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第2章 追跡

14: インストラクターの女

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「ようこそ。葛星様。葛星様のリクエストはビートルのサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドで間違い御座いませんね。」
 部屋の中から中性的な声が響いた。
 おそらくコンピュータの電子音だろう。

「そうだよ。もう前置きはいい。時間がないんだ早くしてくれ。」
「畏まりました。葛星様のお座りのサウンドチェアからヘッドギアがせり出し、葛星様の頭部を包みます。その後は、音量調節も含めて全て自動になっております。では良い時を。」
 その途端、葛星の背中の上部が熱くなりフラッシュバックが起こった。

 それは葛星がチャリオットに引き合わされるまでの合間にパラパラと捲っていた、コープレィ社の顧客向けの情報誌の一面だった。
 発掘レコードの在庫リスト、ニューリリースのリスト、たしかその中にはサージェント・ペパーズはなかった。
 葛星は、勝手にサージェント・ペパーズがこの店で普通に用意されているものだと思い込んでいたのだ。
 なによりもジュニアの手帳にあげてあったレコード名は、その情報誌の中には一つもなかったのではないか!

 もしかしたら、葛星はいきなり、事件の真相を引き当ててしまったのかも知れない。
 葛星があわてて飛び起きようとしたときは既に遅く、ヘッドギアが彼の頭部を覆っていた。
 そして急速な落下感が彼を襲った。
 ちょうどエレベーターに乗ったあの感じだ。
 しかも相当な速度で試聴ブース全体か、あるいは彼の座っている椅子のどちらかが、下降しているのだ。

 下降は数分で止まり、ヘッドギアが外れた。
 だがヘッドギアで塞がれていた葛星の視界は戻らなかった。
 周囲は完全な暗黒である。
 元の試聴ブースの中にいるのか、椅子ごと違う場所に運ばれたのかそれさえも判明しない。
 そんな葛星の背後から女性の声が掛かった。

    ・・・・・・・・・

「初めての時は誰もがそうです。でも心配なさらないで。」
 やはりここは『音楽を楽しむ』様な場所ではない。
 『特殊な欲望』を満たすためのクラブだった。
 サージェント・ペパーズは、そのクラブへ入店するための符号だったのだ。
 葛星は手探りで椅子から離れてその声の主を捜した。
 闇の中で、その女の姿だけが奇妙に浮き上がって見えた。

 その女はグラマラスな肉体を、黒光りするキャットレザースーツに押し込み、さらにその上から科学者が着るような白衣を引っかけていた。
 髪はもとは豊かな赤毛の長髪なのだろうが、それをひっつめて後ろに無造作に束ねている。
 凶暴な猫科の肉食動物を思わせる顔の作りの上にはメタルフレームの眼鏡があった。
 白衣とその眼鏡がなければ、どこかのSMクラブのトップスターになれたに違いない。

「あんた、誰だ!?」
「インストラクター、ただそう呼ばれています。名前はどのお客様にも公開しておりません。」
 ここは何処だ?という言葉を葛星は飲み込んだ。
 彼は、アレンが立てたプラグイン説を、そのまま立証する状況を知らず知らずの内に引き当てた可能性があった。
 こうなれば成り行きに身を任せるのが一番だった。

「ジュニアは、ここに何度、お世話になっている?」
 葛星の撒いた餌に、インストラクターは食いついて来なかった。
 その代わり自分に付いてこいと言わんばかりに、葛星に背を向けて闇の中へ歩き出し始めた。
 闇の床に女のピンヒールが突き刺さるのがその堅い音で判った。
 葛星はついて行かざるを得ない。
 ここに残っていても、あるのは闇だけだ。

 しばらくするとインストラクターの前方に、闇の中でビクビクとのたうち回っている存在が見えた。
 近づいてみると、それは金属製のベッドに仰向けに大の字に縛り付けられたロボットだった。
 ホログラムか?
 ロボットといってもそれは随分旧式のイメージの代物だった。
 そしてどこかに人間的な猥雑さを感じさせる代物でもあった。
 違う角度で表現すれば、仮装大会に出てくるような、人間が円筒形の金属を被って作るロボット、そんなイメージだ。

 その猥雑さの源は、ロボットの股間から突き出た円筒形の金属のペニスだった。
 そのペニスをインストラクターの革手袋に包まれた鞭のような手がなぜ上げる。
 先ほどからぎくしゃくと痙攣していたロボットの身体のうねりがより激しくなる。
 金属のロボットの中には、血や肉がびっしりと詰まっているに違いない。
 見ている葛星にまで、その体温が伝わって来そうな光景だった。

