姿食堂始末記 ヤンキー君は隠れ、男の娘は惑う

Ann Noraaile

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第2章 出会い

05: 姿食堂

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 神無月がようやく家庭訪問から戻り、学校で待機していた職場の仲間達と今後の打ち合わせを終えたのは夜の十時を少し回っていた。
 これでも今回の「生徒指導」が、終わったわけではない。
 聞けば、神無月が副担として関わっている学級担任である加賀美は、神無月の報告内容次第で、これから別の家に家庭訪問をするつもりだったらしい。
 これで又、明日になれば、授業をやって部活指導をやって、その合間に問題を起こした関係生徒全員に話をし、夜遅くには、又、別の家に家庭訪問という事になる。

 神無月は独身だから、こんなスケジュールでもなんとかなるが、同僚達の多くは家庭持ちだ。
 しかもこういう生徒指導が、当たり前のように頻繁に起こる。
 家庭を持っている同僚達の生活って、一体どんなのだろう?と神無月はいつも思うのだ。

 この、身をすり減らすようなストレスを、神無月の場合は飲食で発散している。
 神無月の場合、アルコールは強くないし、嗜好でもない事が幸いしている、でなければ飲食につきもののアルコールから、一気にその依存へと雪崩れ込んでいる筈だった。
 夜遅く、しかも自炊を殆どしない神無月が、少々の酒を飲みながら寛いで飯を食える、そして頻繁に通える店は限られてくる。
 まず安くないといけない。
 かと言って深夜に空いているチェーン店系列やファストフードなどに入っても、ストレスが高まるだけだった。

 神無月は最近、そんな居心地の良い店を一軒見つけた。
 自分の勤めている中学校の校区に隣接しているのが難点だったが、そうでなければ逆に、安くて夜遅く、そこそこの食べ物を出す、そんな店も存在しないだろう。
 神無月がアパートを借りている町も、決して上品とは言えない土地柄だったが、こんな店は一軒も見あたらない。
 ちょっと難しい噂の立つ飛田本通商店街の端の場所、と言うより、逆に裏道を使うと、近隣地下鉄から近い場所にあって、ここを深夜の隠れ家のように使っている他地区の客も結構いる。
 神無月のアパートは、この地下鉄沿線上の側にあり、終電にさえ間に合えばいいので、この食堂でゆっくりしていける。
 店の名前を姿食堂という。

 姿というのは店主の親父の名だ。
 国語教師である神無月は、「姿」という名前から、小説の「姿三四郎」を連想していた。
 富田常雄の昭和17年の長編小説だ。
 大学生の頃は、この時代辺りの大衆文学を、自分の研究テーマにしていた。
 特に強い関心があったワケではないのだが、人とはちょっと違った事をしたかったのだ。

 で実際、親父の下の名は四郎という。
 どうもこの親父の爺様が、自分の孫に、小説「姿三四郎」のモデルとされる実在の柔道家で講道館四天王の一人である西郷四郎の名をつけ、その御利益にあやからせて貰ったと言うことだった。
 今日日、そんなカビの生えた名にどんな御利益があるのか?
 もし柔道なんかで強くなったとしても、騒がれるのはオリンピックの年だけだ。
 そして姿四郎、、、格好良いのか良くないのか、よく判らない氏名だった。

 その三四郎、いや四郎親父が、調理場で難しい顔をしながらフライパンを振っている。
 作務衣の下には、派手なプリントがしてあるTシャツを着込んだ初老の痩せた男だ。
 坊主に近い短髪で、肌の色はサーファーみたいな焦げ方をしていた。
 調理場と言っても、こじんまりとした店構えなので、「カウンターの向こう側」という感じだ。
 でその端には、調理場から客のいる空間に通じる小のれんのかかった小さな出入り口があるのだが、その脇でタコ焼きを焼いている少年がいた。

