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第5章 混沌王の創世
52: 蘇る記憶
しおりを挟むアクアリュウムの天蓋は完全に開ききっていた。
地上の人間達は、アクアリュウム内の急激な空気の変化で、否応もなくそれに気付かされていた。
そしてゲヘナの地上への侵攻、、パニックが起こらない筈がなかった。
だがゲヘナは、そのパニックを早急に解消するための手だてを講じていた。
ゲヘナが用意した緊急避難ゾーンへの誘導と呼びかけ、そして今後の方向性の提示が、彼らから矢継ぎ早に出されたのだ。
今のアクアリュウムは、パニックと平定への動き、それら二つの要素がせめぎ合っていた。
だがママス&パパス・マウンテンの麓では、パニックだけが最高潮に達していた。
ここに殺到した人々はゲヘナの迫害からキングが守ってくれると思った人々、そしてそれを拒否された人々だったからだ。
そんな人間の一人である一人の少女が死にかかっていた。
動乱の中で、親からはぐれたのである。
彼女は多発する暴動に巻き込まれ、群衆が破壊したものや、捨て去ったゴミの中で息絶えようとしていた。
大蜘蛛は、その少女の側に落下していた。
大蜘蛛は、半知性体だった。
このままでは、自分の機能が停止するのが判っていた。
だが大蜘蛛の使命は終わっていない。
大蜘蛛は自らの様々な戦略的機能を放棄して、メイン機能だけを、違う形で残す選択をした。
大蜘蛛は自らを分解し、死にかけている少女の身体に、それを移植・再構成しはじめたのだった。
そんな大蜘蛛からさほど離れていない地点に葛星が倒れていた。
混沌王に断ち切られた腕の断面や背中の穴はゼリー状のものに覆われているから、鎧自体の蘇生機能はまだ停止していない事は判った。
ただ中にいる弾駆も鎧も、今までで最大のダメージを受けている。
命を取り留める事が出来るかどうかは、運レベルの問題だった。
そんな中で弾駆は失われた記憶を断片的にランダムに思い出していた。
つまり今度の蘇生は、バラバラになった肉体と魂を拾い集めての再構成という作業に近かったのだ。
・・・・・・・・・
葛星は幼い日に語り聞かされた、曾祖父の話を思い出した。
それは魔法の国の話、あるいは童話のように思えたが、今は違う意味を持って葛星の記憶の表層に浮かび上がっていた。
・・・・・・・・・
デミゴッドの血筋を引き継ぎ、ザイラン・モ・ンゴルの始祖王となったハーンはある夜、半覚醒の状態で神からの声を聞いた。
「神はこの世界を統べる。ならば神となろうとする半神たるお前は、この世界の真の姿を答えられるだろう?」
「この私が、この世界を占める全ての陸と海を支配します。それが、この世界の真の姿。」
「野心猛き半神よ、そうではない。それは答えではない。私の問う世界の姿とは、そのようなものではない。」
「、、判りませぬ、この大地と空と海以外に、どのような世界があるのか、、私にはわかりませぬ。」
ハーンは神の問いに苦しみ目覚めた。
その時、枕元に龍の彫り物が施された水差しの壺に、一匹の大蜘蛛が這い上がって行くのが見えた。
水差しは一年ほど前に征服したジャムカ族の族長が、恭順の意を示すためにハーンに捧げた貢ぎ物の一つだった。
丸みを帯びた水差し全体が、この世界を意味するよう、表面には幾つもの山脈や平原・砂漠・海がレリーフ上に彫られており、さらにこの世界全体を、ハーンを意味する巨大な龍が覆っていた。
このレリーフを這い昇っていく大蜘蛛は全身を覆う黒い剛毛の隙間に所々キラキラと輝く小さな宝石や水滴を保持した不思議な姿をしていた。
大蜘蛛は水差しの頂上に登り詰めると、やがてその内側に姿を消し、暫く経ってから再び姿をあらわし、今度は水差しの表面を下ってやがてハーンの視界からその姿を消した。
「、、世界か。もしこの水差しが世界の全体像だとしたら、水差しの外にいる者は、それが世界だと思い、水差しの中にいるものはそこが世界だと信じ込むだろう。それぞれが、その世界の持つ意味に縛られているといっても良い。一方は神のもとで水を溜める事が最大の生きる意味であり、一方は誰かに水を与える事を己の存在意義と考えるだろう。だがこの二つの世界を自在に行き来する者にとっては、それは表と裏の差はあれ、等しくおなじ世界なのだ。そして神がこの水差しを使う。」
これによって神の答えを得たと思ったザイラン・モ・ンゴルの大始祖王ハーンは、これ以降、自らの王家の家紋を、「龍と大蜘蛛」とした。
・・・・・・・・・
そんな昔話をしてくれた女性はどうやら葛星の母親だったようだ。
だが葛星はその話に、作り話のような疑惑を憶えていたし、話して聞かせた母親にもこの物語に対する肯定的なニュアンスは感じとれなかった。
「お前は、優しい子だから、こんな話は頭の片隅に置いておくだけで良い。けれど忘れ去ってはなりませんよ、もしお前がお前の中にあるデミゴッドとしての血を沸き立たせるような事があれば、この話を思い出しなさい。この話には、幾つものとらえ方があるのだから。」
次に「龍と大蜘蛛」の王家に使える匠の民の長老パルワーンが語った言葉が蘇った。
「愛しき王子よ。私はあなた様を幼き頃から見守ってまいりました。その広き優しさこそ、真の王にふさわしき気質。けれど今は戦乱の世、王が仰せの通り、その気性では一日も戦いの地には立ってはおられますまい。私は匠の民の長として、王に進言いたしました。自然に任せるのが良いと。あなた様はそうやっても、立派に成長し、立派なお世継ぎになられると王に進言したのです。その間、誰かが王子を守って差し上げれば良いのだと。ですが王は、それを待つ家臣などおらぬ、又、そこまでしなければならぬ人間を、王と認める人間は、この国にはおらぬと仰いました。仰ることは正しいかも知れません。この乱れた世は、あなたの努力や経験を待っておれないのです。ですから私は、王のご命令通り、あなた様の性根を入れ替えます。」
そう言ったパルワーン長老の顔が悲痛に歪んだ。
まるでそうする事が自分の本意ではないと叫んでいるようだった。
「けれど、その為に私が造ったモノは、あなた様にお仕えします。どんな事があってもあなた様をお守りします。」
それがパルワーン長老の固い決意だった。
そしてその決意は大蜘蛛に引き継がれた。
少女が、瓦礫だらけの地面に倒れている片腕の異様な鎧の側に立っていた。
ややあって少女はその鎧に屈み込み、慣れた手つきで、髑髏の形をした兜の首元をまさぐった。
そしてその兜を、鎧の装着者の頭部から外してやる。
するとその中から、東洋系の若い男性の顔が現れた。
その顔の筋肉の造形は、幾つもの苦難の後が刻み込まれているように見えたが、不思議な事に肌艶自体は新生児のようにつやつやとしていた。
立ち上がった青年は、手を繋ごうと軽く上げた少女の小さな手を、軽く握ってやってから、二人でゆっくりと瓦礫の中を歩き始めた。
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