混沌王創世記・双龍 穴から這い出て来た男

Ann Noraaile

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第1章 赤と黒

07: 個人秘書

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 アクアリュウム世界の中央にそびえる巨大な設備を、人々はママス&パパス・マウンテンと呼ぶ。
 規模、容量、重量から言ってもそれは比喩ではない。
 この山脈のごとき巨大施設が、惑星中を覆う超複合汚染から、アクアリュウム世界を保護する外殻のシールドを保持しているのだ。
 山脈表面の中腹までは、住宅地として利用されているが、ここに住めるのはごく一部の上流階級の人間たちである。

 ジュニアの個人秘書シャーロット・ホワイトの住所はそこにあった。
 現在、彼女は、ジュニアの失踪に責任を感じて心労のあまりママス&パパス社を休職中だという。
 葛星弾駆は、この世界の居住空間の平均値を遥かに上回る彼女の家の玄関先で、営業用の微笑みをモニターカメラに向けていた。
 アランに言わせると、その微笑みはジゴロだけに出せるものであり、それだけを見ていると葛星の前身はジゴロではないかと思えるらしい。

「エドガー・ポー探偵事務所の者で、諸星弾駆と申します。パパス&ママス社の楊 高明様のご紹介で参りました。」
 勿論、氏名以外はデタラメだ。
 葛星は、アレンから聞いていた今回の事件の直接の依頼人であるキングの主執事である男の名前を出した。
 楊 高明から面会の繋ぎだけは付けて貰っている。

「伺っております。直ぐにロックを外しますので。」
 玄関に彼を出迎えに来た女性は、ブロンドのやや大柄な美女だった。
 オーバーサイズの真っ白なコットンシャツに、ブリーチアウトしたスリムジーンズ。
 恐らく正真正銘のコットンなのだろう。
 食い物さえ、リサイクルと合成食が中心のこの世界では、十分すぎる贅沢品の筈だった。
 そして、それに包まれた彼女の身体も贅沢品だった。
 顔の作りも身体に合わせてそれぞれが大きく、特にややめくれ上がった唇がセクシーだ。
 葛星は、その顎の張った顔立ちの輪郭に、奇妙な概視感を覚えた。

「クズボシ ダンクとお読みしますの?」
 手渡したメイシを眺めながらシャーロットは面白そうに言った。
「たいしたものですね。そのメイシには人目を惹くためにカンジしか書いていないんですが、よくお読みで。」
「一応、秘書のライセンスは持っておりますし、ママス&パパス社は『東洋系』、いえ、あの、カンジを使われる方が多いもので。」
 シャーロット・ホワイトの鳶色の瞳が、自分が不用意に発した言葉へに後悔の色で少し陰りを見せた。

「気になさらないで、確かに『東洋系』は、この星全体にあまり良いことをしていませんからね。ただし私はアクアリュウム第二世代ですから、、、。」
 この世界が環境汚染から逃れ完全に安定した状態になってから、生まれ育った人間たちをアクアリュウム第二世代と言う。
 葛星はこの言葉の末尾を濁した。
 彼の外見上の年齢は、アクアリュウム第二世代で通用するが、バイオアップの技術が実年齢を誤魔化せるこの世界では、その事は余りあてにならない。
 それどころか、アレンのような偽ドラキュラなど可愛らしい方で、人間の容姿から逸脱した者達も多くいるのだ。
 見た目では年齢は分からない、自分の歳を人前で殊更に言う人間は信用ならない、これは用心深い人間にとっての一般常識だった。
 更に記憶がない彼にとって実際の年齢は、彼自身が最も不安を感じている部分の一つだった。
 この末尾の言葉のあやふやさを、シャーロットは葛星の東洋系の子孫としてのデリケートさと勘違いしたらしい。

「ご免なさい。奥でお茶でも飲みながらお話しませんか?」
「有り難いですね。ここにあまり長い間いると、近くをパトロールしている警察の機械ワン公に尻を噛みつかれそうだ。」
 葛星は、粒の揃った真っ白な歯を見せて笑った。
 女性にキスしてみたいと思わせる様な葛星の唇が広がったのだ。
 シャーロットの顔が一瞬、赤らんだように見えた。
 葛星は思う。
 女性型のビニィ達も、この手で手なずけられたらと。

 葛星は、居間に通されてから、ジュニアが死んだ後のシャーロットの置かれた立場や、エドガーポー社の偽の任務の事など、通り一遍の会話を続ける間中、彼女が彼に与えた初印象の概視感の謎を解くため、シャーロットの顔を穴をあくほど観察していた。
 要するにジロジロと彼女の顔を舐めるように見つめ続けたわけだ。
 こういった事を普通の男がやれば、即座にその場を叩き出される所だろうが、葛星の場合はそうはならない。
 彼の視線の中には、男性としての性的リビドーが欠落しており、その為、それを受け止める女性に葛星の視線は、何か違う別の神秘的な印象を与える様である。