 小さい演台テーブルみたいな台の上に、タコ焼き器をのせ、その周囲の余った空間に具材やらが入っている容器があるのだが、少年はその手狭な空間の中で、実に見事な手際でタコ焼きを仕上げていく。
 それを見つけた神無月が言った。

「親父さん、タコ焼きを始めたの?」
「うん、あれかい?あれは勝手にやってるんだよ。まあ一応、タコ焼きの支払いとかは俺んとこになるけどね。」
「彼、バイト君でもないんだ。」
「説明するのはちょっと邪魔くさいな。手っ取り早く言うと、ヤツは俺のダチの息子で、ダチが日本から離れてる間、ほっとくとなにしでかすか判らないから見ててくれって言われてるんだよ。ワケアリの父子家庭だよ。ヤツも俺もいい加減な生き方してたのにな、息子が心配だとさ。息子には好きにさせてやれよって話だよな。で、お客さんの方は何かあったの?」
「えっ?」
「こういう商売してると、顔みりゃわかる。」
「んまあね。」

 相手が自分のプライバシーまで明け透けに語るのに、自分は喋らない。
 守秘義務という事もあるが、教師というのはつくづく「狭い」職業だと神無月は思った。
 そして「狭い」くせに、世間が教師に求めている事は「広すぎる」のだ。
 専門でやったこともないスポーツの顧問をやったり、躾や進学就職の斡旋までする。
 中には「人生の師」まで求められたりする事もある。
 人生の師が、この世の中に、それ程沢山転がっているはずがないだろと、神無月は思う。

「出来上がったよ。オムライス。」
「どうも。」
 神無月はカウンター仕様になっている調理場との仕切りの上に置かれたオムライスを手に取った。

「あっ、これ食べ終わったら、ビールとあのタコ焼きもらおうかな。ソース抜きで。」
「あいよ。おーい恭司、お客さんに挨拶しとけ、常連さんなんだよ。」
「うぃっす。」
 少年はタコ焼きを大方焼き上げていたのか、コンロ台の方に少し屈み込んで、火加減を保温に調整し直して、わざわざ神無月の方までやってきた。
 その場にいても、大きな店舗ではないので、声を張れば応対は出来るのだがそれをしない。
 礼儀を知っているのか、目の前のタコ焼きの衛生面を気遣っているのか、それは判らなかった。

 やや痩せているが、ガリガリとう程でもない柔らかそうな体躯をした少年だった。
 色は白い。
 下はスリムフィットのブリーチアウトしたジーンズだが、スタイルの良い長い脚で、男の子のくせにドキッとするような奇妙な色気があった。

「佐久間恭司っていいます。一応高校生してます。えーっと姿食堂をよろしくです。ここの親父はほんといいヤツなんで。」
 なんだかよく判らない挨拶をして、少年はぺこりと頭を下げた。

「あっと、こちらこそよろしくね。俺もここには最近通うようになったんだ、話に聞くと、君も同じくらいの時期に親父さんに厄介になってるようだから、まあ同期生って所だね。これからは佐久間君って呼ばせて貰うよ。」
「あっいやー、佐久間君ってのはどうも、なんだかムズムズするな。」
 少年は少し顎を上げて、自分の首筋を撫でるように手の平をうなじに当てた。
 その時、耳にかかった髪の間にピアスが見えたのだが、それは小粒の真珠だった。

「じゃ、タコ焼き君とか、タコ坊主とかは?」
 もちろん神無月は軽口のつもりでいったのだが、少年はまともにうけとったようだ。
「それはー、、ヤだな。キョウでいいすよ。俺の親しくしてる人らはみんな俺の事、キョウって呼んでます。
狂ってるのキョウだったり、今日明日のキョウだったり、響きのキョウだったり、色々。こっちは結構気に入ってます。」
「そっか、早速そのお仲間に入れてくれるのか?」
「うん。お客さん、なんとなくいい人そうだし。」
「じゃキョウ君、あとでタコ焼きね。」
「頃合い見て、新しいの焼きますよ。」
「え?今のでいいよ。」
「今のは、たぶん飲んだくれが、もうすぐここにやってくる筈だから、そいつらに喰わせますよ。酔ったらなに喰ったって分かんないだから。」
 少年は笑いながらそう言ってコンロ台に戻った。
 すると正に、少年が言ったタイミングで姿食堂に酔漢が二人連れで入ってきた。
 おそらく表の飛田本通商店街からの流れ客だろう。

