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第5章 因縁 medaillon(メダイヨン)皮剥男

54: メインディッシュ

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 夜空は白みかけてこそいなかったが、朝の気配は濃厚だった。
 そんな時刻に、俺はホテルにたどり着いたのだ。
 案の常、鍵は二部屋ともリョウが自分で保管したままで、俺は自分の部屋に入る為に、フロントで部屋の鍵を開けてもらう羽目になった。

「お帰り。」
 シングルベッドの上の駱駝色の毛布で出来た長細い小山から、努めて作られた明るい声が小さく聞こえた。

「起きていたのか?それにそこは俺のベッドだぞ。」
「心配だからね、、。いつもは僕に危ないことさせるから、こんな心配の仕方をしないで済んだけど、、。」
「済まなかった、、。もう休んでくれ。」

 俺が素直にそう応えると、リョウがベッドから起きあがった。
 自分の部屋に戻るつもりなのか、俺にベッドを明け渡すつもりなのか、そのどちらかなのかは判らなかった。
 リョウはTシャツとジャージというありふれた室内着の服装だった、薄暗がりの中、一瞬、リョウは女の子のように見えた。

 俺はまた、忘れていたあの「依頼」を思い出した。
 年の頃ならリョウと同じ高校生で、二人組の男に手ひどいレイプを受けた少女、、。
 俺はその少女の父親に、犯人探しの依頼を受け、、。
 狭いシングルの部屋の中で、リョウと身を入れ替えた時、リョウから可愛らしい香水の匂いがした。

「明日こそ埋め合わせをする。いやもう今日か、、、どこかで美味いメシでも食おう。」
「うん。」

 リョウが部屋から出ていった後も、リョウと微かに肩が触れ合った部分が熱を持って火照っていた。
 倒れ込むようにリョウが寝ていたベッドに潜り込むと、そこにリョウの残り香があった。
 俺はそれを胸一杯吸い込んだ。
 そして意識は、それを怖れたが俺のペニスは立派に肉欲を誇示していた。



 昨日と地続きの今日、俺達はホテルの側の港から出ている遊覧船にのった。
 昨日の悪夢が嘘のように何もかもが光り輝いている日だった。

「ここからは四国も見えるんだね。」
 リョウは嬉しそうに、海上の島を見つめていたが、俺にはそれが深緑のリノニュウムの床に叩き付けられた青かびだらけのデコレーションケーキにしか見えなかった。

「俺は海がいまいちなんだが、お前はどうだ?」
「僕は嫌いじゃないよ。ちっさい頃に、よく海に連れていって貰ったんだ。あの頃が、一番幸せだったな、、。」
 リョウが目を細めながら言った。
 それが懐かしみのせいなのか、潮風のせいなのか俺には良く判らなかった。
 リョウは、あまり自分の過去を喋りたがらなかったからだ。
 珍しい事だった。
 今日は機嫌がいいのだろう。

 俺達二人をのせて、遊覧船は進んでいく。
 奇妙な気分だった。
 船の動きは、歩くのでも、車のそれでも、ない。
 俺は小さい頃、砂場で船を進ませて遊んだ感触を思い出した。
 玩具の船底から突き上げてくる砂の感触が蘇る。
 俺達の船を動かして遊んでいる巨人はどんな奴だろう。
 あの橋は、その巨人が座るちっぽけなベンチというところだろうか、、。

「でかい橋だね。きっと沢山の車を通しているんだろうね。こうやって船に乗って橋の下を潜ると、なんだか変な感じがするね。」
「ああ。それはきっと俺達が、船の人間じゃなくて、車の人間だからだろうな、、。」
 俺は遊覧船が橋の下をくぐり抜ける時に、今日の昼食は海の見える場所でとろうと決めた。
 俺にもリョウの機嫌の良さが、伝染したのかも知れなかった。


 海の見える窓際に席を取った。
 フランス料理の店だった。
 店の外観は、軒下に大理石のレリーフ等を部分的に仕込んであったが、全体を見れば、軽薄なお洒落さに満ちたコンクリートを主体にした白い建物に過ぎなかった。

 シェフのお任せコースを選んだ。
 俺は趣味で料理をやるが、特別なグルメっていうわけじゃない。
 こういう場所では、あれやこれは抜きで、それなりの雰囲気が手っ取り早く味わえれば、それで良いのだ。
 窓の外には清潔過ぎる人口の砂浜と、港の遠景、そして海が見えていた。