「それで、ジュニア氏は夜の九時くらいになると必ず行方をくらましていた?」
 葛星は、シャーロットから手渡されたジュニアの行動予定表の入ったディスクを弄びながら尋ねた。
「もっと早く会長に報告しておくべきでした。それを怠ったばっかりに。」
「でもジュニア氏が口止めをしたんでしょう?それでは、仕方がない。貴方はジュニア氏の個人秘書なんだから。ところで、貴方の所には、ジュニア氏の事で今まで何人の人間が問い合わせに来ました?」
「沢山来られました。会長が色々な方面にジュニアの失踪捜索をお願いしていると言われている通りに。」
「警察もでしょうね。」
「ええ勿論。」
「黒い革のロングコートを着込んだ男達は来ませんでしたか?李警備保障と名乗ったと思うんですが。」
「いいえ。そういった方は。」

 葛星は少し安心した。
 警察は仕方がないとして、こういった一つの事件に幾つかの組織が相乗りをする場合に、一番、厄介な連中が李警備保障だったからだ。
 李警備保障は『東洋系』が構成する巨大犯罪シンジケートの表の顔だ。
 もちろん李警備保障は、独自の捜査方法を確立しているので、シャーロットの元に訪れなかったからといって、彼らがこの事件にかんでいないとは限らないのだが。

「競争相手がいては、お困りですか?お伝えできる事は、どの方にも分け隔てなく全て申し上げているのですが。」
「正直申し上げて、競り合う数が多すぎます。当社は、なにぶん少人数でやっておりますんで。ある程度成果を上げないと、、、お恥ずかしい話ですが、当方の経済事情を申し上げると、いつ電話が止められるか判らない程なんです。」
 葛星は笑いながら言った。
 普通なら侮られて仕方がないような言葉の内容でも、こんな笑顔で言われると、相手は自分を信頼してくれたからと思う。
 だた当の本人は、なぜこんな詐欺まがいの爽やかな笑顔を自分が自然に浮かべれるのかを判ってはいない。

「なんならお仕事のお手伝いをしましょうか?最近家に閉じこもり気味で、外にも出てみたいし。気分転換にもなりますわ。」
 シャーロットが思い切った様に言った。
 葛星はタイミングが良かったのだ。
 これがジュニアの失踪直後なら、シャーロットの口からこんな提案が出される筈がなかった。

「助かります。出来れば、ジュニアが失踪した最後の夜の行程をそのまま辿れれば有り難いんですが。ご迷惑ですか?」
「それでしたら、少しだけ問題がありますわ。車はお持ちですか?ガソリン仕様の、、。」
 ガソリン仕様の車と言われて葛星は絶句した。

 葛星達は電気駆動のバンを所有してたが、シャーロットがいう『車』とは、それとは違うものだった。
 この世界では、移動手段はトランスポーターと呼ばれる自走式のロードを使うのが最も早く確実であり、その意味で車を持つ者は少ない。
 ある建物の屋上が、隣の建物の一階に繋がる事が、当たり前のアクアリュウム世界においては移動手段としての車は余りにも遅く回りくどすぎる。
 しかもそれを維持するための金があまりにもかかりすぎるのだ。
 車を所持するのはどうしてもそれが仕事や商用で必要か、あるいは自らのステータスとする為である。
 尚更、電気駆動と違って、アクアリュウムの代謝機能に大きな負担を与えるガソリン車など一部の特権階級しか手を出さない。
 第一、車の登録台数は政府によって制限されているのだ。
 葛星らが使う、鎧を運搬する為の電動バンもやっとの事で登録を済ませものだ。
 途端に曇った葛星の表情を見てシャーロットが続けて言った。

「ご免なさい。ジュニアの行動をそのままと仰るから。そういった車でないと入れない店もありますのよ。いいですわ。ジュニアの車を使いましょう。事情があって私の所のガレージに入れたままになっています。彼の為に使うんですもの、問題はありませんわ。」
 シャーロットは自分に言い聞かせるように言うと、立ち上がって手元に置いてあったショルダーバッグを掴んだ。

「そうと決まれば直ぐに行きましょう。もうジュニアは、退社してプライベートな時間帯にはいっている時間ですわ。ここからなんでしょう?貴方が知りたいのは?」
 葛星は腕時計をちらりと見た。
 まだ昼食前である。
 そして、スーツの中の財布の中身を思い出して冷や汗をかいた。
 ジュニアの行き付けの店が、上流階層しか使用しない信用担保制デジキャッシュ等というやくざな流通貨幣を採用していません様にと。



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