混沌王創世記・双龍 穴から這い出て来た男

Ann Noraaile

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第6章 魁けでの戦い

72: 離陸する空中空母

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「いよいよこの空を飛んで見せるのだな?ネロ・サンダース。」
 そう言った混沌王の顔は少年のように輝いていた。
 アレンが、時折教えて貰う混沌王がいた世界にも、飛行体と呼べる存在はなかったそうだ。
 もちろん、その理由は、この世界のように空が危険だったからではない。
 またその為の科学力がなかった訳でもない。
 混沌王のいた世界の文明が、空を飛ぶ必要性を持っていなかったからだ。

 空は実際に存在するという神々の領域だったし、光の壁の向こう側の人々は、何よりも、彼らがモノケロースと呼ぶ生き物と共に野を駆けることを愛したのだ。
 だがこの世界に流れ着いた混沌王は激しい好奇心の持ち主だった。

「王よ、この先の森林は、何処までも続いております。王の見たがっておられた国々は、その先にあるのです。私は長い時をかけて歩いて、そこまで辿り着きました。王の軍では、到底そこまでは到達できますまい。」
「サンダース殿、今の言葉は聞き捨てなりませんな。」
 親衛隊長のカハナモクが時代がかった台詞回しで言った。
 混沌王の側にいるとほとんどの人間はそうなるが、誰もその事を不思議に感じていない。
 カハナモクの過去は、アクアリュウム軍の突撃隊長だが、今は完全な混沌王信者、つまり誰よりも深く魔法にかかっている。

「ネロ・サンダースは、軍の通常進軍では森林地帯を突破するには時間がかかりすぎ、目的に到着した頃には兵が疲弊しつくしているという事を言っているのだろう。我が軍の能力が、劣ると貶しているわけではないのだ。サンダースは、いつもこんな風に喋る、許してやれ、カハナモク。」

「はっ。」
 カハナモクは、座席に座りながらも直立不動のような状態で答えた。
 そんなカハナモクの様子に、ネロ・サンダースは苦笑し、ちらりと視線をアレンに送ってきた。
 アレンはネロ・サンダースに、軽く頷き返したが、直ぐにその視線を司令室の巨大窓に広がる光景に戻した。

 そこには、見る者を圧倒するような巨大樹の壁が延々と広がっている。
 外界には「緑の魔」と呼ばれる植物相があるが、ここには「緑の魔」のような禍々しい印象がない。
 自然が環境汚染に立ち向かっているといった印象さえ受ける。
 実際には、この巨大樹も突然変異による外界適応の一つの形に過ぎないのだが、余りにも巨大で真っ直ぐに伸びる針葉樹林の様相がそう思わせるのだ。

「サンダース隊長、。離陸前のこんな時だが、窓際に行かせて貰っていいかな?外の景色がもっと見たいのだ。」
「数メートル、外界に近づいた所で、よく見えるようになる訳ではないが、気持ちは良く判るよ。私も小さい頃には、乗り物の窓に良く張り付いて外を見ていたからな。それに、離陸する時でもこの船は揺れない。揺れたとしても、近くにある何かを掴めば、充分に耐えられる程度だ。レイニィ卿、大いにこの船の離陸の瞬間と、世界の景観を楽しんでくれたまえ。」
 ネロ・サンダースは、わざと司令室内に響き渡る声で言った。
 それを聞いた混沌王が、かすかに笑っている。
 そう言うことによって、サンダースは操縦系に携わる全ての人間達に、『完璧な離陸をせよ』と、檄を送っているのだ。

「総員、離陸準備!」
 司令室にいる身体を強化をしていない人間達は、それぞれの座席についている安全ベルトを装着し始めた。
 アレンは自分の席から離れ、観測員席がある窓際まで進んだ。
 観測員は、ネロ・サンダースが作成したマップ上でリアルタイムで起こる現実の事象を分析しながら、微調整した進路情報を、操縦士に伝える役目を持っている。
 その分析の中には、ネロ・サンダースが言ったナビ・バイオロイド頭脳との交信も含まれているのだろう。

 観測員の為に窓際には、様々な危機が埋め込まれたコックピットのような部分が扇状に4箇所用意されてあって、その内の二つの間に、アレンは自分の位置を決めた。
 窓の間近に来ると、この機体が地表から浮き上がっている様が良く見えた。

「離陸せよ!」
 グンと下からつき上がってくるような衝撃が来た。
 アレンは思わず隣にある観測員席の縁に手を掛けた。
 強化された身体だから、この程度の衝撃はなんともないはずだが、意識が強化されたわけではないのだ。
 ましてや生まれて初めての「飛ぶ」感覚だった。

 高度が上がっていき、目の前の光景も変化していく。
 今まで見上げるように見えていた巨大樹の側面が水平に見え、とうとう樹林の頂上が織りなす濃緑の絨毯が広がり始めた。


 縁を掴んでいる座席の観測員の手が、忙しく、目の前にあるパネル操作をし始めた。
 ある瞬間、その観測員の上腕が軽く、座席の縁をつかんでいたアレンの指先にかすかに触れた。
 観測員の身体の中に、「黒いもの」が在るのが感じられた。
 アレンの顔が青ざめた。

 そしてアレンは「相手の身体の何処かを触っていれば、その相手のバイオアップ部分に意識がリンクする」と言ったドクター近衛の言葉を思い出した。
 念の為に、アレンはその観測員の安全ベルトを見た。
 安全ベルトは、しっかり装着されている。

 観測員の顔とネームプレートを確認して、自分の記憶の中にある資料と比べてみる。
 観測員の名前は、夏燕 櫂。
 この観測員にバイオアップ歴はない筈だ。
 だが何故、この観測員からは、こんな反応が返ってくるのか?