 ワインは何になさいますかと問われ、銘柄を尋ねられたのが、こういうレベルの店で何が飲めるのかよく判らなかったので、俺はとりあえず適当な名前を上げてから白と答え、リョウもそれにならった。
 ウェイターは接客についてよく訓練されているようだった。
 リョウの異質さにも、動じた様子をひとかけらも見せない。
 いや、接客商売をしている彼等にとって、俺達のようなカップルは、それ程珍しくはない存在なのかも知れなかった。

 その代わりのように、俺達の斜め前テーブルに陣取ったカップルが、しきりとこちらを気にしていた。
 しかも失礼な事に、カップルの内の女性からは、時折当てつけがましい忍び笑いが聞こえた。
 そのうち俺には、反骨の気持ちが芽生えてきて、俺達自身が意識的にゲイのカップルらしい雰囲気を盛り上げ、その様子を、彼らに見せつけてやるつもりになっていた。

 おかしな事に、俺達が仲むつまじくやる程、女性のほうは対抗心を燃やして、彼女の連れに絡んでいくのだが、相手の男性は、そんな女のそぶりに一層冷えていくように見えた。
 リョウもその遊びに気づいたのか、よく俺の相手をしながらハイテンションで食事を楽しんだ。
 そんな遊び心のせいか、メインディッシュが運ばれてくる間ではあっという間だった。
 メインディッシュは「仔牛胸腺のメダイヨン 野菜のブリュノワーズ添え」という代物だった。
 お洒落なように見えるが、よく考えれば、食材と料理方法ソノマンマのネーミングだ。

「このメダイヨンってなんなの?」
「まあ、肉厚のメダルみたいなもんだよ。料理の形がメダルに似てるだろう。このレストランの玄関の軒下にレリーフがあったのを覚えているか?」
「ああ、天使が向かい合って、何だかベンツの車のさきっちょについてるヤツを掲げて飛んでいたんだよね?」
「あれがメダイヨンだ。」
「でもメダルって金属のイメージがあるよね。でも、これは肉で出来てるんだ。」

 俺の頭の中でフラッシュが瞬いた。
 天使が捧げ持つもの、「象徴」としてのメダイヨン。
 ヒヨコの首からぶら下がっていたレザー製のメダル、、。
 わざわざ人目に付けとばかりに露出されたメダル。
 あれはヒヨコのファッションセンスからは明らかに逸脱していた。
 あれは、絶対にアクセサリーなんかじゃない。
 何かの「意味」なのだ。
 第一、あのメダルにあった欠けた部分には、どんな意味があるのか、、。

「食べないの、、?」
 リョウが心配そうに声を掛けてくる。
 下から覗き上げるような視線、これは先ほどの、演技の続きではなかった。

「え、、ああ、食べるさ。」

 食べる。
 死体隠蔽で、一番効果的な方法は、死体そのものを食べてしまうことだ。
 零は、「髪」も「皮」も大切に使う。
 余るとすれば、「骨」と自分の身体にフィットしない余分な被害者の皮膚ぐらいのものだろう、、、。
 あのメダルだ!
 零は、狩りの獲物を身にまとい、ヒヨコはその端切れをトロフィー代わりに胸からぶら下げているのに違いない!

 、、だが最初からそれを思いついたのではないはずだ。
 それに奴らは何人も女達の皮を剥いでいる。
 継ぎ合わせていったのだ、、あのメダルの「欠け」の元はそれで説明が付く。

 最初から丸いメダル形を作ろうと思ったわけじゃない、たまたま「余り」を重ね合わせ継ぎ合わせていったら丸くなったのだ。
 いや、それは妄想だ。
 妄想だ、と思って、俺はその考えを懸命に否定した。
 だが俺の判断力は、それとは反対に、それこそが「真実だ」と喚き立てていた。

『今すぐヒヨコを、とっつかまえて、あのメダルを調べるんだ。それで、お前の今回の仕事は完全に終わる。斉藤は証拠は、もう重要ではないと言ったが、それは斉藤の考えだ。俺の依頼主は、あくまで会長だ。会長は「服」を探せと言ったのだ。メダルを「服」の代わりに差し出せばよい、会長は「服」自体が欲しいんじゃない、自分が動き出す為の確証が欲しいだけだ。メダルでも十分だ。そうすれば、この先、女の生皮で出来た「服」とも、零という名の化け物にも出くわさずに済むんだ。』

