14 / 89
第2章 スラップスティックな上昇と墜落
13: 亜人類という禁句
しおりを挟む「それにしても、よく考えついたな。機転の勝利ってやつだ。俺ならブルーノって野郎から取り上げた拳銃を選ぶ。それで女は、細切れのミンチ肉になっていたろう。」
しかし漆黒は、全ての警官に標準として貸し与えられている、(彼らが仲間内で豆鉄砲と呼んでいる)とてつもなく非力な拳銃で、ペネロペの太股を二回撃ち抜いていた。
鷲男がペネロペの登場によって暴走したのなら、ペネロペを何とかするしかないと咄嗟に判断したのだ。
暴走した鷲男を止めることは漆黒にも出来ない。
漆黒の話相手が感心しているのは、漆黒がこのような緊急の場面で、豆鉄砲の存在を思い出した事自体だった。
現場で生き残る警官達が、共通してまずはじめに覚える事は、豆鉄砲の存在を忘れる事だという。
そうでないと命は幾つあっても足りはしない。
更に付け加えて言えば、漆黒は殺人事件も取り扱う所属だった。
皮肉屋レオンは、そういう理由で、珍しく相手を誉めたのだ。
ここは、第三統合署だ。
本部を本庁ではなくネットワーク上に持ち、広域任務に当たる公安課警察官は、どの統合署に所属するという決まりはない。
しかしそれでは宿無しになってしまうので、彼らの身柄は規模の大きな統合署に所属別枠として預けられる。
レオン・シュミットの場合、それが第三統合署だった。
漆黒とレオン・シュミットは、署長室の応接セットで向かい合って座っていた。
二人はこれから政府の中央情報局からの諮問を受けることになっている。
彼らが中央情報局に直接呼びだれないのは、中央情報局と警察との微妙な関係を表していた。
その場がレオンの預けられた第三統合署に設けられたという事だ。
更に中央情報局が出てくると言うことは、彼らが今関わっている事案が、中央情報局の扱うものに接触しているという事でもあった。
兎にも角にも、漆黒とレオンは、これで二度目の出会いを果たした事になる。
人手薄の刑事、さらに、彼らが異なる部署所属であることを考えると、これは異例の出来事である。
一度目の出会いは、ラバードールの殺害現場だった。
皮肉屋レオンは、漆黒が「肥満体」と名付けた男だ。
「まったくだ。漆黒君の機転がなければ、精霊プロジェクト自体が頓挫していたかもしれん。」
二人の会話に、そう口を挟んできたのは第三ブロック統合署長の田岡である。
だがその言葉の裏には、たぶんに棘が含まれていた。
田岡自身は、おそらく今回の事件を、他所の管轄の「イカレた」刑事が起こした厄介事としか捉えていないはずだ。
その厄介事が、自分の署に間借りさせている公安課の刑事のせいで身近なものになっている。
署長と言っても、大昔のような警察ピラミッドの上層にいる者の強大な権限など、ほとんどない。
形骸化した役職であり、いざと言うときの詰め腹要員だった。
彼らにある数少ない権限も、実はその詰め腹と裏表の関係にあった。
だがこの田岡の漆黒に対する嫌みは妥当だった。
もし、漆黒の取った今回の処置が、レオンの追っている事件と関係していなければ、あるいはドク・マッコイへの連絡が少しでも遅れていれば、中央情報局が出てくることもなく、彼はその事で即刻、懲戒免職になっていただろう。
そうなれば、漆黒は元の野良クローンに戻っていたはずだ。
野良クローンは、闇の世界に逃げ込んでそこで一生を送るか、処置場に送られて解体されるかだ。
漆黒は、いくら相手の精神状態が不安定だったとはいえ、民間人に向かって発砲している。
これを「危ない橋」と呼ばないでなんと表現するのか。
あるいは、彼がクビにならなかった本当の理由は、この部屋で落ち合う事になっている政府捜査官の影響力かも知れなかった。
「ところで、あんたのピギィは、どうしたんだ?」
レオンの陰のように、いつも彼に寄り添っているはずの豚男の姿が、ずっと見えなかった。
漆黒は思った以上に、スピリットの存在を気にし始めている自分に嫌気を感じながらレオンに聞いた。
「奴は、俺との任務の途中で、頭のさっきちょからゾンビどもに食われちまった。」
