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第1章 ホムンクルス刑事と人造精霊

04: 泥濘ストリート

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 漆黒は、泥濘ストリートに向かう車の中で、運転を鷲男に代わろうかと考え始めていた。
 能力的にはドク・マッコイが言った様に充分できるはずだった。
 漆黒が、そういった事をさせないから、鷲男の経験値が上がらない。
 結果的に鷲男は木偶の坊のまま、という悪循環に陥っているのかも知れなかった。

 漆黒は、スピリットを育て上げ不足しがちな警官にしていくという、このプロジェクト自体に不信感を抱いていたし、それが成功しないと感じている多くの警察官の内の一人だった。
 しかし、自分が預かっているスピリットが、一向に成長を見せず内心焦り始めている所に、昨日の豚男との屈辱的な遭遇を果たしたのだ。
 神山に付いている牛男と鷲男の比較で言えば、そういった苛立ちは日常茶飯事だった。
 逆に言えば、それらの苛立ちは、漆黒の心の中に、鷲男に対する関心が膨らみ始めているという証でもあった。

「よし、もういいだろう。今度のヤマはでかそうだ。いつまでもお前の面倒はみていられない。出来るかどうかはわからんが、今日から、お前は俺のサポートにまわる。」
 漆黒はここで言葉をくくって、次の言葉を付け加えた。

「いいな。だからって、俺の相談相手になれと言ってるんじゃないんだ。俺が両手を使わなくてはいけない時、お前は、俺のどちらかの手の役割をするか、補助をする。ただ、それだけでいい。」
 漆黒は幹線道路の流れから車をそらせ、道端に止め運転席から降り反対側に回り込んだ。
 助手席のドアを開けると、座っていた鷲男にゆっくりと正確に命令した。

「運転をかわるんだ。行き先は泥濘ストリートだ。」
 するとまさに、鷲男は漆黒の命令を聞き分けたかのように、助手席から離れ運転席に座った。
 更に、そればかりか鷲男はエンジンをスタートさせたのだ。
 ステアリングを握っている鷲男の手は、染み一つなく力強く優雅そのものだ。
 「鷲男」だからといって、猛禽類のかぎ爪をその手に付けなかったドク・マッコイのセンスが光っていた。
 見惚れるほどだ。

「やれば、できるじゃないか?」
 漆黒は少し興奮ぎみにいったが、暫くしていらだちが募ってきた。
 鷲男は優雅にハンドルを持って正面を見つめたまま、一向に車を発進させようとしない。
 漆黒は怒りを爆発させる前に、ふと心に思い浮かんだある一つの事を試してみる事にした。

「悪かったな。泥濘ストリートってのは、第十七ブロックBB04一帯の俗称だ。このルートからだと、南南西から入り込んでいけば、17BB04の中でも特に中心となる地域に辿り着く。そこに行ってくれ。」
 漆黒がそう説明し終えたとたん、鷲男は車を実にスマートに発進させた。



 現在の泥濘ストリートは、一部を除いて、寂れた色町だった。
 しかし、漆黒が「物心ついて」間もない頃には、泥濘ストリートは、その名前の由来通り、男達にとってはどうしようもなく「ぬかるんでいて最低」で、同時に「最高の街」だったのだ。
 西のアンダーワールドで、仲間たちとくすぶっていた漆黒でさえ泥濘ストリートには憧れを抱いていたものだ。

 泥濘ストリートは過去において、余りにも色町として成長し過ぎたのかも知れない。
 やがて街の活気は飽和した安定の中、低調になり、男たちの目は違う刺激のある土地に向いていった。
 こうした色町に必要な湿り気が、その頃はすでに泥濘ストリートから乾燥してなくなっていたからだ。
 人が足を取られるぬかるみから、目や喉に不快な刺激を運ぶ土地埃の舞う街になったという事だった。

 しかし、時代の流れは、再びこの街にSEX産業の活気を与え始めていた。
 きっかけは、この南北に長く伸びた泥濘ストリートの南の外れ、つまり背後を港の倉庫街にしたもっとも寂れた場所に出現した一種の『際物的な性』をセールスポイントにした娼館だった。
 そこにいた娼婦達が変わっていた。
 彼女たちは全て、法的にぎりぎりのバイオアップ処置者だったのだ。
 そこでは、人間が想像するあらゆる欲望を直の肉体で応え、満たす事が出来た。
 そこで体験出来ないのものは、死姦だけだともいわれた程だ。

