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第7章 The GORKと大女と透明な探偵

76: 暴走するゴォーク

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 俺は壁際に下がって、じっと江夏の様子を観察する。
 「早く地下室へ行け」とは、口に出して言えない。
 ここで江夏を殺してしまってもいいが、そうすると地下室に降りる為のドアの開閉パスワードが手に入らない。
 この前忍び込んだ時は、地下室へのドアは開け放しになっていたが、今日の大女の精神状態では、そんな状況があり得るわけがなかった。

 パスワードが、是非必要だった。
 素人が作ったパスワードなど、時間をかければ解析できるが、ゴォークの状況が判らない現状では、多少待ってでも江夏についていく方が現実的な判断として正しい。
 俺と江夏、双方にとってのじりじりとした時間が過ぎつつあった。
 江夏は、直ぐに地下室には行かず、目に見えない何かをやり過ごそうとしていた。
 俺の気配を感じ取っているわけではないだろうが、自分に迫り来る何か危険な予兆を捉えている。

 そしてこの江夏の本能的な「警戒」は、違う意味で現実のものとなった。
 江夏が応接セットのテーブルの上の灰皿を位置をいじくっている時に、今夜、二度目の警報発報が起きたのだ。

 江夏は柱に取り付けてあるリモートスイッチを取り上げると、素早くボタンを押した。
 応接間のテレビに自動的に電源が入り、屋敷に取り付けてある外部監視カメラに接続される。
 江夏の直感が、そうさせたのだ。
 普段なら解像度の低い小型モニターを軽くのぞき込む程度で済ませている。

 今度は、正真正銘の侵入者だった。
 一目で裏世界の人間である事が見て取れる数人の男達が、その姿を隠そうともせず、玄関に迫っているのが見えた。
 その動きは「侵入」というより「突入」と言った方が似合っているかも知れない。

 江夏はダイニングルームに向かって駆け出していく。
 俺の時とは、顔つきも違って、対応が極めて迅速で具体的だった。
 彼女には、自分に迫りつつある男達の身元についてある程度の見当が付いているのかも知れなかった。

 江夏は、地下室に逃げ込もうとしているのか?
 俺も急いで、江夏の後をつけた。
 江夏は額縁の裏に隠してある操作パネルをあけ、何かを打ち込んでいる。
 地下室へのドアは、一向に開かない。
 江夏は地下室に通じるドアを開くのではなく、完全に封鎖してしまったのだ。
 そして、再び江夏が走り出して、応接間のロッカーから叔父譲りの猟銃を取り出したのと、玄関で鈍い破裂音が聞こえたのは同時だった。

 江夏は、玄関に向けて猟銃を構えたまま仁王立ちになる。
 さらに俺たちがいる応接間の奥から、先ほどと同じような鈍い破裂音とガラスが砕け散る音が聞こえた。
 侵入者たちは、玄関と裏手から攻め込んで来たのだ。

 小さな爆薬の所持と「戦略」を持った侵入、、ますます素人ではない。
 この国で、そんな事をやるのは国家権力の特務に携わるものと、ほんのごく一部の凶暴な暴力団組織だけだ。
 江夏屋敷への侵入者達は、後者のようだった。

 うっすらと煙る爆煙の中から、いかにも崩れた感じでダブルを着込んだ男が姿を見せる。
 坊主頭に稲妻型のそり込みを入れている。
 顔色が興奮に上気している。
 こいつは、たいした男ではあるまい。

「素人さんが、物騒なもん持ち出すんじゃないよ。下手すると、自分の足をぶち抜いちゃうぜ。さあ、怪我しない内に、そいつをしまいな。」
 その男は余程、自分に自信があるのか、右手にもった散弾銃を構えもせず、皮肉な笑いに顔をゆがめながら、江夏をなめきった様子で、静かに恫喝した。

