姿食堂始末記 ヤンキー君は隠れ、男の娘は惑う

Ann Noraaile

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第3章 蠢動

18: 雑踏

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 恭司は『蠱惑』から帰宅する際、南海電鉄のなんば駅へ向かうのに、少し大回りだったが千日前筋を通ることにした。
 『蠱惑』からの徒歩だと、観光客でごった返すグリコの看板で有名な道頓堀筋は嫌でも通るが、そこから南海電鉄に向かうなら、千日前筋より西側にある戎橋商店街や御堂筋を使う方が近い。
 千日前筋では、女装遊びをやっていた頃、駆け出しの吉本若手芸人さんにナンパされた経験がある。
 ・・・君、メッチャ、可愛いやん・・・
 こんな遠回りしたのは、雑踏の流れに自分の身を委ねてみたい気分になったからだ。

 歩きながら婉ママとの会話を反芻してみた。
 色々な話をしてくれた。
 恭司を見ていると、昔の若かった自分を思い出すのだと言う。
 婉ママが高校生の時にボクシングをやっていたという話には驚いた。

「なに驚いているのよ。タイのムエタイ界じゃパリンヤーちゃんを初めに、最近じゃノンロス選手とかのオカマボクサーは珍しくないわよ。パリンヤーちゃんなんか、手術してから凄く可愛くなって女優やってたんだからね。まあ初めは、筋肉すごかったけど。」
 婉ママは自分の本当の名前も教えてくれた、漢字の「円」で、マドカと読む。
 今の婉は、このマドカ・円(エン)から来てるという事だった。

「キョウちゃんね、若いから色々悩むでしょうけど、この世界をあまり画一的に考えない方がいいわね。ほんと、人それぞれなのよ。世間様で言われているようなLGBTへの好意的な解釈だって、私達の事全てを言い表しているワケじゃないの。キョウちゃん、何故、あんたが王さんに惹かれるか判る?そこの所を考えてみたら?」
 それから婉ママは、自分の家族の事を話し始めた。

    ・・・・・・・・・

 雲出(クモイデ)本家の伯父さんが亡くなって、通夜に行った。
 分家である我が家と、本家が断絶状態になってから随分長いので、僕にはこの日集まってきた親戚の人々の顔に、殆ど見覚えがなかった。
 それは向こうも同じ筈なのだが、親戚達は何故か、僕の事をよく知っているように思えた。
 彼らが呼ぶ「謙のボウ」と言えば僕の事だし、「謙のジョウ」と言えば、僕の姉の由美香の事だった。
 そして謙とは僕の父親、雲出ユズルのことだった。

 けど僕は、みんなが父親の事を陰では「ユズラヌ」と皮肉を込めて呼んでいるのを知っていた。
 つまり、ほとんど初顔に近い僕ら姉弟のことを、この日集まった遠縁の親戚のみんなが一斉に、強く再認識してしまったのは、僕らがこの父親と一緒に本家にやって来たからなのだ。
 『おう!あれがユズラヌの娘と息子か!』
 それ程、僕の父親は雲出一族では異端な存在だったという事だ。

 僕らがふるまい膳に与って、食事を半分ほど済ませかけた時、大広間のざわめきがピタリと止まった。
 僕はこの空気の伝わり方を良く知っている。
 喧嘩だ。
 僕の通っている高校では、週に一度は暴力沙汰が、どの場所とは言わず発生する。

 だが僕はこんなに「綺麗な喧嘩」を見たことがなかった。
 黒い喪服の裾を捲り上げて、真っ白な長い脚を卓の上にどっかと乗せ、肩肌を見せた女性が、そこにいた。
 どうやら派手な啖呵をきっているようだが、残念ながらその意味まではわからない。
 僕は高校でボクシングをやっていて、時々耳が遠くなる時があり、丁度、今が絶不調の時だったのだ。

 その女性の姿に、図書館で見たことのある国芳の錦絵を思い出した。
 真っ白な肌に、結い上げてほどけた黒髪がぱらりと落ちる。
 赤い唇の端に一筋の髪がくわえられている。
 その側に、父親がいた。
 どうやら彼女に加勢をしてる様子だ。

