどな。その世界樹で羽を休めてる巨大な鷲が、フレースヴェルグなんだよ。」
「へぇ、お前、随分勉強するようになったんだな。前はそんなんじゃんかったぞ。」
「頭は良かったのにね。勉強は大嫌いだった。」
 キアラが楽しそうに割り込んでくる。
 アベルもニヤニヤ笑っている。

「ところで猟、警察の方はどうなんだ?」
「まあまあだな、それなりにやってるよ。」
「そうか、猟からそんな話を聞くと、俺もレヴィアタン経由で警察に申請して、野良を止めようかなって気になるな、」
 レヴィアタンは半民半官の人材派遣会社で、漆黒も今の職業に就くまで最初はこの会社の裏の窓口に自分自身を登録した。
 もちろん、その時は自分自身が野良クローンである事を明示しなければならかったから、それは彼にとっての人生の最初の賭と言えた。

「止めときな。お前じゃ、申請しても採用されない。結局、身元がばれて監察タグを付けられて一巻の終わりだ。派遣元のレヴィアタンは何も面倒見てくれないぞ。、、前科があれば下手をすると解体されちまう。」
「なんでだよ?それならなんで、猟はいけたんだ?」

「身体能力値が高かったからだ。警察は安く手に入って絶対言うことを聞く有能な人材を野良クローンプールから回収してるって事だ。普通の人間でそんなに高いスペックのある奴は、絶対、警察になんか行かないからな。しかもそれで、未管理のクローン体が一人減るってことだよ。一石二鳥。たがアベル、お前じゃ無理だ。きわめて普通だからな。クローンにしては人間過ぎるんだよ。警察もレヴィアタンも野良クローンなら誰でも良いって思ってるわけじゃない。」

 原体からクローンを生成する際に、その身体に様々な加工が可能だった。
 身体能力の増強がその一つだ、ただし、行き過ぎた改変はクローンの正規登録上の除外行為に該当する。
 そしてクローンを必要とした多くの人間達は、「身近な人間」を求めたのであって、スーパーマンが欲しかったわけではないのだ。
 異常なのは漆黒の方だった。

「、、、、。」
「どうしてもてんなら、警察以外にもこの裏制度はあるんだぜ。まあ一応、形上の身分は役所勤めで、仮IDも発行される。その申請には特に飛び抜けた身体能力も要求されない。仕事は重労働で低賃金、やってる内容は、、まあゴミみたいなもんだ。野良からは解放されるが、次になれるのは、奴隷の似非人間ってわけだ。そんなのでいいなら、リスク覚悟でレヴィアタンに登録すりゃいい。」
「ちっ!」
 アベルは本気で怒ったが、もちろん、漆黒に対してではない。
 あいも変わらぬ人間社会のやり口にだ。

「政府が、俺達、野良クローン狩りのスピードを落とした理由がわかるかい。最初の狩りで、人間の世界に飛び散っていた大方のクローンが、このウエストやイーストみたいな場所に逃げ込んだ。そして出てこない。それで良かったのさ。刑事になって判ったんだが、俺達クローンを人間と完全に峻別して何処かに隔離するとか、完璧な管理下に置くなんて事は、絶対に不可能なんだ。いやクローンだけじゃないな、早い話がバイオアップ人間だってそうだろ?この相棒だってそうなんだよ。要は、そこそこ世界が回っていればそれで良いって事だ。、、だから本当の問題は、一体誰の為に、世界が回っているかって事だけなんだよ。」

「ああ、、よくわかんねえ!猟、お前の話はいつもそうだ。でも一つだけ判ったよ。やっぱり俺は、野良のままでいい。」
「ああ、そうしろ。言っちゃなんだが、俺の目には、今のお前達が幸せに見える。それで良いんじゃないか。全ての知的生命体に平等を、、なんていう上から目線に惑わされるな。最後に物事の価値を決めるのは、結局自分だからな。要は何処で手を打つかってことだけだ。」
 キアラが不服そうに自分を見ているのが判ったが、漆黒は、この話をこれ以上続けるつもりはなかった。

 その時、バーに次の客が入ってきた。
 派手なギャングファッションに身を包んだ大男だった。
 アベルの顔が、これはまずいという表情になった。




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