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第5章 泥流
35: 豚の生姜焼き
しおりを挟む「おっ、又、来たのかい?」
親父がにやりと笑って神無月の顔を見る。
「又来たってのはないでしょ。昨日は、一日・二日空いただけで、心配だとか言ってたのに。」
「いやさ、昨日は二人で飲んだろう。二日続けて、こんなオッサンの顔見て嫌にならないのかってね。」
「その点は大丈夫。なぜかしら、俺の周りはタイプは違うけど美人さんの女性が多くてね。」
加賀美先生は勿論だが、新任の桜田だって十分可愛い。
最近では野生的な美人の中国人女性ともお近づきになれた。
神無月は、今や自分の家のような気がしている食堂の、いつもの椅子に腰を落ち着けながら言った。
「実は今日も、その内の一人に怒られちゃってね。ちょっと凹んでるですよ。親父さん、覚えてるかなぁ、俺がここに連れて来た人。」
「ああ、あの別嬪さんかい。確かに、あの人にピシリと言われたら、男は大抵こたえるだろうな。」
実際は神無月が滅入っているのは、加賀美に叱られたからと言うより、自分が彼女に嘘を付かざるを得ない状況そのものにあった。
加賀美は、神無月の怪我の本当の原因を、少し斜め上の方向で推理しているようだった。
自転車で転けたなど、元から信用していない。
彼女は、自分が食堂で会ったキチに、あたりを付けていた。
そして神無月とキチとの喧嘩が、どうも加賀美の中では、岩田の為という事になっているらしい。
つまり神無月が、キチに暴行を振るわれた事を、自転車でコケたという嘘で誤魔化した事が仇になっているのだ。
事の真相を知っているのは、柏崎と桜田だけだ。
加賀美は頭が良いし、岩田があいりん地区に身をひそめている事や、中国人青年に追われている事までは神無月が話していたから、彼の怪我が暴力によるものだと直ぐに気づいたのだ。
だが実際は、岩田と神無月の怪我は関係がない。
それでも加賀美は神無月がこうなったのは、半分は岩田の監督が出来ていなかった自分のせいだと思い、そして何時も無鉄砲なことをする神無月に対して、保護者じみた怒りを感じていたのだ。
神無月が、この件には岩田は関係がなく自分が一方的にキチに喧嘩を売ったからだと言えなかったのは、嘘を突き通すためではなかった。
これ以上、加賀美に叱られたくなかったと言う事と、言ったところで、キチに威嚇されるという共通体験を持っている加賀美には、何を言っても信用されないだろうと思ったからだ。
「なんにしても、お客さん、あの別嬪さんに思われてるって事じゃないか。」
「ぃや、そんないいもんじゃなく、多分に俺が情けない男だからですよ。昨日のキョウ君の事だって、最初から親父さんに頼まれた事だけを、俺が正面から話してりゃ、彼とあんな風に別れなくて済んだかも知れない。」
実際には、王との関係を神無月が切り出す前に、恭司がフー・タイランの名を持ちだし、話が違う方向に向かったのだが、それも自分の気持ちをキョウの行く末だけに置いていれば、なんとでもなった筈だと、神無月は思い直していた。
恭司の話を出すと、親父の顔色が曇った。
神無月は口に出して聞かないし、親父も言わないが、今後、恭司が店に顔を出さなくなるのは当たり前の成り行きになるだろうと二人は思っていた。
「あの事については、気にしなさんな、、。まずは、あんな事をお客さんに頼んだ俺が馬鹿だったって事だ。それに俺は考えて見たんだが、キョウと俺は、全くの赤の他人なんだぜ。確かに、奴の親父からは、友人として、キョウの事を頼まれたが、その親父にしたって、俺がつるんでいたのは、ずっと昔の事だ。今じゃ、奴といつ最後に話をしたのかさえ、はっきりと思い出せないんだ。本当の事をいうと、奴とはもう、友人だったという思い出しかないんだ。それに奴が、この町を出ていったのは、やむにやまれぬ事情なんてもんじゃないんだぜ。、、そういう関係は、お客さんも一緒だろ?あんたはただの客で、キョウはその店のバイト学生みたいなもんだ。」