 女性の前の男は、尻餅をつきながら後ろに逃げようとしていたのだが、一瞬遅く、頭のてっぺんから彼女にビールをじゃぼじゃぼとかけられていた。
 そしてこの出来事とまるでシンクロしたてみたいに、ウチの親父がどかどかと畳を踏みならしながら、僕らの元に帰って来た。

「する事は済ませた。帰るぞ。」
「でも。」
 そう、まだここに来て1時間も経っていない。
 曲がりなりにも、僕らは親族なのだ。
 そんな非常識な事が許される訳が、、、痛てっ。

 僕は姉に尻をつねられた。

「行くよ。」
 僕は、心配性だった母親似で姉は父親似だった。


 あの日から僕は「恋」に落ちた。
 一目惚れだ。
 しかもその恋の相手は「女性」、僕の新しい可能性だった。
 そうそう、今時の高校生が「恋」の対象に選ぶには、喪服の綺麗なお姉さんなんておかしいのかも知れないが、一旦始まったこのモヤモヤは収まりそうになかった。
 えーっと、歳の差っていうのは、一般的に見て一体幾つまでが限界なんだろう。
 子ども扱いされて、可愛がられるだけなんて耐えられないし、この気持ちを憧れに終わらせるのもいやだった。
 つまり僕はどうしても彼女を手に入れたかったわけだ。


 親父が一泊の出張で、その日は姉と僕だけで夕食をとった。
 姉はビールをぐびぐびとやっている。
 もう三本目だ。
 一体、どういう胃と膀胱の構造をしてるんだろう。
 これでも、今年大学を卒業し、入社したてのデザイン会社ではマドンナで通っているらしい。
 もしやと思って僕は姉に尋ねてみた。

「ねえ、通夜の時に暴れてた人、誰だか知ってる?」
「知ってるよ。」
 一発、ドッキンと来て、僕の胸の鼓動は速まった。

「うちとはどういう関係の人なのかなぁ。それに名前はなんてんだろ。」
 僕は出来るだけ、さりげなく聞いてみた。
 姉貴は吃驚するほど勘が鋭い。
 僕が初めてデートの帰りに、男の子とキスした日も「お前、今日、ファーストキッス?」とか言って一発で見抜かれてしまった。
 でもファーストキスは見抜けても、その相手が男子である事までは、さすがの姉貴でも気がつかなかった筈だ。
 ・・・多分だけど。

「死んだ伯父さんの一番目の奥さんの連れ子だよ。名前は、、、。マドカ、どうしてそんな事、気になんの?」
 やっぱり感づかれ始めている。
 でも彼女が僕らと直接血が繋がっていないって事は、僕の恋の可能性が一気に広がったという事でもある。

「いやさ、派手な喧嘩してたじゃない。うちの親父と一緒かなー、って思ったりしてさ。」
「ふーん。マドカがそれを気にするか、、。まあいいや。」
 姉貴は疑い深そうに僕の目をみる。
 ちょっと顎をあげて切れ長の大きな目で、見下す感じでこちらを見るのでビビってしまう。
 僕の友達は、姉貴の事を「女王様」と陰で呼んでいる。
 僕もそう思う。

「あの子さ、マドカは初めて見ただろ。小学校5年の時、いろんなゴタゴタがあって母親の方の親戚に一人で追い帰されているんだよ。あの子のお母さんが死んだのはその一年後でさ、、手違いが重なって可哀想に、、あの子、自分の母親の死に目に遭えなかったんだよ。だからってわけでもないんだろうけど、雲出本家には、元から良い感情もってないみたいだね。親父と同じようなもんだよ。・・何が、本家分家だよ。ったく。」

