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第1章 ホムンクルス刑事と人造精霊

03: 精霊の父、ドク・マッコイ

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 ドク・マッコイは、入室してきた漆黒の顔を認めると、柔らかな輪郭線のせいで初老の女性のようにも見える細面の顔を柔和にほころばせて見せた。
 スーツに合わせた洒落たバラ色のストールが、これ程、似合う男性も珍しい。
 彼が科学者だと知らない人間なら、ドク・マッコイは年老いたバレーダンサーのようにも見えるだろう。

 彼らのいる部屋は、署内でダブついてしまった取調室を改装したもので、手狭と言えば手狭だった。
 それはドク・マッコイが、各統括署ごとに持っている彼の仮派出事務所の一つでもある。
 しかし仮事務所であっても手狭であっても、その空間は、一ヶ月のうち良くて数時間しか使用されないのにも関わらず、部外者である彼一人の為だけに、完璧に確保されている。
 それだけドク・マッコイは、いやこの精霊プロジェクトは、警察機構に大きな影響力を持っていたのだ。

 もしこんな狭い部屋で、『いってしまった』ドク・マッコイと相対しなければならないとなると、ゾッとする。
 そこまで考えて、漆黒は、この面談を他の何よりも重視したのが正解だったと、思い直していた。
 入力末端器は、自分を待たせたからと言って、機嫌を損ねたりはしないからだ。

「あの、俺は何人目のカウンセリングですか?」
 もちろん漆黒は、これがカウンセリングではなく、警察側からのドク・マッコイに対する「協力」である事を知っている。
 漆黒は、尊敬している先生の前で畏まっている不良学生のような口をきいた。
 漆黒はもっとましな、それらしい喋り方も心得ていたが、こういったものの言い方が、ドク・マッコイの心象を良くする事を知っていたのだ。

「三人目です。が、カウンセリングという表現は正確ではない。助けてもらっているのは、むしろ私のほうだ。あなたがたのお陰で、スピリット達は順調に成長している。また、こうして彼らの導師であるあなたがたとの面談で、私は別の側面で、彼らの成長過程を知る事ができる。それは我々、科学者の研究や仲間同士の情報交換では、決して得られない貴重なデータなのですよ。」

 それは機嫌がいい時の、ドク・マッコイの言い回しだった。
 決して素人相手に難しい専門用語を使おうとはしない。
 かみ砕いて、物事を喋る。
 それが、かえって聞いている方の気分を害してでもだ。
 もちろん漆黒のほうも、月に一度、各署を巡回して行われるこの面談会で、ドク・マッコイが専門としているバイオテクノロジー理論や専門用語を駆使した会話に、ついていけるとは思っていなかったが。

 実際、漆黒がこれまでの面談でドク・マッコイと話した内容を全てまとめても、『スピリットを預かった一刑事の愚痴話』という域を出ないことでも、それがよく判る。
 要するに漆黒の場合、彼から出るのは『お宅から預かった見習い弟子は出来が悪くて、、。』そんな話ばかりなのだ。
 それがドク・マッコイのような専門家にとって、どんな意味があるのだろうか?
 漆黒はそんな疑念を抱きながら、昨日出会った豚男の事を話した。

 ドク・マッコイの瞳が、鷲男と豚男とのコンタクトのくだりで危険なくらい煌めき始めた。
 スピリット達は、国家プロジェクトとして、各ブロックを統括する統合署を一つの単位として、おのおの数個体づつ預けられている。
 漆黒達に、このプロジェクトの詳細が教えられる事はなかったが、それでも一応、スピリットを預けられた刑事達は、その個体数がスピリット同士が路上で簡単に鉢合わせをする程多くはない事を知っていた。
 漆黒達が所属するような規模が大きな統合署管轄内でさえ、スピリット同士が街で出会うのは珍しい事なのだ。
 それが、『事件の現場』で出会った。
 ドク・マッコイの目が輝くのは当たり前だったのかも知れない。

「・・・で。君の口ぶりでは、スピリット嫌いの君が、自分のスピリットが相手のスピリットより劣っていると思って悔しがっている様に思えるのだが?」
 事の成り行きを事細かく聞き終えたドク・マッコイは、自分自身の最後の言葉を、スピリットではなく、漆黒の心理状態に焦点を合わせるように喋った。

 ドク・マッコイは、漆黒の正体がIDを再登録した野良クローン人間である事を知っているのか?
 漆黒にはそれが判らない。
 知っていればドク・マッコイの頭脳なら、この件で示した漆黒の感情と反応について、常人には及びも付かない考察が働かせていた違いなかった。
 『クローン体はバイオロイドである精霊にどんな共感性を見いだすのか?』などといった事を、目の前の相手に考えられていると思うと、漆黒の気持ちは落ち着かなかった。