 このバイブレーションはバイオアップ者のものだ、だが通常のものではなく、至極些細なものだ。
 普通の事前調査などでは、割り出せないだろう。
 何の為のバイオアップか判らない、使途不明な、何か異様なものだ。

 アレンはフラフラと自分の席に戻った。
 空中空母は、既に安定飛行に入っている。
 席に座り直したアレンは、自分が感じた疑惑を混沌王、あるいはサンダースに伝えるべきだと思ったが、そうする為には、アレンが混沌王の施したバイオアップに手を加えた事を知らせる必要があった。
 ただなんとなく、ある男が怪しいだけでは、説得力がない。
 サンダースは、元の位置に戻ったアレンの顔色の変化に気づいていたが、それは初めての飛行体験から来るものだと捉えたようだ。

 アレンは、その観測員について考えて続けていた。
 その時、遠征出発前に混沌王から与えられたタブレット資料を見た時に感じたあの引っ掛かりを思い出した。
 自分は、あの観測員の事を前から知っているのではないか?
 アレンはそんな気がし始めていた。
 しかし自分のやくざな経歴から考えて、自分がアクアリウムの高学歴者と関わるような事があればそれは鮮明に覚えて居るはずだ。

 ならばどこで?
 タブレット資料にあったのは顔写真と名前とプロフィールだ。
 名前は確かに珍しい、顔はそれ程印象的ではない。
 なのに、なぜ引っ掛かっている?

 ニュース記事だ!
 ずっと以前に俺は、夏燕 櫂の名が登場するニュース記事を読んだ事があるのだ。
 それはヘブンズゲート事件に関連するものだった。
 混沌王軍の地上への展開は、今でこそ民間の犠牲を最小限に留めようとした素晴らしく抑制された戦いだったと評価されているが、それでも革命の汚点として残り続けているのがヘブンズゲート事件だった。
 事件は、アクアリュウム軍の一司令官が自陣内の民間施設を盾に使った事から始まっているのだが、実際にその手を多く血に染めたのは混沌王軍の方だった。
 その犠牲になった民間人の中に夏燕 櫂がいた。

 アレンが大勢の被害者の中で夏燕 櫂の名を憶えていたのは、彼のケースがもっとも戦争の矛盾を感じさせる具体例だったからだ。
 夏燕 櫂の家族は全員死んでいた。
 生き延びたのは彼だけだった。

 アレンがその記事を読み終わったときに、否応もなく記憶に焼き付けられたのは小さな夏燕 櫂の顔写真の目元に漂っていた、どうしょうもない空虚感だった。
 『自分が相手から受けた傷みや苦しみを、その相手にどんなに分からせてやりたくても、本当に思い知らせる方法などない。それは殺されて死んだ人間が、殺した奴を殺せないのと同じだ。』
 その目はそう語っているようだった。

    ・・・・・・・・・


「あんたから貰った混沌王の計画書じゃ、相手の船はもうそろそろ飛び立つぞ。こっちもそろそろ飛ぶタイミングじゃないのか?瑠偉の計算によると、この船の最大出力を使えば、もう少し遅くていいらしいが、何か他に算段でもあるのか?」
 そんなシャビエルの言葉を聞いたレイチェルがゲナダを睨んできた。
 ゲナダにはシャビエルの言う事が判っていた。
 迷っていたのだ。
 二機が飛び立てば、遮るものない空の上だ。
 もう逃げ隠れは出来ない。

 奇襲が成功するのは、混沌王機に忍び込んだあの男がある程度の騒乱を起こし得た場合だけだろう。
 いずれお互いの存在が判って、必ず交戦状態に入る。
 こっちが逃亡しても混沌王機は予定を変更してでも追ってくるだろう、そして相手を破壊する。
 それが混沌王だ。
 つまり飛び立った時点で、抜き差しならない状態になる。

 ゲナダは自分が臆病風に吹かれたなどとは考えていない。
 確かに今の状況を打開するには直接混沌王の首を取るしか方法はないとレイチェルに、いや『曙の荊冠』に提案したのは自分だし、それは間違っていない。

 だがそんな事の為に自分の命を賭けるのか?という気持ちがここきて強くなった。
 民のためなどというきれい事で言えば、混沌王を生かしておく方がずっとましだ。
 理念に傾倒する『曙の荊冠』が、次の国作りを担えるとは思えない。
 そして自分には、レィチェル達が持っているような思想などはない。
 いや、ずっと昔には持っていたような気がするが、今はもうない。

 レイチェルは相変わらず、黙ってゲナダの顔を見ている。
 ゲナダの心がチリチリと燃え出す。
 、、ああ俺の動機はこれだったな、、とゲナダは諦めた。

「そうか、そんなタイミングだったな、忘れてたよ、シャビエル。今すぐやってくれ。」
「オーケー、艦長!瑠偉やれ!」
 マテウス・シャビエルが言った途端に、曙号の下から衝撃が突き上げてきて機体が上昇するのが判った。

「カーリ、ついでに強襲待機室のお客様たちにハッパをかけてやったら?この曙号で混沌王機の上に空中で被さって、上から彼らが混沌王機に飛び降りて強襲をかけるって方法もあるわよ。彼らはマシンマンなんでしょ?カリニテならそれくらいは言わなくてもやったわ。」
「おまえさんは、つくづくきつい女だな。俺ならそんな事より、まずは混沌王機に潜り込んだ夏燕の成功を願うね。」
 その言葉にレイチェルは答えず、沈黙を守った。
 バイオアップによる人間爆弾、、レイチェルは未だにその発想になじめなかったのだ。


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