漆黒は、被弾してもしばらく動き続けていたペネロペの形相を思い出して、思わず言葉を失ってしまう。
鷲男に至っては、ゾンビのバイブレーションに触れただけで精神的な暴走を始めたのだ。
ゾンビとスピリットは最悪の相性を持っているのかも知れない。
「おいおい、冗談だよ。ピギィは今、調整漕でプカプカ浮かんでリハビリ中さ。その原因はどっかの馬鹿野郎が、ピギィがこの俺のご機嫌伺いばかりをしてると、ドク・マッコイに告げ口しやがったからさ。」
『あんたをサシたのは、この俺さ。』と思わず漆黒は口を滑らせそうになったが、黙っていることにした。
この男は、そういった冗談の通じる相手ではない。
それに、この件でレオンと漆黒の間に入っているのがマッコイなら、いや『正常な時のマッコイなら』、ピギィについての情報提供者を、こいつにばらすような事は決してしない筈だ。黙っていれば判らない。
ましてや今後の展開を考えれれば考えるほど、このレオンとは仲違いをすべきでないと思われたからだ。
「そういうお前さんのスピリットの方はどうなんだ?」
レオンは腹の出っぱりをものともせず、そのまん丸の顔を、下から突き上げるようにして漆黒に向けた。
『いったん暴走しかけたスピリットが、ドクに回収されたらどうなるか?』
スピリットを預けられた人間が、そういう点に興味が湧かないわけがない。
おまけにレオンは、ピギィに首ったけの人間だ。
「完全に復調したそうだ。しかもおまけつきでね。漆黒君のスピリットは、訓練不足で喋る事が出来なかったそうだが、あの後、簡単な単語なら発声出来る様になったらしい。」
田岡が再び二人の話に割り込んでくる。
重要な情報は全て自分が知っているんだと言わんばかりだった。
政府直属の捜査官をこの部屋に入れる前に、会話の流れのリーダーシップを取りたかったのかも知れない。
田岡もやることが、第七統合署署長の蔡に良く似ていた。
漆黒は、田岡の口を殴りつけたくなる衝動に駆られた。
田岡の言いぐさでは、鷲男をしゃべれなくしていたのは、自分の責任の様に取れる。
「ひょう!そいつはすげぇな。人間で言うと、いわゆるショック療法って奴だな。今回のトラブルで俺たちはスピリットについて、これで三つの重大な発見をした事になる。」
そんな田岡を無視して、レオンはあくまでも自分のペースで話を進める。
「一つめは、スピリットの暴走は、『非常に精神的なテンションの高い状態にある人間』と共鳴して起こるって事だ。」
「えっ?暴走はスピリットの過剰な防衛反応が引き金になるんじゃないのか?」
田岡が素っ頓狂な声を上げた。
この分だと、田岡は漆黒の報告書を読んだ時点で、勝手に『スピリット暴走過剰防衛反応説』を自分の頭の中で作り上げていたのかも知れない。
「署長さん、困るな。いくら署の番号が違うからって、部下が上げた報告書は詳細に目を通さないと。あの場面では、スピリットの方が圧倒的に有利な筈なんだ。ペネロペ・アルマンサの変わり果てた姿を見て、パニックを起こすのは人間だけで、スピリットがゾンビに恐怖を感じる謂われはどこにもない筈だ。署長さんは、スピリットの戦闘能力の高さが、どれぐらいあるかまだ判っていないんじゃないかな?女ゾンビなんて赤子同然だ。」
所属こそ違え、レオンの階級は田岡よりずっと下だった。
そのぞんざいな口の利き方には、何か別の力関係がこの二人に働いている事をうかがわせた。
「スピリットたちは、人間の側にいるだけで急速に精神が発達する学習機能が組み込まれているんだ。そいつが、学習ターゲットとして組み込まれていない対象であっても、人間に似た何者かが、超ハイテンションの精神活動や、異常な精神パターンで活動していたらどうなるか、、。今回のは、その証明みたいなもんじゃないか?」
レオンの物言いには、遠慮がまったくない。
所轄に縛られないで広域捜査が出来る特権だけでは、階級的に上の田岡にこのような態度はとれない。
やはりレオンは田岡の個人的な弱みか何かを握っていて、それを脅しに使っているのか?漆黒はそう考え初めていた。
