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第3章 裏十龍城への潜入とその崩壊

25: 暗い川に跳ぶ、ハードディズナイト

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「組に、ちょっとした事情がありましてね。薬の保管を一時的に、組の三つの枝に分散させてるんですよ。ただリスク管理って事もあって、等分って訳にはいかんので、枝のそれぞれの格に応じて量は決めてあります。当然、目川さんには、一番量の少ない所へ行って貰います。もちろん、だからと言って、薬を全部持って行ってもらっちゃ困る。1キロほどくすねてくれればいい。第一、全部、強奪するような強者が、自分の所へ逃げ込んできたって、裏テンロンは、それを受け入れないでしょう?そういうケースは、彼らからすると外側で起こる、力を持った者同士のいざこざに過ぎない、彼らはそういう事とは一線を引いている。」

 蛇喰が言った、三つの枝の一つとは、「羅龍会」という湾岸西部にある組織だ。
 「羅龍会」、、いかにも頭の悪そうな名前だったが、いくら頭が悪くても、ヤクザが厄介な存在である事を、俺は骨身に染みて知っている。

 蛇喰からは、そういった説明があって、羅龍会が保管倉庫として使っているという倉庫を改造したような改造住居の内部写真や、その他の簡単な資料を貰った。

 その際、薬を一時的に分散させざるを得ない神代組の「ちょっとした事情」を含めて、色々な疑問が浮かんだが、俺はこの時点で既に前金を俺の銀行口座に振り込まれていた。

 そんなこんなで俺は、神代組の有力者から頼まれて、神代組所有の薬をくすねるという馬鹿げた事をやる羽目になったのだ。
 正直に告白すると俺には、今回の依頼内容で500万なら旨い汁を吸えているのかも?という気持ちがなかった訳ではない。
 しかし、それはスタートから間違っていた。

 1キロの盗みにしても、組内部からの手引きも、前もっての組への指示も、まったくないと言う。
 その時点で発覚すれば、枝の羅龍会は自分らの落ち度になるから、死にものぐるいで俺を捜し出し、捉えようとするだろうと蛇喰は言った。
 蛇喰と目川の繋がりが、外に漏れるような事があれば、テンロンはそれを嗅ぎつけ、決して俺を内部には入れないだろうから、この仕掛けについて知っている者は、神代内部でも本当にごく少数なのだと蛇喰は言った。

 よく考えれば、俺がくすねる1キロとは、上手く考えられた量なのだ。
 俺が羅龍会にやられ、その途中で薬がどこかへ行ってしまっても、神代は1キロの損失で済む。
 銀行に振り込まれた250万だって、やつらがその気になれば、なんとしてでも回収する筈だ。
 こうなった限り、俺はこの仕事を最後までやりきるしかなかった。


 途中までは、しごく順調だった。
 当たり前だ。
 薬の隠し場所を含めて、侵入経路までは蛇喰が予め教えてくれている。
 答え付きの問題用紙が配られたようなものだ。

 ただ蛇喰も、枝の組員の動きまでは把握していなかったし、把握するつもりもなかったのだろう。
 つまり俺に配られた答えは、要所がいくつか省かれており、中には誤答も混じっていたのかも知れない。

 もしかして蛇喰の腹の中には、この程度の仕事が出来ない人間が、テンロンに侵入し、自分の指示した破壊行動をやりおうせる筈がないという思いがあって、言わばこれは、俺に対する一種の事前テストなのではないかという気もした。

 とにかく俺は、日頃の探偵業で鍛えた侵入技を駆使して、その改造住居に入り込むことに、一応成功していた。
 いつもなら、倉庫に詰めている二人の羅龍会組員は交代で夕食に出るのだが、今日は二人目が痺れを切らせたのか、もう一人が戻らぬ内に外に出た瞬間を、狙ったのだ。