「親父、ラーメンツーとビール一本。そうそう、最近、タコ焼きもやるようになってたな。タコ焼きはアテにするから今すぐ、一人前」
「あいよ。ラーメンツーに、ビールワン、タコ一舟。」
 親父はタコ焼き一皿一人前を、一舟と言った、昔の感覚なのだろう。
 少年はコンロ台の方に顔を向けているから、その表情は良く見えなかったが、自分の言ったことが的中したので、微かに笑っているように見えた。

「あのキョウ君って、料理が上手いの?」
「何故だか、タコ焼きは異様に上手いね。ほれ、タコ焼きの具にいろんなのを入れる商売があるだろ?」
 親父はラーメン鉢を棚から出したり、それを暖める準備をしながら言った。
 純粋なラーメン専門店ではないから、手順がかなり違うし、スピードは遅いと言えば遅いが、それに文句を言うような客は端からこない。

「あいつの親父が、それの変わったので一発当ててやろうと、家に中古のタコ焼き道具を揃えて、研究開発し始めたってワケだ。素人だから、考える事が無茶苦茶だ。バナナとかブドウとかイチゴとかな、そんなのを具にするって。素人が考えつくような事は、プロはもう考えてる、それが市場にでないのはダメだからだ。あいつの親父は、そんとこを理解しようとしない。そん時、あいつも商品開発とやらを手伝わされたんだが、これが意外にうまくてな。本人自体も焼くのに、はまっちまった。本人に聞くと、タコ焼き自体は、取り立てて好きな食い物ってわけじゃないそうだ。」
 親父は手慣れた様子で、ラーメンにいれる白ネギを小口切りしている。
 専門店ではないから、こういう薬味を大量に作り置きできないのだ。
 その代わり、手が早い。
 まな板から小気味よい音が聞こえる。

「俺の見立てじゃ、本気で料理の勉強をしたらそこそこ行くんじゃないか。段取りとか、火加減とか目とか舌もかなり良いはずだ。ここに来てるのも、俺の料理の腕を盗みたいってのもあるみたいだしな。」
 そこで親父は話を切って、麺を湯がき始め、一気にラーメンを仕上げにかかった。
 背後では少年が、ビールとタコ焼きを酔客達に運び終えていて、そのままなにやら話の相手をしているようだった。
 時折、そこから嬌声まがいの声が聞こえて来て妙な感じだった。
 その声は、親父にも聞こえているようで、親父はその時かすかに顔をしかめていた。

「、、だが俺の腕なんか盗んだって、ものの役にたちゃしねぇ。」
 それは神無月に言ったのではないようだった。
 親父は出来上がったラーメンを盆の上に置くと、調理場から移動して、それを酔客達のいるテーブルに自ら持って行き、それと入れ替わるように少年がこちらに戻ってきた。

「あっ、お客さん、すぐ焼きますから。」
「ありがと、俺、神無月っていうんだ。渾名はカムイ。アイヌ語の神様じゃなくて、神無月が来るぞ、英語のカムってのを引っかけてまとめて縮めたらしい、」
 生徒が付けた渾名だし、自分が中学校の教師だと言うことは、あまり意識して欲しくなかったが、いずればれる事だし、敢えてこういう事は軽く触れておく方が良いと神無月は思った。

「カムイ。格好いい!イイネが尽きますよ、」
 少年は人好きのする笑顔を見せてそう言った。



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