 男のやや後ろで、数人の男達が蠢いているのが見える。
 おそらく背後から侵入した男達が、屋敷の裏を固めているだろう。
 万事窮すだ。
 どうする江夏、、。

 いかに人里離れた場所とは言え、爆薬を使用するような相手なのだ、投降するしかないだろう。
 そして逃亡するチャンスを待て、俺はまだお前に用がある。
 地下室ドアのロックを解錠するパスワードも必要だし、なにより、香代の脳内に起こっているだろう異変の内容を熟知しているのは、お前しかいない。
 場合によっては、俺がお前を助けてやる。
 だから銃は使うな。
 今の俺は、人間より遙かに勝った戦闘能力を持っている。
 けれど銃弾を弾き返せは、しないのだ。
 銃撃戦になったら俺に手出しは出来なくなる。

 しかし、江夏は男のその声が元から存在しなかったように、猟銃の引き金を引いた。
 男は倒れる前に、一瞬信じられないといった表情を浮かべながら自分の胸を見た。
 男の胸から鮮血がほとばしる頃には、他の男達は、総て部屋の中に突入展開し終わっていた。
 各々が、身を隠せる場所を見つけ武器を構えていた。

 後の侵入者達に向かって、江夏が発砲出来なかったのは、彼女が意識して最初の男に向かって引き金を引いたのでは、なかったからだ。
 それは攻撃というよりは、一種の指先に起こった痙攣のようなものであったに違いない。
 それにしても、普通の女性に出来るような行為ではなかったが。

「相馬っ!!馬鹿野郎が!先走りやがって!相手はサイコ女なんだって、何度も念を押しただろうが!!」
 応接セットの物陰から声が飛ぶ。
 黒っぽいスーツの袖口と、リボルバーを握り込んだ手が一瞬だけソファ越しに見えた。
 おそらく江夏が倒した男に、声をかけているのだろう。
 胸を撃たれた男からは、返事はない。

「知念さん!やっちゃいましょうよ!こいつ、一人みたいだ。俺らみんなで弾いちゃえば、すぐに済んじゃいますよ。」
 窓から進入して、今は江夏の左方向に身を潜めている男達の内の一人が怒鳴る。
 この男は、その口ぶりからして、江夏に撃たれた男の事など何も気にしていないようだ。
 江夏は相変わらず、脚を開き猟銃を構えて仁王立ちしたままだ。
 度胸があるのか、既に精神に破綻を来しているのか、、。

「ぼけかぁ!!薬袋のオヤジに言われた事をもう忘れたのか!誠二。お前に渡した、あれを使え。」 
 知念と呼ばれた男が、このグループのリーダーなのだろう。
 その指示には、揺るぎがなかった。
 それにしても「薬袋」とは、聞き覚えのある名前だった。

「、、でも防毒マスクは車に置いてきちまった。第一、そんなもの邪魔だろうがって言ったのは、知念さんじゃないすか、、」
 江夏は、防毒マスクという言葉で、これから起こる事を予測したのか、あるいはこの瞬間、正気を取り戻したのか、誠二が隠れている方向に、銃弾を撃ち込み始めた。

 つくづくたいした女だった。
 江夏が放った銃弾の代わりに、相手から返ってきたのは白煙を吐き床を転がってくる円筒だった。
 江夏の発砲のせいで、知念達はガス攻撃をマスクなしで、その攻撃をやるつもりになったようだ。
 数秒で視界がなくなっていく。
 黒い人影が、江夏のいる方向に殺到し、銃声が二度、響く。

 俺は口元を手で覆いながら、侵入者達が破壊したドアに向かって走った。
 もうこうなれば、俺の出番はない。
 逃げるだけだ。
 侵入者達が江夏の敵対者なら、ここに残された全てのモノは彼らの手によって回収されるか、処理されるかのどちらかだろう。
 ゴォークシステムの末端が心配だったが、こんな連中相手に下手にあがかない方がいい。
 俺はひりつく喉や鼻の痛みをこらえながら、屋敷の外の植え込みの中に身を隠した。

 外から見ていると、まだ破壊されていない屋敷のあらゆる窓が、男達の手によって開け放たれるのが判った。
 そこから煙が吐き出されていくのが、屋敷の中の明かりで見える。
 そして暫くしてから、屋敷の内部から鈍い爆発音が聞こえた。
 俺は我慢しきれなくなって、再び屋敷に近寄って、窓から内部を覗きこんだ。

 部屋の中央では知念らしき黒っぽいスーツの男が、倒れた江夏の頭部を踏みつけたまま、手に持ったリボルバーの銃口を彼女に突きつけている。
 空いた手でハンカチを持ち自分の口を覆っているので、顔の表情までは判らない。