 その事が多少、漆黒の気分を苛立たせたようだった。
 漆黒はドクから、彼自身のカウンセリングを受けるつもりはなかったからだ。
 と言うよりも、人間の誰にも、自分がクローン体であることに触れられて欲しくなかった。
 最初にドク・マッコイへ、カウンセリングと言ったのは、単なるリップサービスに過ぎない。
 そして基本、漆黒は相手に自分の心の内を読み取られるのが、大嫌いな男なのである。

「博士は、心理学の単位もお取りで?」
 漆黒は嫌味のつもりで言ったのだが、ドク・マッコイはさらりと「そうだ」と答えた。
 学問の頂点というものが、高度に専門細分化された今、例えそのお互いが複雑に絡み合っていたとしても、系統の違う二つ以上の分野を完全にマスターするのは事実上不可能といえた。
 にも関わらずドク・マッコイは漆黒の知るところ、すでに三つの専門分野のエキスパートだった。
 心理学を合わせると、これで四つ目という事になる。
 口の悪い連中は、『だからドクは、あんななんだ。』というが、、。
 漆黒の原体である漆黒賢治も、生前はスーパードクターだったらしいが、同時にとんでもないクズ野郎だった。

「気にしなくてもいい。君のスピリットは決して劣ってはいない。スピリット達の精神には個体差があるんだよ。人間にも無口な者もいればよく喋る者もいる、それと同じ事だよ。勘違いしてはならないのは、彼らには、君たちへ弟子入りする前に、人間としての基本的な行動パターンやケースバイケースの対応を既にインストールしてあるという事だよ。その上、コアになる学習機能も完全に調整してある。つまり君たちが考えるように、赤ちゃんの状態で、君たちは彼らの相手をしている訳ではないという事だ。」

「、、という事はなんですかね、博士。鷲男の奴は俺と別れたあと、奴のねぐらに帰ってから、『今日は少し無口過ぎた、あれじゃ自分の主人に恥をかかせる事になる』みたいな、反省をしてるって訳ですね。」
 漆黒は、彼の頭では想像もつきがたい場面設定を使って嫌みを言った。
 第一、漆黒はスピリットが、どこで休養を取るのかさえも知らない。
 彼らは『その時刻』に、何処かの『待合室』で待機しているのだ。

「かも、知れないね。」
 ドク・マッコイは謎めいたほほ笑みを浮かべた。

「いずれにしても問題を抱えているのは、君のスピリットではなく、君のいう『豚男』の方かもしれん。我々が育てようとしている知性は、犬のそれではないし、人間の精神の卑小なコピーでもない。まさにスピリット、『精霊』そのものなんだよ。彼らは気高きイグドラシルの生き物なんだ。」
 『イグ、ドラドラ?なんだそりゃ?新手の覚醒剤か?』
 ドク・マッコイの薄くて淡い青色の瞳に、菫がかった靄のようなものが、かかり始めてきた。
 ドク・マッコイの精神は、もうすぐ飛んでいってしまいそうだった。
 どうやらあの肥満体の豚男の躾け方が気にくわないらしい。

 彼が不機嫌な時に突入する『あの精神状態』が、漆黒を対象としていない分、遙かにましといえたが、それでもこれでは、漆黒がわざわざ日報を後回しにした甲斐がない。
 継続捜査中では、区切りの日報を入れないと、次の捜査に移れない。
 つまり捜査活動が控えているからと言って、漆黒はこの場を逃げられないのだ。
 自動拳銃の薬莢排出にトラブって、次弾が撃てなくなったようなものだ。

 その時、まさにそのタイミングを推し量ったように、鷲男が彼らのいる部屋にエレガントに入室してきた。
 ただしノックや挨拶などは、いつもの様になかったが、それでもその流れるような動作で礼節のなさを十分帳消しにしていた。

 ドク・マッコイの表情も、この鷲男の登場で、通常のものにやや戻ってきたようだ。
 ドク・マッコイは、普段から自分の事を「スピリット達の父」と呼び表し、彼らを誰一人分け隔てなく愛しているように表現しているが、漆黒の観察では、少し違う評価になっていた。
 実際に、今、ドク・マッコイが鷲男を見る目は、兄弟の中で一番出来のよい息子をみている父親の誇りめいたものを感じさせた。
 もっともそれはドクにおいての話で、鷲男は、今の所、漆黒にとっては足手まといの存在以外の何者でもなかったのだが。

 とにかく漆黒は、この不出来な弟子の入場によって、ドク・マッコイとの面談を打ち切る事に成功したのだった。
 しかも、その成功の原因は、なんと、鷲男が『早く日報報告を終え捜査活動を再開しなければいけないのに、モタモタしている相棒を捜し』に来てくれた事にあったのだった。






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