 彼らも自分たちの役目の重要さは理解していたのだろうが、ここが親筋の巨大な神代組の縄張りの中であって、最近は、警察との折り合いも上手く行っているから、薬の強奪の可能性などごく低いものだと考えていたに違いない。
  と言うか、そういう緩い発想をする組員を抱えている枝だから、神代は少量の薬しか羅龍会に保管させていないのだろう。

 それに張り込み中に発見したのだが、ここから少し離れた所に、美味い海老の天ぷらラーメンを食わせる中華屋がある。
 海老の天ぷらといっても中華風の奴で、フリッター仕立てだ。
 そう、エビチリを思い出して貰えばいい。
 最近は、出汁がなんとかとか、麺の拘りがなんとか、説明と口コミで持ってるようなラーメン屋がはびこっているが、本当に美味いものを喰わせる店は、さりげなく街の片隅に佇んでいるものだ。

 海老の天ぷらが乗った、澄み系の汁の組み合わせで美味いラーメン、それを仕上げるのは意外に難しい筈だ。
 組員の奴らも、そいつを喰いに行ったのかも知れない。
 いやそうしておこう、、。

 目的の場所への侵入経路は、監視カメラがある正面玄関周辺は、それなりに厳重だったので、元倉庫の横腹にある非常階段から、薬のしまってある3階に上り、そこから倉庫の壁の樋伝いに裏側の窓を破って侵入する事にした。
 窓の内側のクレセントを回す為に手首を突っ込む。

 その際のガラスを切る道具は、既に持っていた。
 問題は、そういう道具や才覚よりも、俺自身の体力と機敏性だった。
 昔は、こういう事も軽くできたが、今はかなり難しい。
 どうしてもの場合、最近はその手の作業を、助手のリョウにさせていた。

 それに元倉庫の裏側は、小さな運河のようなどぶ川だった。
 もし3階の高さから足元を滑らせたら、地面よりは少しはマシだが、冷たくて汚い川の中に真っ逆さまだ。
 実際、窓から倉庫の中に潜り込むまでは、樋から足を滑らせそうになったり、やばい場面が何回かあった。

 脱出する時は、3階の非常階段扉を考えていた。
 蛇喰にもらった写真では、室内側から見える非常階段扉の前は荷物の置かれたスチール棚で占拠されていたが、一人の人間が動かせないというようなものではなかった。
 それで帰りは、危うい綱渡りのような事をせずに済む。

 俺の心臓は、この上もなくバクバクと鼓動していた。
 薬が入っている大型金庫は直ぐに見つかったし、金庫の扉をあける方法は、蛇喰から知らされていたから楽勝だった、
 それよりも組員がいつ帰ってくるかが、問題だったのだ。

 今夜、一人の組員は予定外の外出をした。
 ならば、同じように、直ぐに返ってくる可能性もあるのだ。
 油断して夕食を取りに行ったとは、必ずしも言い切れないのだ。
 ・・・くそ、あの海老天ラーメンが食いたい。

 俺は急いで白い粉の入った一パッケージを金庫から抜き取って、着込んでいた黒いジャンパーの内ポケットにそれを仕舞い込んだ。

 その時だった。
 階段を駆け上がってくる足音を聞いたのは。
 俺は自分が入ってきた窓のある場所まで走り出した。
 逃げる姿を見られないで済むとは思わなかったが、ここにいても隠れる場所はまったくない。
 案の定「誰や!このドグサレ!」というヤクザ定番の台詞を後ろから浴びせかけられた。

「とまらんかい!はじくぞ!」
 警官に止まれと言われて止まる犯罪者はいないといわれるが、ヤクザに弾くぞと言われると少し考える。

 この情況なら、持っているだけでヤバイ拳銃も、彼らは常に身につけている可能性があった。
 しかし、ここでお陀仏して、蛇喰の言う葬式代250万を貰うか、成功するかどうかは判らないが500万を手に入れて借金を返しリョウとの遊びにムフフをするか、どちらを選ぶかは言うまでもなかった。
 逃げるしかない。