「果てることのない欲望は、本人にとって幸せなのかしら?不幸なのかしら?」
 インストラクターが妖艶に微笑んだ途端に闇が解けた。

 闇と現実との交代劇で現れたのは、アクアリュウム世界の内蔵である無数のパイプが構成する世界であり、闇と共に消え去ったのは鉄のベッドと哀れなロボットだった。
 芝居掛かった歓待だった。
 敵は俺をその内部に引き入れて殺そうとしている、と葛星は思った。

 インストラクターは初め現れた姿のまま、葛星と女が立っている太いパイプラインの上に、ピンヒールでバランスも崩さずしっかりと存在していた。
 二人が立っているパイプラインの下も上も気の遠くなるような深みで、大小様々なパイプが構成する世界が続いていた。
 葛星は間髪を入れずにベルトに挟んだ拳銃を抜き取り、女にねらいを付けた。
 腰は十分に落としている。
 射撃を安定させる意味もあったが、何よりも、足下がカーブしているため、腰を落として立つ必要があった。

「ここでその拳銃を使うの?それはかなり強力な拳銃じゃなくて?私があのロボットみたいに幻影だったらどうするの?その弾は私を突き抜けて、どれかのパイプを損なうことになるわよ。あなたは知らないだろうけど、このあたりのパイプは病院のネットワークのケーブルが集中しているのよ。」
 インストラクターはそういいながら葛星との距離を詰めつつある。
 葛星は恐怖を覚えた。
 足元は大きいとは言え、カーブのあるパイプだった。
 平地を歩いているという幻想の醒めた今、目の前のインストラクターの様に、自在に移動できるとは思えなっかった。
 ましてや、パイプの下は落下空間であり、その空間は大小さまざまのパイプが縦横無尽に張り巡らされていた。
 落ちれば、ピンボールゲームのボールの様に葛星の死体はパイプの間を跳ね回る事になるだろう。

「こいよ。拳銃がだめなら素手でやってやる。」
 葛星は自分に言い聞かせるように大声を上げた。
 臨月ストリートでは、素手でヤクザあいてに六ヶ月間戦い抜いたのだ。
 ビニィハンターになってからは、鎧の力を借りたとはいえ、ハイグレードのマシンマンに匹敵する凶暴なビニィと命をしのぎ合ってきたのだ。
 その自信が葛星の中で雄叫びを上げた。


 インストラクターは腰の入った掌底を、葛星の胸を逃げられない角度で送って来た。
『なんだ、この女?ただの人間じゃない!』
 受けたのが葛星でなければ、奈落の底に突き落とされるのは確実だった。
 葛星はそれをきわどいバランスで流しながらインストラクターの背後に回り込んだ。
 今度は葛星の番だった。
 背後に回り込んだ勢いをそのまま乗せて、葛星は高く跳ね上げた脚を回しながら女の肩口にぶち当てた。

 女は幻影ではなかった。
 その証拠に女は、葛星の蹴りにはね飛ばされた勢いで、暫くはパイプの上を滑っていったが、やがてそこからずり落ちた。
 ・・・その筈だったが、その女は直ぐにパイプの反対側からはいのぼって来た。
 パイプの向こうから女が嗤っているのが見えた。
 彼らが戦っているパイプの直径は大きい、更に手がかりになるようなものはパイプの表面には無いはずなのにだ。

「お前はヤモリか蠅の親戚か?」
 葛星は次の攻撃に身構えながら吐き捨てるように言った。
「かもね。でもあなたは唯の人間のようね。次の私の一突きで貴方は地獄行きよ。」
 インストラクターは解けた髪の隙間から両方の瞳を輝かせながら言った。
 メタルフレームの眼鏡は既に吹き飛んでおり、その眼光は燃えるような赤毛にマッチして壮絶な印象を与えた。
 そしてその瞬間、女が飛んだ。

 葛星は観念した。
 避けきれない。
 女は自分が再びパイプの上に着地する事を度外視して飛んだのだ。
 そんな攻撃を避けきれる訳はなかった。
 葛星は二つの事だけを考えて、その攻撃を受けた。
 女を出来るだけ遠くに投げ飛ばすこと、そして自分の落下する方向を、パイプが密集してある所へ導くことを。
 運が良ければそれらがセーフティネット代わりになるかも知れなかった。


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