「ふーん、なんとなくうちと感じが似てるんだね、、。でも姉貴なんでそんなに良く知ってるの?」
 本当なら、あまり物事にこだわらない僕が、根ほり葉ほり聞きだしたこの時点で、姉貴は僕の魂胆を半分以上見抜ける筈だったが、、、今の姉貴は自分で口にした「我が家の事情」に思いを馳せてしまって、そこまでは気が回らないらしい。
 母親の死を思い出させるような話題は、我が家ではタブーだったし、そのルールを暗黙の内に生み出したのは姉貴自身だった。
 姉はそれを今、自ら破ってしまったのだ。

 お母さんに一番可愛がってもらっていたのは姉貴だった。
 あの出来事が起こってから姉貴は、一年間というもの、誰にも、本当に一言も口を利かなかったぐらいなんだから、、。
 もっとも、一番辛い思いをしたのは親父だろうけど。

「マドカはちびの頃、喘息が酷くて外に出かけられなかったけど、私は親父とよく一緒に出かけたんだよ。本家には滅多に行かなかったけど、どうしてもって用事があるときは私も連れてってもらった、、私は帰りの岬遊園が目当てだったんだけどね。向こうでさ。暇してたら、あの子が遊んでくれたんだよ。あの子の方が、いっこ上だったけど妙に気があってさ、、。」

 姉貴のビールを飲むピッチが上がりだした。
 それに目が遙か遠くを見つめてる。
 きっと自分の母親の事を思い出しているのだろう。
 こうなれば大丈夫だ。
 あとは泣くか、怒るか眠るかだけだ。
 いくらでも情報が聞き出せる。
 それにしても彼女が姉貴より一歳上とは、、うーん、ぎりぎりだ。
 その歳なら恋人だって一人や二人いても、、いや待て、、第一、彼女独身なのか?

「それから本家に行く度に、あの子とあそんだんだよ。服のとりかえっこなんかしちゃたりしてね。でもさ、それもあの子が本家を追い出されるまでの話、、、わたしってさぁ、、アレじゃん。男よか、、。」
 ほとんど、ろれつが回っていない、言っている事も意味不明だった。

「何、ワケ分かんない事言ってんだよ。ここ片づけておいてやるからさ。ちゃんとベッドで着替えて寝ろよ。」
「、、あいよ、、おめ、、姉ちゃんの着替え覗くなよ。」
 姉貴がふらふらと立ち上がる。

「はいはい、、あのさ、、その人と連絡とれないかなー。」
「なんでマドカが連絡とる必要あるんだよ?」
「いやさ、同じ母親を亡くした者同士ちゅーか、親族からの嫌われもの同士って事で、今後なにかと連携が、、」

「うぜー。けーたいの電話番号知ってるけど、教えてやんない。おーそうだ。ヒントやろーかー。」
「ああいいよ、、ヒントでも、そんなにこだわってるわけじゃないし、、。」
 いや無茶苦茶にこだわっていたが、僕はテーブルの上に散らかった小鉢をかためながらさりげなくいった。

「そうなの?明日の朝飯作ってくれたら教えてやろうと思ったけど、、こだわってないなら、、。」
「作ってやるよ。どっちみち姉貴が作ったのなんて、まずくて食べられないんだし、、」
 僕の言葉の最後を姉貴は聞いていなかったらしい。
 もっとも僕も小声で言ったが。

「親父のブックマッチコレクションに、あいつの出てる店のマッチ、進呈した覚えがあるんだなー。」
 姉貴は今、ダイニングルームの柱にもたれかかってクダをまくみたいに喋っているわけだが、その様子が結構色っぽい。
 もし血が繋がっていなければ、こんな僕でも押し倒したい気分だった。

「真っ赤なヤツでさ。なかなか珍しいデザインで親父喜んでたぞ。今日日、ブックマッチだしさ。でもマドカ君、君に親父のコレクション持ち出す勇気があるかなー。」
「うっせーなもー、早く寝ろよ。どっちみち酔いが醒めたら夜中に起き出してきてシャワー浴びたり、なんだかんだやるつもりなんだろうけど、明日は寝過ごしても起こしてやんないよ。」
 僕が洗い場から姉の方を振り返ると、もうそこには姉の姿はなかった。
 まったくもうである。


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