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第3章 裏十龍城への潜入とその崩壊

28: もう本名なんて忘れちゃった

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「私の名前は只野マリー、もちろん本名じゃないけど、もう本名なんて忘れちゃったわ。」
 微苦笑を口元に浮かべながらマリーと名乗った女が、俺の肩から上腕にかけてを包帯で手際よく巻いていく。
 マリーの身体からは、サーファーの女の子達が良く付けているボディコロンの匂いがした。

 俺はその手元を眺めながら、自分の事を、アクション映画の中の傷ついた主人公のようだと間抜けた事を考えていた。
 本来なら看護士並のその手際から、マリーの素性を推理すべき所なのだろうが、探偵家業を忘れかけた手負いのチンピラに過ぎない今の俺には、それが出来ない。
 あんたは、傷ついた人間を助けるヒロインみたいだ。
 しかしそんな感想を、彼女に喋りかけるわけにはいかないので、俺は先ほどマリーの部屋に担ぎ込まれた時に感じた事を、マリーにそのまま伝える事にした。

「あー、俺、、目川純。あっ、それって蛇喰さんから聞いてますよね。・・でも本当だったんですね。」
「えっ、何が?」

「あれですよ。裏テンロンじゃ、窓を裏から封鎖してるって。」
 目川は顎をしゃくって段ボールを張り付けてある窓を示して見せた。
 昼間見る十龍城の住居区階の窓は偏光ガラスが使用されている為、濃いブルーグリーンをしていて内部の様子は分からない。
 それでも夜になって内部からの照明が漏れれば人の気配は分かる。
 だから裏テンロンでは、窓を裏から封鎖してるって話が、人々の間でまことしやかに交わされていた。

「ああ、あれね。このビルの居住区には人が住んでいない事になってるから、、夜になって灯りが外に漏れてちゃ困るって聞いたわ。建前もいいとこだけど、何故か此処では、みんなそれに従っている。」
 十龍城の地下4階から地上10階まではショッピングゾーンになっているが、途中でタワー状の形状に変化する11階から25階は、オフィスと住居用に使われていた。
 本当に、それらの窓の裏側が全部、こんな裏張りがしてあるのかと思うと俺は可笑しくなると同時に、ある疑問を感じた。

「従う?・・それって命令ってことですよね、すると裏テンロンにはボスみたいな人間がいるんすかね?」
 マリーは何処からか男物の白いシャツを持ってきて俺の肩にかけてくれる。
 蛇喰のものらしく、かなり大きなサイズだった。
 クリーニングしたてのシャツと、マリーの動作の優しい感触を感じながら、俺は自分の痛みが随分落ち着いて来ているのを知った。

「ボスって言い方でいいのか、わかんないけど、ミッキーがいるわね。貴方をあのヤクザ達から救い出せたのは、半分、ミッキーのお陰だし。」
「そうなら是非、そのミッキーさんにあって礼をしたいものだ、、。」
 煙猿を探し出すにも、蛇喰の依頼を遂行するためにも、十龍城の有力者とは、ぜひ繋がっておく必要がある。
 もちろん最後には、その人物を裏切る事になるのだろうが、探偵の仕事というものは元来そういったものである事を俺は知っていた。

 一人の依頼者の信頼を得るのに、何人もの人間の不信感を刺激する。
 最後には、その依頼者にさえ嫌われる事もある。
 もちろんそれは、依頼者の為に探り当てた真実が依頼者自身を苦しめる為だが。
 マリーは丸くて滑らかな肩をすくめながら「でも彼にあっても、吃驚しないでね。」と言った。

「吃驚する?」
「会えば解るよ。」


    ・・・・・・・・


「壁だよ。そこにネズミは、自分が通れるだけの穴を開ける。猫はネズミを追いかけたくとも、その穴を潜れない。せいぜいが中を覗き込むだけだ。大きさがモノを言うんだ。猫は大きいから穴を潜れない。ネズミにしちゃ自分の大きさなのにな。」
 マリーがミッキーにあっても驚くなと言った主な原因、、、つまり男が顔に付けているミッキーマウスの立体仮面の口元がもぐもぐと動いた。
 仮面はシリコンで出来ていて、それを直接顔の皮膚に貼り付けているのか、採寸がピッタリなのか、それにしても凄い技術だった。

 俺とミッキーの会見の雰囲気は、ディズニー映画にアニメキャラと実写を混ぜた作品が時々あるが、それを思わせるものだった。
 もっとも目の前のアームチェアーにふんぞり返って座っているのは、長身の痩せたリアルなミッキーマウスで、2次元の生き物なんかでは、なかったのだが。
 それでもその姿は、単なるコスプレというにはレベルが高すぎた。
 舌を噛みそうな言い方だが「ミッキーマウスマン」といったところか。
 ちなみに関係はないけれど、俺はTDLにろくな思いでがない、、。

「、、なんだ、納得してないって顔だな。今の説明じゃ不満足か。こっちにして見りゃ、オタクがどうして、こっちと向こうの行き来について、拘ってんのかが判らんのだがな。ここに逃げ込んで来たのなら、もう向こうの世界には未練はあるまい?」
 それにしてもミッキーマウスの声は渋かった。
 なんだか深夜放送ラジオの男性アナウンサーみたいな感じだ。

 俺はミッキーマウスの質問に答える為の時間を稼ぐために、この部屋の奇妙さに今気付いたと言わんばかりに、周りを見回した。
 長身の立体ミッキーマウスが座っている椅子の後ろの壁一面には、百に近い数のディスプレィがはめ込まれており、そのそれぞれが、裏十龍のありとあらゆる場所をリアルタイムでモニターしていた。
 ミッキーの部屋は、この巨大ビルの総合管理室だったようだ。

 俺はミッキーの丸い右耳の上あたりにある1つのモニター画面の中に、ゴーゴンヘッドギアを付けた江夏先生が、こちらを覗き込んでいるのを見つけたが、それはない事にしておいた。
 江夏先生が裏十龍にいる筈がないから、多分、江夏先生は向こう側の世界から、こちらを観察しているのだろう。
 江夏先生は『さあ、目川、どう誤魔化すの?彼は、あなたが裏十龍城に来た理由を、もう疑い始めてるよ。』そう言っているようだった。

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