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第4章 侵犯
30: 病院
しおりを挟む「とにかく病院に行ってください。」
神無月が出勤後一番に、生指の柏崎へ岩田の情報を伝えたのに関わらず、柏崎の気持ちはそちら側にあったようだ。
神無月にしてみれば、この連絡がしたくて全てを後回しにしたのに、という気持ちがあった。
生指の柏崎と神無月の反りが合わないのは、こういう部分部分の噛み合わせの悪さも影響しているのだろう。
「病院、、しかし、2時間目から授業があるんですよ。」
「貴方、まさかそんな顔で授業するつもりなんですか?その腫れた目もと、生徒にどう説明するんです。転んだとか言って、通用するとでも?」
「いや、それは、、でもそんなに気を使わないと行けないことですかね?」
「他の先生ならいいんですよ。たとえ、誰かと喧嘩したと言ってもね。一時は騒ぐが、それが長く続いたり、他の事に影響したりはしない。だが先生は別だ。特に悪さ連中との普段の関係がね、普段から拗れてる。昨夜の事を持ってして何を言い出すやら。それにそういう話は、保護者にだって伝わっていく。残念ながら既に、先生の評判は芳しくない。それと校長にはどう説明するんです?一人の生徒の行方を調べるために、あいりん地区辺りをうろつき回って、晩は酒を飲んで、ヤクザに喧嘩を吹っかけたと言うんですか?校長は貴方の管理責任者なんですよ?」
「俺は何も!」
神無月はそう言いかけたが、冷静に考えれば柏崎の言う通りだった。
それ以上は言えなかった。
神無月も一応は大人なのだ。
「兎に角、病院に行って診察してもらって下さい。そして今度、学校に来るまでに、生徒向けのいや親向けの話を用意して下さい。自転車に乗ってスピードを出しすぎてぶつかったとか、なんとでも言えるでしょう。これが相手が怪我をしているなら許されない嘘だが、あなたの場合は、自分だけが被害者だ。しかも吹っかけたのはあなただ。神無月先生、あなた普段、喧嘩を指導する時、生徒たちにどんな事を言ってるか想い出してくださいよ。、、それに正直もいいが、今回の場面の正直さで、混乱を起こすのは生徒たちだけですよ。今日のは、校長に私の方から上手く伝えておきますよ。」
柏崎は腕時計を見た。
「古藤病院がいいでしょう。あそこなら近いし、話が出来る。この時間中に他の先生に車で送って貰いましょう。生徒と顔を合わせなくて済む。さあて、2限も空いていて自動車通勤なのは、、桜田先生だ。丁度良い。」
柏崎の特技は、この中学校に努めている全ての教師の授業配当表が頭の中に入っていることだ。
校内で起こる生徒指導の対処の為に、全ての教師と連携するようにと身につけた特技であると同時に、そういう面で元から頭が回るのだ。
生徒指導主事は体育の教師がなる事が多いが、柏崎は数学の教師だった。
「桜田先生、ちょっと。」
柏崎の呼びかけに、彼らから数メートル離れた自分の机に向かって、何やら仕事をしていたはずの桜田が「待ってました」とばかりに顔を上げた。
・・・・・・・・・
「加賀美先生と顔を合わせる前に、学校を出れて良かったですね。」
加賀美は学校に遅くまで残っているが、朝は職員打ち合わせの直前に登校する。
朝食準備や弁当作りまで、娘の世話をギリギリまでするためだ。
今朝の加賀美は朝のホームルームで自分の学級に行って、そのまま一時間目の授業に行っている。
「、、いやホントは、柏崎先生より先に、加賀美先生に話をしたかったんだ。」
「でも加賀美先生、カムイ先生の顔の原因知ったら吃驚しちゃうと思いますよ。職員打ち合わせの時もカムイ先生のことすごく気にしてたみたいだし、、、私も吃驚しっちゃったんだから。」
桜田が車のハンドルを握りながら、なぜか拗ねたようにいった。
「それとねえカムイ先生。柏崎先生の事、誤解してるんじゃありませんか?先生は病院に行ってないでしょ?今はそれが一番問題なんじゃないかな?何か身体に異常が残ってたらどうするんです?」
「聞いてたような事を、、。」
「私、採点するふりして、聞いてました。知ってました?私、学生時代、地獄耳の桜田門って言われてたんですよ。」
お前の学生時代のひねた渾名なんか知るかよと、心の中で呟きながら、神無月はヘッドレストに頭を預けた。
実は身体のあちこちが痛くて気分も最悪だった。
神無月は柏崎の言った「言い訳」を、少し考えてみた。
確かにこんな顔の痣は誰かに殴られるか、丸いものに激しく衝突しないと出来ない。
スポーツタイプの自転車に始めて乗って、調子に乗ってスピードをあげてカーブに突っ込んだら曲がりきれなくて、そこにあった街路樹に激突した、、その木にコブがあってな、そこに顔から突っ込む形になってエラい目にあった、、生徒達はそういう話が大好きだ、、、やっぱりそんな所なんだろうと思った。
自転車は大学時代の友人がいて、そいつから無理矢理借り出した。
嘘は嘘を生むの典型だなと、神無月は思った。
昔、婆さんからは『人間は正直が一番、嘘をつく人生はだめだよ。特に自分が自分につく嘘は一番ダメ』と言い聞かされていた事を思い出した。
だが実際は、生きれば生きる程、事実は逆だと思うようになった。
自分が自分につく嘘と、どんなふうにうまくつき合うかが人生の要なんだと。
「カムイ先生、付きましたよ。」
桜田の声で神無月は目覚めた、知らないうちに眠っていたのかも知れない。
確かに、昨夜は自宅のアパートにはたどり着き、自分なりの応急処置をして眠ろうとしたのだが、それは到底眠りとは言えない物だったのだ。
なんだかよく判らなかったが、少なくとも桜田という後輩は、自分の事を心配してくれているのは確かなようで、そういう人間の側にいると安心して眠れるものなのだと、神無月は改めて思った。
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