 俺は、直ぐにでも、この思いつきを斉藤に連絡したい衝動にかられた。
 なぜならどの道、ヒヨコは俺が適う相手ではないのだ。
 いずれ斉藤に頼まねばならないのならば、今の内に、此方の全ての手の内を、晒してしまう方が得策ではないか。
 だが相手は、やくざだ。

 彼らがメダルの存在を知れば、その凄まじい猟奇性故に、穏健な判断を見失い、全てをぶち壊してしまう暴挙にでないとは限らない。
 そしてもっとも最悪なのは、斉藤がこちらのすべての情報を、自分の都合の為に操作してしまう事だ。
 よく考えて見れば、俺は一番最初の会見以降、会長とは直接、話をしたことがないのだ。
 斉藤は、やろうと思えば「彼にとっては最高の、俺にとっては最悪のシナリオ」だって、自由に書くことが出来るわけだ。

「なあリョウ、おまえ斉藤っていう男をどう思う?」
「所長と比べて、どっちが魅力的かってこと?」
「馬鹿いってんじゃない。奴に信用できる印象を持ったかって聞いてんだ。」
「駄目だよ、あの人、、。」
「どういう事だ?」
「調べたんだ。」

「お前って奴は、、相手はやくざなんだぞ。下手に嗅ぎ回って!」
「心配してくれるのは嬉しいけどさ、僕は犬じゃないんだから嗅ぎ回ったりしないよ。彼に初めて出会った時から、ピンときたんだよ。」

「ピンってなにがだ?」
「彼がこちら側の人だってこと、、、で、調べるのは簡単だった。」
「、、、、。」
 俺はあえて「こちら側」の意味を聞かなかった。

「そういう友達がいるんだよ、こちら側にはね。普段付き合ってるわけじゃないけどさ、メールでね。メールで友達とかだと、かなり深いとこまで関係が成立してるんだよ。実物に会った時の落差がなけれりゃ、初めて会っても親友ってわけなんだ。どんな事でも教えてくれるよ。」
 リョウは、俺と一緒ではない時に、斉藤についての情報を仕入れてくれていたのだ、、。
 俺は、てっきりリョウが、昼間の間、神戸の街で遊び回っているものと思いこんでいたのだが、、。

「斉藤さんは、銭高会長のお稚児さんなんだよ。知ってた?小さい頃から、こっちを仕込まれているから斉藤さん自身、自分の性癖が、世間から見てどういう所に在るのか本当は判ってないんじゃないかって友達は言ってたよ。」

「又ぁ、そんな顔して大丈夫だよ。僕は所長一本なんだから。」

「お前、おかしいな、、。普段はお前、俺や俺のツレに、ホモかヘテロかで、人間を判断しちゃいけないって偉そうに説教垂れてるだろが。斉藤だけは別なのか?」

「違うよ、問題はね。斉藤さんと、銭高会長の孫が同じ年だっていう事だよ。うわさ話では、会長が自分の孫にしたくてもできない事を斉藤さんにしたんじゃないかって、、。銭高会長は、養子縁組みの形で、まだ幼い斉藤さんを自分の手元に置いたんだよ。会長は斉藤さんを手に入れる為に、かなりあくどいことをやったらしい。斉藤さんの本当の両親は実業家の在日で、銭高組にある事情で、かなり追い込まれてて、その経過途中で、斉藤さんが会長の目に止まったらしいよ。」

 ・・零の父親も爺も鬼畜か、、銭高一家は呪われているのか? 
 俺は一瞬、斉藤の小さな頃の様子を想像してみた。
 今でも吃驚するほどの美男子だ。
 しかも日本人には、なかなか見受けられないタイプの美貌だ。
 小さい頃は、さぞかし可愛らしい存在だったに違いない。
 その彼が、あの会長の、、。
 俺は、それ以上の想像を放棄した。

「、、寒気の走る話だな。」
「で斉藤さんとその孫は、、」
 リョウはまだ零の事を知らない。

「その孫、零って名前だ。」
 俺は孫の名を教えてやった。
 俺の宿敵の名前でもある。

「斉藤さんとレイ、、は、小さい頃、意識的に引き離されていたみたい。理由は会長が、斉藤さんに零って子に対する嫉妬の感情を芽生えさせたくなかったらしいけど。でも大きくなってからは、組の幹部と会長の孫との関係なんだから、二人は顔もあわせただろうね。」
「嫉妬の感情?斉藤は会長のことを怨んでなかったのか、、、。」

 俺は斉藤の端正な顔立ちと、零について語るときの彼の無機質な口振りを思い起こしてみた。
 それに斉藤は一度だけだったが、会長を銭高と思わず呼び捨てにしたことがある。
 やはり、もしかしたら本心では会長を憎んでいるのかも知れなかった。
 いや、そうであって欲しいと俺は思った。

「もし所長の仕事が、その零っていう人の失踪と関係があるなら、斉藤さんは、あてにならないかも知れないよ。」

 俺は今度の仕事に関して、リョウに何も漏らしていない。
 零の失踪についてある程度のことをリョウが気付いているのは、リョウの勘の良さもあるのだろうが、世間のうわさ話が、そこまで追いついているという証でもある。
 このままでいくと、零の失踪事件は、そう時を待たずして、過去の婦女子殺人事件群に結びついていくのは確実だろう。
 そうなったら、俺が考えついた例の「物語」は、通用するのだろうか?

 組は出来るだけ早く、この件にけりをつけたがっているに違いない。
 斉藤に跡目が回ってくる可能性はあるのだろうか、、。
 俺は銭高の内部事情を良くは知らない。

 だが会長はあの時、全ての幹部を引き下げてからでも斉藤を残した。
 会長からの信頼が厚いのは間違いない。
 そして銭高組が、現会長の専政国家である事は誰でも知っている。
 俺が調べた範囲では、今の組長など、只の飾りだ。
 次の本当の跡目は会長の一言で決まる。

 昔、零に東京の実力者の娘が紹介されたのは、次期組長に対する会長の思惑が充分に感じ取れた行動だった。
 だが今は、全ての事情が違って来ている。
 零が抹殺されたら、、斉藤にダイスは転がるのだろうか、、。

 斉藤は、会長の孫代わりに、飼ってこられた人間だ。
 零の代役は十分に勤まるだろう。
 それが筋道なら、斉藤はなんとしてでも、零をしとめる為に動くはずだ。
 もし俺がその障害物になればすぐさま処分され、ステップボードになれば、必ず踏みにじられる。
 そこにメダイヨンの情報。

 ・・・駄目だ。
 メダイヨンは時期が来るまでは、こっちのカードにしておくんだ。
 斉藤も含めて銭高組は、「零」の隠れている家の入り口に立っているくせに、そのドアを開けようとしない。
 俺という呼び鈴が、まだ大きく鳴らないせいだ。
 それならそれで、この状況を利用するしかない。 

 その時、俺の胸のスマホが鳴った。
 相手はとうの斉藤だった。
 先ほどまで頭の中で描いていた斉藤の姿のまま、彼は喋り始めた。
 リョウがこちらを注意深く見つめている。

「目川さんですか。ヒヨコを捕まえましたよ。」
「どこでだ!?。」

 俺の声はうわずっていた。
 メダイヨンという切り札の最も有効な切り方を、さっそく考えなければならない。
 俺の予想では、したたかなヒヨコの事だ。
 銭高を相手に2・3日、いや最低でも1日は、逃げおおせると思っていたのに。

「あなたが監禁されていた波止場近くの倉庫ですよ。あの馬鹿、我々の裏をかいたつもりであそこに戻って来た。」
「ヒヨコは、今どうなってる?」
「まだ死んじゃいないですよ。情報を吐かしちゃいませんからね。」
「殺すなよ。俺が行くまで待ってくれ。」

「奴にご執心ですね。それほど復讐がしたい?死体に唾、じゃ不足ですか。こっちにはあまり時間がないんだ。」
「ヤツから直接聞きたい事があるんだ。あの写真と、俺の書いた筋だけじゃ、物足りないだろう?俺なら、話をでっち上げるのに、最適な材料をもう一押しヤツから探りだせるかもしれん。」

「、、判りました。それなら出来るだけ早く来て下さい。私に血が足りないのは、ご存じでしょう、、。」
 慌てて腰を上げかけた俺の手首を、切なげにリョウが掴んだ。

「所長。」
「スマン。」
「いいよ謝らなくて、、でもここのお勘定はおいていって。」







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