そう自分に言い聞かせるように喋る親父だったが、やはり恭司の件については、相当ショックを受けているようだった。
良かれと思ってやった事だが、やはり出しゃばりすぎた。と考えている。
自分は親代わりのつもりで、一番良い方法を考えてやった事だが、それも間違っていたのだと悔やんでいるようだった。
彼自身の身の上話は聞いた事がなかったが、この親父が今も昔も独り身である事を神無月は知っていた。
自分が親代わりを務めている青年を失うのはつらい事だろう。
「、、だからさ、俺がキョウの奴をぶん殴って、お前男の癖に、男に色目使ってんじゃねえ。気持ち悪いんだよ。親父が悲しむだろがって言ってやれば良かったんだよ。」
そう言って親父は、暫く黙り込んだ。
言葉に出してみて、そんなことは仮の芝居であっても、自分には絶対に出来なかっただろうと、改めて気がついたのだろう。
「、、もういいよ。親父さん。今日のお勧めは、、、、あっ、書いてあったんだっけ、、」
「いや、今日は書いてない。今日は何も特別な物を作る気になれなかったんだ。すまんな。」
「、、、いいですよ。豚の生姜焼き、作って。」
「あいよ。」
・・・・・・・・・
神無月は豚の生姜焼きを黙々と食べた。
使われている肉は、お世辞にも良いものとは言えなかった。
近所の安売りスーパーで、その日捌ける程度の物を仕入れてくるのだろう。
だが味付けは、市販の調味料を使っていないから、尖った部分がない。
何よりも飯が旨く炊けていたから、白飯との相性がよかった。
いつもなら、がっついて口の中に掻き込んでいた筈だ、、。
そんな神無月の隣の席に一人の客が座った。
食堂は、まだ満席になっていない。
というより半分の入りだ。カウンター席もまだ空いている。
なんでわざわざ俺の横に、、、神無月は、ちらりと横目でその客の様子を見た。
金髪の青年だった。
「叔父さん、俺も、この人と同じのを。」
青年は注文を取りに来た親父に、そう告げた。
その言葉のイントネーションに気付いて、神無月はハッと顔を上げた。
そして今度はその青年のはっきりと見た。
あのジンリーの弟だった。
「カムイ先生ですよね?」
フー・タイランも神無月に顔を向けて言った。
「ああ、神無月だ。あんたジンリーさんの弟だったな。」
「はい、胡 泰然といいます。」
神無月の身体が固くなった。防衛本能が働いて身構えたのだ。
「ここへは、偶然じゃないよな?」
「ええ、姉に言われて貴方の事、探しました。」
「さっき、カムイ先生って言ったよな。俺のこと調べたんだろう?」
「ええ、でもある程度、姉が貴方の事知っていて、調べるの、そんなに難しくなかった。」
ある程度知ってるって、俺は一回、あの店で呑んだだけだぞと思ってから、神無月は亀谷の事を思い出した。
亀谷は神無月の事をかなり知っている。
前に、一度姿食堂で一緒に呑んだことがあって、その時、迂闊にも神無月は自分に関する色々な事を喋ってしまっていたのだ。
というより亀谷は知らないうちに相手からそういった話を聞き出すのが上手いのだ。
あの亀谷が未だにジンリーを贔屓にしてるなら、神無月の事など筒抜けだろう。
「でも俺が先生の勤め先の学校に行くわけにも行かないから、カムイ先生と上手く会える場所を探すのは大変でした。」
「、、、一応、俺の立場に遠慮してくれたって事か?」
そう訊ねてから、神無月は後悔した。
タイランも姉のように日本語が達者なように見えたが、今のような湾曲的な表現は、外国人には無理かも知れないと思ったのだ。
「ええ姉から、せっかく謝罪と感謝の気持ちを伝えに行くのに、相手に迷惑をかけてはいけないと言われていましたから。」
タイランはその外見に反して相当優秀な頭脳の持ち主のようだった。
神無月は、この青年が姉の金をせびっている場面と、岩田を追いかけている話しか知らなかったので、その落差に驚いていた。
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