 だが、短めの柔らかな黒い巻き毛の下にある知念の双眸には、それほど狂った輝きはなかった。
 それに対して、今にも燃え上がりそうな江夏の視線の向こうには、さっき爆破されたばかりの地下室に通じるダイニングルームの隠し扉があった。

「若を拉致した女だっていうから、どんなに頭がいいかと思ったがな、、やっぱり素人だ。いくら口が堅くても、脅しをかけりゃ、自分が守ろうとするものの方向に視線が動くんだよ。」
 知念の言葉に、江夏の顔が悔しそうにゆがむ。
 江夏は尋問に口を割るような女ではない。
 苦痛には恐ろしい程の耐性があるのだ。
 彼女に性的虐待を加え続けた叔父のせいだ。

 おそらく江夏は、知念の尋問は無視したものの、その目線が隠し扉に向かって無意識に動いてしまったのだろう。
 江夏には犯罪を職業とする者の狡さがなかったのだ。

「誠二、あっちの奥を調べてみろ。隠し扉かなんかがある筈だ。どうせ簡単には開かないだろうから、その時は構わん、扉を爆破しろ。ここまでやって、手ぶらで帰ったら俺はオヤジに絞め殺される。」
 江夏の形の良い眉が悔しさに歪んだ。



「知念さん!ちょっと来てください!」
「どうした。若が見つかったのか?」
 知念は、そんな事はありえないだろう、と言下に匂わせながら、地下室から顔を出した誠二に気のない返事をした。
 言動の端々に、どこか冷めたモノを感じさせる男だった。

「それどころじゃないんです。・・・その女、バケモンだ、、。」
 誠二のただならぬ気配に押された知念は、玄関口で見張りに立たせた部下を呼び寄せた。

「この女を見てろ。油断するなよ。動きが怪しいと思ったらぶち殺せ。」
「でも親父さんが生かしてつれて帰れと、仰ったんじゃ。」
「それはさっきまでの話だ。・・俺ゃ、こんな女に寝首をかかれたくはない。お前が殺すしかなくなったら、オヤジには俺がわけを話す。」
 知念は、黒いスーツの下にあるノーネクタイの白いシャツを一瞬大きく見せてから、自分の拳銃を脇に吊り下げたホルスターに納めた。

「・・へぇ、、ありがとうございます。俺もホント、同感っす。」
 男は知念に替わって銃口を江夏に向けながら、先ほどの催涙弾で痛めた鼻をすすり上げながら答えた。
 そしてこの時、俺はようやく「薬袋」という名前が、江夏に殺されミニチュア化された男の中の一人である事を思い出した。

 10分後、江夏屋敷の玄関から即席の担架に横たえられた全身赤剥けの死体が侵入者達によって運び出された。
 江島が拉致した4人の残りの一人だろう。
 いや今夜の獲物の男だったのかも知れない。
 江夏は、俺を尋常ならざる相手とふんで、いつもの処置を早めたに違いない。

 そんなタイミングで、薬袋組の人間達は江夏屋敷に組長の息子を奪還する為の押し込みをかけたのだ。
 今度ばかりはヤクザ者達だけが悪いとは思えなかった。
 俺だって身内を浚われれば、それなりの事をする。

 だが不思議と江夏に対する嫌悪や怒りの感情は湧いてこなかった。
 感じたのはもっと別の感情だった。
 もしかしたらその中には、己の快楽を追求する為にはどんな凶悪な組織にも組み付いていく江夏への賞賛の念も含まれていたかも知れない。

 続いて両脇を屈強な男二人に挟まれて江夏が連行されて来た。
 最後に大きな段ボール箱を抱えて、家の外に出てきた男の顔はひきつっていた。
 まるで自分が抱えている箱の中に悪魔が潜んでいるかのように、、。
 おそらくその中身は、江夏が作り続けたミニチュアが入っているのだろう。

 男達に連行される江夏が、透明になって見えない筈の俺の側を通過する時に呟いた。
「おあいにくさま、目川さん。ゴォークはもう壊れてるわよ。あれは、もう一つの生き物になっちゃったわ、、。」と。

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