 やがて泥濘ストリート南部は、その一軒の娼館を核として、かなりの秘密性と危険性をもった色町として再生したのである。
 昨夜、港の倉庫街で転がっていたゴム人形は、こうした泥濘ストリート南の特殊娼館で雇われていた娼男の一人だったのだ。
 そして殺された男の身体は、法定基準を遥かに上回った処置を施されていた。
 法定基準を上回った処置、つまりそれは、かって人間であった頃の社会的存在証明を失うという事でもある。
 社会的存在証明は、全てのクローン人間達に取って最大の悩みの種だというのに、人間の中には、それに全く興味がない者も存在するという事だった。

「・・だからあの被害者は、ある意味でお前たちと同じ存在だと言えるな。人間であって人間ではないんだ。どこから来たかというスタートは違っても、何処まで来ちまったのかという結末は同じなのさ。」
 漆黒は、昼間の泥濘ストリートの裏わびしい光景を車の中から眺めながら、昨日の調査結果の感想を、職業的ではない口調で鷲男に語りかけていた。
 それは、独り言のようでもあり、同時に家族に向かって使う口振りのようでもあった。

 無理もないのかも知れない。
 同乗者が人間なら、漆黒も刑事然とした喋りをしただろうが、相手は一言も喋らないスピリットなのだ。
 そして彼自身はクローン人間である。
 漆黒は自分の頭の中で考えている事を、そのまま口にしているのだった。
 『お前も、俺も、奴も、皆一緒だ』と。

 漆黒はその表面のポーズとは裏腹に、多分に『湿った部分』のある男だった。
 自分の原体である漆黒賢治なら、おそらくそんなセンチメンタルな事など考えもしないだろうと漆黒は思った。
 なにせ漆黒賢治は、この世の知的生命体の既存体系をグチャグチャにして平気な男だったからだ。

「ようし、左手正面に白い教会風の建物があるだろう。あの横の駐車場に車をいれるんだ。昨夜はあまり時間がなくて聞き込みが不十分だったが、今日は経営者を少しは締め上げてやれるだろう。」
 漆黒は『聞き込み』を強調して言った。
 それは、これから行われる事が、『聞き込み』ではないことを意味している。
 鷲男はいつものごとく、頷くことをしなかったが、それでも漆黒の指示を忠実に実行した。



「ボス。ボスに会わせろと下で暴れている男がいるんですが。」
 張果は、事務室のコンピュータにアップロードされたバイオアップ処置者のデータ一覧を見る作業を、部下に中断され、露骨に顔をしかめた。

 『どんなタイプの処置者を雇い入れて、誰を首にするか。そいつがこの業界では一番大切なことだ。』
 娼館ライジングサンの運営のほとんどは、支配人のブルーノに任せてあるが、この差配だけは別だ。
 ブルーノにも、この作業の勘所を見せてやろうと思っていたが、あいにく今日はそのブルーノ自身がどうしてもはずせない私用とかで、店には上がっていなかった。

「馬鹿もの。そんな事は警備会社に任せろ。その為に大枚を払ってるんだろうが。」
「それが、できないんで。」

 張果に声を掛けた男はガンズと呼ばれている。
 張果直属の部下だ。
 最近、動きの怪しいブルーノを監視させるため、娼館ライジングサンに週3回ほど寝泊まりをさせている。
 ガンズ自体もバイオアップ処置者で、それなりに荒事をこなせる男だったが、そのガンズが困惑したような表情を見せて、その場を動かなかった。
 よく見るとガンズの口の端が切れて、血が滲んでいた。
 既に、その相手と少しばかり、やり合いをしたらしい。
 バイオアップのガンズが本気で闘えば、大騒動になっていたはずで、張果がそれに気がつかない訳がない。
 要は、その一歩手前だったという事だ。

 張果は、ようやくコンピュータのディスプレィから、どこか馬を思い出させるような、その面長の顔を上げる気になった。

「その野郎、自分は刑事だと名乗っています。」
「警察?、、、だと、、。」
 張果は、ある種の懐かしさも込めて、「警察」という単語を舌の上に転がしてみた。
 張果はこの業界では最古参だ。
 最近の警察権力の衰退ぶりも、彼らが時々跳ね上がった時に見せる権力の残量もよく心得ている。

 その判断からすれば、確かに相手が刑事なら、その対応に警備会社を当てることは適切でない。
 警察は、相手がライバルである『民間』になった途端、異様な力を発揮するからだ。
 現実面での両者の実質的な力の格差は歴然としているが、本気で表ざたの法的勝負をすれば、まだまだ侮れないのが警察権力というものだった。

「しかたがないな、、。儂が相手をする。通せ。」
 張果はウンザリしたように言った。


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