 俺はとにかく、身体に穴を開けられずに、穴を開けた窓まで辿り着いて、一瞬だけ考えた。
 今から、又、外壁の樋を伝って非常階段まで行くのか?
 あり得ない。
 なら、眼下のどぶ川にダイビングするのか?
 あり得ない。

 俺は後者の、「ありえない」を選んだ。
 その決断のタイミングは、俺に追いついた組員が俺の襟首を掴む寸前だった。
 いや実際は、男の指先は俺のジャンパーの襟首を掴んでいた。
 だが俺の落下スピードとその威力が、組員の指先の力を上回っていたのだ。

 俺は、脚と腕をブン回しながら、川に向かって落ちていった。
 外は闇に包まれていたから、川面は黒い鉄板のように見えた。
 俺は着水の時、強い力で全身を殴られたような気がしたが、失神もせず、それどころか、けなげにも本能的に浮き上がろうとする気持ちを抑えて、もう一度、川の中に泳ぎだしたのだ。

 俺は本当に、この時の俺を褒めてやりたいと思っている。
 なぜなら、水中で藻掻いている俺の右頬近くを、チュンという音を立てながら強い水流が一直線にかすめていったからだ。
 なんと二回目は、気泡を伴ったその直線水流が、目の前を一直線に下降していった。
 奴ら、本気で拳銃を川に向かってぶっ放してやがったのだ。

 奴らはそうする事によって、騒動になる事を恐れていない。
 奴らにとって、薬を盗まれるという事は、それ程、重大な失敗なのだ。
 だが三階の窓から、俺の姿が見えているとは思えない。
 奴らは、見当で撃っているのだ。

 俺は死に物狂いで水中を泳いだ。
 いや本当は、俺の身体は浮いていたのかも知れないが、その時は、何も判らなかった。
 ただ少しだけ俺に有利だったのは、上から見ると静止しているような川だったが、中に入ってみると、結構な水流があったのだ。
 俺は、その流れに乗っていた。

 ただ、何時までも顔を水には付けていられない。
 息継ぎで顔を上げた時、奴らが何処かにいたら、その時は、いくらなんでも奴らだって懐中電灯ぐらいは持っている筈だし、応援も頼んでいるだろう。
 その時が、一番目の危機というか、勝負目だった。
 ああなんという、ハードディズナイト。
 だが俺には、ビートルズの歌詞のように、全てを俺に捧げてくれるという彼女はいない。
 ただのハードディズナイトだ。

 そしてとうとう、息が詰まって、俺が頭を上げようとした時、俺の右腕が何か硬いモノにごつんと当たった。
 この日、2回目のラッキーが俺を待っていた。
 俺は、あの改造倉庫から少し離れた所にある小橋の橋桁に引っかかったのだ。
 俺は橋桁を伝って、橋の真下に移動した。

 この周辺は、幾つかの建物の灯りで結構明るい。
 いくら橋の下と言えど、その外側にいれば誰かに見つかってしまうからだ。
 橋の真下なら、見つからないとは言えないが、まだましだ。
 安心した途端、寒さが俺の身体をはい登ってきた。

 だが今は、水の中からはでれない。
 そうすれば、俺を探し回っている筈の、組員達と鉢合わせする可能性が大いにあった。
 逆に夜が明けるのを待つのは、体力的な事や、発見される可能性も含めて得策とは言えなかった。
 一番良いのは、夜が白む直前に、タイミングを計って、この川から這い上がることだ。
 
 だがそこまで俺の体力は持つのか。
 冷えが骨まで届いて来る。
 川の流れが俺の体温を奪っていくのだ。
 俺は、子どもの頃、よくやった「痛いと思わなければ痛くない」作戦を実行した。
 つまり、自分の頭を身体から切り離して、傷みを徹底的に客観視する方法だ。

 もちろん、効き目なんてまったくない。
 だが他にやることはなかった。

「寒くない、、寒くない、、同じ水の中でも、暖かい方を思い出せ。そうだここは温泉なんだ。俺は今、温泉に浸かっているんだ。」
 「痛いと思わなければ痛くない」作戦の大人バージョンだった。

  

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