「あんたの言う、二つめは、なんなんだ?」
『そして、こいつは、ただの公安のくせして、なんでこんなにスピリットに詳しいんだ?』
漆黒は、次第に不機嫌になっていく自分の心を感じながら、レオンに訪ねた。
「さっき言ったろうが。ショック療法が有効だという事は、スピリットたちの精神構造がやっぱり人間のそれに近いということさ。ドク・マッコイたちは、しきりとそれを否定して、なにかスピリットたちを別枠の神秘的なものに仕立て上げたがっているが、奴らはやっぱり亜人類なのさ。」
・・・亜人類。
その発言の後、室内にしばらくの沈黙が訪れた。
誰かが、レオンの発言を回収しなければならない。
亜人類の単語は、公用の場では「きれいな爆弾」に次ぐ、禁句中の禁句だ。
それどころか一般社会でも自然発生的に忌避され続けてきた言葉でもある。
「亜人類」も「きれいな爆弾」も、人々に直接的な恐怖心を呼び覚ます言葉だったからだ。
「レオン君。今のは、まずいんじゃないかな。今後、そんな言葉が、君の口から出てくるようなら、この部屋を、君の『管轄違いの上司』が来るまでの待合室として提供できなくなるが、それでもいいかね。」
漆黒も、それだけは田岡と同意見だった。
確かにレオンは調子に乗りすぎている。
『亜人類』
今のは、この場では絶対に禁句だ。
レオンにもその雰囲気が伝わったのか、彼は、彼のほとんどない首をすくめた。
「それなら急いで三つめだ。スピリットの成長は、やっぱり飼い主の能力に左右されるという事さ。」
漆黒が、自分に対するレオンの当てこすりが再び延々と続くのだろうと覚悟を決めた時、彼ら三人が待ち続けていた人物、jp.CIA 中央情報局所属の捜査官が登場した。
0
お気に入りに追加
41
あなたにおすすめの小説
あなたのファンになりたくて
こうりこ
ミステリー
八年前、人気漫画家が自宅で何者かに殺された。
正面からと、後ろから、鋭利なもので刺されて殺された。警察は窃盗目的の空き巣犯による犯行と断定した。
殺された漫画家の息子、馨(かおる)は、真犯人を突き止めるためにS N Sに漫画を投稿する。
かつて母と共に漫画を描いていたアシスタント3名と編集者を集め、馨は犯人探しの漫画連載を開始する。
解呪の魔法しか使えないからとSランクパーティーから追放された俺は、呪いをかけられていた美少女ドラゴンを拾って最強へと至る
早見羽流
ファンタジー
「ロイ・クノール。お前はもう用無しだ」
解呪の魔法しか使えない初心者冒険者の俺は、呪いの宝箱を解呪した途端にSランクパーティーから追放され、ダンジョンの最深部へと蹴り落とされてしまう。
そこで出会ったのは封印された邪龍。解呪の能力を使って邪龍の封印を解くと、なんとそいつは美少女の姿になり、契約を結んで欲しいと頼んできた。
彼女は元は世界を守護する守護龍で、英雄や女神の陰謀によって邪龍に堕とされ封印されていたという。契約を結んだ俺は彼女を救うため、守護龍を封印し世界を牛耳っている女神や英雄の血を引く王家に立ち向かうことを誓ったのだった。
(1話2500字程度、1章まで完結保証です)
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
カフェ・シュガーパインの事件簿
山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。
個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。
だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
かれん
青木ぬかり
ミステリー
「これ……いったい何が目的なの?」
18歳の女の子が大学の危機に立ち向かう物語です。
※とても長いため、本編とは別に前半のあらすじ「忙しい人のためのかれん」を公開してますので、ぜひ。
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる